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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2017年7月 8日 (土)

痛みを語ることと援助要求と

 さて続きです。さとさんはこういうことを書かれています。

  • >定型発達とASの両者で揉める時というのは、「ASの人が援助を求めてきたのに、援助者の姿勢を評価せずに『的外れだ』と言うなど攻撃的なふるまいを見せる。」という場合がしばしばあるのではないかな・・・と感じます。

 これはものすごく重要なポイントだと私は思います。いつか改めて整理して書こうと思っていたことですが、定型同士の関係では、「自分の内面の深いことを相手に語れば語るほど、関係が深まる」というかなり安定した傾向があります。ここで内面の深いことと言うのは、だれにでも言えることではない、ごく信頼できる親しい人にしか言えないこと、であったり、さらに深くなれば、誰にも一生言えないこと、だったりするわけです。

 その深い内面的なことは喜びに関することもあり得ますが、最も重要なのはむしろその人が抱え込んでいる傷、苦しみです。

 これも昔取った杵柄の知識ですが、定型的な関係では、ここでも「お互い様」の関係を大事にします。つまり、相手が深く自分のことを打ち明けてくれれば、自分もそれへの「お返し」として自分の深いことを語らなければならないような気持になる。そうやってお互いに少しずつ自分の内面を相手に語っていくことで、お互いの関係を深めていくのです。もし相手と会わないと思えば、そのどこかでそれ以上深めるのをやめてしまいます。それがしにくければ相手と距離をとるようにします。

 お互いに打ち明けるだけではありません。相手から深刻な悩み、深く抱えた傷を打ち明けられた場合、なんらかの形で援助しなければならないという気持ちが自然と起こる。たとえば今起こっている自然災害などについても、その悲惨な状況を見たり、被災者の声を聞くと、何かそれに対して自分がしなければならないという感情が生まれることが多い(絶対とは言いません)。災害時に全国からボランティアが集まったり、支援物質が送られたりするのは、そういう気持ちの仕組みによってです。そうやって定型社会は「お互いに支えあう」仕組みを作り上げ、ここまで発展してきたわけです。ほかの動物にはほとんど見られないことです。

 ことばを変えると、もし相手の人が、普通は他人には言わないだろうような個人的な深い悩みや傷を語った時には、ほとんど自動的にそれは「援助を求めていること」だと理解します。これは強烈なしくみで、もしそこで援助しないとなれば、その人は「冷たい人」として非難されるでしょうし、援助しないことについて本人も自責の念を持つ。

 定型アスペで起こりやすい悲劇の根がここにあります。例えばにわとりさんが自分の悲惨な体験を次々に語られた。それは定型的な感覚では、普通人には言えないようなことです。内面の非常に深い傷です。それを読む定型は強くそこに痛みを感じます。あたかも自分自身が傷つくかのように、定型的な共感ですね。

 その激しい内面の痛みを「打ち明けられた」。だからそれに答えなければならないという気持ちをごく自然に持ちます。そしてなんとかそれに援助できないだろうかと真剣に考える。トマトさんが必死でアスペの方にかかわろうとされたのも同じことが根っこにあります(もちろんその感じ方の強さは人さまざまで、いたたまれなくなってしまうタイプの人も、比較的冷静に対処する人も、それこそスペクトラムですが)。

 それだけ悲惨な内面を打ち明けたのに、相手になんの援助も求めていない、ということは定型にはおよそ想像不可能なことです。ですからそうやって援助を求めていながら求めていない、迷惑だなどと言われれば、完全に相手に騙された、自分は相手に意図的にふりまわされ、利用されたという怒りがわいてきます。それは「人の同情心を利用して相手をもてあそぶ行為であり、人間として決して許されない行為」になります。

 ところが、どうもこの定型の心の動きがアスペの方にはまた非常に理解しにくいものであるようです。だから自分の振る舞いがどれほど定型を深く傷つけているのかについて全く気付いていないように見える方がとても多い。

