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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2018年3月27日 (火)

炎上の仕組みと予防の可能性

 記事「折り合いのつけ方の違い?」から始まった議論で、これまでの炎上で繰り返されてきた、よくわからないズレがなんとなく形が見え始めてきた印象が私にはあります。その炎上は定型アスペ問題をきっかけにしながら、実は少し違う要素が噛んでいる、という印象は前からありますが、そこはかなりはっきりしてきました。では何が噛んでいるのか、もう少し考えてみたいと思います。

 あらかじめお断りしますが、これはサロマさんを批判するために書いている記事ではなく、なにがずれているかを理解して、調整の仕方を考える素材とするためのものです。

 きっかけはサロマさんのコメントになります。私が

 「最近、さろまさんが掲示板の方であすなろさんとやりとりしながらこつこつとその作業をやられたりしているのかな、と感じることもあります。さろまさんのようなタイプの方がどんなふうに自分なりの納得を見つけて折り合いをつけられていくのか、気になるところです。」

 と書いたことについて、サロマさんのコメントはこういうものでした。

「私は折り合いをつけるためにやり取りはしていませんよ。誰とも折り合いをつけられるとは思いません。ただ自分の思ったことを書いているだけです。」

 これは私の感覚から言うといろんな意味で不思議なコメントなのですが、その不思議さが何かなと考えてみると、結構そこに大事な秘密があるように思うのです。

 なぜ不思議と感じるかというと、その理由は次のようなものです。ただし、このパターンの説明はこれまでもなんどか繰り返しているのですが、そこがあるタイプのアスペの方には一貫して伝わらないような部分でもあるので、今回も果たして伝わるかどうかはわかりませんが、でも書いてみます。

 会話というのは独り言ではありません。相手に対して何かを伝えます。それに対して相手の人が答えるというのは、これも独り言ではありません。それは話した人が伝えてきたことについて、その話し手に対して自分の考えを伝えるということです。

 さらにそこに質問が入っている場合は、当然相手になにかをお願いしていることですから、お願いに対して相手が誠実にちゃんと答えてくれた場合には感謝の気持ちが生まれます。人に何かを頼んだのにお礼も言わないという事は、私の感覚では失礼なことですし、そうすることは相手を無視することになります。

 自分から頼んでおいて応えてくれた相手を無視するという事は、「自分は相手を一方的に利用して、相手のことは考えなくてもいい」という意味になりますし、「自分はそういうえらい人間だ」ということを主張する意味を持ちますから、非常に傲慢な態度だという事になります。

 さて、そこで私が「最近、さろまさんが掲示板の方であすなろさんとやりとりしながらこつこつとその作業をやられたりしているのかな」と書いたのは、さろまさんがあすなろさんに対してかなり丁寧にやり取りをされようとしているように感じたからです。そしてやりとりの中では相手への質問と答えの連鎖が当然あるわけですね。

 それをやられているという事は、私の感覚から言うと会話の礼儀を守っているという意味を持ちます。一方的に自分の見方で決めつけるのではなく、繰り返し相手の真意を確かめようとされているという姿勢がそこに感じられるからでもあります。

 つまり、独り言ではない、「やりとり」がそこに成立しているという事になります。それこそが私がこの場で求め続けてきたことでもありますし、ようやくさろまさんとその立場が共有されてきたかなと感じて書いたのが上の文章になります。

 ところがサロマさんのコメントは「ただ自分の思ったことを書いているだけです」というものでした。

 上の説明から考えてみていただけるとわかるのではないかと期待するのですが(ただ、そこがむつかしい可能性も感じます)、このサロマさんの言葉は「私は『独り言』を言っているだけだ」と改めて主張していることになります。

 そうすると、ここでまた私の視点から言うと逆戻りになっているのですね。相手に質問して答えさせておいて、答えたのはあなたの勝手であって、私は関係ないことだ、と言っているように感じられるからで、それはやりとりを否定した態度に見えるからです。

 そう感じたので、私は次のように書きました。

 「相変わらず定型的な基準から言うと攻撃的で失礼なコメントという事になりますが、でも面白いです。」

 前半は昔からそう感じていたことが繰り返された、ということの表明ですが、後半は、でもサロマさんにとってはそういう意図はないんだろうな、という想像力が私の中に働き始めているために付け加えられた言葉です。またそのずれの意味に興味を持ったので「面白い」と書きました。

 その上で、「折り合いをつけようとはしていない」というサロマさんの主張に対して、それは理屈の上で成り立ちませんよね、という話を書きました。それに対するサロマさんの答えが以下のようなものです。

 「自分自身とも他者とも折り合いをつけようとは思っていません。自分の思ったことを書いただけであり、共感を求めるとめとか何もなかったらここには書き込まないというのは、パンダさんご自身の固定観念ではないでしょうか?」

