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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2017年8月 3日 (木)

あきらめと尊重

 おいしいお菓子があったので、パートナーにも食べてほしくて渡しておいたのですが、そのあとなくなっていたので食べたのだろうと思います。

 定型的には多くの場合はここで「おいしかったでしょう?」などと言って「一緒に喜びを語り合い、楽しみを共有する」ことが自然で、大事な展開パターンの一つになるのですが、彼女に対してはそれはしないほうがいいのかな、と思うようになってきて、していません。

 かなり前から私はそういう「共感を求める」ようなかかわりを彼女に対してやらなくなってきていたのですが、それはどちらかというと「あきらめ」の感覚でした。どうせ拒否されるんだからとか、言っても意味がないからとか、そんな感じですね。

 そこは今少し変化が起こりつつあるように感じます。あきらめではなく、尊重という感覚が少し生まれつつある気がするからです。

 共感を求めないということは、共感を大事にしたい自分の感覚を抑圧することですし、それ自体大変に苦しいことなので(人生の意味を半分以上否定されたような感覚になります)、「あきらめ」の形でしか対応できなかったのでしょうが、彼女の価値観、世界観が前より少しリアルに見えてくるようになったことで、そこに変化が起こりつつあるのかなと思ったりします。

 もしかするとこの感覚、自閉のお子さんを育てる親御さんの直面する感覚にもつながるのかもしれません。定型的に共感的なかかわりをしようとしても、子どもの方からそれを避けられ続ける。だからあきらめて距離を置いてみるしかなくなる。そしてそのうえで新たに子どもとのつながり方を考え直さなければならなくなる。そんな展開とも共通するものがありそうです。

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コメント

お菓子つながりで、なるほどなーということがあったので、お話します。

家族がみんな好きなお菓子を買っておいたんですね。人数分以上入っていたのですが。
子供たちは発見次第、好きな時に食べ始めた。一番下の娘など、夏休みで一番家にいる時間が長いので、毎日一つ食べてしまったら、あっという間に無くなってしまった。
夫が、空になった箱を見て、『あるなら、言ってくれれば良いのに!俺の分はいつも無いんだな!(←子供か!!)』と嫌味を言った。
それを聞いて、娘だけじゃなく、みんな食べてしまったことを責められたみたいで、気分が悪くなりました。
面倒なやつだな!と思いつつ、子供たちが嫌味を言われるのも忍びないので、また同じものを買っておいたんですが、私は気付かない方が悪いとばかりにそのままにしておきました。
すると、息子が、夫の目の前に持って行って、『ほら、また新しく買ってあるから、今のうちにどれがいいのか選んでおきなよ!そうじゃなくちゃまた食べられちゃうぞ!』と子供を諭すように言ったそうです。後で『言っておいたから!』と言うので、『子供じゃないんだから、そこまでしなくちゃいけないの?』と言うと、『俺はやってほしいことがあるなら、はっきり言う性格なんだよ!陰でグチグチ言ってるのは嫌いだ!』と言いました。
定型の中には、そういうストレートなことを言うとバカにしているように取る人もいるし、お菓子が無くなっていたことを、自分がどれほど重要視されているかということの証明に使おうとする人もいますが、夫は単に気付かなかっただけで、気付いたら無くなっていたのが残念なだけだったんでしょうね。
息子はみんなに、『お父さんは○○を食べたいそうだから、残しておけよ!』と言っていました。

理屈じゃなくて、出来ることはやる。
それだけなんだなあと息子に教わった次第ですが、やっぱり気持ち的には『なんでいちいち嫌味っぽく言うのかな?』という思いが消えない私です。

パンダさん

わかりますー。私は感想を聞かれたら、「美味しかった」と、食べてなくても、美味しく感じなくても、自動的に褒めます…(^^;
いや、褒められることを求めてるんじゃないんですよね、共感を求められてるんですよね。
だから、ウソをつきたくない私としては、「尊重」してもらえると有難いかもしれません。

