またまた表情の意味の話
相手が失敗をしたときの対応の仕方に関して、基本は今まで書いてきたことと同じですが、定型アスペ的なずれの起こり方についてもう少し頭が整理されてきた感じがあるので、改めてメモ的に。
定型の場合
相手の失敗を知る→(心の中で困ったことだと思う)→(相手との関係や相手の状態を考える)→(その相手にどう表現するとよいかを考える)→「叱責する」or「説明する」or「対応策を協議する」or「無視する」などの対応の選択+(ポジティヴな表情orネガティヴな表情 + その強さの選択)
( )の中は通常はなかば無意識で瞬時にやってしまうことです。ここで迷いが出ると、表情が不自然になり、相手に変だと思われます。
このやりかたが小さいころから鍛えられて身についていて、それが当たり前になっているので、自分が失敗したときに示す相手の対応の仕方の意味についても同じ形で判断します。
アスペの場合
相手の失敗を知る→(心の中で困ったことだと思う)+「困った表情になる」→(どう対処すべきかの現実的な手段を考える)→「困った表情」+「叱責する」or「説明する」or「対応策を協議する」or「無視する」などの対応の選択
違いは自分の感情をストレートに表すか、それ自体を関係の調整に使うかにあります。仲間づくり大好きな定型の場合、このお互いの感情のすりあわせの過程がものすごく重視されて洗練されていきます。ちょっとした表情の変化で、相手が自分をどう思っているのか、敵なのか味方なのか、どういう関係を作ろうとしているのかを「読む(推理する)」ということをほとんど無意識に近い感じでやり続けます。
当然、相手との関係をよくするために、本当の気持ちを表さない、ということもやります。それは相手をだますような政治的な意図でそうすることもあれば、相手を傷つけないようにという「思いやり」や「配慮」でそうすることもあります。否定的な表情は比較的「隠していない本心」と受け取られますが、逆に「笑顔」はすなおな表現の場合もあるし、そういう「政治的なもの」とか「配慮するためのもの」である可能性も大きくなります。
そのことも定型はよく知っているので、相手が笑顔でいても、それはそのまま受け取っていいのか、隠した気持ちが相手にあるのかの「裏読み」が必要になります。つまり、例外はありますが、基本パターンとしては
相手が否定的な表情をする → こちらを攻撃する気持ちになっている (※)
相手が肯定的な表情をする → 本当の気持ちの表現 or こちらへの気遣い or 政治的意図
というふうに直感的に理解し、その後の展開を考えます。
この定型的な理解のパターンに上に書いたアスペ的応答パターンが入ると、基本的にそのすべての場合で「こちらを攻撃する気持ちになっている」と判断されることになります。当然、アスペの側からすれば、なぜそれで自分がそう受け止められるのかが理解が難しくなります。自分の表情をコントロールしている意識があまりないからです。半ばでも意識していればそこに「その表情をあえてする」ことの意味が出て来ますが、それがないわけですので、ないものを読み取られても困る、ということになります。
このずれは単に顔の表情や声の調子などに限らず、文章の表現の仕方にも現れる様です。文章の場合は書くための時間があるので、「考えながら工夫する」ことがしやすくなりますから、顔の表情などのようにはストレートには出にくいですが、それでも基本は同じですので、同じようなずれがなくなることはないでしょう。
そうすると、定型の側からこのずれからくる誤解に基づく対立を避けるには、相手(アスペ)の表情を無視するとか、何らかの形で翻訳する、といった特別の工夫が必要になるのかもしれません。
このやりかたが小さいころから鍛えられて身についていて、それが当たり前になっているので、自分が失敗したときに示す相手の対応の仕方の意味についても同じ形で判断します。
アスペの場合
相手の失敗を知る→(心の中で困ったことだと思う)+「困った表情になる」→(どう対処すべきかの現実的な手段を考える)→「困った表情」+「叱責する」or「説明する」or「対応策を協議する」or「無視する」などの対応の選択
違いは自分の感情をストレートに表すか、それ自体を関係の調整に使うかにあります。仲間づくり大好きな定型の場合、このお互いの感情のすりあわせの過程がものすごく重視されて洗練されていきます。ちょっとした表情の変化で、相手が自分をどう思っているのか、敵なのか味方なのか、どういう関係を作ろうとしているのかを「読む(推理する)」ということをほとんど無意識に近い感じでやり続けます。