 私の書いた理屈についてはうまく理解されていないようで、その理屈については結果として(つまり意図せずに)無視された応答になっていると私には見えます。まあ、それはいいと言えばいいのですが、なぜそこが伝わりにくいのか、という点にずれの大事なポイントがあるように感じられたことになります。

 私の理解では、サロマさんの主張の意味はこういうことです。「自分はここでほかの人の意見について、自分の思ったことを書きこんでいる。それは自分の意見を書いているだけで、それをどうほかの人が受け取るかはその人の問題で、自分には関係のないことだ。ましてや相手と意見を一致させようとか、共感させようとするなどということは考えてもいないし、そんなことができるわけもない。そして自分自身の中でもなにかまとまった意見に落ち着くなどという事は期待していない。」

 仮にそうだとして、そういうサロマさんの考え方の背景には、多少拡大していえば以下のような感覚があるのではないかと想像します。「人は誰も自分の意見を勝手に言いあっているだけで、相手のことをちゃんと理解などしてやりとりしておらず、それどころがひどい誤解をして自分を責めてくるのが普通だ。会話が共感や合意を目指しているなどというのは全くの幻想にすぎないし、そもそもそんなことが成り立つわけがない」

 この感覚をベースに人とやりとりをする場合は、やりとりは基本的にはお互いに自分が思ったことを言うだけのことで、たまたま偶然お互いの意図が一致して通じ合うこともあるし、理解しあうこともあるが、それは結果に過ぎない、という理解に基づいて、事実上の独り言を言う形になります。

 もちろん、意図して相手を傷つけたりしてはいけない、ということはたぶんサロマさんも考えられていて、キキさんのコメントに対して

 「アスペだから何を言っても許されるとは思いませんし、言っていませんよ。」

と反論されています。それはたぶんサロマさんの考え方としてはそうなのだろうと思います。だからこそ、トマトさん(ここではサロマさんはトマトさんを代表として扱われていますので)に対して「アスペを傷つけた」と非難し続けているわけですよね。「傷つけることを言ってはいけない」とは考えられているのは間違いないでしょう。

 問題は多分その次にあります。ここでサロマさんは「相手を傷つける」ということと「相手を傷つける意図を持っている」ということを、事実上区別しないで考えているように見えます。

 その結果何が起こるかというと、「自分に相手を傷つける意図はない」=「相手は傷つかない」という判断になりやすいか、あるいは少なくとも「自分に相手を傷つける意図はない」=「私に責められる理由はない」という感覚になられているように感じられます。

 そうだとすれば、その結果として、ご自分の意見について、相手の事を考えていないと批判された場合に「自分の思ったことを書いているだけ」という反論になるのが理解可能になります。なぜそういう答えになるかというと、「自分には相手を傷つける意図はない」=「自分は相手を傷つけていない」という判断になるからです。傷つくのは相手の勝手だという事になりますね。

 また、この理解で次のこともわかりやすくなります。

 サロマさんは繰り返し「トマトさんたちが一方的に傷つけた」という主張をされていて、たしかに「傷つけられた」ことについては私も理解が可能ですが、ただ「相手には傷つけようとする意図はなかった」という可能性については決して認めようとされません。また逆にトマトさんたちも傷つけられたのだ、という可能性についても一切認めようとされません。

 この点については、このブログでは一貫して「自分の善意が相手には悪意の意味を持ち、相手の善意が自分には悪意の意味を持ってしまう、というずれが起こりやすいのが定型アスペ間の関係なので、どちらかに決めつけてしまわずに、お互いに相手がどういう意図でそうやっているのかを理解する努力をしましょう」というスタンスを持ち続けていますので、私は繰り返しその点で「立場を変えて考えてみる必要」を言い続けるのですが、ほんとに見事なほど、そこが伝わらないということが繰り返されてきました。

 なぜそういうことが起こるかというと、「自分には相手を傷つける意図はない」=「自分は相手を傷つけていない」という理解と、その裏返しとしての「自分は相手に傷つけられた」=「相手は自分を傷つける意図があった」という理解ですべてを判断しているためだ、と考えるとよくわかります。

 その判断に固まってしまうと「自分には相手を傷つける意図はない」が「相手は傷つき、自分は相手を傷つけた」という理解や「自分は相手に傷つけられた」が「相手には自分を傷つける意図はなかった」という理解ができなくなるからです。

 私の誤解であれば、そのように指摘してくださればそれでいいですが、今の段階ではこれが私には一番筋が通った理解になりますし、それで炎上の意味も分かりやすくなります。

 再度確認しますが、私の理解では、あの炎上は、対立する当事者間では「お互いに」、「自分は傷つけられている」=「相手に傷つける意図がある」という理解でぶつかり合ってしまったことから起こっており、このブログに対する攻撃は「傷つけられた」=「傷つける意図はなかった」というズレの可能性を「お互いに」考えましょうという呼びかけを「相手が自分を傷つけたことを否定している」と理解されることから生まれたと考えられることになります。

