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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2018年4月 9日 (月)

定型のヴァリエーションとアスペとの違い

 昨日の記事「「変わる」ことと「変える」こと」をめぐるTinaさんとのコメントのやりとりの中で、私が例の「あつくない?」=「窓を開けてくれない?」という定型的な間接的な要求の話を例に出したことについて、Tinaさんが定型の「彼」やアスペの息子さんを含んだこんなやりとりを紹介してくださいました。


お部屋の温度のくだり、、うちでも問題になったんです(笑)息子と彼の問題でした。うちの場合、ちょっと解釈が違いました。。
息子「なんか暑くない?」
私「暑い?そーね、ちょっと暑いかも。窓開ける?」
息子「うん 開ける」
(私が動く)
彼「ちょっと暑いから 窓を開けてくれる?って言えば よくない? 」
息子「窓を開けてほしいなんて思っていない。暑くない?って聞いただけ。」
彼「そういう言い方をすると 相手は 窓を開けてって言われてるように 取るんだよ」
私 「え? そうなの? 私は そうはとらないよ?暑くない?って聞かれたから そーだねーちょっと暑いねって答えただけ。窓を開けようと思ったのは私で、頼まれたわけじゃないよ?」
彼「世間では そう捉えられてしまう事があるよ、だから気をつけてね」

息子「そうなの? 開けてって言ってないよ?ママが 窓を開ける?って聞くまで 窓のこと全然 頭になかった。」 


 この話がすごく面白いなあと思ったのは、そこに定型の中のタイプの差と、それからどういう定型男性がアスペ女性に惹かれやすいか、ということが見えるように感じたことでした。

 まず、アスペのTinaさんと息子さんの会話の中で、Tinaさんは「暑い?そーね、ちょっと熱いかも。窓開ける?」と尋ねられていて、これは一見すると定型的な「間接的な要求の読み取り」とも見えます。ところが実際はこの後の方でTinaさんが説明されているんですが、それとは全然違うわけですね。

 つまり、息子さんはほんとに単に「暑い」と言っただけで、それに対してTinaさんが自分も暑いと思われたので同意した。そして、Tinaさんは自分が暑いと思ったので、「じゃあ窓を開けたほうがよさそうだな」と思い、開けるかどうかを息子さんに確認して、同意されたので開けた。

 そこでTinaさんは別に息子さんの「暑い」という言葉に要求の意味を全然くみ取ってはいないわけです。

 これに対してTinaさんの相方さんは「その言い方は要求になる」と受け取ったわけです。

面白いのは、そこで相方さんは「そういう間接的な言い方はよくない」と考えられていることです。つまり、定型によくあるやり方について、相方さんは嫌だとも感じられているわけです。

 この「間接的な言い方」がどの程度重視されるかは、定型社会の中でも場所によっても様々だと思います。思い出すのは京都の「お茶漬けどうですか?」という話。

 知り合いの家に遊びに行って話し込んで、ずいぶん長い時間がたった。その家の主人は何かの理由でそろそろお客に帰ってほしいと思っている。でも「帰ってくれない?」と直接言うのは失礼になる(と考える)。それで「お茶漬けでも食べませんか?」という「もてなし」の言葉を言う。それを聞いた側は「いえ、お腹すいていません」とか「ありがとうございます、いただきます」と答えるとアウトです。「あ、もう帰らなければならないんだな」と察して帰る。

 これが京都の1000年も続いた町の人たちの中に作られた、クッションを使ってやりとりする「洗練された」やり方だという事になります。だからそれを理解できない人は文化程度の低い「田舎者」扱いになる。

 でも「田舎者」から見ればそういうもって回った言い方は鬱陶しく感じたり、あるいはものすごく嫌味に感じたりすることがあります。「気を遣うっていったって、やりすぎだろう」と感じたりもする。過ぎたるは猶及ばざるが如しというやつですね。

 その点、全国の「田舎者」が急に集まって作った江戸の下町文化では、そんなまどろっこしいことはやはり嫌われる。威勢よくぽんぽんという事が粋でかっこいいわけです。

 育った場所だけでなく、個性の差もあります。とにかくクッションを大事にするタイプの定型もあれば、そういうのは少ない方がいいと感じるタイプの定型もいる。後者の人は前者のやり方をうっとうしく思うわけです。もっとストレートにさばさばしたほうがいいと思う。

 Tinaさんの相方さんはそのタイプのようですね。

 実は私もどっちかというとそちらのタイプなのです。自分の思っていることはストレートに言いたい方で、相手を気にして本音を言わないように見える関係はしんどくなる。もっとさばさばやればいいじゃんと思う。だから相方さんの言い方はよく理解できます。