ちなみに自分からは人にオススメすることは殆どないです。
自分の味覚に自信がない。
だから、あげるとすれば、「有名どころ」とか「人気らしい」とか、そんなものになっちゃいます。


あすなろさん

あはは〜、あすなろ家あるあるですねー。
息子さんの行動、私もします。
私の父がアスペ間違いなし!なので、昔からフォロー入れてました。
だってその方が確実だし、嫌な言葉聞かなくて済むし。
旦那さまの言葉は、「嫌味」じゃなくて、「ごくごくストレート」に私には聞こえました。違ったらごめんなさい。

でもまたちゃんと皆の好きなお菓子を揃えてあげるあすなろさんは、やっぱり優しい!!

 その言葉が嫌味に聞こえない、ということはすごいことですね!

 あらためて言葉を理解する枠組みがすごく違うんだな、ということを思いました。「相手がその言葉をどう受け取るか」という点に注目しながら言えば嫌味になる。でも自分の思いをすなおに表現するということなら嫌味にはならないわけですね。

 定型の場合はもう自動的に相手の受け取り方を計算しながら言葉を言うので、人の言葉もそういう枠組みで言われているものと思い込んでいます。で、定型同士のやりとりではそれでスムーズに事が運ぶことが多い。もちろん読みが浅いと責められることも、読み違いが起こることもあるわけですが、いつもの暮らしのレベルではそれほど頻繁には大きなずれは生まれない。

 そこに違うことばの理解の枠組みで会話をするアスペが入ると、定型のそのパターンが崩れてしまうので、定型から責められる、ということが起こるわけですね。で、そのとき定型は自分たちのやり方以外のやりかたがあるなんて想像もしていないから、自分たちがそういうやりとりで失敗するときのことで考えて、「読みが浅い」とか「不注意だ」とか、あるいは「わざと攻撃しているんだろう」とか、そんな形でアスペを非難することになる。

 アスペ的には素直な表現が定型を傷つけるとか、あるいは定型的なやりとりを崩すということがピンとこないから、非難されてもなぜそんな言われ方をするのかが理解できずに苦しい思いをする。そして場合によって激しい逆襲になる。

 お互いに相手のことがわかってないから、相手を攻撃して自分を守ろうとする、ということに進むんでしょう。

>キキさん

>旦那さまの言葉は、「嫌味」じゃなくて、「ごくごくストレート」に私には聞こえました

やっぱりそうですか!
キキさんにそう言ってもらえて、良かった!
この言葉が嫌味じゃなければ、私が気楽になるんですよ。
パンダさんのブログでいろいろと知るうちに、私が『恐れていた』夫の言葉は、実は単なるストレートな表現なのでは?ということがわかってきました。

けれどやっぱり裏があるんじゃないか、心では私に嫌がらせをしたいんじゃないか、という恐れは抜けませんし、夫自身も、そうやって警戒している私に対しては、意地もあってか、素直に返事を返さないので、あまり意思疎通ができないんですね。
息子に対しても、自分の気分が悪いと、確信的に責め立てるようなことを言いますから。

時に激しく対立しながらも、息子自身も『父親はどうしようもない!』と見限るようなことを言いながらも、父親と普通に接することができるのは、私には理解が難しいです。

お互いに、その場の怒りや不満をストレートに表現していたら、見ている方からは『大げんか』に映るのですが、お互いにストレートで裏がないという確信があるから、後を引かないんでしょうか?

