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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2017年12月24日 (日)

猫は痛みを伝えない

 いよいよ暮れもおしつまってきました。早いものです。

 家の猫が、ここしばらくなんとなく足を引きずるような歩き方をしていたので、最初は足をくじくか何かで痛めたのかなと思ったのですが、いつまでも治らないので、もう年なので関節が悪くなったとか、そんなことなのかな?とか、そんなことを思っていたのですね。

 そうしたらしばらくぶりに帰ってきた子どもが猫を抱いているうちに、脚の爪を見て、爪とぎができてないんじゃないかと言い始めました。そして爪が伸びすぎて肉球に刺さってきていることを見つけたのです。

 それから猫に文句を言われながら(?)、爪を切ってやったというわけです。

 今朝、歩いている猫を見て、しみじみと「ああ、猫って痛みを表現しないんだなあ」と思いました。考えてみればあたりまえのことなんですけどね。改めてそう思いました。

 人は痛いときは顔をしかめます。別に痛みを人に表現しようとしているわけでも、何かを訴えようとしているわけでもありません。でもその表情を見れば、周りの人は「その人は苦しがっている」と理解します。別に意図してそうしているわけじゃないんだけど、結果としてそれは「人に自分の痛みを伝える」という働きを持っているということになります。

 別にその顔をしたから痛みが消えるわけでも何でもないですし、その表情には自分の中での実用的な働きはなさそうです。とすると少なくともそのメインの役割は「周りの人に自分の痛みを伝える」ということでしょう。だからその表情を見ると、周りは「なんとかしなきゃならない状態」と感じ取ることになります。

 そう感じたうえで、実際にどう対応するかは状況や人によって様々です。「どうしたの?」と話しかけて手助けしようとする人もいれば、面倒だと思って離れていく人もいるでしょう。相手が親しい人なら手助けすることが多いでしょうし、知らない人なら離れていく人が多くなるでしょう。また手助けを考えたとしても、ほかに手助けする人が居たり、すべき人が居たりすればその人に譲って自分は見守るかもしれません。

 そんなふうに痛みの「表情」というのは、自分自身にとってはあんまり意味がないけれど、ほかの人に大きな影響を与え、波紋を広げ、ほかの人を突き動かして事態を変えていく力を持っていることになります。その結果として、自分を助けてくれる人が出てくれば、その時初めてその痛みの表現は自分にとって意味のあるものになります。

 猫は独立独歩の生き方が強いですから、「お互いに協力し合う」ような姿はあまり見られません。自分のことは自分で解決するし、しなければならないのです。そういう猫の人生、いや猫生(笑)にとって、痛みの「表情」は無駄なものです。今回はおせっかいな人間がその痛みの原因を取り除いてくれましたが、そんなことは猫自身は知ったことではなく、爪を切られるときには怒り続け、そのあと痛みが減っただろうに、感謝の気持ちを表すなどということもありません。それが独立独歩の猫的生き方なのだろうということにもなります。

 

 独立独歩の人生観を作っていく、という点ではアスペの方たちもそういう傾向がより強いわけですよね。風邪をひいて寝込んでいるときも、薬を飲むといった手立ては必要ですが、基本的には自分の力で治すしかない、という考え方をされる方が多い。定型は「病は気から」という言葉がありますし、そしてその「気(持ち)」は他の人の働きかけによって変わりますから、ほかの人の働きかけ(なぐさめなど)によって気分が変わると、病にも対抗しやすくなるという感じがある(そんなこといちいち意識しているわけではないですが)。まあたぶん免疫力もそれでアップしているはずです。

 ここでアスペの方が持ちやすい「独立独歩」型の人生観や生き方のスタイルと、定型の方が持ちやすい「頼りあい」型の人生観や生き方のスタイルを考えてみることができそうです。もちろん「独立独歩」か「頼りあい」かはこれもスペクトラムで、完全にどちらか一つということはないし、アスペの方でも「頼りあい」の姿勢が比較的強い人もいるし、「独立独歩」の姿勢が強力な人もいるし、定型も同じようにそのレベルはさまざまでしょう。一人の人もその両方の要素を持っていて、ただバランスとかどの面でそれを発揮するかに個性的な違いがある。

 ただ、そういう細かいことはとりあえずおいておいて、でも大きな傾向としてはアスペ=「独立独歩」型、定型=「頼りあい」型という両極を考えてみると、人がみんなその両極の間のどちらにより傾いているか、ということでわかりやすくなる部分がありそうです。

 

 さて、そうだとして、独立独歩ということではアスペの人生観と猫の生き方には共通するものが感じられます。でも実際にはものすごい違いがあって、その違いが定型アスペ問題を生む大きな要因になっていると考えられます。

 それは何かというと、アスペの方も、基本的な体のつくりは定型と共通していて、痛みなどの自分の状態が表情などによって現れる、というところは一緒なわけです。そしてその表情を見て、周りの人が影響され、反応してしまう。つまり「頼りあい」の関係をそこから作り出すきっかけを無意識に生むわけですね。

