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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2017年12月 7日 (木)

ネットという「クッション」

 

キキさんのコメントで改めて思ったのですが、この場は少なくとも一部の方にとっては「「自分」は変わってないんですが、そこを別に変えなくても、自分を知れば、もっとうまくやっていける、と前向きに考えられる」場として育ってきているということで、それはとてもありがたいことです。で、なぜそうなれているのか、ということについて少し考えたことです。

 これまでここで考えてきたことで、関連しそうなキーワードを拾ってみると、「クッション」「時間」を思い起こします。

 「クッション」は定型のやりとりで多用される方法で、「あついですね!(=窓を開けてくれない?)」といった間接的な要求とか、「ちょっと考えておきます(=受け入れはむつかしいですね)」といった婉曲な拒否とか、相手に直接言わず人を介して言うとか、いろんなタイプのクッションを使って、直接相手にぶつけることを避け、柔らかくして対立を減らそうということを実にたくさん、しかもほとんど無意識でやっています。

 これがアスペの方が定型社会になじみにくい大きな原因の一つですね。アスペの方から見ると、それは「本当のことを言わない=嘘をついている」とか「ごまかそうとしている」などの否定的な感じを受けることがしばしばになるようです。(もちろん定型間でもそういう否定的な印象を与えることはいくらでもありますが、そのレベルが強い)

 でも、クッションは定型に限らず、定型アスペ間でも、アスペアスペ間でも必要です。たとえばあすなろさんの息子さんは同じアスペのお父さんとの葛藤を避ける工夫の一つとも思うのですが、「あの人はそういう人だ(=自分とは違う)」という形でお互いを切り離し、気持ちの上で距離を置くことでいろいろな衝撃をかわすことができているように感じられます。これも言ってみればクッションの一種でしょう。

 またここで定型アスペ間でも効果が高いと考えられてきたことの一つには「時間」があります。すぐに反論せずに時間を置く。すぐに答えを求めずに待つ時間を置く。

 気持ちの上で、とか、物理的に時間や場所で、距離を置く、という方法が定型アスペ問題(アスペアスペ問題も含め)では重要になることが多いようです。

 夫婦関係など、実生活上ではこの距離の取り方が結構難しいんですね。そういう距離を置けるためには何かの余裕が必要になりますが、それが実生活上ではそう簡単に行かないことが多い。私もここでは「こういうふうにやればもっといい」ということがわかってきても、それを実生活上でパートナーと実現できるかというと、そう簡単ではありません。

 でも、逆に言えばこういう場ではそれが実現しやすいのだということにもなります。なぜならこういう場は見たくない時は見なければいいし、発言したいときだけすればいいし、自分が全部さらけ出されてぶつかることもないわけです。その意味でもともと距離を取りやすい場とも言えます。しかも自分のペースを守りやすい。

 もちろん別の意味で距離が作れずに炎上ということもあるわけですが、そこがある程度うまくコントロールできるようになれば、自分のペースで「距離を取りやすい」というこういうネットの性格は、それ自体が「クッション」として働くことになります。

 キキさんが指摘してくださったそういうこの場のいい性格は、そういう「クッション」としてのネットの使い方がうまく働いた部分も結構あるのかなと、そう思いました。

 

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コメント

ぱんださん、あすなろさん

そう!それが言いたかったんです!
まさに、私が書こうとしていたその通りだったので、下の記事の返信としてこちらに書きました。

私の実生活は、あすなろさんのおっしゃって下さったようソーシャルスキルは全然発揮できてなくて、自分に関係ないことは区別するどころか、自分に関係あることも無視してしまう(気づかない)という…^_^;
ザッツ「空気読めない」ですよね。

ところがここだと、タイムラグがあるから、うまくいってるように見えるんだと思います。

>キキさん

>自分に関係ないことは区別するどころか、自分に関係あることも無視してしまう(気づかない)という…^_^;

キキさんと私は両極端なのかもしれませんね!

私の場合、自分に関係あることも、結果的に自分に関係ないことも無視できない、ところが生きにくさというか、トラブルの原因になります。

だからキキさんのやり方が全て正しいというわけでも、私のやり方が全て正しいというわけでもなく、その中間が上手に取れればベストなんだろうなと、想像は出来るんですが。

そこは、キキさんが、もう少し自分の主張をしていきたいと思われるのとは逆に、私はもう少し自分の主張を引っ込めたい!と思っているので、キキさんに憧れるわけです。

それで、こんな極端で、コントロール不可なことを、リアルでは悟られたくないという気持ちはあると思います。
だから、キキさんが実際に目の前にいても、そういう感覚があるとは、気づけないと思うんですね!

この場だからこそ、キキさんの感覚を知ることができるわけで。それに、みんな色んな思いがあるんだなと気付けるわけで。その中で自分に必要なものをチョイスできるというのも、魅力です!^ ^

はじめまして。アスペルガーの子供がいる母親です。現在はひきこもりです。

うちの子は昔からいじめを受けてきて、仕事も上手くいかず、うつ病になって、病院に行きはじめて発達障害だと言われました。

パンダさんは発達障害でも定型さんとの関係が上手くいっている方は育った環境や親の教育が良かったとのお話をなさっていましたよね。
私も主人も愛情を持って我が子に接し、子供とともに向き合ってきたつもりでしたが、うちの子がいじめられ続け、引きこもりになってしまったのは、やはり私の教育や家庭環境が悪かったからでしょうか?

子育て経験者さん

 はじめましてどうぞよろしくお願いします。

 そういうことは考えたこともないし、そう書いたつもりはなかったのですが、誤解されるような書き方だったでしょうか?

 たとえ親がどんなに子どもを支えるようなかかわりをしていたとしても、周囲の環境によって子どもが苦労させられることは当然にあります。それは親の責任ではないですよね。私が書いたのは、そういう状態に置かれたときに、「人間全てに対する不信感」になってしまうかどうか、という違いのことです。たとえ引きこもりになるようなシビアな状況になっていたとしても、自分を支え、受け入れてもらった体験があれば、そこが足場になるだろうし、そこがないと、問題のむつかしさがさらに大きく深くなるだろうという話です。

パンダ様

定型社会で上手くやっているkatzさんやガーディナーさんは親との関わりや育った家庭環境がよかったのお話をなさっていませんでしたか?

