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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2018年4月14日 (土)

希望を子どもにつなげられるか

 今朝起きてからふと思ったことです。

 このブログや掲示板などで、発達障がい者は子どもを作るべきでない、という非常に悲しい主張が繰り返し出てきて問題になりました。

 最近ニュースでも問題になっていますが、日本でもかつては優生保護法で断種手術が障害者に対して行われていたわけですね。またヒットラーは今生きている精神障がい者をガス室で殺すということを、ユダヤ人虐殺の前からやっていました。

 それは少なくとも今の「常識」から言うとあってはならないことです。どんな命であっても、他人がそれを奪ってはいけないというのが現代にひろくいきわたった考え方で、例外は戦争と死刑ですが、戦争は侵略はもちろん、普通の戦争も「非合法だ」という考え方もだんだんひろまってきていますし(もちろんその揺れ戻しのような反動の動きも今たくさん起こっていますが大きな流れとして)、死刑は今ではその制度がある国が少なくなってきています。

 でもいくら「いけない」と言っても、繰り返しそういう発想はいろんな人から出て来ます。特に「まだこの世に生まれてきていない命」についてはそこがシビアに問題になります。医療技術が進んで出生前にある種の障がいの有無を診断できるようになると、その結果によって堕胎をする夫婦もたくさん出て来ています。その選択の根っこには同じような葛藤があるでしょう。

 ではその葛藤とは何か。いろんな理由があると思いますが、たぶん一番大きいのは「生まれてきても幸せになれない」という感覚ではないでしょうか。

 親は「自分が受けてきた苦労は子どもに味合わせたくない」と考えるのが普通です。だから、たとえばご自分が発達障がいで苦しんでこられていれば、子どもには同じ思いをできるだけさせないように工夫しようとされる方が多い。

 でも、「どうやったってその苦しみはなくなりはしない」という思いがつよまり、ほとんど絶望的になったらどうでしょうか。ある意味自分だって今生きているからしかたなく生きているだけだという感じだとすれば、自分にとって大事な子どもにそういう思いをさせたくないという気持ちになるのはよくわかります。そういう状態になることは決して避けられないと思えば、そんな気持ちを子どもに味合わせないように、「最初から生まれないほうが良い」という発想になっても当然でしょう。

 そこで気が付いたのですが、問題の本体は大人自身が希望を持てないことにあるのですね。苦労のない人生はありえませんが、でもどこかでそれが報われると感じるのと、絶望的な思いになるのでは雲泥の差があります。報われると実感できれば、その自分の命を子どもにつないでいくという気持ちにもなれます。

 つまり、「子どもを作るべきではない」という考え方の是非を議論しても、それはたぶん問題の本体とは関係ないことなのです。そうではなくて、一番大事なことは今生きている私たちが自分の生に報われ感や希望を持てるかどうかなのだという事です。

 たとえ今大変でも、この先になにか新しい可能性が感じられれば希望は失われません。今のしんどさを乗り切る道を積極的に探せているという感覚があれば、絶望にはなりません。問題の本当の解決は、ですから実はこどもがどうのこうのではなく、今の私たちがどういう生き方ができているか、今後に希望を持てるような模索ができているのかにかかっているのだと思います。


 

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コメント

話が逸れるかもしれませんが。

ナチスがユダヤ人を迫害して、大量虐殺をしたことは有名ですが、ナチス政権が崩壊した後、ドイツ周辺諸国では、ナチスとは関係のないドイツ人を迫害して、強制収容所に送り、同じ目に遭わせたそうです。
今、アメリカでは、ユダヤ人というのは、ヘイトの対象になっているそうです。トランプ大統領は、ユダヤ人なので、逆にユダヤ人の地位を向上させようと躍起になっている。

つまり、人種や出身、性格や性質の違いを理屈に、人を差別することは、いかに虚しいことががよく分かります。

問題なのは、何かの理屈で生きにくいと感じさせる閉鎖的な世の中なのかもしれません。
そして、誰かが生きにくいと感じているのなら、自覚のない人も含めて、多くの人にとって生きにくい世の中なのだと思います。

長い間このブログでは、発達障害の親が子供を持つべきか?と言う問題の立て方をしてきましたが、つい最近あすなろさんが、定型の親だって適切な子育てができていない、というような発言をされていました。
私も子供時代は定型の親にどうしても理解されない孤独感をさんざん味わってきました。世間の人達は、私の父母を高く評価していましたから、例えば私がよその人に両親との不仲を訴えたとしても、「あんなに優しいお父さんやお母さんに叱られるなんて、ガーディナーちゃんよっぽど悪いことしたんだね」と言われるので、私の孤独感は増していきました。
孤児願望もあり、崩壊家庭の子どもに対するあこがれも強かったのを覚えています。「孤児院(当時は児童養護施設のことをこう呼んでいました)で生活したいわ」という様な事はよく考えていました。定型の親が必ずしも良い教育ができるというわけでもないということは、小さい時から身に染みて感じています。

現在私は、学習不振の子どもさん達の学習支援もしていますが、そういうお子さんの場合、親が高学歴で高収入なほど、痛々しい状況に置かれているような印象を持ちます。こういった親は、自分の子どもの学業成績が伸びないのは、子どもの努力不足や生活態度が原因だと考えて、かつて自分が子供時代にできたことが、我が子にはできないということが、どうしても納得できません。子どもの現在の発達段階を考えずに、学校の進度に無理やり我が子をはめ込もうとするのです。

中には脳下垂体の病気のために成長ホルモンが不足して、毎晩ホルモン注射を打っているという状態の子どもに、夜中までテスト勉強を強要するお母さんもいます。言うまでもなく、成長ホルモンは、夜ぐっすりと眠ることにより分泌されるわけで、この病気の子どもに夜更かしは禁物なのです。
また、「子どもが『僕、どんな大人になれるのかなあ?』って聞いてきたんで『さあねえ、今のままだとコンビニの店員ぐらいにしかなれないんじゃない?』って言ってやりましたわ」などと、悪びれもせずに笑って言うお母さんもいます。
成長がゆっくりで、小学校の高学年になっても活舌が悪い子どもに、しっかり者の妹と比較しては「喋り方がおかしい」と笑いものにするお母さんもいます。ほんの軽い冗談のつもりでしょうが、そうやって妹の前で母親からからかわれることが、どれほど少年のプライドを傷つけているのかが分からないのでしょう。

今例に挙げたお母さんたちは、決して特別な人ではありません。ごくごく普通に見られる、教育熱心なお母さんたちです。そして(主観的には)心の底から子どもを愛しています。
子どもの学業成績が悪いということは、その分配慮や支援が必要であるという考えには結びつかずに、少しでも我が子を「普通の子」と一緒の学力水準まで引き上げたい、とその思いからくる言動には、何か脅迫的なものを感じます。
こんなお母さんたちの姿を見ていると、とても希望を子どもに繋げいるとは思えません。自信を完全に奪われた子どもたちが大人になった時のことを考えると、背筋にゾッと冷たいものが走るのを感じます。「普通」でなくては生きていけない、という抑圧された考えから抜け出せないでいるという意味では、アスペ定型関係なく、私たち大人が何に価値を置き、どう生きているのかという問題に向き合わなくてはならないと思いました。

発達障害者はではなく、発達障害者や精神障害者「によっては」ということを言われてるんだと思いますよ。
優生保護法からではなく、現実に適性のない親も存在しますからそこを繰り返し言っても、ナチスのしそうと同じだと言われてしまうのは悲しいところです。

そういう私も色々言われてきました。
相模原の事件が起きた時に「おまえも一緒に犯人に殺されれば良かったのにな」とか。
近所の人から言われたのですが、役に立っている障害者は生きる権利はあるけど、私は仕事も出来ないから害でしかない障害者だというのが理由のようです。
「障害者を何で助ける必要があるんだ、障害者は自然淘汰されるべきだ」とか。
子供を産むことはもちろん、障害者は生きるべきではないということだと思います。
口には出さないだけで心の中ではそう感じている人は少なくないです。私の周りだけかは分かりませんが。