息子の真似をしようとしても、こればかりは無理だな。自分が嫌だと思ったら言わずに立ち去るのが、私には関の山かな?と思います。

初めまして。
いつも貴重なお話をありがとうございます。
こちらのブログを知ってから頻繁に、そしてパートナーと感情的にすれ違うたびに拝見するようになりました。かつてはことあるごとにダメージが大きく、相当落ち込んでしまったりしていたのですが、こちらに伺うようになってからは慰められたり納得したりしています。最近は彼の独特なところに愛着を持てるようにもなってきました。まあこんなことを言っていてもまた衝突するのでしょうけど(笑、せっかくの縁なのだから末永く一緒にいたいので、自分なりの落とし所が見つけられるようになったのはうれしいことです。
一言お礼が言いたくてコメントさせていただきました。

carryさん

 はじめまして。どうぞよろしくお願いします。

 お役に立っているようでよかったです。
 ここはまあ互助会というか自助グループのようなもんですから、
 よろしければまたご自分の経験などもご紹介ください。

 自助グループと言うより当事者会でしょうか。
 当事者と言っても問題を抱える当事者の一方だけではなくて
 双方がやりとりする場ですね。

 

上記の息子の話の補足です。
彼が『陰でグチグチいう』のは、夫も私も、ということです。
何度か似たような衝突を目の前で見せられてきたので、夫がグチグチ言っていると、私の方がそれに怒り出して、グチグチ言う。
息子はそういう関係の悪化が嫌なだけで、どちらが悪いとか嫌だとか言っているわけではない。

夫の方は、ストレートに自分の不満を表現しているだけで、夫の行動は正当だけど、それに対する私の反応が面倒くさいことになるので、その前に釘を刺しておこうとした。

そういうことなのだと思います。(本人に確認すると余計にややこしいことになったり、本人にはトラウマにつながることなので、敢えて確認せずに憶測しています)

つまり、これが全くアスペだけの家族だったら、『お父さん、残念だったねー』で済む話なんでしょうね!
無くなったものは仕方ないから、新しく買ってきたりもしない。

息子にとって、私が、夫の行動に対していちいちショックを受けるので、それが面倒だからフォローしておいた。そういうことなんだろうな、と。

定型的母親って、ほんと、面倒なヤツだなあというのが、息子の実感じゃないかと思ったら、笑えてきました。

あすなろさん

うー、わかりますー。
私も昔から、父と母の衝突が嫌でした。
しょっちゅう「もう、ケンカしないでよ!」と言ってました。
それに対して父母は「ケンカではない」と言ってましたが、子供にとってはすごくイヤでしたー。

私も父のことは見限っている、というか、「親」という実感があまりありません。
ほんと、昔は機嫌の悪いときは、理不尽に怒るので恐怖でした(いまは丸くなっている)。

キキさんにお聞きしたいんですが。
あすなろ家の今後のために、遠慮せず正直に答えていただきたいなぁと思います!

キキさんはご自身で、ご両親に傷つけられてきたとおっしゃっていましたが、お母様に対して、お父様に対して、どうして欲しかったと思われますか?

私も母親の言動に傷つけられてきたのですが、キキさんのお母様の言動は、私も思い当たる節がたくさんあるので、自分自身子供を傷付けない!という思いがあっても、アスペの子供達にとっては虐待まがいの言動になっていることが多いのではないかと思いました。

また、お父様が理不尽に怒っていらしたということですが、それに対しては『仕方ないな』というくらいで、あまり傷つかなかったのでしょうか?

息子が言っていることが理解できなかったんですが、もしかしたら、キキさんが思っていらっしゃることと同じなのではないかと思いました。

あすなろさん

色々考えたんですが…あすなろさんはお子さんたちを理解しようとすごく努力されてるし、子供たちとの会話もよくしていて、息子さんも心開いているように思うので、十分ではないかと思います。
たとえ傷つく言葉があったとしても、傷を跳ね返すくらいの信頼関係があるんじゃないか、と感じます。
虐待まがいの言葉になんて、ならないと思います。