>自分を支え、受け入れてもらった体験があれば、そこが足場になるだろうし、そこがないと、問題のむつかしさがさらに大きく深くなるだろうという話です。
受け入れてもらったは「親」のことですか?「周りのこと」ですか?
ここは私が息子のことで相談をした時に「親が受け入れてあげてあげれば人間不信にならずに前向きに育った」と言われたことがあります。
私の子育てが原因であれば、申し訳ない気持ちで一杯です。

>子育て経験者さん

はじめまして。お子さんのこと、本当にお辛いと思います。私も二人発達障害児を育てて、二人とも全く違う問題が次々起きて、気の休まる暇がありませんでした。
でも、二人(上には定型の子もいるので三人)育てていて良かったことがあります。
二人は性格が真逆なので、言われることも真逆なんです。
上の子の時に、親のせいでこうなった!と責められて、下の子の時は親のお陰でこれが出来るのね!
また別のことでは逆になります。

それで、『世間って、ほんといい加減だなー』とよく分かりました。
私は別に二人を区別して育てていたわけじゃない。手に負えることが少ないので、むしろ何も出来なかった。
でも、本人の個性が受け入れられなければ親のせいで、受け入れられれば親のお陰。
それでもう、くだらない世間の話は聞き流すことにしました。

あなたが嫌ならやらなくて良いし、やりたいならやれば?

そんなスタンスで育てています。
すごく苦しんでいる時もあるけれど、いくらアドバイスしようとしても聞き入れません。悩んだり苦しんだりするのも、本人にしか解決できないんですよね。
ただ、それで見捨てたりはしないからね、という態度でいれば親は十分なんだと思いますし、それしか出来ないんだと思います。

子育て経験者様

はじめまして、私もアスペルガーです。
お子様がひきこもっておられて、心配ですね。
私も何度か引きこもりましたので、子供の立場からコメントします(あくまでも私の場合ですが)。

私にとっては家が一番安全な場所です。
なので、そういう場所である、安心できる場所であるということは、親の育て方に問題があったとは思っていません。
自分のストレス耐性が、やはり低いのだと思います。
いま思えば、感覚過敏も原因のひとつにあったとも思います。
外は今でもストレスだらけで、気をぬけば今でもすぐに引きこもってしまいそうです。
何とか自分で意識して外に出ようとしているだけで、本心は引きこもっていたいです。

いじめの原因はわかりませんが、お辛いことだと思います。
さらにその原因も自分でよくわからないのがアスペルガーなので、どこに気をつけるべきなのかもイマイチわからないのも辛い方思います(私はそうです)。

これからどんな道をいかれるのかご心配かと思いますが、ある程度は信頼して放っておかれるのも良いかもしれません。決して見捨てないというところだけわかってもらえたらいいと思います。
(あすなろさんの意見と同じです)

親として、「申し訳ない」と思ったりしてしまうと、そこに「つけこむ」と言うと言葉が悪いですが、言い訳を作ってしまうこともあるので、子育ては正誤のあるものじゃないですし、ご自身を責めなくてもよいと思います。
きっと本当に優しい息子さんなのでしょう。

と、何のアドバイスにもなりませんが、少しずつでも変化があるといいですね。
でも、本当に少しずつ、亀のようにゆっくりかもしれませんが、見守ってくれるご両親がいることは、とても心強いことと思います。

子育て経験者さん

>定型社会で上手くやっているkatzさんやガーディナーさんは親との関わりや育った家庭環境がよかったのお話をなさっていませんでしたか?

 はい、そういう話はしていたと思います。そういう方は結果として適応力がより強くなるでしょう。たぶん。

>>自分を支え、受け入れてもらった体験があれば、そこが足場になるだろうし、そこがないと、問題のむつかしさがさらに大きく深くなるだろうという話です。
受け入れてもらったは「親」のことですか?「周りのこと」ですか?

 どちらもありだと思います。一般的には親が多いでしょうけれど、親以外にも受け止めてくれる人や場があると、それがない時とは全く違うでしょうね。


>ここは私が息子のことで相談をした時に「親が受け入れてあげてあげれば人間不信にならずに前向きに育った」と言われたことがあります。私の子育てが原因であれば、申し訳ない気持ちで一杯です。

 誰に何をそのように言われたのか、具体的なことがわからないので、的外れになったらごめんなさいなのですが、キキさんも書かれているように、閉じこもるのが「家」だとすれば、最低限そこでは「守られる」感覚があるのではないでしょうか。そうでなければ「家出」になるとかもありそうな気がします。

 親の子育ての仕方に関わらず、子どもの中にはほんとに敏感な子もいます。だから世の中に耐えられなかったりする。だから家にこもって自分を守ろうとする。そしてその中で一生懸命自分を探している。出口を探している。そんな気がします。

 自分なりにそれが見つけられれば、やがて自ら外に出ていく力をためて動き出すこともあると思います。

 これも具体的なことがわからないままでの話なので、的外れかもしれませんが、子育て経験者さんが「親が受け入れてあげてあげれば」と責められたとすれば、もしかするとお子さんの思いと子育て経験者さんの思いがうまくかみ合わない状態が続いたのかもしれませんよね。特に定型とアスペの関係では、このかみあわなさは並大抵のことではないわけですから、そうなるのはある意味普通のことだろうと思います。そうならない人の方がむしろ特別な人で。

 でも「人間不信」と言われる状態かもしれないけれど、「家不信」ではないのかもしれません。あすなろさんやキキさんが「見捨てたりしない」とか「見守る」とか書かれていますが、親にできるのは、そしてしなければならないのはそこなんだろうなと。もちろん的確なアドバイスとかができればもっといいかもしれないけど、それは言ってみれば「おまけ」の部分なのでしょう。そしてそれがうまくできるのならだれも苦労はしないとも言えます。

 で、最初の話に戻りますけど、私が「受け入れる」と言っているのは、そういう「見守る」ということを含んでいます。あるいは今子育て経験者さんがされているように、子どものために子どものことを悩み続けることもその大事な一部だと思っています。その意味で、子育て経験者さんがお子さんを受け入れていないとは思いません。