当然、相手との関係をよくするために、本当の気持ちを表さない、ということもやります。それは相手をだますような政治的な意図でそうすることもあれば、相手を傷つけないようにという「思いやり」や「配慮」でそうすることもあります。否定的な表情は比較的「隠していない本心」と受け取られますが、逆に「笑顔」はすなおな表現の場合もあるし、そういう「政治的なもの」とか「配慮するためのもの」である可能性も大きくなります。
そのことも定型はよく知っているので、相手が笑顔でいても、それはそのまま受け取っていいのか、隠した気持ちが相手にあるのかの「裏読み」が必要になります。つまり、例外はありますが、基本パターンとしては
相手が否定的な表情をする → こちらを攻撃する気持ちになっている (※)
相手が肯定的な表情をする → 本当の気持ちの表現 or こちらへの気遣い or 政治的意図
というふうに直感的に理解し、その後の展開を考えます。
この定型的な理解のパターンに上に書いたアスペ的応答パターンが入ると、基本的にそのすべての場合で「こちらを攻撃する気持ちになっている」と判断されることになります。当然、アスペの側からすれば、なぜそれで自分がそう受け止められるのかが理解が難しくなります。自分の表情をコントロールしている意識があまりないからです。半ばでも意識していればそこに「その表情をあえてする」ことの意味が出て来ますが、それがないわけですので、ないものを読み取られても困る、ということになります。
このずれは単に顔の表情や声の調子などに限らず、文章の表現の仕方にも現れる様です。文章の場合は書くための時間があるので、「考えながら工夫する」ことがしやすくなりますから、顔の表情などのようにはストレートには出にくいですが、それでも基本は同じですので、同じようなずれがなくなることはないでしょう。
そうすると、定型の側からこのずれからくる誤解に基づく対立を避けるには、相手(アスペ)の表情を無視するとか、何らかの形で翻訳する、といった特別の工夫が必要になるのかもしれません。
※ ちょっと補足します。
否定的な表情と言っても、「落ち込んでいる」というように理解される場合は攻撃的とは受け取りません。場合によって「力になってあげなければならない」という気持ちが起きたりします。どこがちがうかをまだうまく説明できませんが、相手を攻撃するつもりがなく、ただ自分がつらい状況にあるということが表現されるときは、それを「相手への非難・攻撃」と受け取られないようにしていると思います。また、仮にそれで相手が誤解して攻撃と受け取った場合は、「ごめん、そういうことじゃなくて……」とわりとすぐに説明することも多いと思います。その際は、「なんで攻撃と受け取るの?」ということを相手に問い返すことはしません。そう問い返すこと自体が攻撃として受け取られる可能性が高いですし、自分の表現がうまくない時は、当然相手は攻撃として受け止めるだろうと思っているので、「表現が悪くて申し訳なかった」ということをまず相手に誤解を与えてしまったことを謝ることが多いと思います。
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コメント
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私の幼少期、祖母からよく、顔に締まりがないと注意されました。気が緩むと口をポカンと開けて、おばか丸出しの顔になっていて、みっともないと。私は表情に意識を向ける意識が、もともと薄いんだと思います。今でも意識して表情を作らないと、ボンヤリしているように見られたり、ムスッとしているように誤解されたりします。表情を作ることに意識が向かない、とか自分の立ち居振る舞いが、相手にどう映るのかということに興味がない。
中学生の頃、周りの友達がみな、自分の表情の作り方をすごく意識していた時があり、私はそれを冷めた目で見ていた覚えがあります。表情や言葉の表現を相手を意識して変えていくというのは、思春期に、強迫的なまでに相手や仲間の視線を意識するという成長過程と大きく関わっているんじゃないかと、経験から思います。
投稿: あすなろ | 2018年9月 9日 (日) 14時01分
ポカンと口があいてしまう話は私もよくあります。
おそらく発達障害者は表情筋が弱い人もいるため、顔の筋肉が疲れやすく、無意識に口があいてしまうのだと思います。
私もずっと口を閉じたままだと疲れてきて、無意識に口をあけてしまうことがあります。
表情も自分が意識しても思ったように動いてくれません。無表情だったり、笑っている時も口角が上がっているだけでぎこちない笑顔です。ふと近くにある鏡でに映ってある自分の顔を見てみたら感情がこもっていないような顔でした。
協調性運動障害もあるので、表情を作る際に必要な筋肉が正しく使えてないのかなと思います。
投稿: サロマ | 2018年9月11日 (火) 21時25分