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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2018年8月 5日 (日)

ご無沙汰しております

 長らくご無沙汰しております。

 
 この問題について考えなくなったのではもちろんないですし、引き続き同じような考え方で考え続けていますが、いろいろな事情で少し別の形で模索をするようになっているので、こちらには書き込む余裕がなくなってきてしまいました。またいずれ発信し始めることもあるかと思いますが、当面は仮に発信したとしても頻度はかなり少なくなるように思います。どうぞご容赦ください。
 なお、コメントなどを投稿していただいた分については、少し作業が遅れることはあっても、引き続き公開の手続きを取らせていただきますので、自由にご利用ください。

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コメント

パンダさん、ご無沙汰しています!
何か新しいことを始められるのかな?ワクワクします。
ここでパンダさんの集大成が報告される日を勝手に期待しています^ ^
しばらくここを離れていて、現実に色々なケースと向き合っているうちに、気付いたことがあります。
よく、発達障害を、発達凸凹と言いますが、(知能検査をすると、出来ないことと出来ることの差が大きいため)アスペ定型の行き違いもその他の障害を持つ人と健常者との行き違いも、凸凹の形が合わないことが原因なのかな?と思うようになりました。
パンダさんも以前から、ご自分に特性があるとおっしゃっていましたが。はっきり言って、特性のない平坦なプロフィールを示す人なんて、この世に存在するんだろうか?もし存在したとしても、その人にはあまり困り感が無いので、そもそも知能検査を受けることがないか、知能検査という狭い範囲についてはデコボコが見られないということに過ぎないんじゃないかと。

アスペであっても定型であってもADHDであっても、その凸凹は個人単位で違い、それがあまりにも噛み合わないとき、アスペ同士でも、定型同士でも、ADHD同士でも、行き違いは生まれる。ただ、似たような傾向があると、凸凹の波形が似ているために、決定的に合わないということが少ない。それだけのことなんじゃないかと思えます。

それに、今『定型』と言っている人も、世の中の価値基準が変われば、今まで目立たなかった『特徴』が目立ち、マイノリティと言われるようになるかもしれない。

ただ、これまで馴れ合いで成り立ってきた社会では、そのちょっとした違いがとても大きく感じられてしまう人が多いんだろうな。自分を含めて。それが大した違いではないと思えるようになるには、このブログのような『対話』と、認識の訓練が重要なんだろうと思います。

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