 もしそうだとすれば、お子さんがこれから自分なりの解決を見つけていく上で、その子育て経験者さんの「受け入れ」が、大事な足場の一つになるのではないでしょうか。

 ほんとに具体的なことがわからないままの感想ですので、見当違いならごめんなさい。

 

お返事有難うございます。

あすなろさん
世間の目は厳しいですよね。良くも悪くも親の育て方だと言われますね。
何を言っても反発されるだけです。成人になった今は見守るしかないのですね。子供の時に対処しておけばと後悔だらけです。

キキさん
息子も同じ思いをしていました。成人してから気づいてしまった場合は自分で原因が気付けずどうしたら良いかわからないということが多いようですね。当事者としては辛いですよね。
引きこもりは当事者のストレス耐性だけではなく、小さい頃からの積み重ねと親との関係が大きな原因だと思います。息子を見ていて感じました。
子供のうちにきちんとしてあげていれば良かったですが、成人してしまっているので、家では安心できる環境、決して見捨てないとのスタンスで見守るしかなさそうですね。

パンダさん
やはり家庭環境が良いから適応できているのですね。
人との関係が上手く築けないのも、引きこもりになってしまったのも、私達はじめとした当事者の親が良い家庭環境を与えられなかったこと、子供を受け入れてあげたと思える環境や状況を与えていなかったことが原因のようですね。
サロマさんにも厳しい言葉を投げかけられましたし、過去ログではにわとりさんも同じような言葉を仰っていましたね。心無い言葉で辛いですが、これが世間の言葉でもあるのでしょうね。
定型とアスペでの関係で噛み合わなかったというより、私達が息子を受け入れてあげてた気になっていただけかもしれませんね。

子育て経験者様。
始めまして、ガーディナーと申します。私は、ADHDを併せ持つアスペ当事者で、3人の子ども達の母親です。恐らくは子育て経験者さんとほぼ同じ世代だと思います。

息子さんのこと、ご苦労続きだったと想像しています。
私はアスペルガーの当事者ですが、子どもたちも含め親戚一同似たような人が過半数を占めています。非常に近い血縁者の中には、中学校2年生以来、ずっと登校も就労もアルバイトすら一度もせず、成人した現在まで家の中で過ごしているというサラブレッドもいます。
ですから私は、引きこもっている状態の人を見ても、誰が悪いとか、何に問題があったとか、という受け取り方はほとんどしていません。宿命的に持って生まれた特質が、現在の社会に受け入れられ難いものがあり、それに対し今真剣に苦しんでいる。今は、そういう時期なんだ、と。

私の育った時代は親も教師も社会全体も、発達障がいという概念はなかった時代ですから、何の知識もない社会からの拒絶観な度は、今以上に厳しいものがありました。残念なことに、私の両親も、初めから私の特質を受け入れてくれたわけではありません。欠点だらけの娘の性格を、何とか親の責任で治してあげなければいけない、という信念の元、厳しい躾、折檻も受けました。言葉での叱責に、子どもながら救いようのない屈辱感も感じました。

中学校に入った頃から、私は学校へ行けなくなりました。学校で何があったというわけではなく、次第に体が動かなくなり、部屋から出られなくなったのです。真面目な両親はさぞ驚き、苦しんだことでしょう。そんな状態になった時でもまだしばらくは、両親は私を学校に行かせようとしました。体を鍛えるように促したり、薬を飲ませたり…。それが彼らの愛情だったのです。
とは言え、そんなことで私が元気になるはずはありません。そうこうするうちに私も本当に病気になってしまいました。心と体が一緒に壊れてしまったのです。今で言う心身症ですね。
入退院を繰り返しながら中学の3年間をかけて、少しずつ親子の気持ちが重なり合う時が増え、私は少しずつ親に甘えるということができるようになりました。

さて、親との信頼関係がようやく築けたとは言え、社会性まで同時に身に着いたわけではありません。中学校でろくに勉強をしなかった私は、底辺校と呼ばれる私立高校に入学し、そこから改めて人との付き合い方を学び直したわけです。のんびりした女子校だったお陰で、友人とのトラブルは起こさずに済み、初めて友達と呼べる人達に囲まれる喜びも知りました。

長々と自分のことを書いてしまって済みません。文面から察する限り、子育て経験者さんも、おそらくは私の両親と同じように、悩み、迷い、過去を顧みて後悔しながらも、必死で子どもさんと向き合ってこられた方だと思います。私の親とて、初めから幼い私の心に寄り添うような育て方をしていたわけではありません。本当に迷いながら間違えながら、過ちに気付いて後悔して、それでも何とか子供の将来のためにという気持ちで精一杯の愛情を注いでくれたのです。

>人との関係が上手く築けないのも、引きこもりになってしまったのも、私達はじめとした当事者の親が良い家庭環境を与えられなかったこと、子供を受け入れてあげたと思える環境や状況を与えていなかったことが原因のようですね。

これは一番切なく響きますね。人間関係がうまくいっていない、その事実がお辛いということは百も承知です。私も長い間経験してきたことです。でも「人間関係」というからには、自分と相手の関係上の問題であり、自分だけの問題ではないのです。アスペルガーという特質ゆえに社会で受容されないのだとすれば、それは個人の問題ではなく、社会全体の問題でもあるのです。子育て経験者さんが親としての問題を問われるのだとすれば、息子さんが関係を結べなかった相手の方たちの親御さんにも、同様に問題を問われるべきなのです。子育て経験者さんのような立場にいる人だけが、暗鬱と悩まなくてはならないのは、この問題を社会で共有できていないからなのでしょうね。

一朝一夕に解決できることではありませんが、もし現在の状況を「過去の悪事(?)の結果」として捉えるのではなく、次へ進むための準備期間として捉えることができるのならば、息子さんもご両親も少しは楽になられるのではないかと、、、余計なおせっかいとは重々知りつつ、一筆差し上げたくなった次第です。

