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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2018年11月

2018年11月12日 (月)

引き続き

お待ちくださっているみなさま、申し訳ありませんが、少し考えたいことがあって時間を頂きます。

今考えている問題のポイントは以下のようなことです。


現在、議論の内容がかなり偏ったものになっていて、投稿者もとても限定されてしまっていることに違和感があったこと。


違和感の原因を考えてみると、その中で繰り返し行われている主張が、「定型とアスペとはどういうところで理解などにズレが起こるのか、どうやってそのズレを調整しながら一緒に生きていくことが出来るのか」ということをみんなで考えていく、というところに焦点がなく、「どういう人間がどういう権利を持つのか」を決めようとするような、本来のブログの趣旨とは関係のない話になっていること。


人の権利とは何か、という問題はもちろん人間がずっと考え続けてきた大問題で、今の権利の考え方は数百年の議論の中で生み出され、発展してきたものです。それを丁寧に議論すること自体は常に大事なことなので、そのことを否定する必要はないのですが、それはそれでしっかりとした議論をしなければ、非常に乱暴な人権否定の話の応酬になってしまうことは、いろんなネット上のやりとりを見てもはっきりしています。

人権の考え方はある意味でそういう乱暴な議論のなかで多くの人が傷ついてきた長い歴史の中で作り出されてきたものなので、現在の人権の考え方自体を否定する(その自覚の有無は別として)議論をすれば、同じように乱暴な議論になってしまうことも当然だとも言えます。

私としては一方では、ひとりひとりが本当に人権ということをちゃんと考えようとすれば、そういう乱暴な議論に戻ってしっかりと議論することも必要であるとも思います。そのため以前は相当乱暴な、明らかに差別的と言える発言もそのまま自動的に公開される時期がありました。そのような乱暴な議論も、やり取りの中で修正されていくことがよいとも考えたからです。


ところが、そのような形のやりとりは結局炎上をくり返すことになったこと、そしてもう一つ大事なこととして、そのような乱暴な発言を読むことで深く傷ついてしまう方たちから、そのような発言を公開すること自体に強い批判が起こったことなどから、その点についての管理人としての制限を一定程度せざるを得なくなったという経緯もありました。


もしそのような形のやりとりが、定型とアスペの間で常に起こるものであるとすれば、それは「定型とアスペの考え方の違い」の問題として、ここでの議論の対象となると思うのですが、これまでの経緯を見ると、そういう乱暴な議論をする方はどちらにもあって、そういう乱暴な議論をする定型とアスペ同士で炎上するパターンが多いわけです。


と言う風にかんがえると、やはりそのような議論はここで考えていきたい「定型とアスペのズレ」を考えるということとは違う問題だということになります。

そして私が見る限り、現在くり返される主張は、そのような質を持つものと見えます。そして現在、以前のようにやわらかくこの問題をお互いに考えあおうとするようなコメントは、どちらの側からもこのところすっかりなくなってしまいました。


以上の状況を考え、改めて本来のこのブログの目的に沿った形でやり取りを出来るようにするにはどうしたらいいかを考えていますが、ちょっと仕事などの方で今余裕がない状況なので、簡単に結論が出しにくい状況になっています。

ということで、しばらく時間を頂くこととしました。

2018年11月 4日 (日)

1週間ほど管理をお休みさせていただきます

ちょっと立て込んでいて、コメントの管理ができないので、一週間ほどお休みさせてください。

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