見えない自分
ある意味、自分のことを一番よく理解しているのは相方なのかもしれないという気持ちになってきています。
その意味は、自分がこう見てほしい、という「お化粧」の部分はほとんど関係なしに見ているということでしょうか。
「お化粧」とか「クッション」とか、いろんな表現が可能だと思いますが。
定型的な人間関係では重要と考えられていて、その中で自分の「人生」を作ろうとしたりしている気がしますが、そこをすぱっと切り落としたときに見えるものを見ているのが彼女のような気がしてきます。
もちろん、逆に言えば彼女に見えない世界があるわけですが、でも私には見えない世界をたぶん見ているし、その目で見ると、私はまたかなり違う風にみえるんだろうなと。
定型アスペ関係でしばしばお互いが傷つく理由は、この大事にしている見方のズレからくるんでしょうね。
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