たびたびすみません、ガーディナーです。

ちなみに私の3人子供たちの内、2人までが不登校経験者です。いよいよ学校に行けなくなったとき私は「さすが、私の子どもだ!」と秘かに喜びました。発達障がいの子どもが苦しむのは当たり前です。でも苦しむことは悪いことではありません。要は、彼らが安心して苦しめる時間と空間を、私達親がどれほど提供してあげられるか、そこが大切なんだと思います。

>子育て経験者さん

度々失礼します。
もしかしたら、余計悩ませてしまうかもしれませんが、子育て経験者さんのご意見を伺っていて、率直に感じたことを書かせていただきます。

私が息子さんだったら、とっても苦しいなと感じます。

それはご両親の育て方がどうのとか、そんなことではなく、自分が社会から少し外れてしまったことで、一番罪悪感を感じているのは自分自身なのに、さらにお母さんが、自分の育て方が間違っていたのかもしれないと、ご自分を責めている。

こんな苦しいことはありませんよ。
自分の悩みに向き合うだけでなく、お母さんの心配までしなくてはいけない。
お母さんが育て方を間違えたというのは、つまりは息子さんが生き方を間違えたと言っているようなものです。

息子さんの人生は息子さんのものです。親は大きく関わるけど、最終的に責任を取ることはできません。
自分で切り開かなくてはいけないんです。

さらに言えば、挫折のない人生なんて、ないんです。その度に育て方が間違っていたからこんなになってしまったんだと思われたら、たまったものではありません。

息子さんの人生はもう、修復ができないのですか?

私は自分自身、毒親に育てられたので、申し訳ないけど、育て方が悪かったからあなたはこんなになったなどと思われたら、心底怒ります。

親が毒親だろうが、自分の人生は自分で生きる。自分の失敗は自分で取り戻す。例え親がいなくても、どんな育て方をされようと、私の人生に親は口出しする権利はない!と強く思います。

もちろん、親として子供のことを心配する気持ちは、どうすることも出来ないのだということを実感しています。
だからこそ、それは自分の心の弱さとの戦いなのだと思います。

子育て経験者さんは、これまで息子さんに後遺症の残るような大きな病気や怪我をさせることなく、無事に成人させました。
そのことだけで、親の務めは十分に果たしたのだと思います。

後は愚痴でも何でも、息子さんのお話に耳を傾けてあげてください。本当の悩みはなんなのか、言えることがあれば、否定せずに聞いてあげてください。
どんなに苦しい話でも、吐き出せる場がある。そのことが息子さんにとっての最大の救いだと思います。

ここで他の方の例からあれこれ考えていても始まりません。まずは息子さんの意見を直接聞くことが先決ではないでしょうか?
話ができない関係なら、そこをどう近づいていくか。今考えるべきなのはそれに尽きると思います。

ガーディナー様

はじめまして。お返事有難うございます。
事情も知らずに失礼しました。一番理解してほしい親御さんになかなか理解してもらえなかったことは私には想像もできないくらい辛かったのではないかと思います。そして自分で努力を重ねた結果、今があるのですね。
アスペ当事者が上手くいかないのは社会全体の問題なのかは私にはわかりません。
知人や姑をはじめとした親戚からは母親や家庭環境が悪いからだと責められてきました。何より息子からアスペでも家庭環境が良ければ人間関係も上手くいくのは周囲を見ていてもわかる、俺の主治医からも同じことを言われたと責められた時にはものすごく響きました。

子供さんも不登校になられたのですね。私はガーディナーさんのように前向きに考えることはできず、私の育て方を責めることばかり考えていました。
今は息子が安心できる環境を整えてあげて、私達はそっと見守ってあげることが必要なのですね。

あすなろ様

あすなろさんの育った環境でのお話は色々伺っていますが、受け取り方は人によって様々なのですね。
うちの息子は「三つ子の魂百まで。特にアスペ度が高い奴は幼少期の環境で将来も大きく変わる。成人してから治そうとしても手遅れだ。小さい時に家庭環境が良くて、教育や療育もきちんとされていたらアスペ度が高い奴でも適応できる可能性があるんだ。俺の場合は小さい時になんのフォローもなかったから今頃何かしても遅いんだ。あんたら両親や学校のせいで俺の人生は奪われたんだ!殺人した奴と同じ。子育て失敗した罪は何をしても消えない。謝らなくていいから俺の人生を返せ!」と毎日同じことを何回も言われます。
人生を切り開く、やり直すなどの言葉は定型や社会適応できている障害者が前提であり、社会適応できないレベルの障害者にはどうにもならないし、事情が分からない奴の上から目線の心無い言葉だと一蹴りされます。
周囲から責められるより、悩み抜いて育てた息子から責められることで一番こたえているのだと思います。
でもだからと言って、ただでさえでも息子は苦しんでいるのに、自分も同じように苦しんでいたら息子はさらに追い詰めてしまいますよね。自分の育て方が間違えていたと思っていることは息子の生き方が間違っていたと言っているようなものだと言葉にハッとしました。
息子のことは自分でどうするのか見つけていくしかないのですよね。私達にできることは近くで見守ることなのかもしれません。

皆様ありがとうございました。

>子育て経験者さん

そうでしたか。息子さんご本人がお母様にそのように言っているのですね。
他の方から言われたことで、悩んでいらっしゃるのかと思いました。ご本人からの言葉では、考えないわけにはいかない。お辛い状況ですね。失礼しました。

あくまで私の経験ですが、少しでも参考になれば。
まず、他人が親の育て方についてどうこう言うのは、聞き流してください。どんな子育てでも、失敗も成功もない。それを他人についてとやかく言う人は、自分の鬱憤を他人で晴らしているんだと思います。

次に息子さんのお話をどう受け取るかですが……。
お辛いですが、どんなに辛辣でも受け止めるしか無いのだと思います。
そういう私も、母を徹底的に責めたい時期がずっと続いていました。今でも母のことを無性に許せない時期があります。母はただ、知らなかっただけなのですが、子供からしたら親の行動が人生を左右するのですから、許すことはできないのです。