母体の中にいる子供に障害があることが分かった場合は子供が可哀想というより、親が受け入れられない、育てられないということなんだと思います。
ガーディナーさんが仰るように普通を望む親が多いからなんだと思いますが、悲しい話、まともな子供を望む本能はなかなか変えられないと思います。

この世の中の偏見も問題であることはもちろんありますが、財政が厳しい日本で(特に自力で生活する程の稼ぎを持てない)障害者の生活や支援を保証することは絶望的ですし、その中で特に障害者が遺伝性のリスクのある子供を作るのは厳しいかと思います。
経済的に潤いがあってこその福祉ですから。

あすなろさん

 これも本筋ではないですが、トランプ大統領自身はユダヤ教徒ではないようですね。
 https://toyokeizai.net/articles/-/173824
 娘の方はユダヤ教徒と結婚して改修したらしいので、そういう話が流れているのでしょうか。

> つまり、人種や出身、性格や性質の違いを理屈に、人を差別することは、いかに虚しいことががよく分かります。

 人間というのは多かれ少なかれ「群れ」て生きる動物ですよね。定型はそれが特に著しく、アスペは比較的そこが薄い、というヴァリエーションはありますが、それでもアスペの方も「家族」を大事にするという方が多かったり。

 この「群れ」て生きようとする部分が、「対立」や「支配」ということに結びつくと差別が生まれてくる。人は相手より優位に立つことで安心しようとする傾向がけっこうありますから、自分の群れを相手より優れていると考えることで、自分を安心させたり、えらいと勘違いしたりする、そういう傾向が私も含めて誰にもあるんだと思います。

 そんなふうに群れないと生きられないというかなり人間の本質みたいなものに根差した問題なので、その虚しさが繰り返し明らかになったとしても、でも繰り返しいろんな形で現れるのだろうという気がします。むつかしい問題だと感じます。

ガーディナーさん

> 定型の親が必ずしも良い教育ができるというわけでもない

 その通りだと思います。最近思いますが、定型とかアスペとかいう大雑把なくくりをしますけれど、それはそれぞれいろんな特徴を持って生きている人たちのある一部のポイントについて、とても目立つ特徴的なずれ方がある、ということだけのことで、その他の点についてはどちらもほんとに多様なんだと思うんですね。

 当然定型同士、あるいは定型アスペの親子の組み合わせの、どのパターンでもいろんな問題が起こる。その中の定型アスペ間の親子の場合(親がどちらであっても)、定型アスペに特徴的なずれがすごく大きな影響を持つ事が多くある、ということなのかなと。

> こんなお母さんたちの姿を見ていると、とても希望を子どもに繋げいるとは思えません。

 たぶんお母さんの方は希望を持っていて、それが繋がるとほとんど意識することもなくあたりまえのように思っているんだと思います。希望はそれが脅かされたとき、あるいは失われたときに強く意識されるものですから。

 それで、そのお母さんは自分が当たり前のように持っている「希望」を、単に子どもに押し付けているだけなのでしょう。そうなると、その希望は子どもにとっての希望ではなくて、親のエゴになると思います。自分(親)と相手(子)のずれに気づかないと、そんなふうに勝手に親が自分の理屈だけで子どもを「支配する」ということが起こりやすいですね。


さろま(サロマ)さん

> 発達障害者はではなく、発達障害者や精神障害者「によっては」ということを言われてるんだと思いますよ。

 ああ、それはそうでしょうね。特に当事者の方がそれを言われるときはそうかもしれません。

> 優生保護法からではなく、現実に適性のない親も存在しますからそこを繰り返し言っても、ナチスのしそうと同じだと言われてしまうのは悲しいところです。

 ここはちょっと舌足らずの書き方でした。すみません。

 出生前診断や死刑やナチスの思想と繋がる部分は「ある価値観から見て否定的にみられる人の命を許さない」という発想があることで、その価値観の具体的な中身は多様ですけれど、いずれにせよ「殺す」ということを肯定する発想があります。

 ただ、ここで何人かの方から繰り返し主張されてきたことはナチスの話とは二つ大きな違いがあります。それはナチスの精神障がい者抹殺は、「現に生きている人を対象にした」ということと、もうひとつは「当事者以外の人間がそれを行った」ということです。

 現に生きている人に対する話かどうかの違いは大きいですよね。それは「殺人」なわけで、「予防」とは全く違う。

 もちろんこの「予防」も許されないという考え方もあって、厳格なカソリックなどは避妊も許されないという話を聞いたことがあります。カソリック(?キリスト教?)では自殺が厳しく禁じられていて、その禁を侵すと教会内に遺体を埋葬することもできなくなる、ということがある(あった?)らしいですが、その理屈は同じで、「生命の運命は全て神が定められたことで、人がその意思でかかわってはならない」という強い倫理観がそこにあるらしいです。

 私はそういう感覚までを持ったことは有りませんが、そこまでいかなくても、現にある命を殺す場合と、ある特定の命を生み出さないように予防する、ということの間には大きな違いを感じる、というのは多くの人が共有する感覚かなと思います。その点で、子どもを産まないという判断は後者なので、ナチの精神障がい者、抹殺とは大きく異なります。

 当事者がそれを言うのか、「他人」がそれを言うのかもものすごく大きな違いです。「他人」(たとえば定型)がそれを言ったら、それはもう差別そものもだと思うので、仮にそういう書き込みがあったとすれば、私は管理人の立場でガイドラインにそった対処をします。けれども当事者が自分の苦しみの中でそれを語るときには、それは別の問題のように思えるのです。

 これももちろん突き詰めていくと「子どもといっても他人じゃないか」という理屈も成り立たないわけではないのですが、まあでも「たんに生まれる前の、可能性としてある他人」なので、上の「現に生きている人かどうか」の話にも絡んで、そこまでのことは私は思いません。

 それよりも、私にとっては当事者(アスペの一部の方)が、そこまで思い詰めて考えざるを得ない「状況」の悲劇、ということに思いが向くのでした。それが今回の記事の趣旨になります。

> 口には出さないだけで心の中ではそう感じている人は少なくないです。

 たしかにそういう人はいますね。だからこそ、いろんな差別や他人を抹殺しようとするような主張が繰り返しいろんなところで出てくるし、またそれに共感する人たちも少なからずいるのだと思います。

 あすなろさんへの応答でも書きましたが、それはかなりの部分「群れて生きる」人間のサガに根差して生み出されているところもあると思うので、「良い群れ方」を見つけて実現していかない限り、その問題は繰り返し出現して、そして時に暴走し始めるのだと思います。

> 母体の中にいる子供に障害があることが分かった場合は子供が可哀想というより、親が受け入れられない、育てられないということなんだと思います。ガーディナーさんが仰るように普通を望む親が多いからなんだと思いますが、悲しい話、まともな子供を望む本能はなかなか変えられないと思います。

 そういう場合もあると思います。何かの意味でその子を受け入れられない親の価値観がある。「普通」とか「五体満足」を願うこと自体はある意味で動物としての人間の自然の傾向だと思うので、私は頭から否定できないのですが、五体満足(普通)の基準自体はいろいろありうるので、その点で考えるべきことも多いような気がしています。

> 財政が厳しい日本で(特に自力で生活する程の稼ぎを持てない)障害者の生活や支援を保証することは絶望的ですし、その中で特に障害者が遺伝性のリスクのある子供を作るのは厳しいかと思います。経済的に潤いがあってこその福祉ですから。

 ここは私は意見が違います。福祉は人間の本能の一部なんですね。しかも人間にだけ特異なものではなく、サルでも身体に障害を持つ子どもに特別に親が手をかけるという事をやったりするみたいです。もちろん自然の厳しい状況の中ではそれで生き延びられない可能性が高くなるわけですけれども、そういう「普通」の基準を「満たせない」場合は周囲がそれを補おうとするのは、動物の進化の流れで見てもそれ自体とても自然な展開で、その延長上に人間の社会が成り立っています。

 ですから、先史時代の人たちも、身体障がい者をケアし続けた例が確認されていますし、今でいえば精神障がい者に該当する人を、預言者などの特別な地位を与えてむしろ尊重するような、そんなケースもあります。