 それで、そういうさばさばが好みのタイプは、女性に対してもさばさばした人に魅力を感じたりします。女性の中にも演歌歌手なんかによくみられるように、ほんとにお互いに察しあう関係の中で「女の情念」みたいなものを思いっきり体中から発散させる「色気たっぷり」の人もいますし、逆にさらっとした感じの「清潔感」のある人もいます。多分Tinaさんの相方さんも私もその後者の女性がタイプなのです。

 このさらっとした、「女の情念」を強烈に発散していない感じが徹底しているのが、アスペの女性に多いような気がします。少なくとも私が相方に惹かれたのは、そのさらさらした感じだったんですね。私の場合は母親が演歌タイプとはまたちょっと違いますが、激しい「情念」で人に迫るタイプで、それに苦しめ続けられたので、その対極のタイプにすごく惹かれ、そして救われたわけです。

 そうやって確かに救われるんだけど、だんだん月日を重ねるうちに、そこで見えていなかった問題が浮かび上がってきて、苦しむようになります。それはそういうさらさらとした感じを生み出しているアスペ的な人間関係のスタイルとのずれです。

 そのずれが上の窓の例によく出ていると私は感じます。

 つまり「間接的な要求」をしようとしない、という傾向はお互いに共有されていて、そこで共感できる部分があります。Tinaさんの相方さんはそういうのを嫌っています。でも相方さんの方は「それが間接的な要求だ」と感じて、それを否定するのに対して、Tinaさん親子はそもそもその発想自体がないわけですね。これはかなり決定的な違いです。

 私もそうですし、たぶん相方さんもそうだったのではないかと想像しますが、この決定的な違い、ずれに気づかないまま、「間接的な要求で相手に察することを強いる」みたいな関係をしようとしない、という点で「理想」が共有されたと嬉しくなるわけです。

 ところが定型ですから、「間接的な要求」の姿勢が「ない」わけではなく、「少なめがいい」という事にすぎない。だから自分も「察してほしい」部分がないわけではないのです。その部分がアスペの彼女との間で常に否定され続けるという現実に突き当たり、そのことの意味が分からず、苦しみ続けるということが起こります。あるいは「察してほしい」部分は「少ない」からこそ、その部分の重要さはむしろ大きいとさえ言えます。その大事なところを受け止めてもらえないことのショックはさらに大きくなるわけです。

 でもそれをいくら訴えても、アスペの彼女は理解してくれません。そもそもの発想が違うので、そう簡単には理解できないわけです。だから彼女の方は何を要求されているのかがわからず、なんで自分が責められなければならないのかもわからない。そこでお互いに苦しむことになります。

まあ、とりあえず定型の中のいろんなバリエーションのひとつから考えてみましたので、アスペの方の側についてはかなり単純にひとまとめにして考えましたけれど、実際はアスペの方にもいろんなタイプがあるでしょうし、そのあたりはまた丁寧に考えていく必要があるでしょう。でもごく大づかみに言うと、そんな対比の仕方をすることで、かなりいろいろ見えてくるように思います。

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コメント

正にです。パンダさん!そのまんまです!
彼が注意したのは 息子がアスペだからでしょうね。要求要素が含まれることをわかっていて使っているなら問題はないけど わかっていないから 今後 世間で誤解されないように息子のために 注意をするんだと思います。いろいろな場面で 定型は こう取ってしまう事があるから気をつけてねと言います。

パンダさんのいうさらっとした女性の話。すごく面白いです。
私達の 議論の一つに というか 私の好みの話なんですが、、 私は 女女しいひと(たぶん パンダさんが言われている 女っ気たっぷりの人)や、男っ気たっぷりの人が 苦手です。全く 興味がないのです。世間一般的に言われる 強くて 大きいイメージの男性に全く惹かれない。それでも 私の好みは 大勢多数と何も違わないと思って生きてきたんですが、私の異性の好みについて 彼が教えてくれました。「あなたが好きになるタイプは みんなゲイだね」。私自身 びっくりしたんですが、本当に その傾向があります。ゲイと知らずに 普通の男性として惹かれているんです。更には 私が好きな女性アーティストは 男っぽい女なんです。要するに 女の要素を含んだ男性、男の要素を含んだ女性が好みということです。そこから また 議論が始まったわけです(笑)

アスペ(私)は 男性脳と言われていますよね。確かに 私は 数学科学が好きで 答えの出ないもの(現代文)が苦手です。自分の中に女性の部分と男性の部分があって、私は女性だけど 男性の部分が人より多いのではないかと思っています。自分が惹かれる女性(男性要素が多い女性アーティスト)を見ている時、同じ女として見ているのではなくて 私の女の部分が 彼女の男の部分に惹かれていることに気付きます。そして 自分が 惹かれる男性に対しては 私の男の部分が(も)反応する人に 惹かれていることに気づくのです。= どこか 女の要素を含んでいる男性 = 男っ気溢れる人とは逆。

これは アスペと関係していると思いますか?

