地図
母親と久しぶりに話をしていて思ったことです。母親はかなり強烈な人で周囲が振り回され続けるために、こちらも身が持たなくなるので、ある程度距離を取らざるを得なくなります。そして「この人はこういう人なんだから、それを前提に付き合うしかない」という、自分なりの「理解」を作り上げていくんですね。
その「この人はこういう人だ」という「理解」によって、なんとか自分なりの「対処の仕方」を見つけるわけです。 それは自分をある程度守りながら対応するためにある程度有効なんですね。だから「この理解で間違いない」という気持ちにもなる。
けれども、実際には丁寧に考えてみれば、いろいろその「理解」では及ばないところが出てきます。だからその「理解」は相手から見ればおかしな「決めつけ」に思える、ということも起こる。かといってこちらは自分の「理解」を捨てるわけにもいかないわけです。なぜならそれは相手との付き合い方を探る長い葛藤の中でようやく手に入れた「ある程度有効なもの」ですから、それを捨ててしまったらまたもとの混乱に戻るだけだ、というふうに感じられるからでしょう。
実際にできるのはその「理解」を少しずつ調整していくことだけなのだろうと思います。それが積み重なっていくといつかその「理解」が大きく変化することもあるでしょうが、そこでできた「理解」もまたある種の「決めつけ」であることは変わりなく、それを超えることはできない。
たとえ話ですが、こういう「理解」って、地図のようなものかなという気がします。行きたいところに行くにはそこまでの道筋を「理解」しておく必要があります。その理解を図にすれば地図になる。でも、言ってみればその地図って線の集まりですから、実物とはもちろん違います。たくさんのものが省略され、大雑把な道筋(歩き方)をそこから読み取れるだけです。
地図にも大雑把に手書きで「だいたいこっちのほう」ということを示すだけのものもあるし、縮尺とかを細かく決めて、距離や方角などはかなり細かく調整されているものもある。でもいくら細かくしたところで実物とは違います。でもどれでも実際にその場所を動き回るにはある程度役立つのです。
正確ではないからといって地図を捨てるわけにもいかない。でも地図はやっぱりどこまでいっても地図で、実物とはぴったりとは合わない。そういうところが上の話に似ています。
なんでこの話を書くかと言うと、定型アスペの話もおんなじだなと思うからです。ここでは定型とはこういう人で、アスペとはこういう人だ、ということを考えてきています。お互いにどこが違うのか。どこがずれるのか。
なぜそういうことをやるかというと、定型アスペ問題に新しい理解を切り拓いていかなければ、定型の視点から「アスペはこういう人々だ」という決めつけでは「対等なコミュニケーション」は無理だと感じているからです。だから、定型だけではなく、アスペからも「それは納得できる」という理解を探してきました。
実際にそれはある程度はうまくいくところもあって、今までのアスペルガー理解とは違う世界が見えてくることもあるように感じています。 けれども、やっぱりそれもまた別の種類の「決めつけ」であることを逃れることはできません。
まあ、自分が生きていくためには、たとえずれたものであっても何か「理解」という「見通し」を作りながら進むよりありません。先が予想できなければ身動きができませんから。けれどもそれは一種の決めつけであることも意識しながらその都度ずれを調整し続ける、とうことなんでしょうね。それ以外の進み方はちょっと想像することが出来ません。
地図は決して完全にはならないけれど、手掛かりになるので捨てるわけにもいかない。でも手がかりにすぎないことを忘れてはならないし、ちょっとずつよりましな地図を作っていくしかない。という話になります。
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コメント
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比喩というのが、アスペの一部の方には伝わりにくいかもしれませんが、パンダさんのおっしゃりたいこと、分かります。
付け加えれば、地図の通りに行ったのに、実際には行き着くことができないという道が多いのかな?と。
よく、地図上では道が繋がっているのに、車では通れないとか、足場が物凄く悪かったとか、これは道とは言えないでしょう!と思えるようなところもあり、山道に慣れた人なら全然平気で通れるのに、都会の道しか知らない人にはとても先へ進めそうにない。そんな個人の事情もあると思います。
定型は、割とザックリした感覚で道と認定してしまいがちですが、アスペは、かなり基準を狭めて、それ以外を道と認めないという傾向もありそうですし。
身体の不自由な人にとって、足場の悪い道は使えないし、目や耳に障害のある人にとって、車の往来の激しいところは安全な道とは言えない。
そんな個人の事情を考慮したら、市販の地図では使い勝手が悪いので、そこに細かいオプションを加えていく作業が必要になりますね。
それがこの場でやっている対話なのかもしれません。
投稿: あすなろ | 2018年10月 7日 (日) 10時46分
あすなろさん
> 付け加えれば、地図の通りに行ったのに、実際には行き着くことができないという道が多いのかな?と。
なるほど。これは地図が不完全な場合にも起こりますし、もうひとつは「地図の読み取り方が違う」ことでも起こりそうですね。
たぶん、定型アスペ間の場合はこの「読み取り方の違い」がメインの問題になって、お互いに相手に地図を示しあっているつもりなのに、相手が全然その地図通りに進んでくれなくて、とんでもない方向に行ってしまう、ということが多いのかなと言う気がしました。
投稿: パンダ | 2018年10月 8日 (月) 08時29分
地図。なるほど。
私が方向音痴でよく道に迷う理由がわかった気がしました。
投稿: めがね | 2018年10月 9日 (火) 18時13分