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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2018年4月13日 (金)

アスペのタイプの意味

 アスペとか自閉症スペクトラムとか一口に言っても、ものすごくいろんなタイプの方がいるわけですよね。中には「自閉」という言葉からは想像がむつかしいような、「積極的なタイプ」の方もあります(積極奇異型とか、偏見そのままの変な名前までつけられています)。逆に「自閉」の名前がぴったりのような、人とのかかわりをあまり持とうとしないタイプの方もある。

 そういう極端に違う方をどうして同じ「自閉」として括るのか、という事ですけれど、おそらく目に見えるところでの極端な違いは、実はある意味で表面的なもので、根っこのところですごく共通した性格を持っているから、ということになるのでしょう。

 それはやっぱり「白黒はっきり(アスペ)」か「あいまい(定型)」か、という、生き方のスタイルの違いで理解できる部分が大きいのではないかと思います。

 しつこく書いてきていますが、定型が「あいまい」を好むのは、たぶん人間関係をやわらかく調整するときにそれが役立つからです。久しぶりに使う言葉で言えば、そのために定型は自分の立場を「かっこにいれて」相手の言うことを感じ取り、それをもとに考える、ということをよくやる。

 アスペの方でも知的なことで言うと、自分の立場をカッコに入れて相手の視点から考えてみる、ということはされます。そういう力がなければそれこそ数学とか自然科学とか工学とか、理屈で考える理系の分野で力を発揮できるわけがありません。

 問題はそこに感情が絡んだ時です。定型は(これも個人差が大きいですが)、自分とは違う相手の感情についても、自分の感情をいったんカッコに入れてそれを感じ取り想像する、ということがある程度できます。私もそれをここでやり続けてきているわけですね。「『定型から見るとひどいことに感じられる』のだけど、アスペの方は全然違う感じ方をしている『かもしれない』」という形で『 』に入れて考えることで、自分を否定せずに相手の立場に仮に立ってみるということをし続けてきました。

 それは自分の感じ方と相手の感じ方と、その両方の間をうろうろすることですから、「白黒はっきりしない」「あいまい」な状態だとも言えますし、でもそのことでお互いの感情の行ったり来たりしてそのズレを調整しようとすることができるようにもなるわけです。

 私の印象ではアスペの方はここで「相手の気持ちを理解する」と自分もほぼ完全にそれと同じ感情になり(巻き込まれちゃう感じj)、自分の気持ちを理解すると相手の感情が見えなくなる(拒絶する感じ)、という形で「白黒はっきり」になることが多いような気がするのです。

 それは感情レベルでの話なので、冷静になることができれば、感情に突き動かされずに理屈でお互いのことを考えられるようになるので、「カッコに入れる」こともできるようになる。

 そう考えてみると、定型アスペでやりとりがこじれるとき、とりあえずは「時間をおいてみる」ということが大事になることがある、という理由がわかるようになります。時間を置くことで、感情レベルではなく、理屈のレベルでの判断に移ることができやすくなるからです。


 もしそういう事があるとすれば、「時間を置く」ことがむつかしい日常の直接の人間関係では、アスペの方はとても不利な状態に置かれることになります。お互いのやりとりを調整するには、自分の視点からだけではなく、相手の視点からも考える、逆に相手の視点からだけでなく、自分の視点からも考える、ということが重要で、そこがうまくいかないと調整ができないからです。

 お互いの感じ方や主張が対立したときに、両方の立場をさっと考えていい調整法を見つけられればいいですが、そこがむつかしいときには取りうる対処の仕方は三つになるでしょう。ひとつは有無を言わさず自分の立場を相手に押し付ける、というやり方です。二番目はひたすら相手に従う、というやり方。そしてもう一つは相手を避けてかかわらないようにする、というやり方です。

 定型同士でももちろん調整がむつかしくてそうなることはよくあります。でも感情が絡む話では定型に比べてアスペの方はそのむつかしさが非常に大きくなる。
 そうすると、そういうむつかしい状態が繰り返されて、そこでなんとか生きていかなければならないということになると、その人が優先的に使う生き方のスタイルが作られていくことになります。つまり、「相手との調整が苦手なので、自分のペースに巻き込んで状況を乗り切ろうとする」というスタイル、「相手に逆らうことなく、できるだけ従って問題を大きくしないようにしようとする」というスタイル、そして「できるだけ相手とかかわらないようにしようとする」というスタイルです。