しかし、責めたとしても、親は混乱するだけだということも、よく分かっているのです。私はたまたま別居したあとに気付いたので、母に直接ぶつけずに済んだのですが、同居していたら、息子さんのようなことを言っていたかもしれません。
しかし、それが過去との決別の第一歩なんです。

私はノートやネットのコミュニティに書きなぐりました。それでやっと心が安定してきたのです。おそらく母にぶつけて母が悩んだとしたら、別の罪悪感も抱え込んでしまい、余計に惨めな気持ちになっていたのではないかと、今は思います。

ガーディナーさんがおっしゃるように、時代や社会の流れで、どうしようもない部分がとても大きいのだと思います。

難しいことですが、息子さんの責める言葉を受け止めながら、心では自分を責めないという聞き分けが必要なのかもしれません。

毒親の問題を扱っていらっしゃるカウンセラーの信田先生が、講演会で、息子に酷い躾をしてしまった、どうしたら良いのですか?と質問した父親に対して、一言こう仰ったそうです。

『謝れば良いんじゃないですか?悪いことをしたと思うなら謝れば良いんですよ』

結局過去は変えられない。
今ここから信頼関係を築くこと。それが一番だし、それしかありません。

私も、母にもし私の思いをぶつけたとしたら、どうしてほしいのか?考えてみると、

『知らなかったとはいえ、わかってあげられなくてごめんなさい。辛かったのね』

という一言と、そこから母が私のことを真剣に受け止めてくれることかな?と思います。

残念ながら、母は全く反省どころか、自分は素晴らしい親だったと信じて疑わないので、母と死別するまでこの思いは叶いそうにありませんが。
そんなことに関係なく、私は私の人生を作っていくだけのことです。

息子さんも悩んだ後に、何かのタイミングで道が開けるかもしれませんが、それは本人以外の人が予測することでも、期待することでも無いのだと思います。

子育て経験者様

私も成人してからの引きこもりでした。
若い時(最初の引きこもりの頃)は、息子さんのように母を責め立てていました。
子育てがどう、とかじゃなく、私は摂食障害だったので、食事を与えられそうになると「だからデブになるんだ!食べたくない!食べるくらいなら死にたい!」などと、ただただひどく「あたる」とういうか…後に、それは「甘え直し」だったのだなぁとわかったのですが。
今は年月も経ち、すっかり仲良しです。
お互いを別の人間として認め合った上での仲良しになれたと思っています。
(母子共生から離れられたということです)

私には、あの、母へあたる期間が必要だったのだと思います。「ひたすら受け止めろ!これでも受け止めるか!?これでもか!」と、小さい子がするような愛情の試し行動のように、責め立ててました。

ずっと耐えていた母が、ある日、「そんなに辛いのなら、一緒に死のう」と言われ、強い力で腕をひかれてどこかへ連れていかれそうになり…

その日がきっかけとなり、徐々に母との距離を取れるようになり、自分の足で何とかしようと思い出したんだと思います。
そこまでは、心の距離が近すぎて、「母は私と同じ考えであるべきで、私と同じく苦しむべきだ」みたいな、私が感じる「母と私との境界」が曖昧な状態で、幼児のように、母との一体化を求めていました。

でも、引きこもるまでは、母の前では「良い子、手のかからない子、ワガママ言わない自立した子」だったんですよ。
それは、実は母にちゃんと甘えられていなくて、本当の自分を出せずにいた、でもあの引きこもりでの、甘え直しが、自立への大きな転機になったことは間違いありません。

私の場合の話でしたが、息子さんは優しい子なんですよね? それはとても頑張っていたのかもしれない。
ほんとは小さい時にもっとワガママを言って子供らしく甘えたかったのかもしれない。
今になって、お母さんに甘え直しをしている可能性もありますね。
(反抗期のなかった子供は要注意なんだそうです)

もし甘え直しなら、必要な過程なんだと思います。
(攻撃の態度をとっていてもそれは)べったりと甘える期間があって、それから安心感をしっかり得てからでないと、自立は発達心理学的に難しいと聞いたことがあります。

お辛いとは思いますが、そう、あすなろさんのおっしゃるように、息子さんは「謝ってほしい」のではなく、寄り添ってほしいのだと感じます。
もちろん、お母さんが寄り添う態度をとれば、ひどい拒否の態度をとったりするとも思います。
それを、辛いですが繰り返すことによって、息子さんは心からお母さまを信頼し、心が安定していくのではないかと感じます。
第三者が勝手な意見をすいません。

あすなろさん キキさん

子供の立場だった方からの経験談とても胸が痛くなりました。
あすなろさんはご自分で立ち直ってここまで来られたのですね。親の態度が子供の人生を左右するという言葉は本当にそうだと感じます。
キキさんもずっと自分の感情を表現できずに我慢なさってきたのですね。
子供にとって環境は本当に大事ですね。

息子は小さい時から感情表現はしっかりしていて、親には甘えてくる子でした。
私は息子を受け止めてきました。それでも足りなかったのでしょうかね。わかりません。

ききさんの
>息子さんは謝って欲しいのではなく、寄り添ってほしいのだと感じます
息子からは「共感して話を聞けば良いと思ってるだろう。受け止めれば良いと思っているだろう。俺は今更そんなのはいらない!謝罪なんて意味がない!欲しかったのは皆と上手くやっていくためのアドバイスだ!あんたらはそれに答えてくれなかっただろう!」と私にめがけて物を投げつけられたことがあります。
それは主人が怒って、それからは物は投げつけることはなくなりましたが、言葉では責められます。
最低限の常識は教えてきたつもりですが、友達との付き合い方というところまで深くアドバイスができずにいました。男の子同士の付き合いというのも女の私ではわからず、主人はひとつきあいが得意ではないので、息子にアドバイスしたくてもできない状態でした。
そこを毎日のように何年も責め続けられています。

あすなろさんのおっしゃるように自分のやってきた罪を背負いながら

こんにちは、ガーディナーです。

キキさんのコメントの中の、お母様とのドラマを読んで、私と両親との関係にも何かつながるような気がしました。


先日の私のコメントでは、中学生の頃に赤ちゃん返りを無事果たしたような(そして高校時代には人間関係の問題さえもクリアしてしまったような)印象の書き方をしてしまいましたが、実際には、発達障害の子どもがたった数年間で親子関係や社会適応の諸問題を全て解決できるほど、現実は甘くはありませんよね。