ちなみにあくまでも私の場合の話ですけど、母が私を小さな頃から「自立した賢い子供」と誤解して、自分の気持ちが満たされる(共感し合えたのかな)弟ばかり可愛がってたことが傷でした。
もともと「可愛がって」なんて言えない性格だし、「わあ!この料理美味しい!」とか共感してあげることもできなかったので、やっぱりそれが出来る弟を可愛がったのは仕方ないとは思いますが、後に「愛情不足」が原因の摂食障害や境界性人格障害的なもので苦しんだので、やっぱり可愛がってほしかったかな。
母は「皆対等にしてきたつもり」と言いますけどね。物質面ではなく、心がこちらを向いてなかったのが寂しかったです。
学校でイジメにあった時も相談できなかったし、私の変化にも気づかなかった(私はポーカーフェイスを気取ってしまうのでね)。
寂しかった、というのが本音です。

父に関しては、そりゃ傷つくこともありましたが、言ってることが「父の気分次第」だったし、子育てに興味が全くなかったから、誰をひいきすることもなく、ある意味平等といえば平等で、自分勝手という意味では筋が通っていたので、寂しさを感じることはなかったかな。
なんせ、よその家の子供にも、自分のペースを乱す奴がいれば怒ってましたからね…(^^;
父にはあまり求めることはなかったように思います。
こっちが拗ねても通じないですしね。
まあ「こんな人」という感じで、一個人、という感じでした。
父も家族のことを名前で呼ばず「あんた」と呼びますし、あちらも一個人として接してきたんでしょう。
求めても無駄、とわかってきたのは幾つくらいかな?忘れましたが…

父を傷つけてもあまり心が痛まなかったけど、母を傷つけるとチクリと感じました。しかし冷静な自分もいて『そんなに傷つく?そんなにあからさまに傷ついたことを私に(嫌味でなく本気で)見せられるって、ウザいけど羨ましいなー』みたいな自分もいました。

ごめんなさい、長くなりましたけど、あすなろさんのように「寄り添い子育て」が出来ていれば、大丈夫な気がします。
無責任でごめんなさーいm(_ _)m

キキさん、思い出したくないことも思い出させてすみません!真摯に答えてくださってありがとうございます。

兄弟間の対応の差、私もそれが一番のトラウマなのでよくわかります。親になってみると、兄弟の接し方には差が出てしまうのは仕方ないことだなと感じるのですが、母に対しては、やっぱりそれを差し引いても許せないとい気持ちは大きいですね。
この親と子の感じ方の差というのも、アスペ定型間の感じ方の差というのも、似たような被害を生むのかな?と、キキさんのお話から思いました。

>『そんなに傷つく?そんなにあからさまに傷ついたことを私に(嫌味でなく本気で)見せられるって、ウザいけど羨ましいなー』

まさに、息子がそんなようなことを言っているようなんですね。

父親がやることに、どうしてそこまで傷ついて大騒ぎするのか?その傷ついている母親を見ている自分がショックなのだ。だから傷つくのは止められないのか?

多分、そう主張したいんだと思います。
お菓子の件も、息子だけなら父親に言わせておけばいいと思っていたのでしょうが、私が絡むと自分が嫌な思いをするので、間に入ったというのと、私に対して、『こうやってやれば、争わなくて済むじゃないか』というお手本を示したんだと思います。

でも、残念ながら、それはアスペの息子だから出来ることであって、私には出来ない。
定型の仕草をアスペの人が真似しようとしても形だけしか出来ないように、私には出来ないんですね。

その証拠に、後日、息子のように正直に伝えたところ、夫は逆上して手が付けられなくなりました。
それをまた、私が余計なことをしたと思って、息子はウンザリしてましたが。

アスペの人の感覚が実感としてない限り、私には真似はできないし、下手に思いやったことが逆効果になる。
さらに、夫から受けた言動に傷付かないようにするというのが、無理なんですね。
もちろん、そこをクリアしないと先に進めないですし、このブログで根拠が分かってきてだいぶ静観できるようになったとはいえ、夫が激しく人を非難するような言葉を使うことは、どうやっても許せないわけです。

すると、そうやって傷ついている私そのものが、息子の悩みの種になる。面倒な存在になるわけです。
ここにまた、私が息子に対して余計な気を回すと、息子はさらに被害を受ける。
まさに一所懸命がお互いに裏目裏目に出てしまうアスペ定型の難しさですね。

