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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2018年4月15日 (日)

もうひとつの通じ合わせ方はある?

 定型アスペのずれがどうして生まれるのか、ということについて、このところあるポイントから考えると私にとってはかなりわかりやすい感じが出てきました。

 ポイントは「感情の調整の仕方」にずれがある、ということになります。

 定型にとって、感情は自分の中で調整するだけでなく、ある意味ではそれ以上にひととの間で調整するものです。人との間で調整できるのは、「感情のやり取り」を進めやすくする手段があるからです。それは何かというと「表現」です。

 定型もアスペも、自分の感情の状態が「表情」(姿勢とかも含めて)に出てくるというところは同じです。でもそこで定型は「表情をコントロールする」ということをすごくやる。これはほとんど意識もしないレベルで半分自動的にそうしてしまうこともあるし、意識してコントロールすることもあります。それが「表現」ということです。

 「表現」というのは、「相手にどうみられるか」ということを前提にして、その効果を考えて(実際はほとんど無意識的に、が多いですが)それを使う。表現はそれ自体がコミュニケーションの不可欠な道具になります。

 そうやってお互いの感情を調整することをすごくやり続けるんですね。

 それは言葉の時もあれば、視線の動きのこともあれば、そぶりのこともあります。もちろんお互いにそれをやり続けます。そうやって人との関係を作り、調整し続け、相手の感情も自分の感情もお互いに影響しあいながらバランスを探していきます。

 そしてここが少し面白いところだと思うのですが、言葉というのは、あるいは「表現」というのは、相手の人に対して行われるだけじゃなくて、独り言などによくみられるように、自分自身に対して行われるものでもあるということです。「自問自答」みたいなこともよくやる。ですから、ある意味で言うと相手と語り合って自分を調整するように、自分と語り合って自分を調整することもやるわけです。(独り言を言いながら自分で納得できてしまうみたいな)

 もちろんそういうこともアスペの方もするはずですが、ただ違いは、そのやり取りの中に「感情」がどう絡むのか、というところにありそうな気がするわけです。

 そのあたりはスペクトラムでさまざまだと思いますが、以前ここでコメントをくださったアスペの方にも何人か、自分の感情がよくわからない、とか自分には感情がないとか、そんな意味のことを語られている方もありました。私の相方も、自分の感情をつかむのがかなり苦手な部分がありそうです。

 つまり、人との間であれ、自分の中であれ、ことばのような「表現」によって感情をつかみ、やりとりして調整するということを、定型はよくやるんだけど、アスペの方はそこがそうなりにくいということなのかなという気がするのですね。

 あるいは、アスペの方も自分の言葉で自分の気持ちを整理するようなことはある程度されるんだろうけれど、その言葉が人と共有されるようなものになりにくいので、人との間の調整には使いにくいということなのかもしれませんし、そこはまだよく分かりません。

 いずれにせよ、少なくとも定型は自分の表現をコントロールしてひとと感情のやり取りをして、調整するということをやるし、それを必要とする生き方になっていく。それに対してアスペの方は人と通じ合う表現について、特に感情面でそういう表現を獲得するのが苦手で、その結果、自分の感情、自分の悩みは自分で解決するほかない、という感覚になりやすく、その自分の感情の部分についてほかの人から働きかけられるのは逆に混乱を大きくするだけということにもなる。

 ただ、それはあくまで感情の問題が絡むときのことで、いわゆる理性的に考えるといったことについては定型と同じように、あるいは定型以上に力を発揮されることがよくある。


 整理するとこういうことでしょうか。定型は表現を使って感情的な調整を人とやり続ける。それに対してアスペは理性の面では人との調整は十分できるけれど、それが感情との結びつきを持ちにくいので、感情の調整は人との間ではなく、自分の中でやるかたちになる。


 と、ここまで書いてきて、果たしてそれだけで考えていいのだろうか、この考え方がどの程度実際にあてはまるのか、ということも思いました。

 たとばアスペの方でも音楽で人と感情を共有できる世界に入る方のことをいくつか聞きます。音楽で初めて人に思いを伝えられたと感激される方もある。そして音楽もまたひとつの表現なのですから、ここで考えてきた表現ともし一体のものだとすれば、上の理屈はそもそも成り立たないことになります。

 あるいは音楽の表現と、上で考えてきた表現とはかなり性質が違うという可能性もあります。その場合は上に書いてきたことはあながち間違いではなさそうということになりますが、ただその二つの表現がどうちがうのかということはまだよくわかりません。