私は問題解決の糸口こそ10代の頃に見い出せましたが、成人してからも長い間発達障がいゆえの苦しみというものからは逃れることが出来ませんでした。
意識の上では両親に深く感謝していながらも、周期的に襲ってくる激しい怒り、幼少期の悪夢にうなされて目覚める夜中の恐怖、見知らぬ親子の睦ましい姿を街で見かけた時の悲しいまでの嫉妬心・・・。結婚してもしばらくは、そんな自分の心との戦いが続いていました。


転機になったのは、私が32歳の夏でした。きっかけは些細なことでした。両親と私と小さかった長女が遊びに出かけることになり、長女にどの靴を履かせて行くか、ということで、私と母が小さな言い争いを起こしました。それが発端となって、気が付いたら部屋は修羅場になっていました。どういうわけか争いが始まった時に急に長女がパタンとお昼寝を始めたので、両親と私は時間をかけて争うことになりました(その時もし長女がグズッたりすれば、きっとそのまま遊びに出かけて、この争いはそれ以上発展せずに収まってしまったと思います)。

私は包丁を持ち出さんばかりの勢いで両親に食らいついていきました。ちょっと普通じゃなかったです。奇声を挙げていたかもしれません。父はたじろぎました。いいわけでもないけれど、少し反論の様な事も言ってました。

反対に母はその時動じませんでした。正面向いて「全部話してちょうだい」と言いました。でも具体的なことはあまり言えませんでした。言葉にならない悔しさ、モヤモヤとした心をモヤモヤとしたまま、ただそのままの形でぶつけました。本当に苦しかった体罰のことをなぜ口にしなかったのかは分かりません。

子ども時代の苦しさを両親に訴えたのは、その時が初めてではありませんでした。それまでにも小出しにいろいろ不満を言ってはいたのです。でもそれまでは、言えた!と感じられませんでした。言っても言っても伝わらない、という思いだけが残りました。だからこそ、この夏にバーンと爆発したのだと思います。

その時の母は本当に動じなく「しっかりと聞きたい」という態度でした。でも肝心の私は具体的なことがなかなか口に出せませんでした。ちょうど長女がお昼寝から目が覚めたということもあり、2時間ぐらいで終わってしまいました。その時母は「きっとまだまだ言い足りないことがあったんだろうけど、本当に辛かったんだね」と言いました。また、私が子育てで疲れ切っている時でしたから「2時間あったら本当は体を休めることもできただろうに、ごめんね」とも言いました。

あの2時間で具体的な何かが伝わったとは思えないのですが、どういうわけか、私はこの時を境に、あれほど苦しかった、怒りや恐怖や嫉妬が襲ってこなくなりました。以来、つきものが落ちたように、過去の呪縛から解き放たれたのです。


母が亡くなって丸3年が経ちました。今頃になって、母のことを思い出す瞬間が増えたような気がします。優しかったし楽しい時間も多くありましたが、最も深い心の奥に鎮座している記憶が、あの32歳の夏の記憶です。
アスペルガーである私は、長い間<愛>というものが分からずにいましたが、多分あの夏の母の姿は愛そのものではなかったか・・・?今さらながら思い返している、この年の瀬です。

子育て経験者様へ、ガーディナーです。


>事情も知らずに失礼しました。

↑いえいえ、こちらこそ。息子さんご自身から向けられた言葉だということを、私も知りませんでした。本当にお辛いことだと思います。多分私の両親も、子育て経験者さんと同じように苦しんだことだと、今さらながら痛感します。


>そして自分で努力を重ねた結果、今があるのですね。

↑あ、それはちょっと違うかも知れません。努力はもちろんしましたが、私が安心して努力できる環境を作ってくれた人たちが、両親をはじめ周りにたくさんいてくれたからこその結果なのです。決して私一人が頑張ったのではありません。


  さて、上にも書きましたように、私の両親も、私からの激しい攻撃を体の芯で受けてくれました。でも今の子育て経験者さんと当時の私の両親とでは、やはり状況が違うと思います。私は当時もう家を出て結婚をして子どももいましたし、曲がりなりにも仕事も持っていました。ですから親子共に閉塞感もなく、両親としてみれば「まあ、ガーディナーもいろいろあったけど、何とか幸せにやっていけてよかったなあ」と比較的のんきに構えていられた頃のことです。障害と言っても、私のアスペ度は低い方だと思います。

 ですから子育て経験者さんに私たちのケースを参考にして頑張って下さい、とはとても言えません。本当にお辛い時は、一時「逃げる」ことも大切かと思います。おせっかいなことを言うようで本当に気が引けるのですが、何か社会資源、例えば保健所とか親の自助会の様なもので、信頼関係が結べそうな機関はあるのでしょうか?
 
 息子さんには「苦しいけれど、同じような境遇にいる人は全国にたくさんいて、その中にはこの苦境を脱した人も少なからずいるんだ」と感じてもらいたいと思います。お母様には、心身ともに楽になれる時間を、ほんのひとときでも良いから持っていただけると良いと、願うばかりです。

 ちなみに私の血族で、中学2年生以来10年近く、一度も就学も就労も、アルバイトすらしたことが無い青年がいますが、彼の場合は自分の苦しみを宿命的なものと受け止めているようです。学問が好きで、自室で勉強したり、パソコンで何か創作しながら生活しています。私などには想像もつかないくらいの絶対的な孤独感の中、父と母に見守られながら、それでも穏やかに毎日を送っています。必ずしも社会復帰とか就労とかに繋がらなくても、平穏に過ごす道はあるんだと、彼の一家を見ていて思います。
 