失礼ですが、あすなろさんのご主人はアスペではなくて、単なる自己中で、自分のことしか考えられないだけでは?
あすなろさんのご主人が特定個人への悪意はないと理解できますが、「嫌味を言っている」ことは事実で、家族への思いやりが欠けているともかんじます。
息子さんはお父さんを反面教師になさっているんですね。

>さ さん

はい。夫の問題は、シンプルにアスペの問題ではなくて、色々と絡んでいるのは確かです。
だからこそ、息子の方が、全くシンプルなアスペの感覚として理解できるようになりました。

説明が難しいのですが、最近、その絡まり方にも、定型的なものと、アスペ的なものがあるというのが、分かってきた気がします。

それで、アスペ的な絡まり方の方が、定型的な絡まり方よりも、はるかに単純明快ではないかと思えてきました。

キキさんのお父様と似た感じですね。

息子も、『腹がたつけど、俺と同じ』と言っていますし、本人も自分で気付いています。

環境の影響を全く受けない発達障害者はいないので、夫も一つのパターンなのだろうなと思っていますし、それでアスペの人を語るつもりはありません。

日本の文化を語るのに、異国文化の濃い長崎や神戸を引き合いにだすような?

あれ、変な例えですね。(^^;;

お久しぶりです、ガーディナーです。
今日久し振りにパンダさんの書かれた文章を読ませてもらい、
相変わらずの包み込むような優しさに癒されました。

さて、「美味しかったでしょう?」という言葉が
共感を求められているのだとは、新しい発見でした。
我が家の場合、例えば私が夫からそういわれたら、
「ううん、残念ながら、私あの独特のにおいが苦手なの」とか
「あれにもう少し塩っ気が効いていたら良かったのに…」ぐらいは平気で言います。

さすがの私も、他人様から頂いたものを美味しくなかったなどとは言いませんが、
夫婦間の会話では、お互いの味の好みを率直に表明する、
ということがごくごく普通に行われています。

逆に私の差し出したものを夫の方が「いや、この味はちょっと・・・」
などと口ごもることも多々ありますが、
私は「じゃ、残りは全部あたしの物ね!」と喜び、それでおしまいです。

パンダさんが書かれた「喜びを語り合い、楽しみを共有する」世界とは
程遠い我が家の光景ですが、
これはこれで私たちの楽しみ方と言えるのかも知れませんね。

多分これは、お菓子を巡っての会話だから、笑って話せるのだと思います。
映画や音楽を「絶対感動できるよ」とか言って紹介されるのは本当に苦手な私ですし、
食べ物でも、夫が作ったおかずが私の口に合わなかった場合、
「味、どう?」などと言われるとちょっと困ります。

ガーディナーさん

 ほんと、お久しぶりです。どうされているのか、ずっと気にしていました。ご無事(?)でよかったです(笑)

> 「美味しかったでしょう?」という言葉が共感を求められているのだとは、新しい発見でした。 

 と書かれるのは新しい発見でした (笑)

>  逆に私の差し出したものを夫の方が「いや、この味はちょっと・・・」
> などと口ごもることも多々ありますが、
> 私は「じゃ、残りは全部あたしの物ね!」と喜び、それでおしまいです。
> これはこれで私たちの楽しみ方と言えるのかも知れませんね。

 この話、違う国では結構それに近い感じが普通だったりと言う話も聞きます。
 まさかそういう国々ではアスペが多数派ということもないでしょうから、
 そういう関係のとり方を、ある条件の中では定型もとれるんでしょうね。

 ですから、実際には普段思い込んでいるよりも、いろんなバランスのとり方の
 可能性が人間にはあるんだろうと思います。
 そう考えれば定型アスペ問題も、もっとやわらかく考えられるのかも。