 また、詩の言葉も感情がふかくかかわる言葉ですが、アスペの方の詩ってどいうものだろう?ということも興味が出てきます。

 もしかすると、「定型は表現、アスペは表情」といった、このところ何度か書いてきた対比のさせ方は、それ自体結構定型的な偏った見方になっている可能性もあって、ほんとうはアスペの方も表現するんだけど、その表現の中身が違うんだ、ということになるのかもしれません。

 もしそうだとすると、定型とアスペが通じいあいにくいのは「表現の有無」ではなく、「表現する内容のずれ」が原因である可能性も出てきます。もしそうなら、そのずれの性質がわかってくれば、もしかすると異なる表現を組み合わせることで、またちょっと違った面白い通じ合い方が見つかる可能性もあります。


 ちょっと頭で先走って考えているので、具体的にそれがどういうことにむすびつくのかはまだ分かんないんですが、そういう視点を持ちながらいろいろ見たり考えたりしてみると、また新しいこと、新しい通じ合わせ方が見つかるかもしれないという気がします。
 

 
 

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コメント

私は 音楽に対する思いは 強いです。音楽で 涙が出るほどです。いい音楽を聴くと 生きていて良かったとさえ思います。1人で 永遠と音楽に浸れます。ただ 共感出来る音楽の数はとても少ないです。そして 音よりも 歌詞に重点を置いていると思います。

私の個人的な意見ですが、radwimps(野田洋次郎)はアスペなんじゃないかと 勝手に思っています。歌詞が 極端で、言葉の表現がとてもわかりやすいです。気持ちがすごく伝わってきます。歌っているのは野田洋次郎さんなんですが、彼が出している「らりるれ論」という本も読みました。やっぱり 脳の構図が同じなんじゃないかと思いました。

そして 私の定型の彼は 音で音楽を楽しむタイプなので 歌詞はすっと入って来ないようです。歌詞が入って来ないとなると radwimps の歌を聴く意味はなくなるほど、radwimps は歌詞に重点を置いていると 歌っている本人も言っています。私の彼は彼らの歌詞は 嫌いと言います。

パンダさんが アスペの歌詞ってどういうものだろうと 書かれていたので 一つ 私が思う アスペ論を歌ってくれていると思う 例を出してみました。

Tinaさん

 そうなんですね。
 考えてみると、音楽の力ってすごいですね。
 音楽は国境を超えるとか言いますけど、定型アスペの境も超える。

> 私の定型の彼は 音で音楽を楽しむタイプなので 歌詞はすっと入って来ないようです。

 たまたまこんなページを見つけました。
 「歌詞が耳に入ってこない聴き方になったきっかけ」
 https://mirume.space/ongaku-kashi/ 

 理由はいろいろあるんでしょうけれど、私も音で聞くほうです。あと、私の場合「ながら」というのが音楽でできないんです。作業をしているときはいいんですが、何か考える作業が必要な時は音楽を聴けなくなるんですね。想像ですが私の場合通常音楽を聴くところの脳と思考をするときの脳の場所が重なってるんじゃないかと(笑)

 radwimpsの歌詞、まだちょっとしか見られていませんが、やっぱりメロディーのほうが私は入ってきやすい感じがします。気を付けて歌詞を見ていると、Tinaさんが感じられた彼の世界というのが少しわかるような気もしないではないですが。

 ただ、なんにしてもアスペ同士(radwimpsがそうだとしてですが)で強い共感を生む言葉というものが確実にあるわけですね?それってすごく大事なことのように思いました。これからそういう問題についても気を付けてみたり考えたりしてみたいです。

こんばんは。
私はぱんださんと同じで、歌詞は入ってきません。
音楽は、リズムやメロディで好きになるし、でも同じく、ながら聴きはできません。

ポエムとか、そういうのも私は全然ダメで、現代国語は点数が取れず苦労しました。
古文のように、レ点とか、決まりがあれば読み解くことは楽しかったので、古文の点数はほぼ満点だったんですけどね〜

自分自身が、多分外に向かってあまり表現しないタイプなので、わりとつっけんどんな表現下手な感じの人でも、底意地悪い人でなければ大丈夫です。
仕事の上ではですけど。

戻りますが歌詞が入らなかった理由は、ひょっとすると、クラシックピアノを小さい時からやっていて、家では常に父のオーディオからモーツァルトやベートーヴェンが流れていたので、はじめから歌詞なんて考えてなかったのかなあ。

