小さな困惑の仕組み
朝食の準備をしていて、調味料の穴がつまっていたので、つまようじでほじくっていたら、「例によって」相方が「何をやっているんだ?」という感じで心配そうに(と感じてしまう)寄ってきてじっと見始めました。
以前は何かいつもと違うことをすると「監視される」という感じで緊張していやだったんですね。なぜそういう印象になるかというと、笑顔も何もなく、どちらかというと硬い表情である程度の時間じっと見つめ、そして何も言わずに去るか、あるいは何かしら文句を言う、という展開が普通だったからです。
定型的な感覚で言えば、そこは(笑顔か普通の表情で)「どうしたん?」と聞くとか、あるいは見てやっていることがわかったら「あ、詰まってるんだね」という感想を言うとか、何かそこで「交流」があるのが普通でしょう。なぜならいきなり来てやっていることを何も言わずに見つめるというのは「この人は何がしたいんだろう?何が起こるんだろう?」という緊張を惹き起こすと感じるからで、それを弱める必要があるからです。(もちろんそんなこと意識していませんが、ここでいろいろ考えているうちに、そういう仕組みだと考えるとわかりやす事に気づきました)
でも彼女にはそれがないわけです。だから「一方的にみられている=監視されている」という印象になる。
ここでも「表情」と「表現」のずれの問題がよく現れているように感じます。つまり彼女としては単に「この、いつもと違う事態はなんなんだ?」と心配になり、その意味で緊張した「表情」になって見に来てじっと見つめる。でも定型的にはそれはこちらに何かを伝えようとする「表現」として受け止め、しかもまずは黙ってですから、そこに「交流」の意図を読み取ることができず、その「表情」から否定的な感情=「表現」を感じ取ってしまうことになります。
しかもそのパターンで何か文句を言われることが多いので、それは「問題点をチェックされている」感じになり、つまりは「監視」されている感覚になるわけです。
相手の「意図」がわからない時に緊張するのは定型アスペに関係なく誰でもあることですね。だから彼女なんかも私が気楽に質問したことについて、困った顔をして「なんて答えてほしい訳?」とか「それを聞いてどうするの?」と聞いてきたりすることがあります。
面白いなと思うのは、彼女がそういうことを言うときっていうのは、私が特に質問に深い意味はなくて、ただなんとなく情報を共有しておきたいというだけの、「興味本位」の質問のことが多いのです。だから「それを聞いてどうする?」と聞かれても、答えがない。ただなんとなくなので(笑)
最近は「ただ情報を共有しておきたくて」と「説明」したりするのですが、この二つのパターンを比べてみると、ちょっと面白ことがわかりそうです。
まず、「相手の意図がわからない時に困惑する」というのはどちらも同じです。それで「理解しようとする」わけですが、その時定型は「相手と話をして、情報を共有する」という方向に向かいやすい。それに対して彼女の場合は「自分の中で答えを見つけようとする」という傾向が強い。もちろん彼女も聞かないとわからない時には聞くわけですけれど、その優先順位は低い。私の方はどっちかというと自分で考える前に相手に聞くことも多い。
そうすると、「どうでもいいこと」に思えることを私に尋ねられて、彼女はその意図(単に情報を共有しておきたいという感覚)がわからずに緊張する。逆に私の方は彼女がなにかを共有しようともしないでただ自分を見ている、という状況に緊張する。そういう裏表の関係があるんですね。
で、この基本的な姿勢の違いが、相手の行動に「意図がわからない」という感じを生むのでしょう。そして小さな緊張がそこから生まれる。
今回面白かったのは、そこで彼女はいつもと違って「○○使ってるの?いいにおいがした」という「感想」を言ってくれたことです。つまり自分が見に来た理由を説明してくれたわけです。
この理由が本当に彼女が見に来た理由なのかはわかりません。むしろ印象としては後付の感じもしました。でもその一言で、すっと小さな緊張がなくなるんですね。これがすごく面白かったのです。
もしかすると彼女もそこで感想を言うと状況が変わる、ということをなんとなく感じたのかもしれないですね。
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