 こういうスタイルが、アスペの方の場合、非常に「白黒はっきり」した形で、比較的固定した形で出やすくなる。それがいわゆる「タイプ」の違いになるという事になります。

 そう考えるとどのタイプも原因は共通していることになります。つまり、感情が絡む問題については、余裕がないときはお互いの関係を「カッコに入れて」、「あいまい」な状態で調整することがむつかしいから、という理由です。それで「私を絶対のものとする」か「相手を絶対のものとする」か「関係をとらないようにする」というどれかになっていく。

 そしてその方が強気な競争好きのタイプか、弱気なタイプか、あるいは優しい人か、というような、ある程度持って生まれた傾向によって、どのスタイルが優勢になるかが変わる。また周囲に認められるか否定され続けるかによってもスタイルが変わるでしょう。


 ですから、このタイプというのは同じ一人の人でも、時期や経験の蓄積などでガラッと変化する可能性も出て来ます。最初ものすごく強気に自分を押し出していくタイプだった人が急に内気なスタイルに変わるとか、その逆とか。定型でもそういう「性格が変わる」ということは有る程度ありますけれど、それが極端に出やすくなる。


 そんな風に考えてみると、私と相方のやりとりが「議論」になると、途端に私にとってはわけのわからない、理屈の通らないように見える展開になる理由がわかってきます。そしてしばらくして少し落ち着くと、彼女の方が私よりもすごく客観的に同じ問題を語ってくれることもある、ということのわけもわかってきます。


 こういうブログなどのやりとりでも、一旦自分の古傷が刺激されたりして感情が激しく起こるときには、もう主張が暴走する感じになって激しい炎上になったりしますが、でも距離を置いて冷静にやりとりできるときには、お互いの立場を考えたりしていいやりとりにもなるわけですね。

 ブログなどは直接顔を合わせないし、自分のペースで時間をおいてやりとりすることもある程度可能なので、その意味ではこういう場でのやりとりは、うまくやれば定型アスペ間のコミュニケーションには有利な場にもなるという事でしょう。

 いろんな手段を使って、お互いの関係をなんとか調整しやすくする工夫が必要だし、またきっと少しずつでも可能になっていくのでしょうね。

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コメント

本当に分かりやすい記事でした。

>自分の感じ方と相手の感じ方と、その両方の間をうろうろすることですから、
>「白黒はっきりしない」「あいまい」な状態だとも言えますし、
>でもそのことでお互いの感情の行ったり来たりして
>そのズレを調整しようとすることができるようにもなるわけです。

私にはこの状態が、とても気持ちが悪く感じられることがあります。
曖昧な状態が、人間関係の潤滑油として一役も二役もかっている、ということは重々承知しているのですが、そのあいまいさに耐えきれずにどうしてもひとこと言いたい。でも言えば関係のバランスを崩すことになるから言わずに我慢する。この葛藤が、私にとっては相当なストレスになる場合もあります。
多分私と同じように相手も私に合わせて譲歩している部分があるとは思うのですが、それがよく見えない。見えないということは、結局自分一人が我慢をしている、とどうしても感じてしまうのですね。「1対1」の関係の中でならまだしも、「私対その他大勢」という状況では、どうしても我慢を強いられる、という感覚が強くなりますね。

それから、お互いが同じぐらい譲歩しあっている、ということが理解できた時でも、それをそのままにはしておきたくはないという思いもあります。曖昧なことは曖昧として残しておくことはいいとして、その曖昧さを二人の間で言語化して共有していたい、という思いも強いかもしれません。つまり「私はここが納得できないが、あなたの意見とこの部分でぶつかるので、ここは譲ろう。その代り、あなたの意見のこの部分については、私の考えに沿ってやることにして欲しい」という様な会話を交わすことが出来たら、それはそれでスッキリする様な気がします。

と、ここまで書いてふと思ったのですが・・・。パンダさんの仰る

>でもそのこと(曖昧さ)でお互いの感情の行ったり来たりして
>そのズレを調整しようとすることができるようにもなるわけです。

この、「ズレの調整」の意味するものですが、これは「曖昧さ」を認めつつも自分の胸に収め、自己完結するということではないですね?もしも単に自分の胸に収めるだけのことなら、これはむしろアスペの作業に近いと思います。パンダさんの仰る「調整」とは、ズレた相手との間で共同して行われるということですか?私にはその感覚がとても希薄ですね。一旦ズレを感じてしまったら、もうそれは動かしようのないことですから、自分で飲み込んで、何か自分の中で合理化してしまうことが多いように感じます。

若い頃は相手の曖昧さに慢性的にイライラしていましたから、(そんなつもりはないのだけれども)つい詰問調になって食って掛かっていったりもしました。曖昧な態度は不誠実であり、時に許し難いものでもありました。当時の私は、パンダさんの分類によると第1のタイプでした。