 さらに言えば、年老いて「障がい」状態になった親をケアする、というのは、人間以外の動物には聞いたことがありません。ドライに考えれば、社会のお荷物なのだから、抹殺すべきだ、という主張もありうるのですが、まずそういう議論は出たとしても即座に否定されるでしょう。でもそれは他の動物を基準に考えれば、実際ある意味異常なことなわけです。その異常なことを守らないと成り立たないのが人間の社会なんですね。そうでなければ社会が崩れてしまうからです。

 いずれも現在の日本の財政状況がどうのこうのということが問題になるようなレベルとは桁がいくつもちがう経済状況でそうなるわけです。

 福祉は経済的に余裕があれば手厚くすることに社会的な同意も得られやすい、ということは事実ですが、福祉自体は人間のサガなので、経済状況とは関係ありません。それが私の理解の仕方になります。

>パンダさん

ご指摘ありがとうございます。
ニューヨークに住んでいた知人から、トランプ氏はユダヤ人(ユダヤ派?)として有名で、ニューヨーカーには良い印象を持たれていないという話を聞いていたので、勘違いしていました。ただ、アメリカ国内では、日本でいう極右に近い印象があるのかもしれませんね。

海外の価値観は、背景や歴史が全く違うので、正しく理解は出来ませんが、実体のないもので差別する意識は、太古から人間に備わっているのかもしれません。

しかし、人間は進化とともに、そういう本能を理性でカバーできるようになってきたんじゃないかと思います。

保守が悪いわけではありませんが、元来持っている群れることで安心する意識に甘んじて、自分の集団に強い帰属意識を持つことは、そういう人間の進化を阻害するものではないかと、思います。

サロマさんに対して書かれた、パンダさんのコメントにも、少し疑問があります。
人間には元来福祉の精神が宿っているとしても、その漠然とした『人の役に立ちたい』という意識を、自己分析せずに相手にぶつけた時、それは単なる強引な価値観の押し付けになることは、とても多いです。毒親などが、その最たる例です。
本当の意味で相手の役に立つ福祉というのは、強力な理性で統制されるべきものではないかと、福祉の世界にいると、強く感じます。
各人の良識から、自然と経済が生み出されるという漠然とした期待では決して改良されませんし、今現在、本来福祉に割くべき予算が別のことに流れていってしまっている現実があります。
福祉とは、人間の『良識』から自然と進展することを期待するものではなくて、しっかりとした根拠に基づいて、時に自分の良識とは違うことになったとしても意識的に価値観を変えていかないと、絶対に進歩しないものだと痛感しています。

良心に委ねていたら間違いをおかしやすいことは、アスペ定型間で『良かれ』の意味が逆になることからも、よく分かると思います。

あすなろさん

 理性的に考える必要について、特に異論はなのですが、
 そこで問題になるのは、「なぜ理性的に考える必要を感じるのか?」ですよね?
 理性ということばをどういう意味で使うかにもよりますけれど、
 自分の思いで相手に親切にするのは、結果として相手を苦しめることもある
 という話なのだと思いますし、そこで問題になっているのは
 「相手を苦しめる」からということでしょう。

 ではそこで何が問題になるかというと、「なんで相手を苦しめてはいけないのか」
 ということです。

 ドライに考えれば、相手を苦しめたって、自分が得をすればいい
 という「理性的」な「計算」だって可能です。
 人は自分のために利用すればいい、いらなくなれば、都合が悪くなれば
 捨てればいい、という発想が目立つ人たちもいます。

 でも、「それじゃいけないよ」と思う人もいるわけです。
 そんなのおかしい、と怒る人たちもいます。

 じゃ、なんでそういう感情を持つのか、ということが重要だと思うんですね。
 そこには「自分の利益だけでかんがえちゃいけないんだ」とか
 「相手のことを考えなければいけないんだ」とかいう感覚があることになります。
 でもなんでそういうものが?

 ということを考えてくと、やっぱりそいう気持ちを持てなければ
 助け合って生きる社会ができないから、としか考えられないわけです。
 それがあるから、人間はほかの動物では考えられないようなことをする。
 この間、動物保護のことを頑張ってやっている人たちのことを
 テレビでやっていましたけれど、
 人間って、そういう不思議なことをする動物なんですよね。
 別に直接それで利益があるわけでも何でもないのに、
 「動物のため」にそれを保護する。
 犬が猫の子を育てたりとか、ほかの動物でも少しはありますけど、
 まあ人間ほどはてっていしていません。

 もちろん、いらぬおせっかいということも十分にあり得ます。
 でも問題は相手に対して援助の気持ちを持つことにあるのではなくて、
 それが「意に反して」違う結果になることにあります。

 だから問題を分けて考えるべきだと私は思います。
 悪いのは援助の気持ちではなく、それがずれることなんだと。
 そのずれがよくないと感じる心自体、援助の気持ちから生まれるわけです。
 援助の気持ちを否定して「理性」だけを強調したら
 根っこを失ってしまいます。

 あすなろさんは、これまでの生い立ちから、お母さんの「善意」の
 独善性に傷つき続け、その支配から逃れるために、
 その「正しさ」を否定することが大事だったので、
 そこを強調されてるのだと私は思っていて、
 それはその文脈の中ではまっとうな、そして必要な主張だと思います。

 でもそれは逆に言えばその文脈を超えた一般性は持たず、
 すべての人に当てはまるとは思えません。
 そこだけを強調しすぎると、もともとの出発点、足場自体が崩れ、
 あすなろさんの望まない結果に結びつく場合もあると思います。
 そういう両面を見ながら考える必要のある問題ではないでしょうか。
 

>ここはちょっと舌足らずの書き方でした。すみません。
こちらこそ勘違い失礼しました。

>いずれにせよ「殺す」ということを肯定する発想があります。
胎児に障害があると分かって中絶することを激しく正当化する意見には当事者としては嫌悪感を持つこともあります。
しかし障害児によっては育てるのが大変なのも事実で、(日本の福祉に問題があったり、偏見が強いことが問題なのはいうまでもないですが)今の福祉では経済的にも物理的にも親に負担がのし掛かるのも事実で、障害児への虐待や施設に預ける(殺すくらいなら施設に預けることを正当化する人が多いことには疑問があります)くらいなら、中絶の選択をする人達を責められないなと思います。
さすがにナチスの優勢保護法は行きすぎだと思う人も多いとは思いますが、お腹の中の子供に障害があるとすれば別問題なのだと思います。

>福祉は人間の本能の一部なんですね。
おっしゃるようにそういった側面があることも否定はしません。助け合いの精神が福祉や社会を発展させてきたこともあるでしょうし、人間だからこそできるものでもあるのかもしれません。
しかし現状を見れば、生活保護の引き下げ、介護制度の改悪、どうでもいいことには税金を湯水のごとくに使うのに、福祉は切り捨てられています。
国民もその政策を支持している人も多いということではないでしょうか?
生活保護を受けて生活している人や障害者が生きていることに嫌悪感を持っている人も多く(もしくは無関心)、さらには今の世の中では自分達も辛いのに、障害者の生活、生活保護や障害年金を受けられる人が優遇されることは許せないと思う人も多いです。
日本の福祉はお先真っ暗で、国民が福祉を大事にしているとは思えません。

漠然とした『思想』のような話なので、あまり引っ張るのは、良くないと思うので、さらっと。(^^;

善意の押し付けというのは、まさにここで起きた定型対アスペの『思い』の行き違いだと思いますよ。

私が理性で見なくてはいけないと思い至ったのは、ここでアスペの人のご意見を伺ったからです。
そういう目で見てみると、福祉の世界はまさにそのズレが起こす悲劇で溢れているなと感じました。
実際にそういう福祉問題を本に著している方もいます。

身近な一例を挙げますと。

職場の研修で、画期的な福祉事業を立ち上げた方の話を聞きました。その方は、どうしても障害のある方を救ってあげたいと思い、さまざまなシステムを導入して、障害のある方が過ごしやすい場を提供できるようにしました。
話を聞いていて、すごいなぁと感じていたのですが。

