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2017年8月 1日 (火)

倫理観のズレのつらさ

 またいろいろと腑に落ちる感覚が続いています。

 昨日も少し書きましたが、パートナーは自分の気持ちと異なることを言うことについて、私から見てものすごく抵抗感が強いと感じることが時々ありました。もちろん私も抵抗感はありますが、その時の状況ではまあそうしたほうがいいかな、と思えれば、抵抗感は減ることがあるし、そもそもそんなに大きな問題と感じなくて、気楽な時もありますが、彼女はどうもそうでない。

 それは今思えば彼女の大事な倫理観なのかなと。

 人との調整を重視すれば、自分の感覚にこだわっていられないことがありますし、むしろこだわらないことの方が倫理的に感じられるという場合もあり得ます。

 でも自分の思いに誠実であることを重視し、人に対してもそういう意味で「嘘」をつかないことが相手に対しても誠実なことだ、ということを強調すれば、彼女の倫理観になるでしょう。

 このあたりは誰もどっちかひとつということはたぶんなくて、ただ人によってそのバランスが違うのかもしれません。定型は「関係を保つ=思いやり=倫理」(A)の割合が多く、アスペは「自分に誠実=他者にも誠実=倫理」(B)の割合が多い。

 ここでも炎上が起こるときには、激しい怒りが表現されることがよくありました。それは「なんでこんなあたりまえのこと(正しいこと)が無視されたり否定されたりするのか」という、いわば義憤ともいえる憤りのように感じられます。

 ところがお互いが重視するその「あたりまえ(正しいこと)」のポイントがずれてしまうので、大変なことになるわけです。Aを重視する人はBの点で多少問題があっても、そこはそれほど騒ぎ立てるほどの事ではなく、Aこそが重要だと考えるし、Bを重視する人はその逆になります。

 私自身「なんで自分はあんなにひどいことを人に言っておきながら、そのことについては知らんぷりしたかのように相手のことばかり攻め立てるのか?」と不思議に思うことがよくありました。その理由も上のように考えればわかります。

 違う条件(特性とか環境とか)があると、その人の生き方が変わりますから、その中で育つ倫理観も様々になります。で、人間誰でも自分の倫理観は体に染みついていて当たり前に思っていますが、違う倫理観を「倫理」として感じることはとてもむつかしいことです。

 だから違う倫理観で動く相手は自分からすると「ひどい奴」と見えたりする。そして許しがたく思えたりするわけです。そういうことが定型アスペ間では普通に繰り返されている。ここでの炎上もそのひとつの典型的なものでしょう。

 そんな風に考えてみると、彼女もこの世の中で、ほんとうに大変なんだということが改めて感じられるようになってきます。たんに自分の「やりかた」を否定されるわけじゃなくて、その「倫理観」まで否定され続ける状態になるわけです。

 生きるうえで自分が大事にしたい倫理観を否定され続け、そして周りや世の中はみんなそうやって生きているように見える。たとえ自分が嫌でも、その力は圧倒的ですから、結局自分をごまかして生きていくしかなくなるわけです。そうすると、そういう自分自身のことも嫌になってくる。

 まじめな人であればあるほど、そういうつらさが募るのは当然でしょう。

 改めて彼女の大変さ、生きづらさがわかる気がしてきました。

 

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