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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2017年9月

2017年9月15日 (金)

答えはもう出ている?

 あることについてパートナーが感じていること、考えていることについて、理解できるように努力をしたいと話をしたら、とてもがっくりした感じで、これまであれだけ言い続けてきたのに無駄だったのか、みたいなことを言われました。

 そうなんですよね。わかんないわけです。いくら説明されても。アスペが定型の言うことを理解するのがむつかしいように、定型もアスペの言うことがわからない。それぞれ自分のことはちゃんと相手に説明しているように思っているんだけど、それが全然伝わらないわけです。で、なぜ伝わらないのかもわからない。

 今回のやりとりで言えば、彼女がこれまで一生懸命説明しようとしてきたことが私にはわかってないわけですし、逆に彼女は、「私にはわからないんだから改めて<わからない>ことを前提にわかる努力をしたい」という私の気持ちがわからないのですね。「わからない」というところだけでショックを受けている(ように見える)。

 
 ということで、たぶんお互いに相手の言葉の中に、実はもう答えがあるんです。ただ、それが答えだということにお互いに気づけない。なぜそれが答えになるのかも理解できない。そういう状態なわけですね。

 だから少しずつ理解が進む中で、私も「ああ、あのことの意味はこういうことだったのか!」とようやく後から実感としてもわかるようなことが時々あります。「答えはそこにあったのか!」という感じですね。

 見ても見えていない、聞いても聞こえていない。定型アスペのコミュニケーションはそういうことがたくさん起こっているのだと思います。もちろん定型間でもそういうことは起こりがちですが、そのレベルが全然違うのでしょう。

 だから、そういうことを前提に、少しでも見えるように、聞こえるように工夫を積み重ねていくしかないのだと思います。

2017年9月 6日 (水)

つながり方のスイッチ

 昔、中学生とかが荒れていたころだったか、学校で「おはよう運動(?)」みたいのが始まったというようなニュースを何度か見たことがありました。校門で学校の先生が生徒一人一人におはようとか声をかけたりするやつです。

 当時は、何の意味があるんだ、と、なんだかばかばかしい感じで見ていたんですが、自分自身が日常的に朝の挨拶の有無に違和感を感じる状態が続くと、さすがに、なるほどなあと感じる部分も出てきます。

 ここではこの「おはよう」という挨拶は、相手のその日の状態を知る手がかりだ、という話をしてきたのですが、もう一つは単純に相手との気持ちのやりとりのスイッチになる、ということがあるんだと思えてきたわけです。

 夜寝ているときは他の人とも、もっと言えば周りの状況とも、関係をほとんど断って「死んだように(笑)」寝ています。で、目が覚めると、自分が寝ている部屋の状態とか、周りの音とかに気づいて、そういう周りの世界を意識しながら起き上がったり、顔を洗ったり、ご飯を食べたりするわけです。

 まあたとえ話で言えば、死んでる状態から、周りの世界とコミュニケーションをして(意識しながら働きかけたりすること)、活動する生きた状態に入るわけですね。

 で、そこに人がいると、今度は人を意識してその人(たち)とコミュニケーションしながら生活する態勢に入ります。人の間で生きて活躍する状態に入るわけです。あるいは寝る前の状態から言えばそこに「戻る」と言ってもいいかも。

 朝の挨拶は、そういう人の間で生きる状態に入るための、スイッチの一つになるのだ、と考えると、ちょっとわかりやすいなと思ったわけです。

 会社の朝礼などで、場所によっては大声で挨拶をさせるようなところもありますが、あれもそうやってみんなを一斉に一種の活動状態に入れて仕事をさせるためのスイッチなわけですね。気合を入れるとか、そんな言い方もあるのかも。私はそういうのは苦手ですが、まあその会社にとっては効果があるからやっているんでしょう。

 もちろんそんなことをしない会社とか場所だってあるわけです。やり方だって声を張り上げてやらせるようなところもあれば、簡単にあっさりのところもあれば、いろいろです。そこにその会社の「雰囲気」の違いが表れています。

 逆に言えばその挨拶のあるなしや、やり方の違いは、その会社の雰囲気を変える結構大きなポイントの一つになっているということになります。社員間でどんな態度でやりとりして、どんな雰囲気で一緒に仕事をしていくか、その基本的な方向性がそれで作られる。

 だから、人によってその社のやり方があっている人もいるし、合わない人も出てきます。個人的にどういうやりとりの仕方、人とのつながり方が心地よいかと言う、そのパターンが違うからですね。

 もちろん挨拶だけがそのスイッチになるわけではないですが、そこにお互いにどんなつながりを作っていきたいか、というその人の態度が現れるものの一つではあるわけです。

 だから挨拶の有無ややり方で違和感がある状態と言うのは、どういうつながり方が心地よいか、どういうつながり方を求めているか、という感覚の違いがそこにあるということなのでしょう。

 求めている心地よさの感覚がずれているということですね。

 

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