 そうやってお互いに相手の感じ方が全く理解できていないし、想像すらできない状態にある、ということが悲劇の発端になります。お互いになぜ自分が責められなければならないのか、まったく理解できない状態に置かれるわけですし、そこでのやりとりはますますお互いの傷を深めていく方向に発展しやすい。

 この点についてさとさんはこういうことを書かれています。

  • >「意思・気持ち・認識」を相互に理解し合うことによる調整を働かせようとするという、パンダさんがおっしゃるところの『相手の人と理解を調整して、一緒に問題を解決しようとする姿勢を作る』行動を定型発達の人がしようとすればする程に(そして、それを「AS側の求めに応じて行っている」と定型発達者が思っている程に)、どうにもならない泥沼が発生していくように見えています。

 ここは少し私は見方が違います。私はお互いのズレを明らかにすることで、これまで少しずつ調整の仕方がわかるようになってきました。そしてその方向で、いま上に書いたような、これまで何度もコントロールしがたい炎上を生み続けてきた問題のレベルについてまで、お互いのズレの在り方を理解することができてき始めています。ですから別に「どうにもならない泥沼が発生していく」とは考えていません。むしろその方向が不徹底で中途半端で、自分の視点で一方的に相手をとらえようとする枠を抜けられない場合に、泥沼になるのです。

 ということで、「傷を語ること=援助を求めること」について、さとさんの見方と私の見方がちょうど裏表の関係でぴったりかみ合っているだろうということを確認したうえで、ここでまたいったん切ります。

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コメント

>そうやって援助を求めていながら求めていない、迷惑だなどと言われれば、完全に相手に騙された、自分は相手に意図的にふりまわされ、利用されたという怒りがわいてきます。それは「人の同情心を利用して相手をもてあそぶ行為であり、人間として決して許されない行為」になります。
>どうもこの定型の心の動きがアスペの方にはまた非常に理解しにくいものであるようです。だから自分の振る舞いがどれほど定型を深く傷つけているのかについて全く気付いていないように見える方がとても多い。

こっちは決して同情心を利用して弄んでいない(むしろこちらは援助を望んでいないからそう言われても困りますが)。

たとえアスペ側が援助を求めてきたとしても「あなたの努力が足りないからよ」「障害を印籠にするんじゃないわよ」とは言ってほしくないです。
報われない努力を死ぬ思いで小さな時から続けてきた当事者には殺傷力の強い銃で撃たれたのと同じことです。
どなたか忘れましたが、アスペさんがある定型さんに「表情の区別がつかないからどうしたら良い?」と相談したら、「表情の区別くらい分かりますよね」定型さんがおっしゃっていたことがありました。 
いくらアスペ側から相談してきたのだとしても、わからないから困っているのにその答えはないだろうと思います。
それなら「ごめんなさい。私には答えられません」とお断りしたら良いことだと思います。

アスペ側も相談する相手や訴える場所が間違っていたのでしょうね。
訴えたい、共感してもらいたい、相談したいことがあるなら当事者同士が集まる場所で話すべきで、間違ってもこちらで一切話すべきではなかった。

>もしそこで援助しないとなれば、その人は「冷たい人」として非難されるでしょうし、援助しないことについて本人も自責の念を持つ。
>もし相手の人が、普通は他人には言わないだろうような個人的な深い悩みや傷を語った時には、ほとんど自動的にそれは「援助を求めていること」だと理解します。

まずはアスペの人には何を求めて話しているのか、あらかじめ確認するしかないのかなと。
アスペ側が相手が定型の感覚を聞いていたり、定型との関係で悩んでいる場合、定型的な感覚でのこうした方が良いと話すのはアドバイスとなると思いますが、「アスペ側が悪い」との言い方はやめてほしいです。

仕事が上手くいかない、空気が読めないなど、アスペ特有の悩みで相談された場合は定型の方には答えようがない(応えようがない)です。
その場合は「ごめんなさい。私には答えられないわ(応えられない)」と言った方が良いと思います。