 このあたり、かりにそういうズレがあるとすれば、どうすればそのずれをうまく調整できるかが次の課題になるでしょう。

 そこでひとつヒントになるかもしれませんが、今のやりとりでもサロマさんもそうされていますが、「自分には攻撃の意図はない」ということをくり返し伝えることに意味があるかもしれません。実は私の相方との間でも、考えてみるとそういう伝えあいがお互いにわりと頻繁に起こっています。で、そのことで少し距離が取れて、調整の可能性が広がるんですね。

 

 

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コメント

私の家族についての投稿が、当事者の方にとって不快に感じられるとのご意見がありましたので、自主的に削除いたします。

自分が思ったことを書いたことについて思ったことを書いているのは、独り言のつもりではなく、かといって誰かにといかけているわけでもありません。
それについて問いかける人がいたら反応するし、いなければそこに言葉が残るだけということです。

トマトさんに限らず、意識的にアスペを傷つける意図はなかったかもしれませんが、アスペに対する無知さでアドバイスしていたのは事実で、そこで間違ってると言われても自分達の間違いを認めずに集団でにわとりさんを叩いたのは事実ですし。
トマトさん達にしては親切心からアドバイスしてにわとりさんを励ましてあげようとの思いがあり、それを一部のアスぺから自分の好意や親切心を否定されたことで傷ついたのかもしれませんが、自分達が間違った考えで追い詰めたことは事実であり、にわとりさんたちのせいにしたり、にわとりさんの人間性までひどいと叩く人もいた中で感謝の強要までされても誰も納得しないと思いますが。

サロマさん

>自分が思ったことを書いたことについて思ったことを書いているのは、独り言のつもりではなく、かといって誰かにといかけているわけでもありません。

 そうですね。そういう、ある意味での「あいまいさ」が大事なのだと思います。ただ、ここでは定型との対比で書いていますので、「 」つきで相対的な独り言という意味で表現しています。

 ※ ごめんなさい、「 」ちゃんとつけてなかったですね。修正しておきます m(. .)m

 もう少し正確に言えば、アスペの方はしばしばそこに大きな区別をしないで話をされていると考えたほうがいいのでしょう。ところが定型の基準から言うと、そこは明確に区別すべきところで、その区別の基準から言うと、戦闘開始の宣言としてうけとめられやすいということになります。定型同士の場合、そういう「誤解」を生まないようにいろいろ工夫するわけですが、その工夫がないので、そう感じてしまうわけです。

 それ以降のはなしについては、私としては特に異論はありません。サロマさん(たち)から見ると、事態はそう見えるのだろうという事は別に不思議な感じもしませんし、そう感じられて当然のこともあると思います。

 ただ、それはまた別の視点から見れば、かなり違った側面が見えてくるという事を繰り返してお話しているだけです。

この場合は「」はどういう意味合いで使っているのでしょうか?

サロマさん

 追加したのは『 』の方のカッコです。意味は

そういう、ある意味での「あいまいさ」が大事なのだと思います。ただ、ここでは定型との対比で書いていますので、「 」つきで相対的な独り言という意味で表現しています。

 ということです。つまり本当に独り言を言っていると意識しながら言っているのではないが、相手に言っている意識が定型的なものより薄く、相対的には結果として独り言の性質が強い、という意味ですね。

相手に対して言っている意識も独り言を言っている意識もどちらでもないという感じですが、どちらかと言えば独り言を言っている感覚には近いかもしれません。
でもこの表現も正しくないような。上手く表現できませんね。

サロマさん

 そこが「いわく言い難い」感じなのかなと。

 定型的な視点からの理解から言うと、たぶんこんな説明になるのだと思います。

「自閉系の人は自他の区別に困難を抱えている。したがって話をする時にもそれが自分に対して話しているのか、相手に対して話しているのか、ということをあまり明確に区別しないで、漠然と思いをことばにする傾向がある。これに対して定型は自他を明確に区別して意識したうえで、自分の発言を相手がどう受け止めるかを考えつつ話をする場合が多い」

 定型的な視点から見ると、そんな説明でわかりやすくなることも多いような気がします。ただそういう説明の仕方だけでいいのか、についてはずっと考え続けています。
 
 自他の区別って、定型だってむつかしいときはむつかしいですし、あんまり単純には言えないところもありそうです。

自他の区別がついていないとも違うような感じです。適切な表現が見つからないです。

さろまさん

 またうまい表現が見つかったら教えてください。とても興味があります。

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