 ところが私のパートナーがそのタイプですが、その表情が相手に及ぼす影響、ということはあまり意識しない。これまでも何度か書いたように、たとえば相談事を持ちかけたとき、彼女は「どうしたらいいだろう?」と自分の中で考え込み、戸惑い、それが「苦しそうな表情」として現れます。その表情は定型的に見れば「なんで私をこんなに苦しめるの?」という「非難の表現」に見えたり、時には攻撃的な表現に見えたりするのですけれど、彼女にはまったくそういう表現の意図はありません(そのことを私がある程度納得するまでにものすごく時間がかかりました。今も反射的にはそうなれません)。そこで定型との間にトラブルが起こるのです。

 定型は「頼りあい」型の生き方を成長させていきますから、そこでは相手の表情の読み取りも大事になるし、自分も表情によって表現する力を育てることが必要になる。そこでは自分の表情は、相手への表現になるんだ、ということが大前提になっていて、だから表現の仕方にはとても気を遣うことになるわけです。「表情」=「表現」という関係はもう何も考えるまでもなく当然のこととして定型は全く疑いもなくそう思っている。

 ところがアスペの方の場合、体の仕組みとしては無意識に自然に表情を作るわけで、そこは猫とは全く違うわけです。ところがその表情を「相手への表現」として理解するということが少ない。だから自分の表情が相手にどういう影響を与えるか、ということを考えずに素直に自分の状態が表情に現れることになります。定型がそこで半ば無意識に表情をコントロールして相手との「頼りあい」をうまくやろうと工夫するような、その部分がとても薄くなるわけですね。

 そこでこの「表情」のほとんど無意識のレベルで成り立つ「理解」のところで定型アスペ間でものすごいずれが起こります。定型はそれを相手への「表現」と理解してその後の対応が決まる。ところがアスペは自分の「表情」と理解されてそこに相手のことは入ってこない。そしてその「表情」をめぐってお互いの誤解が生まれ、その後のやりとりがちんぷんかんぷんになっていく。お互いに相手の反応がなんのことかわからなくなる。そして混乱が生まれ、お互いに傷ついていったりする。

 猫と定型を両極において考えると、猫は表情もないし表現の読み取りもしない「表情×」&「表現×」の傾向が強く、アスペは表情はあるけど表現としては理解しない「表情〇」&「表現×」の傾向が強く、そして定型は表情もあって表現としても読み取る「表情〇」&「表現〇」の傾向が強い。そんな風に理解ができるかもしれません。

 人間の世の中は、だれしも、そしてどこでもつねに「独立独歩」と「頼りあい」の両方が必要です。その両方がうまくかみ合ったときに人も世の中全体も一番うまく回るようになる。ただし、ほかの動物と比べてみれば、人間は「頼りあい」の部分をものすごく進歩させてきたとも言えるので、世の中の仕組みの中でその部分が閉めるウェイトが大きくなっています。そして定型はそこがある意味得意な人々なのですね。だから定型はこの世の中で主流になりやすく、それが苦手なアスペは傍流として「障がい」と言われたりすることになる。

 人の世の中は「頼りあい」を進めるために表情を表現として理解する、という「頼りあい」型の人間関係をものすごく発達させています。そして自分の表情が相手に及ぼす影響を考えながら相手との関係をうまく作ろうとする。そこに衝突を避けるために「ストレートに表さない」という「クッション」の工夫も複雑に作られていくことになります。だからクッションを使わずにストレートに表すことが多いアスペの方はその中でうまくいかなくなり、「クッションを使わない」ということで「掟破りの人間」とみなされてみんなから袋叩きの目にあったりする。

 アスペ的人生観からすればそれはとんでもないことになります。自分の思ったことをすなおに表情に表すという「正直」な生き方をしているのに、定型は常に裏がある。嘘をつく。正直に話をしない。人をだます。そして正直に生きようとする自分をみんなでよってたかって攻撃し、排除する。そうしておいて、自分のことを「人の事を考えない、思いやりのないやつだ」などと言う。……アスペの方にそんな風に定型の世の中が見えたとしても、まあ当然かなと言う気もします。

 定型的には「クッション」は相手への配慮だったり思いやりだったり、お互いの関係をよくするための工夫です。ところがアスペ的にはそれは不正直なことで相手に嘘をつくことであり、関係を悪くするものになります。だからお互いに信頼関係が作りにくく、相手への不信感が募りやすくなる。

 その大元の一つが、たぶん表情はするが表現とは見ないアスペ的な傾向と、表情を表現として見て関係を作る定型的な傾向の差なのではないでしょうか。それがアスペ的人生観や「独立独歩」型の生き方を作ったり、定型的人生観や「頼りあい」型の生き方に結びついていく。そしてその異なる人生観の間のぶつかり合いを繰り返すことにもなる。

