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2018年4月 5日 (木)

愛情とはなに?

 

Tinaさんからの次のコメントで、改めて「愛情」ってなんだろう?と考え始めています。

夫婦の場合、一つ一つ学ぶのは お互い様なので、どちらも大変ですよね。どちらの言動行動も 相手にとっては 愛情がないように思えたり、残酷に見えたりするのですが、、悪気があるわけではないということを お互いが まず信じることが 第一歩なのかなと思います。 そう思えたことで、嫌な思いや、憤りをあまり感じなくなりました。「これも 愛情あってのことなんだ」と いつも 自分に言い聞かせています(笑)

 もともとは愛情というのは「感じる」ものであって、「頭で理解する」ものではありません。その「感じる」部分で定型アスペ関係は困難に突き当たるわけです。自分の愛情が伝わらない。相手の愛情が感じられない。お互いに自分では相手に愛情を持っていると思っているのにかかわらず。

 このブログでは、そういう現実を前に、ある意味仕方がないので「頭でまずは理解する」という方法をとっています。その結果、Tinaさんの書かれるように「まず信じる」ことの可能性が出て来ます。そして「嫌な思いや、憤りをあまり感じなく」なる、という変化が起こります。もちろん完全には無理ですが、レベルが変わる。

 でも、そこで「愛情」を「頭で認める」というのは、ある意味つらいことでもあります。Tinaさんは「いつも自分に言い聞かせてい」ると書かれています。

 一番問題になるのは、単に相手の愛情がピンとこないだけではなく、そのやりかたが自分にとっては辛く感じられるときでしょう。

 その状態でも相手に「愛情がある」と認めるには、「私がどう感じるか」で判断することができません。「相手はどう思っているのか」で判断しなければならないわけです。

 「自分が愛情と思うだけではなく、それが相手にとっても愛情と感じられるものでなければ本当の愛情ではないんだ」、という考え方をすれば、そこには愛情は無いことになります。

 逆に自分には愛情はないんだけど、勝手に相手がそこに愛情を感じている、ということもありうるわけですが、そうするとそれは愛情になるのでしょうか。

 私の思いとあなたの思い、私の受け止め方とあなたの受け止め方、それらがややこしく絡まってしまう問題です。一体愛情ってなんなのでしょう。

 

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コメント

>逆に自分には愛情はないんだけど、勝手に相手がそこに愛情を感じている、ということもありうるわけですが、そうするとそれは愛情になるのでしょうか。
この場合は相手が勝手に愛情を持たれていると勘違いしている場合もあれば、自分の感情に鈍感な当事者もいますから相手に愛情があっても自覚がないだけということもあるかもしれません。

アスぺ定型の場合は相手のことを理解する前の段階、相手のことを知るところから始めないと、愛情そのものが理解できなくなるから厄介だなと思います。

相手の行動の全てに 愛情を感じないわけではなく、もちろん 何かが どこかが 好きだから 居心地がいいから パートナーとして 選んだわけですよね。 そして ズレが起こるたびに 「そんなつもりじゃないのに どうして そうとるの?」ということが 度々 起こります。その度に 「私だったら こうじゃなく こういう理由で こうして欲しいし、その方が嬉しいと思うから、あなたのことを思って こうしたんだよ」という説明をして来ました。ただただ お互いの 良かれが ズレている。 そういう部分は もう文化の違いを(アスペ/定型)認めるしかなく、文化を超えて 愛情が感じられる部分で 存分に感じようと努力をするというのはどうでしょうか? それと 同じ状況が 起こった時 同じ行動を起こさない努力も大切だと思います。 もちろん 状況が全く同じでなければ 気付きにくくて また 繰り返してしまうのですが 数をこなせば明らかに 減ってきます(うちの場合、またかまたかと何度も同じことで 傷つけ、その都度 話し合いをしてきました)。悪意がない(むしろ 相手にとっては ベストチョイス)とわかっただけでも 相手の行動の見方がかなり変わりますよね。これも、、定型の彼が諦めなかった今だから 言えることです。

さろまさん

>アスぺ定型の場合は相手のことを理解する前の段階、相手のことを知るところから始めないと、愛情そのものが理解できなくなる

 「理解する」のと「知る」のと、その区別はどんなふうに考えたらいいでしょう?「知る」というのは「定型(またはアスペ)」であることを「知る」とかいう意味で、「理解」というのはその相手の感じ方などを「理解する」というようなことでしょうか?


Tinaさん

>文化を超えて 愛情が感じられる部分で 存分に感じようと努力をするというのはどうでしょうか?

 なるほど。たしかに自分にとっては愛情表現にならないことでも、そこに相手の人の愛情がある可能性をなんとなく感じられることはありますよね。 考えてみるとそこも面白い問題です。なぜそこでなんとなくでも感じられるのだろう?そこでは何かの理解が共有されているのでしょうし。

>これも、、定型の彼が諦めなかった今だから 言えることです。

 たしかに、この「諦めの悪さ」(笑)は大事な要素かもしれません。私も激しく攻撃されたりしながらも、いい加減しつこく考え続けて、それでようやく確実に前進する部分もありますものね。

 私の場合はそのしつこさは「きっとそこに何かがある筈だ」という、根拠のない「希望」か「期待」を持ち続けるということで成り立っていると思うのですが、なんでそういうものを持ち続けられるのかも、考えてみると面白い問題です。「諦めの悪い奴だ」といえばそれまでなんですが(笑)

理解するは「受容」、知るは言葉の通り「知る」ということです。
たとえば相手が風邪の時は一人にしてくれた方が良い(相手を必要としないとの意味ではない)ということを「知る」。
それを心から受け入れられた時か「理解する」ということかなと思いますが、その前に相手のことを「知らない」状態であれば、相手のことは理解したり、愛情を感じ取る段階にすら入れず、「あの人は私のことを必要としていない」というままに終わりますよね。

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