 こんな話も、何の参考にもならないでしょうけれども、いろいろな受け入れ方がある、ということでお話ししてみました。

子育て経験者様のお話は正当化しているようにしか感じません。
原因があっての結果です。子どもとの接し方に問題があるから今に至っているんです。
社会にも原因はありますが、一番は家庭の問題です。
息子さんは言葉通り、共感や謝罪や気持ちを受け止めてほしいのではなく、アドバイスがほしかったんだと思います。
ただ息子さんの話を聞いて共感してあげれば済むとお思いですか?それはあって当たり前の話です。
息子さんへの肝心なアドバイスがなく、わからないと言うだけだったから、息子さんは怒っているんです。
本当に人生を返せと親に怒っているのでしょう。
コミュニケーション障害がある方が子供を産むなとは言いませんが、少なくとも子育て経験者さんは考えが甘かったとしか言いようがありません。
奪われた時間は元には戻りません。親のせいでもあります。
償いようもない十字架を背負って、息子さんに責められながら残りの人生を過ごす以外にはありません。
親が亡くなった後の生活をどうするかだけ息子さんにアドバイスして下さい。
今せめてできることはそれだけです。

親と子の数だけ、葛藤があるんだなあと感じます。
どの方の体験も、胸にひびきます。

子育て経験者様

私の勝手な意見ですが、読む限り、息子さんの言っていることは『自分で自分の問題に取り組むなんて出来ないよ!どうしたらいいの!助けてよ!』というような叫びに見えます。

アドバイスが本当に欲しいのなら、自ら、ここのような交流の場所で悩みを相談したりもできますし、カウンセリングを受けたいと思うかもしれません。
まだその段階(自分で問題に向き合う段階)に来れてなくて、もがき苦しんでいるように聞こえます。

そこで、どうしたらいいか、ということが助言できないのが申し訳ないのですが…

私もガーディナーさんたちと同じように、「発達障害」という概念が日本に入ってきていない時代に問題行動を起こしていた人間で、ネットもない時代でしたから、私の場合は精神科医を受診し、カウンセリングを受けたい、と思ったのが第一歩でした。
他にも宗教を信じれば救われるのかと思ってキリスト教の教会に通って聖書を勉強してみたり、故鈴木その子さんが拒食症の息子さんを自殺で失ってから編み出したダイエット法をやってみたり、と、思いつけば何でもかんでも手を出していました。
(母は、カウンセリングも受けさせてくれたし、連れていってくれたし、教会にも一緒に通ってくれたり、鈴木その子流の食事を作ってくれたり、まあ本当によくやってくれたものです。いま、改めて思い出します)

子育て経験者様がダウンしてしまってはいけないので、ガーディナーさんのおっしゃるように、どこか頼れる機関を見つけられたら良いのですが…。

あと、息子さんは子供の頃、甘えてくるお子様だったようですね。
私が荒れた頃、母に「もっと可愛がってほしかった。他の兄弟は可愛がったくせに!」みたいなことを言っていた頃、「皆同じように愛情持って育てたつもりなんだけどねえ…」と母は言っていました。
私の愛情希求度が、人より高すぎたのかどうかわかりませんが…。

絶望の中におられる子育て経験者様に、何も良いアドバイスができないのですが、どうぞお身体を大事になさってください。
(私は母を一時期失声症にさせ、父を一時期男性機能不能にさせてしまった罪深い娘です)

世間の方々はサロマさんのように思うのでしょうね。実際に周りからも似たようなことは言われてきました。
うちの息子のアスペ度はかなり酷い方だと思います。だからこそキキさんやサロマさんのおっしゃるように息子は「自分だけでは問題に取り組めないから助けてほしい」と訴えているのだと思います。しかし私もどうして良いのかわかりません。
子供を育てることを甘く考えた結果なのかもしれませんね。

キキさんやガーディナーさん、あすなろさん達も、普通以上の苦しみや心無い仕打ちも受けてきて、それでも前に向かって進んで今があるのですね。息子はと重なる部分もあり、私も胸が痛い思いです。
キキさん、自分が親御さんを追い詰めたとご自身を責めないでくださいね。

私達のために親身になってくださっているのに、こんな文章しか書けなくて申し訳ありません。
皆様ありがとうございました。

>子育て経験者さんへ

息子さんは言葉と裏腹に、お母さまに後悔は望んでいないと思いますよ。
何度も書きますが、私は母を許さないけど、母が後悔したとしたら、それは余計に惨めです。

必要なのは後悔ではなく、これからの関係性です。

ただ、今の息子さんの言葉をまともに受けるのは本当につらいと思います。

ぜひ、ご家族で抱え込まずに、外部に相談されてください。

私の知り合いで、シングルで発達障害の息子さんを育てている方が、息子さんが大きくなって喧嘩が絶えなくなり、悩んでいらっしゃいました。
特別支援に明るい先生にカウンセリングを受けるところまで、なんとか漕ぎ着けたところ、今まで自暴自棄だった息子さんが、非常に前向きになったそうです。

親以外に、頼れる人、自分を理解してくれる人を探していたんですよね。その方の息子さんは、誰にも助けてもらえなくて苦しんでいたのでしょう。

この役目は、親には出来ないんです。
子供は親元を離れて社会に出て行きたいという本能があります。だからこそ、親が目標になってはいけないんだと思います。

息子さんの言葉をまともに受けて後悔する前に、ぜひ専門家を探してみてください。助けてくれる人を探してきてくれ!それが息子さんの叫びではないかと、私は思います。

追記

最近、詐欺まがいの支援者も多くなっていますので、公的な機関か、発達障害の知識を持った人を厳選してくださいね。
そのためには、広告などに踊らされずに、自助グループや、親や当事者の会などの情報を広く集めてください。

こんばんは、ガーディナーです。

あすなろさんのコメントを読み、ずいぶん昔に読んだ不登校支援者(名前は忘れてしまいました)の著書を思い出しました。以下は私の記憶に基づく著者の講演録です。

*****

子どもさんが不登校になった時、ほぼほとんどのお母さんが孤立無援の状態になります。どこに行っても、誰に頼っても、結局自分が責められることに変わりがないという状況にまで追い込まれていくのです。
そうやってしばらく一人で苦しみぬいた後、お母さんは、自分の目の前にいる子どもこそが、実は誰よりも孤独の中にいて絶望しているのだ、ということに気が付きます。そこで「苦しんでいるのは私だけではない。私はこれから、私以上に苦しい思いをしているこの子と一緒に歩んでいこう。この子と一緒に成長すればいいんだ」と決心します。そうすることで、母親は強く前向きに問題に向き合えるような気になるのですね。
でもね、お母さんがた、ここでもう一度考え直して欲しいんです。そうやって「このこと一緒に歩んでいきたい」と思うことが、さらにお子さんを苦しめてしまうんですよ。
なぜならば、お子さんは今、いかに自立しようかという問題に直面しているんです。なぜ自分だけが、親から離れられずにいるのか、という問題に、深刻に悩んでいるのですよ。そんな時に「お母さんと一緒に歩んでいきたい」「お母さんと一緒に成長したい」だなんて思っている子どもはいません。