 もちろん、クッションは実際にお互いの衝突を減らす役割を持っていますから、「助け合い」型の関係を作っていく上では有利に働くことが多い。アスペ的な生き方はそのようなクッションが少ないので、どうしてもぶつかり合いが生まれやすくなる。だからアスペ同士ならうまくいくかと言えば、決してそうは言えないという結果になる。アスペ的な生き方から生まれやすいクッションは相手と「距離をとる」ことです。そして人との関係で安定するのではなく、自分の世界の中で安定する、という方向に向かうことが多くなる。

 まあ、「積極奇異型」とかいうめちゃくちゃな名前が付けられている(ほんとにどういう人がこういうめちゃくちゃなネーミングを思いついたんでしょう?その人の方がよほど「奇異」に思えます)、より人とのかかわりを求めるタイプの方だと、そこはまたちょっと違う工夫を積み重ねられているんでしょうね。そのあたりがどういうことかも興味深いです。

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コメント

こんにちは^_^

そういえば、息子の小さい時、療育で「感情カード」というものを使っていました。
怒りの顔、うれしい顔、いやな顔、悲しい顔、などが簡単にイラスト化されていて、「いまの自分の気持ちはどれ?」などと聞くためです。
そう考えれば、小さい時はもっと表情を作るのが下手だったかもしれません。
プラス、「相手がこの顔をしていたら、怒ってるんだよ、うれしいんだよ、悲しいんだよ」とも教えたような気がします。もう忘れましたが…^_^;

しかしぱんださんの考察、
「猫と定型を両極において考えると、猫は表情もないし表現の読み取りもしない「表情×」&「表現×」の傾向が強く、アスペは表情はあるけど表現としては理解しない「表情〇」&「表現×」の傾向が強く、そして定型は表情もあって表現としても読み取る「表情〇」&「表現〇」の傾向が強い。」
…またまたアスペ認定されそうですね(笑)

理屈立てて考えるタイプだからと思いますが、他にも、ぱんださんがお母様の顔色を常に伺って、ちゃんと読まねば、というストレスのある生育歴も、表情に関しては人より敏感なのかもしれませんね。

私は昔から、あまり知らない人からは「黙ってると怖い。近寄りがたい」と言われてきました。
何にも意図はないんですが、たまたま考えごとをしていたとかでしょうね。
だから今は、あんまりムッツリな顔にならないように、笑顔とはいかなくても普通な顔にするよう努力してます。
すると、『空気読めない抜けたヤツ』と見えるようで、なかなか表情って面白いですよねー。
ま、怖いと思われたり、敵意があると思われるより、「抜けたヤツ」のほうが得ですけどね!

猫ちゃんの話になると、つい反応してしまう猫好きの私です^_^
たまらんわあ、猫ちゃん!

キキさん

> ま、怖いと思われたり、敵意があると思われるより、「抜けたヤツ」のほうが得ですけどね!

 うーん、なるほど~。「抜けたヤツ」という切り抜け方はかなり有効そうですね!(笑)
 「天然ちゃん」とかも愛されキャラになりますよね。
 キキさんが狙ってそうされたのかどうかはわかりませんけど、それも一種の「クッション」になるんだなあと思いました。 

 うーん、なるほど~。 これは面白い!

> たまらんわあ、猫ちゃん!

 猫 →ジジ(魔女の宅急便) → キキ!

 もしかしてキキの由来はこのあたりとか?

キキさん

それにしても

> より人とのかかわりを求めるタイプの方だと、そこはまたちょっと違う工夫を積み重ねられているんでしょうね。そのあたりがどういうことかも興味深いです。

と書いたときに、実はキキさんをイメージしてたんですけど、伝わってました?そして実際ばっちりの答えがすぐに帰ってきたわけですし、意図してなのかどうかはわかりませんけど、キキさんの反応の力もたいしたもんだ(笑)

それにしても

> …またまたアスペ認定されそうですね(笑)

なんでじゃ?(笑)

ぱんださん

> 猫 →ジジ(魔女の宅急便) → キキ!

 もしかしてキキの由来はこのあたりとか?

すごーい!その通りです!
気づく人いないと思ってましたが、さすがですねー^_^

>実はキキさんをイメージしてたんですけど、伝わってました?

いえ、全然わかってませんでしたー(笑)
でも結果的に、反応したということは、無意識の部分で何か感じたのかなあ?
そういうことにしときましょう(笑)

風邪の話で思い出しましたが、アスペの方の場合は自分のことを表現をしたら余計に責められたり、怒られたり、ひどいと虐待やいじめを受けるから、表現せずに全て一人で抱え込んできているという方がしっくり来るように感じます。
誰だって一人では生きていけません。特に辛い時には人に頼ったり、甘えたいと思うものです。周りからうるさく言われたり、怒られたりして萎縮するくらいなら、風邪の時でも一人の方が心地いいと思うようになったのだと感じます。
アスペ否定派のご意見の中には、虐げられて生きてきたから、人として感じる当たり前の感情すら感じなくなった(感情を感じる機能が壊れて人間らしさがなくなった)というのもありますが、親や定型社会がアスペの方ときちんと向き合っていれば、違っていたように感じます。

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