Radwimps の歌詞について 書かれている記事を見つけました。なんとなく 彼の世界が垣間見れるんじゃないかと思うので 載せておきますね。

数学的な 言葉の使い方や、極端な例えや、アスペ的な 苦悩の結果 どこかに闇を抱えて生きている感じとか 常に根拠や 納得出来る 理由と一緒に 歌っているところ など 注意して 聞いてみると もしかしたら なんとなくアスペっぽいと 感じてもらえるんじゃないかなと思います。(ただ、歌詞だけを見ると難しいかも知れないんですが、音と混ざると すごい効果を発揮します)

アスペがラブストーリーを歌うとしたら、いや アスペの女性が ラブストーリーを聴くとしたら こんな風に歌ってもらえたら 愛情が より伝わるような気がします。
定型から見たら 嘘くさく 極端で ちょっと 大げさで 逆に 嘘に聞こえるような フレーズなのかもしれません。

なぜか 私には 真っ直ぐに感じられます。

http://yohei.hatenadiary.com/entry/RADWIMPS歌詞フレーズ

ラブストーリーではなくて ラブソングでした(笑)

キキさん

 おお、もしかしてキキさんと私は頭の作りが似てるところがあるのかも (笑)
 歌詞が入ってきにくいという「障がい」があるんですね、きっと happy01
 こういうのもLDの一種、MDとか言ったりして……
 それにしても、なんでも障がいといえば障がいになりますね。


Tinaさん

 少し見てみたのですが、短い言葉がそれぞれ異なるイメージを発していて
 そのつながりが最初見えにくかったりしてわかりにくくも感じましたが、
 解説の文も見ながら途中からいくつかすっと伝わってくる部分も出てくるようになりました。
 そうすると数学的というところはまだぴんと来ていないんですが「極端な例えや、アスペ的な 苦悩の結果 どこかに闇を抱えて生きている感じとか 常に根拠や 納得出来る 理由と一緒に 歌っているところ」というところは割合なるほど、という風にもおもえたんですね。

 極端と書かれているところ、私がこれまで書いてきたことで言うと、「クッションの有無」の問題につながるような気がしました。定型的にはストレートに言いずらくて、いろいろクッションを入れようとして、自分でもそのうち自分が何を言いたかったのかもわからなくなったりすることもあるのに比べて、ほんとにまっすぐに自分の感覚に向かって行って、それを言葉にする。

 相手に対する気遣いというのも、そういうストレートな表現を前提にして、そこをごまかさない感じで一生懸命思いを伝えようとする。そんな印象です。

 こういう表現が定型にも訴えるものがあるのは、やはり定型が直視できずにごまかしている部分を、素直に、ストレートにみつめて伝えてくるからだろうと思います。

 歌ではなく、普通の会話の中でアスペの方がそれをやると、それは「コミュニケーションを破壊する行動だ」ととられて排除されることになることが多いでしょう。歌というジャンルはそういう点で受け止め方が違って、むしろ自分の素直な心にダイレクトに響かせられる力が重要になるので、逆にそのダイレクトさが相手に訴える力を持つことになるのかもしれませんね。

>定型は自分の表現をコントロールしてひとと感情のやり取りをして、調整するということをやる
私も気が合う人や感覚が合う人とであれば、感情のやり取りをして調整していることがあることがあります。最近それに気づきました。
そうでなければやむを得ず一人で抱え込むしかないですが、しんどいです。

> アスペの歌詞ってどういうものだろう
私の場合はアスペ独特の歌詞というものはないです。
私も歌詞は入ってきません。曲や歌のノリで聞いているような感じです。
私の周りは浜崎あゆみやaikoの歌詞に共感している人が多かったのですが、私は全く共感できず、何が良いのか分かりませんでした。ただ彼女達の曲のノリが良いから聴いていた感じです。
歌詞も独特すぎると全く読解できません。
歌詞そのものだけで言えば、昔の歌詞や演歌の方が表現力やクオリティーが高く、詞も奥深いと感じます。歌っている人達も今の歌手より、昔の歌手の方が断然クオリティーが高いと思います。しかし曲には興味はないので聴こうとは思いません。
私の場合は若い頃に流行っていたからという薄っぺらい理由で音楽を聞いているだけです。

今の時代の歌手が悪いとも取れる書き方をしてしまいましたが、今の方が書いている詞や曲、歌っているアーティストにも素晴らしい方はいらっしゃると思います。
比喩表現や独特な歌詞、曲の中に込められているものが読解できないため、曲のノリといった表面的なものでしか聴けないのもあると思います。

パンダさんお久しぶりです!
相変わらず、ブログや掲示板が賑わっていて何よりです(^^)
これからのご活躍にも期待してます!\(^^)/

私のほうは平穏な生活を過ごしてました。
今が一番幸せです!!