少しするとそういう態度は誰の得にもならないことだと分かり、問題から身をかわすようになりました。そうでない場合は、全部相手に飲み込まれて行ってしまうこともありました。パンダさんの分類でいうと、第2と第3のタイプを往復していたということですね。

そして今、あきらめたわけでもありませんが、ズレはズレ、調整は難しいな、とちょっと引いた場所から眺めるようになりました。遠い場所に身を置いて自分を守っているわけですから、パンダさんの言われる第3のタイプに近いのですが、少し違うなと思うことは、私の見ている方向です。距離は置いても、背を向けて逃げるのではなく、せめて相手の方向を向いていようと、そんな努力はしています。
相手との関係も大切にしたいところですが、自分の精神状態が穏やかであることが、私にとっては一番大切だと思うので。

ガーディナーさん

>この、「ズレの調整」の意味するものですが、これは「曖昧さ」を認めつつも自分の胸に収め、自己完結するということではないですね?もしも単に自分の胸に収めるだけのことなら、これはむしろアスペの作業に近いと思います。パンダさんの仰る「調整」とは、ズレた相手との間で共同して行われるということですか?私にはその感覚がとても希薄ですね。一旦ズレを感じてしまったら、もうそれは動かしようのないことですから、自分で飲み込んで、何か自分の中で合理化してしまうことが多いように感じます。

 ここ、とても重要なポイントになりそうですね。

 私が考えている「調整」にはたぶん三つのステップがあって、ひとつは「ズレを知る」ステップです。まずは相手と違う、相手は自分の理屈では動かない、ということを知ることですね。

 そして二つめのステップは、相手はなんでそういうふうにするんだろうか、というその理屈を想像し、考えてみる段階です。この時、相手の理屈を理解するとともに、自分自身の理屈をもう一度とらえなおし、理解しなおすことが行われます。

 三つ目のステップはそういう異なるずれた理屈・やりかたの根っこの部分で共通するものがないかどうかを考えていく段階です。お互いに共通するものを持ちながら、そこに何かの経験や感受性の違いなどが加わって、大きなずれが生まれてくるというふうに理解できるようになると、「自分の感覚」をベースに、相手の感覚もそれなりに「納得できる」状態になります。今回の記事などもそういう共通の感覚をベースに想像してみているわけですね。

 そしてこの三つ目のステップに入ってくると、たとえばこの記事がガーディナーさんにわかりやすいと言っていただいたように、「(定型である)私にもわかる」し、「(アスペである)ガーディナーさんにもわかる」という「共通の理解」が成り立ってくるみたいです。

 調整という事で言うと、最初のステップでは「とりあえず頭から相手を否定しないで、すこし距離を置いて衝突を少なくする」という調整の仕方が、次のステップでは「相手の理屈をお互いに尊重して関係を安定させる」という調整の仕方が、そして三つ目のステップでは「共有された理解をベースに、新しい関係を模索していく」という調整の仕方が作られていくことになるのかなと。

私もガーデナーさんと似ているかもしれません。
パンダさんのおっしゃるタイプ 全部 通ってきたかも(笑)
一つ思うのは 相手の感情の意図がわからないわけではなくて わかった上で それでも 正しいと思う選択をして 理論的に 感情論を抜きで 発言したりしていた時期がありました。感情を気にしていたら 折角わかっている本題の解決策を 伝えられず 同情や 共感をしてあげることに 集中して 根本の解決策から ずれてるしまうという感覚があります。

落ち込んでいる人に 励ましの言葉や大丈夫だよって言ってあげることは簡単で 出来ないわけではないんですが、アスペ(私)は 相手のことを思ったら 根本的な解決策を提供したり、落ち込む原因を 解決してあげたいと思ってしまいます。良かれが裏目に出るってこういうことですよね(笑)ただ、相手は 慰めて欲しい 励まして欲しいだけなんだって思って行動すると、、私は 自分のことが薄情に思えてきたりします(笑)心の中で 「大丈夫なんて 思ってないくせに」って自分に 言っちゃうかもしれません。同じように 相手を思ってしていることなのに 心と言動が 裏腹になってしまいます。今は 深く考えず、両立出来るようになったと思いますが、昔は 自分に嘘をつくしかなかったです。それで うまくやって来れました。