> 食べ物でも、夫が作ったおかずが私の口に合わなかった場合、
> 「味、どう?」などと言われるとちょっと困ります。

 困ってどうされるのかはちょっと興味あります。
 (日本の)定型的にはちょっとごまかすような言い方をする場合もありそうですが、
 このあたりは同じ夫婦でも、それぞれの夫婦の関係によっても変わるのかも。

 親しさや、親しいときに思いをストレートに表現することを
 その人がどこまで大事に考えているかとか、
 そんなことによっても定型間でもいろんなパターンがあるのかもしれません。

 他のことも併せて考えると、
 この「親しいときにどうするか」というあたりの感覚について
 定型アスペ間ではズレが起こる場合が多い、と言うことかもしれません。
 言ってみれば親しさによる人間関係の調整の仕方が違うとか。

> 包み込むような優しさに

 お互いにそういうふうになることが、私の理想のひとつなので、
 そういうふうに受け取っていただけるのはほっとします。

 これも人によってそこの受け取り方はかなり千差万別なんでしょうね。
 そこがとてもむつかしいところです。
 人間関係の中で「相性」がある、というのはそのあたりかもしれません。
 ズレが少なく受け止めあう関係だと「相性がいい」とか。 
 

こんばんは、ガーディナーです。

パンダさんへ。
お返事ありがとうございました。

〉どうされているのか、ずっと気にしていました。
〉ご無事(?)でよかったです(笑)

お気に掛けて下さってありがとうございました。
ずっと長い間無断欠席していてすみません。
特に何があったというわけでもないのですが、
いろんなこと考えることから、少しだけ休んで、
頭を空っぽにしてみたかったのです。
でも結果、心を無にするどころか、頭の中は雑念だらけ、
考えをアウトプットすることから離れていた分、
混濁した言葉が無秩序に乱積しています。

〉〉夫が作ったおかずが私の口に合わなかった場合、
〉〉「味、どう?」などと言われるとちょっと困ります。
〉困ってどうされるのかはちょっと興味あります。

「そりゃ当然『美味しかった、ご馳走様』って言いますよ、
私は気づかい上手のガーディナーですから」
とお返事しようとパソコンに向かった私は、
ハタと気づき、それから全てが止まってしまいました。
「美味しかった、ご馳走様」といつも笑顔を向けていた
というのは、完全に私の思い込みだったのです。

再現してみましょう。
夫1「味、どう?」
私1「う~ん、ちょっとじゃがいもが硬かったかも」
夫2「味、どう?」
私2「油の量が多かったのかな、ほら、ベタ~ッてしてる」

次から次へと具体的な場面を思い出すにつけ、
自己嫌悪にさいなまれる私でした。
これを聞かされた夫はどんな思いでいた事か…。
こんなことを言っておきながら、
そのことに気も付かずにいた自分に驚きました。
せめて気付く私でいたかったです。
気付けなきゃ、反省することもできない!(あ~あ)

まあ、過ぎてしまったことは仕方がないとして、
私はどれだけ気を付けているつもりになっていても、
相手の気持ちを考えることよりも、
自分の感覚を表明することを優先させてしまうことが
多々あるんだということを(特に親しい人に対して)、
よくよく肝に銘じておかなければいけないと思いました。


ガーディナーさん

> 次から次へと具体的な場面を思い出すにつけ、自己嫌悪にさいなまれる私でした。

 この例については、やっぱり日本のやり方は海外ではかならずしも同じではないみたいです。むしろガーディナーさんのようなかかわりの方が正直で信頼されているように感じるところも結構聞きます。

 日本の定型も、実際はKYと非難されること四六時中気にして、すごい緊張して生きている部分があるわけですから、それが嫌になることもあるわけですよね。だから逆にそうやってストレートに言ってくれる方がうれしいときもある。相手の人が素直な人で自分を攻撃しているのではないと感じられる場合にはですが。

 ガーディナーさんの夫さんも、もしかするとそういうガーディナーさんの裏表のない素直さ、ストレートに言ってくれるところにこころが救われるような感じを持ち、魅力を感じられたのかもしれません。

 なんとなくそんな気がしました。

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