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2018年3月 4日 (日)

「違う」が「自己肯定」に結びつく大事さ

 掲示板の方であすなろさんがすごいことを書かれていました。


『痩せている自分を肯定する』のと同じように、『発達障害である自分を肯定する』ことが防衛策になるのではないか


 「お互い様」という視点をここでは考え続けてきているのですが、その視点をあすなろさんは「主観的見方」に対する「俯瞰的見方」という言葉で表現されています。「客観的見方」という言い方もあるでしょうが、たぶんあすなろさんは「俯瞰的」という言葉の方がしっくりこられるのでしょうね。「客観的」という言い方は誰が見ているのかわからない感じもありますが、「俯瞰的」なら「主観的」に見ている人が、少し視点をずらしてみた、というニュアンスも生まれますから。

 それで、どうやったらその「俯瞰的」な見方が可能になるのかというのが私にとってはものすごくむつかしい問題であり続けてきたわけです。そこであすなろさんが出された答えが「自己肯定」でした。

 このブログでは「違いを知る」、ということが大きな課題でした。そしてその違いの内容を理解する試みを続けてきたわけです。そうやって「お互い様」の視点を模索してきたわけですね。

 でもこの議論がなかなか通用しない方たちがくり返し一定程度現れて、しばしば激しい攻撃的な態度(として見えるもの)を示してこられた。そこがどうしても乗り越えられない部分であったわけです。

 その部分についてあすなろさんは私から見てかなり決定的な答えの手掛かりを出されたように感じたのです。


 多くのアスペの方は社会的には否定的な目線の中に生きざるを得ない状況があります。だから自己肯定が非常に困難な状況に陥りやすくなる。その方たちが苦しんでいるのは「違い」自体ではなく、そこから生まれる「否定的な目」であるわけですね。

 だとすれば「違いを理解する」ということは、それ自体では全然問題を解決しないわけです。「違う」=「価値が低い」という見方がありうるからです。もしそうなら「違う」と言われること自体も自分の苦しみを固定化することにしかならないかもしれません。

 けれども「違う」を否定して問題を解決しようとすると、今度は定型的な生き方にアスペの方が従属するか、逆に定型がアスペ的な生き方に従属するしかなくなります。これでは何の問題解決にもならない。

 そうすると「違う」=「価値が低い」と受け取られる状況を乗り越えなければならない。それは「違う」=「価値がある」という理解になることによってのみ可能になることになります。


 なんかすっと自分の中の長年のもやもやが晴れてきた感じがします。

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コメント

こんにちは。

「『痩せている自分を肯定する』のと同じように、『発達障害である自分を肯定する』ことが防衛策になるのではないか」

そうだと思うんですけど、例えが…例えが、私の1番敏感な「太っている、痩せている」なので、素直に入ってきませんでした。
(摂食障害を過去に患い、今もたまに顔を出します。痩せていることが善、太っていることは悪、というこだわりがきれいには抜けず、いま現在、ストレスのあまり、かなり出ている状態で、自己嫌悪が強いです)

こんな風に、発達障害でかなりのトラウマを抱えた方には、やはり敏感になってしまって、人の助言や寄り添いの言葉も通じにくいことがあるんだろうなと感じました。
(私の場合は、発達障害歴史より摂食障害歴史の方がはるかに長いので、その分野のほうが強く反応してしまいます)

いま現在は、自分の体型を自由にコントロールできないこと、理想の体重でないことを「仕方ない」とは思いますが、肯定までは到底たどりつけないだろうなあと感じます。
これは人がどう言おうと、「あなたは普通体型よ」と言おうと、自分だけが感じる不快感で…
頭ではわかるんですけどね…

と、反論ではなく、なんとなくの自分の気持ちを話してみました。
ごめんなさいー!

キキさん

 昔聞いた話ですけれど、摂食障害の方はたとえどんなに痩せている姿を目で見ても「太っている」と感じてしまうことがあって、だからそれは「頭でわかる」話ではないんだ、ということでした。

 考えてみればうつ状態も同じようなことですよね。いくら周りから「あなたは価値がある人だ」と言われても、もうそれではそう感じられなくなってしまったりする。

 たぶん自分を肯定できるかどうかの始まりは他の人からの評価が大きいんだと思うんですが、でももうそれが人からの評価が関係なくて、自分の中だけで安定してしまうことがあるのかな、と思うことがあります。

 もしそこが動きようもないのであれば、そういう自分を受け入れる(という形の肯定)が必要になるのでしょうか。この問題ほんとにむつかしいです。

ぱんださん

「 たぶん自分を肯定できるかどうかの始まりは他の人からの評価が大きいんだと思うんですが、でももうそれが人からの評価が関係なくて、自分の中だけで安定してしまうことがあるのかな、と思うことがあります。」

そうかもしれません。
摂食障害の話で申し訳ないのですが、「摂食」と病名がつくのに、実は食べ物には興味ないんです。
私の場合ですが…。

友人や、家族に「どこに食べにいきたい?何食べたい?」と聞かれても、いつも何も浮かびませんから、「あなたの行きたいところで」って答えてしまいます。

料理も苦手で、それなりの味には作れるのですが、「食を楽しむ」ということが出来ないので、創意工夫は全然できません。

そう考えると、「摂食障害って孤独な病だなあ」と、先程お風呂に入りながら考えていたんですが、アスペルガーもかなり孤独な障害だと感じました。
人とうまくやっていきたい、と言いながら、そんなに人には興味なかったりするんです。
じゃあ何を求めているのか、といえば、いまうまく答えられないんですが…