後日、娘の友人が、その施設に実習に行ったそうです。彼は知的障がいのあるアスペで、本当に素直な受動型です。
彼はその場では素直に従っていたそうですが、後日母親に、あそこは嫌だ、と漏らしたそうです。

障害のある人をサポートしようという思いが強すぎて、彼の自発性を無視されたことが不快だったそうです。

どちらの思いも正しいのですが、定型者の『こうしてあげたい』という思いが強すぎると、当事者との対話が疎かになります。
当事者との対話は、理性の部分で進めていくものではないかと思うのです。

 私の基本的な発想では、「今」の状態とそれが生まれる「流れ」を両方見ようとします。

 今が悲惨な状態であったとして、あるいは悲惨になろうとする状態であったとして、それはそういう流れの一つの状態なので、かならずそのあとの動きが出てくると思っています。

 世の中常に揺れ動きながら進むわけで、これは永遠にそうであるはずです。

 もうひとつ大事だと思っていることは、今が悲惨であるとして、それを乗り切る(あるいはその悲惨さをできるだけ小さく乗り切る)足場は何かを探すことです。それは口先で唱える理想でもないし、頭でこねくりまわす理屈でもなく、人がこれまでたくさんの悲劇を乗り越えて生きてきた、その姿の中に必ずあるはずだと思っています。

 定型アスペ問題でも、この問題の当事者(定型もアスペも)が経験してきた悲惨なできごとと、その中でもがいてきた私たちの姿の中に、それを超えていく足場が必ずあります。ここでずっと考え続けてきたのもその苦しみから学び、それを乗り越える足場です。

 福祉もそういうものだと思います。福祉なしには、人間は人間として生きてこれなかったんです。ただそれがその時その時の状況で比較的うまくいくか、冬の時代になるかの違いはありますが、そういう波をへて、それでもたとえば50年前と比べれば、大変に前進しています。500年前と比べればまるで別世界です。5000年前と比べれば……。

 人間は誰もそれほど賢くもないし完璧でもあり得なのですが、揺れ動きながらちょっとずつは前に進んでいる。その前に進む力を見つけ出すことが大事なのだと私は考えています。

遅くにすみません。m(_ _)m
久しぶりにこちらのブログを開いて、
タイトルを見て、この記事を選んで読んでみたら、
私が子供を産んでから、長年ずっと思っていたことがそのまま書かれていました。

私は、結婚も、出産も、義務だと思っていました。
そして、自分が自閉症スペクトラムだと知りませんでした。

出産すると、
家事が、それまで以上にできなくなりました。(T_T)

それから、自分の子供時代の嫌な出来事ばかり、
次々思い出して、それで苦しむようになりました。
パンドラの箱が開かれて、アダルトチルドレンになったのです。

子供の成長に合わせて、辛かった人生を
最初から、もう一度やり直すことになりました。

「私は、なんて酷い育て方をされたんだろう!」
と、親を恨むようになりました。

私は、定型のお母さんが当たり前にやっていることができません。
自分の子供を満足に育てられません。(>o<)

そして、私の子供も自閉症スペクトラムでした。
自分と同じ苦しい思いをさせることになりました。
私は、自分の子供を助けることはできません。(T_T)

「私は、子供を満足に育てられないのに産んでしまった。
私は、子供を産むべきでは無かった。」
という罪悪感を、ずっと抱えています。

私は、子供を産んでから、何年間もずっと苦しくて、
この状態から解放される目処も立たなくて、
「私は、この世界に向いてない。生まれてきたくなかった。」
と思っています。

もし、この先、私の子供から
「生まれてきて良かった。」
と言われる日が来れば、
この苦しみから解放されると思いますが、
今、私が自分の母を恨んでいるからだと思いますが、
将来、私の子供も、私と同じように、
「どうしてまともに育てられないのに産んだの?産んだのなら、もっと良い育て方してよ!」
と恨まれるとしか思えません。(T_T)


それで、この問題で苦しんでいる当事者は、
これからどうすればいいのでしょうか?

私の子供は、将来、自立できるかどうか、まだ分かりません。(>_<)

一生、辛いと思いながら、
義務として、子供の世話を続けていくことになるのでしょうか?

それとも、例えば、
「福祉が遅れている日本が悪い!」
と、自分以外の責任にして、
自分で自分を出来るだけ苦しめないようにしながら、
義務として、子供の世話をしていけばいいのでしょうか?

他に、どんな方法があるのでしょうか?


取り敢えず、私は、子供に
「あなたに子供ができたら、その子も自閉症スペクトラムの可能性が高いよ。
もし、そうだったとしても、責任持って育てないといけないよ。」
と話しました。
そしたら、子供は、
「将来、子供作らない。」
と言いました。
当然だと思います。(-_-;)

でも、結婚・出産の前に、
・相手をカサンドラにさせるかもしれない。
・片付けや、複数作業の同時進行が、もっと難しくなるかもしれない。
・子供を持つことで、フラッシュバックを起こし、辛くなるかもしれない。
・子供がいると、ママ友、学校の先生、よその子供達と関わることになり、PTA役員等も行うことになる。
・自分の子供も発達障害かもしれない。
ということを知っておく方が良いと思います。

私は、何も知らずに子供を作り、それからずっと苦しんでいます。(:_;)

アスペ親の方には心ないことを言うと思うかもしれませんが、あえて厳しい言い方をさせて頂けば、障害があると気づけずに子供を産んでしまった(しかも子供にも障害がある)というのは言い訳にならないと思います。
自覚が足りないの一言につきます。

結婚に関してはお互いの責任だと思います。
しかし定型に比べてできないことが多いアスペの場合は相方にその分負担が来るので、限界が来て離婚を言い渡された場合は仕方ないと思います(しかし一方的にアスペ側のせいにして悪口を言うのは間違っていると思います)。
しかし子育ての場合は違います。子供は親を選べません。
日本の福祉は問題だらけですし、アスペに対して偏見を持つ人が多く、カサンドラの問題にしてもアスペが一方的に悪者にされているのは問題だと思いますし、
アスペの人が子育てで苦労する背景にも定型優位の社会が原因の場合も多いと思います。
しかしそれでも定型の人に比べてできないことが多いアスペの人がいるのも事実で(それもアスペの人によりますが)、その場合は周囲の理解とフォローが必要になってくると思います。
アスペでも子育て能力がある人もいますが、定型の人と比べてできないのであれば、子育てにも影響は来るでしょうから子供が辛い思いをします。私もその一人でした。
生きてて良かったと子供に思ってもらえたらなんて、自分が自覚せずに産んで苦労かけている側の人が我が子に寄りかかるようなことを言わないで。

アスペを持つ親が社会適応ができず、できないことも多くて子育ても満足にできず、私は生きることに向いていないとか生まれなければ良かったと思っている、さらに子供もアスペであれば、子供の人格形成や精神には悪影響を強く与えてしまいます。
自分の生き方や自分を確立できていないんだもの。悲劇のヒロインぶらないで。子供には関係がないから。
なので、
>「どうしてまともに育てられないのに産んだの?もっと良い育て方をしてよ」
そう思う子供がいても仕方ないと思います。実際に子供から蔑まれているアスペ当事者も多いです(定型の子供であればなおさらだと思います)。
私もその一人です。うちは父がアスペで母は定型でしたが、まともにできない父が家庭を持ったのはあり得ない、問題だったと思っています。

今さら産んでしまった子供の存在を消すわけにもいかないので、小さいうちから受けさせるしかないと思います。
学校にもお願いして子供さんに問題行動があれば一つずつ説明してもらうとか。もちろんアスペに理解がある先生でないとだめなので、アスペに理解がある学校に通わせることが前提ですが(知り合いは私立に通わせていました。昔から私立によっては個性的な子が多いところもあるので、先生も柔軟に対応してくれるようです)。
アスペを理解してくれて信頼関係が深い人からの指導だと吸収しやすいし、子供はノビシロもありますし、アスペ親の影響を悪い意味で受けることを最小限に食い止められるかと思います。
もし子供さんが協調性運動障害もあるのであれば、幸い今の時代はそういった療育もあり、小さいうちから協調性運動障害向けの療育をさせていればかなり改善もするようですし。
良い療育先と学校を探すことがアスペ親として唯一できることだと思います。
小さい時の環境は人格形成に重要で、小さい頃の環境に恵まれ、周りに理解されて育ったら、子供の人格も歪まず、素直に育つと思います。

みみりんさん

> パンダさんの意見を知りたくてコメント投稿したのですが、
今は、パンダさんが、コメント投稿する余裕も無いのでしょうか?
もしくは、答えが分からなくて、書けないのでしょうか?