*****

20年以上も前の講演録ですから、社会資源とか、問題の扱われ方にはずいぶん今とはギャップがあると思いますが、母親と子供の心境のズレの様なものは、今にも通ずる問題がありそうですね。
もう著者の名前すら忘れてしまった本のことですが、今日あすなろさんのコメントを読み、久し振りに思い出してしまいました。

遅くなりました。皆さまありがとうございます。
発達障害センターや最寄りの支援センターなどにも相談には行ったのですが、息子は一度行ったきり行かなくなりました。
「俺が社会適応できなければ行っても何の意味もない。俺は支援を受けるために行くわけじゃない。相談を受けても社会適応できるようになる術が見つかるわけじゃない」と言います。
どこに行ってもお母さんが寄り添ってあげてください、もしくはお母さんの育て方が悪かったんですねと遠回しに言われるだけでした。
多少の共感はあっても、息子が自立できるようにアドバイスしてくれる機関がないのです。
自助会に行っても傷の舐め合いばかりで、息子が自立できるようになる方法が見つかるわけではありませんでした。
あすなろさんのおっしゃるように必要なのはこれからの関係性なのかもしれませんが、息子は過去の話を持ち出して「今からの関係性なんていらない。子供の育て方について後悔している親も論外だが、後悔していないあんたはもっと最低だ」と物を投げてきました。

どうしていいのかわかりません。

>子育て経験者さんへ

息子さんは混乱の中にいらっしゃるんですね。
差し伸べられた手を受け取るには、相当時間が掛かるのかもしれませんし、こればかりはご本人にしか分からないのでしょう。
むしろ、お母さんの精神が参ってしまうことが心配です。

こんな記事がありました。↓

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51328?page=4

最初のページから読む前に、まずこのページの、因果論では何も解決しないというところを読んでいただきたくて紹介しました。
息子さんとの関係は、息子さんが自分から心を開くまで、解決の糸口は見えないのかもしれませんが、その前にお母さんがご自分を守るためにどうしたら良いのかを考えなくてはいけないと思います。

一般には、無責任なことを言うカウンセラーが、あまりにも多くて憤りを覚えます。
しかし、↑の記事のようなことが、親子関係の正常化には唯一の解決策なのではないかと、私は思います。
なので、まずはお母さんご自身の支援という視点で探してみてはいかがでしょうか?

私には、どこかで良い支援者に出会えますように、と祈ることしか出来ませんが、無責任な人たちの言葉に惑わされないで、諦めずに探し続けていただきたいなと思います。

あすなろさん
記事は拝見しましたが、子育ての因果論は大きいと思います。
Katzさんのように育った環境が良くて適応できた方もいらっしゃるようですし、パンダさんやサロマさんも家庭環境によって適応状態も変わるとのお話もありましたから。
サロマさんや息子の言うように私は子育てを失敗しました。

私の話で勘の良い方はお気づきかもしれませんが、実は息子を見ていただいた先生から私自身がアスペだと言われました。大変ショックでした。
私がアスペで一般とずれているから息子にアドバイスしてもアドバイス自体がおかしいからうまくいかないんだと言われました。
Katzさんのお話を先生にしたら、パンダさんと同じことをおっしゃっていました。
パンダさんは私の育て方に問題があるとはおっしゃっていませんが、先生からは手本である親自体がずれていたのだから仕方ない、でも大人になってから気づいても遅いと言われました。

どんなに支援の方が良くても、息子が支援の拒否をすれば、支援の方も対応ができません。あすなろさんのおっしゃるように息子がその気にならないとどうにもならないですね。
同じ発達障害の息子さんを持つお母様から、子供には親の死後は何かあったら生活保護を申請するように言われました。
私も疲れました。限界です。あすなろさんのアドバイスどおり、今は息子から離れて自分の身を守ることに専念します。

>子育て経験者さん

>今は息子から離れて自分の身を守ることに専念します

はい、ぜひそうしてください!そこからしか始まらないと思います。
最近、私が気付いたのは、親は子供に恨まれてナンボのものかな?ということです。
うちの末娘は、気性が激しく色々なことに巻き込まれやすいタチです。
リストカットをしたり、犯罪まがいのことに巻き込まれたり、心配が絶えません。
私がアレコレうるさく言い過ぎたために、『狼が来た!』状態で、今度は自分の行動を隠すようになってしまい……。
はっきり言えば、私の躾の仕方をもっと工夫していれば、親の言うことをまじめに聞くようになっていたでしょう。
私の責任は重いと思います。
しかし、逆に上手に娘の行動をコントロールできる親だったとしたら?それだけの気性を押さえ込んで親の言うことを忠実に守る娘になっていたら?
それもまた、罪の重いことだと感じます。
娘の人生に私は口出しできないけど、私の影響は大きい。
親というのは、どんな親でも深い罪を背負っているんじゃないかと。
子供がそれを『ありがたい』と言ったとしても、『お前のせいで!』と言ったとしても状況は変わらないし、その子がどう感じるかの違いではないんじゃないかと。
私は母を憎んでいますが、それは私がより良く生きるための一つの過程で、憎むことのできる親がいることは、有り難い状況なんじゃないかと、そんな風に思うようになりました。

上の娘は完全に私のことを嫌っていますし。
嫌いな私に対する反抗心から自立が早かったです。

目の前で苦しみ、恨みつらみをぶつけてくる子供の姿に、心が折れそうになりながら耐えなくてはいけない。
それが親の最大の試練なんじゃないかと、思っています。

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