単に知ってみたいだけなんですが、そういうのがXジェンダーというのですか?全くお話にならない感じの質問だったらごめんなさい、スルーしてください

キキさん

確かに 性別に限らず どちらにも異性を感じるということですもんね(笑)一線状の両極端に 女性(0)-------男性(100)とあったら 私が異性を感じるのは 40-60辺りということです。身体的に女性かもしれないし 男性かもしれないということですね(笑)

アスペと完全に別な話なのか、、アスペの女性に限ったことなのか、、よくわからないです。

Tinaさん

> これは アスペと関係していると思いますか?

 考え出すといろいろむつかしいことがたくさんありそうな気がしました。

 ただ、素朴なところで言うと、私などのようなタイプの定型も、「着てはもらえぬセーターを、涙ながらに編んでます。女ごころの未練でしょう~♪」=「この私の思い、察してくださらないの?恨めしい。でもだからこそますます恋しい」みたいな<ばりばり女性的>な迫られ方は苦手なので(笑)、アスペだから、というよりも、どっちの側でもそういうことはあるのかもしれません。


キキさん

 Xジェンダーっていう言い方自体知らずにググりました('◇')ゞ
 最近ほんとに時代遅れを感じます(笑)

このお話は…おっきなテーマが来たなーと思ってしまいました(笑)
エントリーの中でサラっと触れられているだけなのですが、そこに着目してしまうと、その先の広がりがイメージできてしまったもので。
「タイプ」のバリエーションがどこでカテゴライズするかでも変わってくると思います。
定型だけで見ても、男性脳よりか女性脳よりかとか、成育歴(本人がACであるならその親のタイプ)とか、それ以前に男女差とかもあるかと。
それはアスペ側も同様で、いわゆる「積極」とか「受動」とかでも表面上は別れますし。
掘り下げるとどこまでも掘れてしまうテーマだと思います。
私なんかはそこを非常に面白いと思うのですが、感覚的には考察できても、文章化となると面倒くさくて逃げちゃいます(笑)

ちなみに、私は結構女性的な質だとは思います。
共感性とか感受性が女性の中でも高いほうです。
母が遠回し表現の達人で、磨かれた結果か「察する」スキルは高いですが、それを要求する弊害も知っていますので、特に夫と結婚してからは(私の感覚では)ズバズバ言うようになりました(笑)
気を抜くとクッション言葉を入れたり、クッションで話したり(遠回し表現)するので、夫を混乱させてしまうことも多々ありますが…。
で、彼は「優しそう」な私に惹かれたそうです。
その認識はたくさんやり合った今も変わらないみたいです。
そういう私の夫は、とても穏やかでストイックな人です。
私が彼に惹かれたのは、その穏やかさが私の両親にはない部分で、この人なら私の理想の「穏やかな家庭」を作れそうだと思ったからです。
かつ、彼のストイックなところは私と同様だと思ったので。
それまでは「穏やか」な人にはあまり興味がなかったのに、不思議なものです(笑)
「結婚」を意識してから出会った人だったからかしら?
共通する部分と理想の部分を併せ持つ人だから選んだんだったなぁと、ぱんださんに気付かせていただきました。
いえまぁ、いざ家庭を持ったら穏やかとは程遠い日々が始まったわけですが、そこはお約束なので…(笑)

>つまり「間接的な要求」をしようとしない、という傾向はお互いに共有されていて、そこで共感できる部分があります。

感覚的には定型アスペ夫婦でも、夫がアスペの場合のほうが根が深そう(問題が多い)と思っていたのですが、ここに集約されるとは思います。
Tinaさんの夫さんも、ぱんださんも男性で、女性ほど共感・一体感は強く求めないから、という…。
でもタイプや性別は違っても、定型は「共感はなくても平気」、とはなかなかならないですよね^^;

セリさん

> 掘り下げるとどこまでも掘れてしまうテーマだと思います。

 そうですね。これは永遠にキリがないことだとも思います。
 実際にここで可能なのは、そういうヴァリエーションを意識しながら
 定型アスペのズレを理解するための基本的な視点を整理していく
 というところまでで、あとは具体的なところで必要に応じて
 その視点を使いながらそれぞれ考えてみる
 という風になれれば大成功かなと思います。

 ま、それ自体大変ですけど (笑)

> 気を抜くとクッション言葉を入れたり、クッションで話したり(遠回し表現)するので、夫を混乱させてしまうことも多々ありますが…。

 この表現がすごく面白かったです。
 なるほど、定型は気を抜くとクッションを入れてしまい、アスペは気を抜くとクッションを抜いてしまう。なんとわかりやすい対比の仕方でしょう。

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