 これはどちらもあります。
 実際この問題をどう考えたらいいのかは、本当に私にとっても難しいんですね。
 もちろん「マイナス面にばかり目を向けずに、プラスの面をみつけて
 それを大事に進んでいきましょう」というような、積極的な姿勢を
 一般論としていうことは可能ですけれど、
 この問題にながく苦しみ、傷ついてきた皆さんに対して
 それだけの話はいかにも表面的で、お気楽な言葉になってしまうと感じるからです。
 結論はたぶん上のようなことになるような気はしますが、
 そこに到達するためには、ものすごくたくさんの事を考えていかないと
 いけないような気がするんですね。

 さろまさんもこの問題はとても深刻に考え続けて
 今回のようなコメントにもなられているのだと思いますし、
 それに対しても今の自分にかみ合う議論ができるとはまだ思えません。

 ただひとつ、言えることがあるとすれば、
 まずはそういう困難を述べ合う事、知り合う事が出発点だ
 ということなのかもしれません。
 その蓄積が、なにかを生み出す可能性を期待しています。

パンダさん宛のコメントと書いていなかったので、パンダさん宛とは分からずにコメントしてしまって申し訳ありませんでした。

私も仕事ができず、障害者雇用でしか働けず、家事すらもろくにこなせません。
アスペ父と似た性質を受け継いでしまったので、自分には子育ては無理だと若い頃に悟りました。
大好きな人と仮に結婚したとしても子供を作るつもりはありません。好きな人の子供は欲しいですが、それ以外に選択肢は見つかりませんでした。
私も当事者であり、決して偏見や意地悪では言っていません。

管理人様にお願いです。
みみりんさんの後のサロマさんのコメントを削除していただきたいです。

サロマさんは子育て能力がないアスペの方が子供を産んだことについて非難なさっているのだと思いますが、アスペが子供を産んでも社会適応できる子が育つこともあるし、定型がアスペの子を育てたって社会適応できない時はできないのです。
親がアスペだから子供の育ちが悪くなるわけではありません。親の育て方がどうであっても社会適応できないことだってあるのです。

サロマさんのおっしゃるようにアスペは遺伝する可能性が高いですから社会適応できない遺伝子であれば残すべきではないとのお考えからかもしれませんが、社会でうまくやっていけないうちの息子も含めて、親の育て方が悪いと言われているようで大変不愉快です。
私は定型ですが、息子に苦労させた罪悪感があります。私まで非難されたようですごく傷つきます。
子供を産んだからこその葛藤もあります。サロマさんは子供を育てていませんよね。お願いだから酷いことを言わないで。親の気持ちもわかってください。

みみりんさんへ
パンダさんからのみ回答がいただきたかったのであれば、パンダさんに答えてほしいと書いた方がアスペの人にはわかりやすいと思います。言葉にはないものはアスペには伝わるにくいと思います。
ご自分を守るためにもね。

子育て経験者さん

 たぶんさろまさんはある意味で「共感的になる」傾向がすごく強いのかなという気がします。つまり、ご自身がものすごくつらい思いを積み重ね、その中で必死でそういう自分が生きられる道を探ってこられた。また「障がい」を持つ自分が「他人に迷惑をかけない」ためにはどうすればいいのかを、ある意味身を切るようにして考え続けてこられた。

 ここで常に訴え続けられていることも、そういうふうに、言ってみれば血の出るような思いで「こうすべきだ」と思うに至ったことなのかなと思うわけです。

 私はさろまさんが抱えてきた現実の中で、さろまさんがそういう信念を作ってこられたことについては、それ自体はひとつの必然のような気がします。

 ただ、今回も子育て経験者さんやみみりんさんがそのコメントでショックを受けたり傷ついたりと言うことが起こったわけですが、それはさろまさんがご自身の体験の中で体得してきた「真実」を、他の人にもそのまま通用するものとして書かれてしまっていることが大きいのではないかと言う気がします。

 私のパートナーについてもしばしば同じようなことを感じ続けてきたのですが、自分の苦労から「こうすべきだ」という信念を作ってきたことについて、強烈に(と感じる)私や子どもに「そうすべき」と「押しつけ」てきていたんですね。それが「本当に相手の事を心から心配しているからだ」ということが分かりはじめるのに、私はものすごく長い時間が必要でした。

 さろまさんも、私の想像ですが、ご自分と似たような境遇にあるとさろまさんが感じられる方については、本気で共感され、そして自分がこれまで必死で培ってきた「知恵」や「生き方」を、どうしても必要なものとして訴えずにはおれなくなるのではないかと感じるのです。それは「相手を思う」からこそ、と言う感じで。


 内容的には同じことであっても、さろまさんが「自分の経験からの自分の思い」として書かれれば、たぶん読み手の受け取り方も変わってくるだろうという気がします。「なるほど、そういう考え方もあるんだ」という、ひとつの貴重な参考として自分なりに使うこともできるようになるでしょう。そこで一歩踏み込んで「だからあなたも(○○の人も)そうしなければならないんだ」と書いてしまう事で、せっかくのさろまさんの経験が他人に意味あるものとして受け取られずに逆効果になるケースが多くなるのだという気がします。

久し振りに覗いてみて子育てのことで話があったので、書き込みさせていただきます。

子供を持つにはそれなりの人生経験と対応力も必要なのかと思います。

私にも子供がいます。主人も子供もアスペです。

幸い、子供は仕事はでき、理解がある職場で働かせていますが、子供にはなかなか友人や恋人ができないようです。できてもすぐに離れていってしまうようで。
子供からは成人をとっくに過ぎた今でも「私が悩んでいる時に何も頼りにならなかった。あなたたちの子供に生まれなければよかった」と言われてしまいました。
親子仲は良いですが、子供からはたまに責められることがあります。

子育て経験者さんは早とちりしていますが、サロマさんは子供の育て方が悪いと言っているのではなく、障害者が子供を持つことについてのことを言っているのだと思いますよ。
サロマさんの言葉には自分の痛いところをつかれてつらかったですが、子供に与える影響を考えたら生まない選択をした方が良いのかもしれませんね。

ことの様
はじめまして。

アスペルガーの旦那さんに対しても、
「子供を持たない方が良かった。」
とお思いでしょうか?

仮にそうだとしても、
生まれてしまったのです。
このような場合、どうすれば良いと思われますか?