アスペ父とはいまだに関わってません。
家族と関わりをなくしたことで私の今の平穏はありますね……。
掲示板に来なくなったのも、なんというか……今更アスペとわかったところで私の人生は戻ってこないんですよね。
私が掲示板にきたのはたぶん28歳くらいだったと思いますが……それまで、たくさん悩んで葛藤した、警察沙汰になるくらい喧嘩もした、存在価値がわからなくて自分の生き方に迷い過ちを犯した過去……頭では理解できても気持ちがついていかないんですよね。
長すぎた時間が……もう何もかも終わった後なのに「今更アスペなんだ」って気付いても。

皆さんには未来があって、過去に縛られた自分がなんだか情けなくて(苦笑)
だから来なくなりました……でも、今更って思っても頭では理解できたから、今は自分のためだけだけの人生が考えられる!
その節は本当にお世話になりました(^^)

それで、ここにまた来たのもそうなんです!
職場にアスペと思われる方がいて、その件は掲示板に書かせて頂きますね!
宜しくお願いいたしますm(__)m

サロマさん

 すみません、ちょっとバタバタしていてお返事がなかなかできませんでした。

> 私も気が合う人や感覚が合う人とであれば、感情のやり取りをして調整していることがあることがあります。最近それに気づきました。そうでなければやむを得ず一人で抱え込むしかないですが、しんどいです。

 そうですか!やっぱり少なくともサロマさんの場合はそこも定型と同じなんですね。きっと多くのアスペの方もそうなのではないかと想像します。

> 私の場合はアスペ独特の歌詞というものはないです。私も歌詞は入ってきません。曲や歌のノリで聞いているような感じです。

 ということは、やっぱり歌詞が入ってくるかどうかは定型アスペの違いというのではなさそうですね。冗談ですけど、やっぱり私たちはMD(音楽障がい:歌詞は問題なく聞けるが、メロディーは苦手か、その逆という「著しい偏りがある」……パロディです(笑))なんでしょう!

> 今の時代の歌手が悪いとも取れる書き方をしてしまいましたが、

 私は趣味の問題として読んでいたので、全然気になりませんでしたが、たしかにそう感じる人もいるでしょうね。このあたり難しいです。私の場合、同じような問題がありそうなときにはこのブログでは「私は○○と考える(思う・感じる)」みたいな感じで、結構しつこく「私は」というクッションを入れるようにしてきました。そうでないと相手の人が自分の感じ方や考え方を否定されたように受け取るかもしれないので。「私は……」というクッションを入れると、それを聞いた相手も「ふーん、あなたはそうなんだ。私は違うけど」とちょっとゆとりをもって聞けるだろうと期待しています。


あんこさん

 おかえりなさい!
 その後どうされているのかなと折に触れて思い出していました。いろいろ「け」の方々とも接する大変な生活を送ってこられたとの話で、下手をしたらしばらく「別荘」に行かれているのではないかと心配したり(笑)

 でも別の意味で別荘で生活されているんですね?距離をとることで自分らしい落ち着きを得ることができた、というのはほんとに大事なことなんだなと改めて思いました。

 結局定型アスペ問題って、アスペが定型に合わせ、従うという形でも、その逆に定型がアスペに合わせ、従うという形でも、どちらでも理想的な解決ではないと思うんです。それぞれがまずは自分らしくいられる、ということが確保されたうえで、お互いの特性を活かしてどう関係を作れるか、ということが問題になるんだと思うんですね。

 この場では定型に従わされて傷ついてきたアスペの方がたくさんいらっしゃいますけれど、あんこさんはその正反対の立場で過ごしてこられたわけじゃないですか。そのあんこさんが「別荘」でおだやかな自分の状態を得られたのはすばらしいことだと思うし、さらにその上でまたこうやって覗きに来てくださるというのはもっとすばらしいと感じます。

 アスペは定型に、定型はアスペに、お互いに苦しめられたもの同士がひとつの場所で語り合えるようになれば、それってすごいことだと思います。みなさんでそんな場を育てていってほしいですね。

 またあんこさんらしい形でのこの場でのご活躍を期待しています!

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