孤独な障害だからこそ、話を聞いてくれる場があったら、噴出してしまうのかもしれません。
普段は自分の中での自問自答の毎日ですから…

ちなみに、発達障害の当事者会に一度参加したことがあるのですが、ADHDの女性たちが気さくに話しかけてくれて、楽しく盛り上がったけれども、「ここには居場所はないなあ」と感じ、参加はそれ以来していませんが…
これも、人に興味のない面が表れてるのかもしれません。

自分を知って、自分の妥協点を探すことが自己肯定に近いものになるかなあと思います。

いつも仕事に行くとき、「変人上等!」と心に強く思いながら行くのですが、いつの間にか多数派に圧倒されて、萎縮して1日が終わる、という日々です。
1年半くらい経つのに、まだ馴染めてない私って何??と思いますが、「がっつり馴染みたい」わけでもないんですよね…

とりとめのない話ですみません。

でも、自己肯定に近い道はあると思います!

※不思議なんですが、アスペルガーの方でも、全く周りの目線を気にしないタイプの方もおられますよね、何が違うんだろう、ある意味羨ましいです。

キキさん

>アスペルガーもかなり孤独な障害だと感じました。

 孤独がつらいという事ならまた少し話は違いますが、孤独が心地よいのであれば、それはそれでありなのかなと、そんな風にも思いました。そこをベースに、ほかの人と心地よい距離感がお互いにうまく作れるといいのだろうと思うのですが。ま、そこがむつかしいわけですけどね ('◇')ゞ

>普段は自分の中での自問自答の毎日ですから…

 たぶんそれだけだとどうしても同じところを考えがぐるぐる回ってしまうことにもなりがちなんじゃないかと。それで安定できるのならそれでもいいと言えばいいですが、でもたぶんうまくいかない部分があるのかも。

 そんなとき、自分のペースを崩さずに人と互問互答(?)できる場があると、それはそれで意味を持つのかもしれません。自閉系と言ったって、心地よいかかわり方に定型との違いがあるだけで、他者から切り離されるわけじゃないですものね。

>パンダさん

全く、うっかりグセは、私の天性ですねー!
掲示板のコメントは、私です。
まさか、名前が『サロマさんへ』となっているとは気付きませんでした。多分お察しだったとは思いますが、念のためお気遣いいただいて、ありがとうございました。

>キキさん

実は、最初、例えを『太っていることを気に病む』としようとしたんですよ。その方が一般的なので。
でも、敢えて逆にしたのは、太っていることを気に病む人に、痩せている人も、それをマイナスに考える要素はたくさんある=つまり、どちらも気に病むことそのものが問題なのだと気付いてもらいたかったのです。日本の女性はキキさんのような方が多数派だと思います。しかし、ある国では痩せている人は不健康と言われることもあります。
でも、アメリカなどでは、体型も、容姿も、本当に自由ですよね。今ある自分の容姿が、一番魅力的に見えるようにするには何が似合うか、自分自身の視点で考え、工夫します。それで、本当に魅力的に見えます。渡辺直美さんが、ニューヨークに行って、下着屋に入ったら、自分のサイズがSサイズだったことに驚いたという番組がありましたが、確かあの頃からすごくオシャレになったな、と感じます。

関係ない話ですが、私、ハワイのシンガーのIZという人が好きで、300キロある巨体で、太り過ぎで若くして亡くなってしまったんですが、彼はハワイでは今でも崇拝されるほど凄い方なんですね。歌声も繊細で。
太りすぎて短命という、ある意味悲劇的な人生のように思えますが、人の価値ってそんなところじゃ全然ないんだなと思わせてくれる人です。
良ければ検索してみてください。(^_-)

あすなろさん

あすなろさんだったんですか〜(笑)

「太っていることを気に病む人に、痩せている人も、それをマイナスに考える要素はたくさんある=つまり、どちらも気に病むことそのものが問題なのだと気付いてもらいたかったのです。」

そうなんですよね、アスペルガーも、ぱんださんも書いてくださったように、「人と繋がれない!」と気に病むことが問題なのかもしれません。
特にベッタリしたいわけではないのですから。
どちらかといえば一人が大好きなのですから。
孤独で平気な性質なのに、「人とのコミュニケーション」に囚われすぎてるのが問題なのかもしれません。

>キキさんへ

↑一度で済ませろーー!(^^;; しつこくてすみません!

私、自分のような人間の集まりに行ったら、多分ムカついて仕方ないと思います。うるさいし、しつこいし、落ち着きたい時に落ち着かないし。
ADHD同士だからって分かり合えるとは限らないですよ。

女性って、ADHD的なところある人の方が多いと思います。
今の職場がまさにそうなんですが、傾向は似ていても、それまでの生き方とか生活の仕方で、こだわるところが全然ちがうんですね!それで意見が噛み合わないと、お互い譲らないので大変なことになる。
ということが分かってきたので、最近相手を見て、私も同じことやってる!と自重するように気をつけています。

同じ傾向があっても、主張することは全く違う。
同じ傾向があるだけに、譲れないし、気付かない。
当事者会が荒れるのは、こういうところなんじゃないかなーと分析しています!

 複数の名前を使うのは反則になる決まりなので、掲示板の方「サロマさんへ」から「あすなろ」へ投稿名を変更しておきました。

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