子育て経験者様
はじめまして。
コメントどうもありがとうございました。m(_ _)m

定型の親御さんでも、発達障害の子供の育児は大変ですし、
うまくいかないこともありますよね。
それに、
「親の育て方が悪いからではない。」
と言われてますよね。
当事者の「アズ直子さん」の娘さんは、
本によると、凄くしっかりしてて、
全く世話をしなくても、自立してるようです。
そんな子供が生まれることもあるんですよね。

私は、パンダさんからコメントを頂きたかったのは確かなんですが、
パンダさん以外の方からのコメントでも、
自分にとって、有益であれば、読ませて頂きたいと思っていました。

私は、自分で自分を守らないといけないと思っていますので、
「この文章は、これ以上読むと、きっと自分がダメージを受けるだろう。」
と思ったら、それ以上読みません。m(_ _)m

>みみりんさん

はじめまして。
私は、ADHDでやらかすことの多いあすなろです。
夫と長男がアスペで、娘がアスペ+ ADHDです。
このブログにお邪魔した時は、夫との行き違いでカサンドラでしたが、アスペの方のご意見を伺っているうちに、もしかしたら、自分自身の問題が絡んで、こんなことになっているのかな?と気付いてきました。
その経緯はご覧になっているかもしれませんが。

結論から言うと、私は子どもたちがアスペで良かったと思っています。自分もADHDで良かったと思っています。
支援の仕事をしているので、もっと多様で複雑な障害の子達と関わっているので、五体満足で言葉がある。それだけでも、どれだけ自力でできることが多くて恵まれているだろうと思いますし、アスペの子のユニークな考え方が面白くて、この発想を活かせる社会になったら、どれほど社会が発展するだろうと、本気で思います。
もちろん、無理解から学校で苦しんでいる子たちも沢山います。親も身を切られるような思いで、泣いている人も多いです。でも、俯瞰する立場から言えば、ほとんどの原因は、勘違いした学校教育にあることがわかります。
私は子供に、それを鵜呑みにするな!疑問を持って良い。抗議して良い!と言っています。
同じ疑問を持つ仲間も増えてきて、社会は変わろうとしています。
息子が幼い頃は、ちょうど殺人事件の容疑者がアスペと報道されたために、息子がアスペだと言ってはいけないよと、先輩ママに助言を受けたような時代でした。こんなとんでもない偏見の時代から、世の中は大きく変わっています。

私は、子供たちがこの時代に生まれて本当に良かったと思っています。
世の中を変えていく当事者を増やす。生まれてきた発達障害の子たちには、その使命があると、本気で信じています。
成人した当事者の方にも、現状を変えようと活動する人が増えて来ました。日本は障害に対する理解が20年遅れていると言われています。今やっと、進歩が始まった発展途上国なんです。焦らずに機を待ちましょう。

あすなろ様

はじめまして。
コメントありがとうございます。

あすなろさんのように、
「発達障害で良かった。」
と仰る方は、いらっしゃいます。
でも、こんなこと書いたら、私がひねくれているのがバレてしまいますが、
そう仰る方は、現在うまくいっていらっしゃる方です。
現在、うまくいっていない私は、そう思えません。
(「そう思えない私が悪い。」と自分を責めないように心がけています。
「発達障害を受け入れられなくても、生きていていい。」と思っています。(^_^;))

>ほとんどの原因は、勘違いした学校教育にあることがわかります。

私も、学校教育で、酷い二次障害を背負いました。
私の子供も、学校教育で被害を受け、
この先、どうなるか分かりません。(;_;)

個人で、教育委員会の不登校対策の担当者に報告しても、
何も変わりません。
何もできないんですけど?(>_<)

>みみりんさん

お気持ちわかりますよ。実は私も重度の鬱を6年間患っていて、私という存在が消せるにはどうしたら良いのかずっと悩んでいました。私という存在だけならまだしも、何故私のような者の分身である子供を、3人も生んでしまったのか。世間に申し訳ないと、ずっと思っていました。

でも、様々な出会いの中で、段々と気づいてきたんです。そんな風に思わせているのは、歪んだ世の中が原因ではないのか?
個人で思っているうちは、『社会から脱落した者の被害妄想』と一蹴されてしまいますが、同じ意見を持つ人が意外に多いことに気付いたんです。
私が「きっと誰も聞いてくれない」と思っていたことを、ネットで発信した時、多くの人が心の中に同じような思いを抱えていたことが分かり、同意してくれるようになりました。

多分、みみりんさんも、そういう世の中の矛盾に怒りを感じていらっしゃるでしょうね。
本当は、ご自分も、お子さんも否定したくないのではないでしょうか?
怒っていいと思いますよ。みみりんさんのご苦労は、みみりんさんに原因があるわけではない。存在するだけで否定されなくてはいけない存在など、あるはずが無いのです。そう思わせてしまう社会こそが、歪んでいるんです。

あすなろ様
ありがとうございます。
発達障害の人が「生き辛い」と思ってしまう社会が、歪んでるんですよね。

ことのさんから、まだお返事頂いていませんが、
現時点で、1つ結論が出ました。

自分のブログにも書いたのですが、
こちらに詳しく書こうとすると、ものすごく長くなるので、
短めに書きます。
(https://ameblo.jp/mimimimi-rinrin/entry-12398228987.html
ブログの方のリンクを辿れば、詳細が分かるようにしてあるつもりです。m(_ _)m)

私が、初対面の人から、突然、
「もっとしっかり子供を育てて!」
と言われたら、
「私は、出来る限りのことをしてるよ。」
と、堂々と言えることに気づきました。

これは、矛盾しています。

私は、子供の頃、親から、
「私は、ダメな人間だ。」
「私は、良い親にはならない。」
と言われ、それが「呪い」になっていました。

実際、私は、
定型の人より劣っている部分があります。

でも、こんな「呪い」がかかっていなければ、
ここまで苦しんでいないと思います。

パンダさんが一番最初に書かれた通り、
私自身がアダルトチルドレンだから
起きてきた問題です。

私の苦しみの原因は、「親からの呪い」だと分かったことで、
今までよりも、心が解放されそうです。

そして、私は、自分の子供に、毎日何度も
「ダメな子だ。」
と言い続けてきませんでしたし、
「たいして良い親にならない。」
なんて、一度も言ったことがありませんから、
私の子供は、私ほど苦しまないと思います。


今回、この問題を取り上げて下さったパンダさんには、
大変感謝しております。

そして、コメント下さった全ての方々にお礼申し上げます。
私自身の問題を一つ解決させることができました。
どうもありがとうございました。m(_ _)m

アスペと定型の娘がいた母親です。

娘二人ともが私の元から離れました。

義妹は最初は私と子供を仲直りさせようとしていましたが、あまりに子供が私といることを嫌がり、二人とも義妹のところに行ってしまいました。

>私は、子供の頃、親から、
「私は、ダメな人間だ。」
「私は、良い親にはならない。」
と言われ、それが「呪い」になっていました。

「呪い」をかけられたのではなく、事実だから言われるんだと思います。

>初対面の人から、突然、
「もっとしっかり子供を育てて!」
と言われたら、
「私は、出来る限りのことをしてるよ。」
と、堂々と言えることに気づきました。

それは親のエゴ、子供をきちんと育てられない親の言い訳ないですよ。

私もアスペがある、アスペと定型の娘の母親です。私もできる限りのことはしてきました。

しかし、アスペと定型の娘それぞれから

「あなたはだめな親だ。頼りにならない」

「あなたは人の気持ちがわからない」

と言われてきました。

定型の娘は自らの意思で義妹のところに行きました。

「おばさん(義妹)の方が人の気持ちが分かって頼りがいがある」と言われました。

友達がいなくて不登校だったアスペの娘も自らの意思で義妹のところに行きました。それからはぐんと変わって学校にも行くようになり、明るくなり、友達もできて充実した学校生活を送るようになりました。今は介護の仕事をしています。

アスペの娘が暴力的で、定型の娘とは険悪だったのですが、義妹のところに行くようになってからはアスペの娘が落ち着き始め、定型の娘と親友のように仲よくなりました。

アスペの娘からも

「一番辛い時に頼りになったのはおばさん。私が幸せなのはおばさんのおかげだ。あなたに育てられたら今の私はなかった。おばさんが母親同然。あなたは子供を産んだだけの機械で、親ではない。」

言われてしまいました。

大切な子供を二人とも義妹に奪われたようで悔しい思いをしました。義妹を憎みました。

しかし子供が社会で上手くいかない一番の原因は親の育て方が原因なんです。

アスペ親子が生きにくい世の中であるのは社会の偏見も原因だと思いますが、人や社会のせいばかりにするのは良くないです。

Katzさんはアスペでありながら人とは上手くいっています。親御さんの育て方が良かったのだとお話を聞いていて感じます(パンダさんも同じことを仰っていました)。

親の育て方が悪いこと、きちんと育てられないのに産んでしまったことは事実として受け止めなければならないと思います。

>私は、自分の子供に、毎日何度も
「ダメな子だ。」
と言い続けてきませんでしたし、
「たいして良い親にならない。」
なんて、一度も言ったことがありませんから、
私の子供は、私ほど苦しまないと思います。

甘いと思います。子供は親から否定された言葉を言われてなくても十分苦しんでいます。

私も娘には否定的な言葉を言ったことはありません。虐待もしていません。

しかし頼りない母親、人の気持ちがわからない母親、できない母親がいるだけで、子供は十分苦しむのです。

私の娘だけでなく、アスペの親を持つ子供さんからも同じことを聞きました。

子供さんにとって他に頼りになる相手がいないのであれば、療育はきちんと受けているのでしょうか?