この記事のステップで関係を調節しようとする人は、もしかしたら定型でも少ないかもしれません。
特に年齢が高くなればなるほど、『みんなそうやっているから、そういうものなのよ!』と一方的に押し付けることが多いのではないかと。
街中で図々しく振る舞う高齢者などは、相手の表情を見ることすら放棄して、『俺様が法律だ!』と言わんばかりに自分の価値観を押し通したりします。以前、接客をしていた時に、こういう高齢者によく出会いました。店員は言われた通りに品物を出す『ロボット』としか見ていないんですね。
日本型定型というのは、みんながやってきた(言ってきた)、みんながやっている(言っている)という理屈だけで、常識を作り上げてしまう傾向が強いのではないかと思います。

アスペの娘が、こんなことを言っていました。
小1の時の担任が(私と同じ歳の女性)『食事の時は、テレビをつけてはいけない』と言ったことを覚えていて、それはどういう根拠なのか?と、今になって私に聞いてきました。
私は、『うちでも家族団欒の時はテレビを観て笑いながらご飯を食べているから、その家庭それぞれじゃない?』と答えました。
すると、『やっぱりあの担任は、偏見教師だ!!』と怒り出しました。
当時の担任が、偏見『教師』かどうかは分からないけど、食事中はテレビをつけないというのは偏った考え方ですし、はっきりした根拠のないことです。
しかし、私も幼少期、親にそう言われていたことがあるので、昔はそう躾けられていたんだよ、と説明しました。
それでも娘は納得しません。それは当然ですよね。

食事中にテレビをつけて、何か悪影響があったのか?本人が実際に確かめたわけでも、その実験を見ていたわけでもありません。
それを盲信して、価値観の異なる家庭の子供たちに、さも正論のように伝えるというのは、おかしなことです。

しかし、定型は、そういう迷信や噂話などを、みんなが言っているからという理由で、まるで真実のように伝える傾向があるのではないでしょうか?
特に女性はそういう傾向が強く、定型の母親が、根拠のない躾を押し付けている例はとても多いと思います。

時代が変わって、昔のように、迷信をそのまま親から受け継ぐということが減ってきましたが、昭和の時代はそういう躾が横行していたなぁと、今振り返って思います。
例えば、(これは地域性もありますが)ご飯のあと、すぐに横になると牛になるとか、夜中に口笛を吹くと悪魔が来るとか、言うことを聞かないと鬼が来るとか(笑)
食事中にテレビを観ると……という話も、その域を出ていない。
定型の子は、信じるか信じないかは別として、それを特に疑問にも思いませんが、アスペの子は、『大人が言っているから正しいんだ』と盲信せず、きちんと自分に理解できる根拠がないと、納得できない。
流されないアスペの人には、世の中に横行する虚偽を見抜く力があると言えるのかもしれないなと感じました。

あすなろさんの分析 当たっていると思います。
つじつまが合わないと 何一つ 真実として 受け入れられない感覚があります。だから 人が言っているからだけでは すぐに納得は出来ません。理解したくて更に質問しちゃうんですよね(笑) その代わりと言ってはなんですが、理数系の教科書なんかは とてもわかりやすく すっと頭に入ってくるんです。教科書だから 当然ですよね(笑)根拠や説明や証明と共に 教えてくれているわけですから 納得出来て当然です。 そのレベルを 人との会話に求めているのかもしれません。大切に思ってくれるパートナーや家族は ちゃんと話し込んでくれるし こちらの根拠も聞いてくれますが、 社会では いちいち根拠なんて話してくれる人は少ないですし、そんな時間を割いてくれませんから、疑問が残る形で終わるしかなく、こちらの意見やその根拠も 聞いてもらえることは少ないので なかなか理解はしてもらえないですね。当たり前ですけど、説明するチャンスすらないので 相手に合わせるしかなくなって 心の中に 理不尽さが残ってしまいます。それも 自分の中で 消化するのは慣れているので 平気です。パートナーや家族は 話し込んで お互いの根拠を話しあった後 必ず 「そうだったんだ。誤解してた。ごめんね。」と言ってくれます。深いところでは 定型とアスペの目的や思いは 同じだったりするんです。相手を思うが故の行動には変わりがないとか、視点を変えれば それも愛かとか、、多数派ではないかもしれないけど ちゃんと根拠を話せば 理解してもらえます。そういう理解をしてくれる定型が 私の親友だったり、長年の友達だったりします。そして パートナーなんかは 話し込んだ後は 定型の考え方より アスペの考え方の方が 最終的に好きで、もっと好きになったと言ってくれます。知れば知るほど 好きになってもらえる感覚が あるのは友達も一緒で、昔から 話し込んだ後に 「全然 イメージと違った。誤解してた。」と言われることが多かったです。だから ちゃんと話せるチャンスをもらえた人には 嫌われないんです(笑)

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