社会で上手くいかなければ療育先にも問題はあるので、変えた方が良いと思います。

子育て経験者さんへ

私は親の育て方が原因でアスペの子が社会適応できないとは言っていません。生まれつきのものですし。
しかし家庭環境が原因で障害が重症化することも良くなることもあるかもしれません。医師や支援者からそう言われています。
私は父からはモラハラのようなことは受けていましたし、受けていなければ私の障害ももしかしたらここまで酷くならなかったかもしれません。
だからと言って、もしうちの家庭環境が良かったとして、障害の程度がある程度改善されたとしてもそれが社会適応できたり、人とコミュニケーションが取れるレベルまでに回復するのかまでは私も断定できません。

また、障害者が子供を産むことについて疑問を持っていることは話しましたが、「人による」とお話しています。
例えば実際に障害がありながら子供を産むだけ産んで、子供のことは放置。自分のことで精一杯で子供は自分が甘えたい感情を抑えていつも泣いている母親をなだめているとか。
いざとなるとパニックになって対応できない。
家のことをせずに家の中はごみ屋敷状態。
どうしようもできない特性を抱えている、精神的な病気をで何も手につかない人が子供を産むことに私は反対しているのです。
それにアスペと定型の母さんは定型ですよね?お話聞いている限りでは虐待していたわけではないでしょう?

ご自分の問題と同じにされて怒られても正直困ります。

>アスペと定型の母さん

はじめまして。
はじめ、ご自分のことを、自分語りでおっしゃっているのかと思いましたが、引用の部分はみみりんさんのコメントだと気付いて閉口しました。
お会いしたこともない、ましてやここにコメントされた言葉だけで、なぜそのような決めつけが出来るのでしょうか?初対面の方に、『あなたは○○だ!』と否定の言葉を投げつける人など、聞いたことがありません。
コメントからは、みみりんさんが明らかに大変なご苦労をされて来られ、傷つかれているのはわかりますが、それ以外のことは何も分かりません。傷だらけの人に泥をなすりつけるような行為を平気で行える神経の方こそ、わかりません。
ご自分の苦しい思いを、他人に投影しているだけだと自覚された方がよろしいのではないでしょうか?

>みみりんさん

ブログ読ませていただきました。
私の考え方とよく似ています!私も親からダメ人間と言われ続けて、自信を奪われましたが、ようやくこんな私でも認めてくれる人が現れ始め、芋づる式に仲間が増えてきました。
時々後ろに引き戻されることがありますが、ちゃんと前に進んでいますよ。なによりも、子供たちは自分の道を歩んでいます。
親に出来るのは、本当は子供が自分の意思を持てるようになるまで見守ることだけ!極論で言えば、親は生んでやることしか出来ないんじゃないかと。
子供といえど、別人格です。その子供の人生を壊さずに(←どんなに有能であっても、余計な介入をすれば、子供の人生を壊します。何も出来いなら、援助先を探した方がよほど誠実!)、心で応援する。親とは本来、そういうものじゃないかと思います。

コメント投稿時の注意について、新たにこちらにお願いを行いましたので、ご覧いただければと思います。


コメントの書き方についてのお願い
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-0059.html

>管理人さん

アスペと定型の母さんのコメントについて、ご自身の経験については否定しませんし、そのような体験をされたというコメントは貴重なご意見だと思います。
ただ、みみりんさんへの直接攻撃は、自戒していただくべきではないでしょうか?
先に記事を拝見した上で、具体的に何が問題なのか分かりにくく、みみりんさんへの擁護が無かったので、敢えてコメントさせていただきました。

物の言い方は気を付けないといけないのかもしれませんが、アスペと定型の母さんの言っていることも間違ってはいないと思います。

親は親としての思いや苦労もあると思いますが、子供には関係ないことであり、子供には子供としての思いもあります。
親が開き直ったり、できないことを前向きに捉えるのは自由ですが、発達障害親によって苦労しなくて良いことで苦労したり、辛い思いをしてきた子供がいることも消えない現実だと思います。

アスペと定型の母さんの義妹さんの元でアスペの娘さんが適応できるほどまでに回復したのであれば、育った環境で大きく変わるということですし、私や他の当事者も子供の頃に義妹さんのような環境で育てば今の人生も違っていたのかもしれないですね。
良い年した大人が他力本願で物を言うなと言われそうですが、特に発達障害の場合は大人になってから修正するのは子供の頃と違って困難なので、報われない思いもあります。

子育て経験者さんへのコメントで、「親の育て方が原因で社会適応できないとは言っていない」と書きましたが、アスペと定型の母さんのコメントを読んでいなかった上での発言でした。
アスペと定型の母さんのコメントを見ると、社会適応できないのは親の育て方や家庭環境が原因のように書いていましたね。

アスペと定型の母さんのアスペとされる娘さんは実は他の病気で発達障害と誤診断を受けているのでないですか?
私は医師ではないから想像でしかありませんが、親の育て方が原因だとは思いません。
家庭環境が障害にも影響することもあるのかもしれませんが、実際に定型のお母さんがアスペの子供を理解してきちんと躾していても社会適応できていない人はできないですよ。

アスペと定型の娘さんのところはレアケースで、ほとんどは生きづらさを抱えて、お母さんが苦しんでいることが多いです。義妹さんは発達障害者への教育に関しては優秀な方なのかもしれませんが、殆どの方は義妹さんのようにはなれないです。
なぜ障害児向けの療育があるのでしょうか?お母さんの育て方次第で障害が改善するのであれば療育機関は必要ないはずです。

子どもが、苦しむのは、子どもの障害のせいか、親の育て方のせいか、そういう議論は不毛だと思います。
一人で生きられず、他人の支援を必要とする人は、生きる価値があるのか無いのか、そういう議論と同じく不毛です。
本当に成熟した社会とは、親や子や家族に、人の一生を左右するような重責を背負わせることはしません。
子育てだけでなく、年老いた老親の介護や、何年も行方不明で突然多額の借金を背負いこんで戻ってきた親族の責任さえも、日本の社会は家族に丸投げし、一家に背負わせて見ぬふりをします。
私が社会の問題だと言うのは、そういうところの未熟さを言っています。
アスペと定型の母さんが、ご自身に育てる能力が無かったことでご自身の責任を感じていらっしゃいますが、ハッキリ言って最初から育てる能力のある親など、ほとんど存在しないと思います。子育て検定試験に受かってから子供を産むわけではないのですから。
そうした親の能力に関係なく、子どもが健全に育つための支援をするのは、社会制度の責務です。
実際に、欧米ではこの機能が働いています。
子供が生まれた時点で、あらゆる職が子育てを援助し、障害があることが判明すれば、医師、心理士、教師、ケースワーカーがチームを組んで親を支えます。
子供が自立すれば、年老いた親は、社会制度を利用して一人で暮らし、子供に親の生活を背負わせることなどしません。
ここは日本で、それは理想に過ぎないと思われるかもしれませんが、今、日本の屋台骨を支える人たちの杜撰さによって、日本人は、それだけ世界から遅れを取り、結局は自分たちの首を絞め合って、苦しんでいる状態なのです。
その究極に行き着いたのが、障害者施設襲撃事件です。
社会のせいにしても仕方ないことではなく、本当に社会の責任を問わなくてはいけない大問題だということに気付いて欲しいと思います。

あすなろさんのおっしゃるとおり、日本の福祉は遅れていると思いますし、子育てを親だけに丸投げしたり、特に母親は何かあったら悪く言われる傾向にあるのは問題だと思います。
福祉制度を大幅に変えていかなければならないのは当然ですが、それとは別に個人の責任はあると思います。
人格形成は親の育て方や家庭環境を一番大きく受けますし、障害も同じだと思います。
アスペと定型の母さんの事例はその一例で、子育ての適性もあると思います。

>サロマさん

親のせいで、不遇の人生を送らざるを得ない状況に追い込まれた。その責任を誰に訴えれば良いのか。私もずっと悶々としているところです。今関わっている子たちの中にも、親はふつうに存在しているのに、親としての機能を果たしていないので、問題が大きくなり、結果的に幼い子供だけに大きな負担が掛かり、先の見えない状況になっている。しかし明らかな虐待もなく、ましてや親自身は立派に育てているという自負があり、誰に責任をとってもらえば良いのかわかりません。

私自身の経験から言うと、私の親は熱心な毒親で、本人には全く自覚が無いのに私は生きるか死ぬかというくらいの苦しみを背負わされてきたので、本当に悔しいと思うことがあります。
しかし、どうしてそうなったのか分析してみると、母親自身の生育歴と、親の親、祖父母世代の価値観の歪みが複雑に絡んでいることが分かってきます。
私は、祖母のことが大好きだったので、否定はしたくないのですが、思い起こしてみればとても偏見の強い人でした。特性丸出しの幼い私が失態をすると、「クセが悪いから、気をつけなさい」と、やんわりと注意された記憶がありますし、もっと特性の強い息子に対して、少し認知症の入った祖母は「この子は悪魔のような子だ!」と言い放ったことがあり、大人の言うことに素直に従えない子を認めない頑なさがありました。
しかし祖母の世代はそういう価値観が一般的で、母もそれに必死に従ってきたため、想定外のことをする私が理解できなかったのだと思います。
毒親というのは、子育てに対しての希望的観測を間違った方向に持っていて、それを修正できない人のことを言うのだと思います。
この数十年で、子育てや家族のあり方に対する価値観が大きく変わりました。その変化に付いていけないこと、そのものが
親の不手際と言えるのではないかと。
昔のように、子育ては何が何でも血の繋がった親が受けおわなくてはいけないという価値観も変わりつつあります。いつまでも子供の生き方が親の資質に左右されてしまうような社会の仕組みそのものに、風穴を開けなければ解決しないのではないかと思うのです。

あすなろ様

どうもありがとうございます。m(_ _)m

私の母は、私に愛情を十二分に与えて育てたと大変満足していますが、
過干渉や、その他諸々により、
私は、アダルトチルドレンになってしまいました。(T_T)

母は、私を苦しめている自覚が無く、
逆に善意の塊なんです。(>_<)

私は、自分の子供が出来てから、
長い間ずっと「死にたい」気持ちが続いていましたが、
今、
「確かに私は、定型の人がやってることができない。
でも、ダメな人間ではなく、”○○するのが苦手な人間”だ。」
と、急に思えるようになりました。
このまま「死にたい」気持ちから、解放されるかもしれません。

親からの呪いが原因で「死にたい」と思い続けていたなんて、
恐ろしいです。


以前、子供の支援者に
「お母さん一人で子供のことを抱え込まなくていいんですよ。
私達や、学校、医療機関、みんなで育てる時代なんですよ。」
と言われました。

学校の先生は、当たり外れがありますけどね。(-_-;)

私の子供は、まだ支援が必要ですが、
最終的には、子供自身が、自分で、生きていかなければならないんですよね。

親に必要なのは、
「子供の自立の邪魔をしない」
ということですね。


実は、少し前に見つけたブログなんですが、
今読み直したら、前に読んだ時よりも、納得して読めました。
参考まで。

毒親と、その毒親に育てられた子供の在り方
https://ameblo.jp/moraharagekokujo/entry-12259726117.html
「毒親」に育てられた子供たちへ
https://ameblo.jp/moraharagekokujo/entry-12259730846.html
子育てを誤ってしまった、母親たちへ
https://ameblo.jp/moraharagekokujo/entry-12259733891.html

親というのはみな、毒を持っていると思います。無垢な子供に、端的に言えば、自分の価値観を教えていくことが子育てなので、子供が自我を発揮した時親の価値観と合わなければ毒になり、合えば良薬となる。ただ、それだけの違いではないかと。子供の価値観は、友達や親以外の大人と出会った時、親の価値観に必ず疑問を抱きます。それが反抗期で、それを経て、ひとりの大人としての価値観を身に付けるのだと思います。
これは障害の有無に関係なく、誰もがそうなのですが、障害があることで独特の価値観を築かなくてはならなかったり、周囲に自己主張が出来ないため、大人に従わざるを得ない状態に追い込まれる。
私は重度の障害を持っているお子さんとたくさん接して来ましたが、よくよく付き合っていると、かなり強い意志を持っていて、自己主張もあるのに、周囲の大人たちが、言葉にならないその意思を無視して自分たちのやり方に従わせてしまうため、本人は仕方ないなというあきらめで、大人の言う通りに動くという姿を目の当たりにしてきました。
重度の障害があると、たしかに本人の意思は、社会の流れにそぐわないことが多いです。だからこそ、本人の意思をどのように社会に合わせて発揮してもらうかというのが支援なのですが、そういう想像力を持ち合わせた大人はほとんどいません。
ただ医学会も、福祉業界も、最先端は本人の意思の最優先という方向に動いています。
素人である親がそんなおおきなことを一人で出来るわけが無いのです。

みみりんさん

お返事おそくなりました。

>アスペルガーの旦那さんに対しても、
「子供を持たない方が良かった。」
とお思いでしょうか?
正直思います。
主人は職を転々としていました。後に主人が鬱になり、自宅療養をしていました(色々あって別の病院に変えたら主人がアスペルガーと言われ、ついでに私と子供もアスペルガーだと言われました)。
家系を支えるために私が働くようになり、家のことを子供にやらせてしまう羽目になり、生活がギリギリで子供には色々我慢させてしまうこともありました。
主人自身も何で働けないのか、家族に迷惑しかかけられないのか、子供に辛いさせたなど、自分を責め、私に苦労かけたと泣きながら謝ることもあります。特に子供には申し訳ないと言っています。
もともと主人は一途で純粋で優しく、責任感が強く、家族思いな主人です。特に子供には嫁にやらないと言うくらい可愛がっていました。
だから父親としての役目を果たせないことが辛く、とても悔しかったようです。

>仮にそうだとしても、生まれてしまったのです。このような場合、どうすれば良いと思われますか?
生まれてしまったのではなく、親が作ってしまったのですよね…。
あすなろさんが仰ることは正しいですが、現状が今すぐ変わるわけではないので、学校制度や教育委員会の問題や今のことについて視点を向けるのではなく、子供さんの将来のことに目を向けてやっていく方が良いと思います。
成人後の子供さんの仕事の適性、子供さんの特性に沿った支援をどうするか、経済的な面ではどうするかなど。
仕事で挫折することもあるかもしれないので、最悪は子供さんに生活保護を受けてもらうことも含めて考えておいた方が良いと思います。
あとは友達ができなかったり、人と上手くいかなくても、それでもいいやと思えるように前向きに捕らえるようにする。
人間関係が上手くできないなら、子供さんには気の毒ですが、人並みの幸せは諦めるしかないと思います。このことについては発達障害を持つ親は特に子供にどうしてやることもできません。ただひたすら子供に謝るだけです。

良いアドバイスができなくて申し訳ありません。

コメントの中で、他の人の権利を否定していると受け取られる表現のものがありましたので、公開を控えます。

権利を制約する意見については、ご自分がご自分の判断でご自分について語ることについては別ですが、一般的に他者の権利を制約する表現になってしまっている主張は公開されませんので、ご注意ください。

>この意見を中傷や差別、攻撃などと取らないでください。非公開にしないでください。
アスぺ親を持った子供からの体験談です。

と書かれた投稿がありましたが、やはり個人の体験の問題と、「アスペ一般」の問題を区別しにくい形で書かれていますので、基準に合いません。たとえばそこで書かれているアスペ親と定型の子のことは、うちには当てはまりません。

書かれている内容そのものは重要なことだと思うので、その点だけしっかりと書き直して投稿しなおしてください。

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