>もしそこで援助しないとなれば、その人は「冷たい人」として非難されるでしょうし、援助しないことについて本人も自責の念を持つ。

この場合は「援助しないのはあなたのせいじゃないから自分を責めないで(当事者も困惑しますし)」としか言いようがないですね。

サロマさん

 今回のコメントで、何がずれているのかがとてもよくわかりました。
 
 私の議論は

  「定型の視点から見ると、こう見える」

 という話です。
 サロマさんの理解は私のその議論を

  「パンダはこう見ている(あるいはそう批判している)」

 と理解しています。
 これは全く別の事です。

 この違いが理解されないということだと、議論が常にすれ違ってくるのは当然ということになります。

 今まで述べてきた話で言うと、ようするに入れ子の議論がサロマさんにはまったく伝わらないようですね。ちょっと図式的に整理すると

  「『<Aだ>と、Bには見える』とBが言う」

 という私の入れ子の話がサロマさんには

  「<Aだ>とBが言う」

 という形で理解されています。
 この二つではどこが異なってくるかと言うと前者の場合は

  「『<Aだ>と、Bには見える』とBが言う」 けど、なぜだろう?本当だろうか?

 という相対化の要素が入っています。どこにも断定はありません。
 だから「なぜそう見えてしまうのか」「その見え方を修正する方法はあるか?」
 ということが次に問題になってくる。
 そこから「異なる見え方をするもの同士の対話」が開かれていくことになります。

 ところが後者の場合は

  「<Aだ>とBが言う」

 というところで、単純なBによる断定で、相対化の契機が何もありません。
 これは自分の意見の押しつけで、相手と対話する姿勢がないものです。

 
 アスペの方の中に、この違いが分かる人とわからない人がいらっしゃるようです。
 今回そのことがはっきりとわかりました。
 サロマさんはたぶん一貫して私の議論について、
 部分的にはわかるところもあるが、全体としては
 何を言っているかわからないという感じになっていますよね?
 それで、部分的にサロマさんが理解した内容で怒り、批判をされる。
 でも、それは文の全体を見れば、あきらかに的外れな批判なのです。
 私はそんなことを言っていないのですから。


 サロマさんが不注意でそこを見損なってしまっているのか、
 そもそもその違いを理解する視点を持っていらっしゃらないのか、
 そこは私にはわかりませんが、
 サロマさんが上のような入れ子抜きの理解で私の文章を読み続ける限り
 まったく話はかみ合わず、私の意図とは全然異なる理解で怒り続けられるでしょう。
 これまで私から見ると得体のしれない批判をされる方の、その批判の仕方が
 不思議でしょうがなかったのですが、こういうことであればまあわかります。
 私がいくら説明しても通じない理由もわかりました。
 (この書き方にも入れ子がありますが、そこも誤解されるのでしょう)
 

 そうすると、サロマさんのようなタイプの方と議論する場合は
 私が日常の中で使う論理のしくみが全く通用しないことになりますので、
 なにか根本的に違うアプローチが必要になりそうですね。
  

パンダさんがおっしゃっていることは、「一般的には深い話、特に自分の抱えている傷や苦しみを人に話すことはなかなかできない。 親しい人にしか話せない(場合によっては誰にも話せない)」。

例えばにわとりさんの話は「 援助やアドバイスを求めている」と一般的には受け取る。
同時ににわとりさんの話に対し、定型の方が自分のことのように痛みを感じ、 にわとりさんにできる援助ないものかと感じる。
定型的な共感として 自然に感じるもの。

しかし、にわとりさんや私や一部のアスペの人が「 助けも求めていないのにありがた迷惑だ」と言うことは一般の方の感覚ではなかなか理解できず、「自分達は意図的に振り回され、利用された。」「ありがた迷惑だと言うのは、人の気持ちをもてあそぶ、人として最低な行為」だと捉える。
ということではないんですか?

パンダさんは 一般的な捉え方の説明をしているのであり、 パンダさんが 言っているとは思ってないですが。

サロマさん

>……ということではないんですか?

 この部分はそうですね。


>パンダさんは 一般的な捉え方の説明をしているのであり、 パンダさんが 言っているとは思ってないですが。

 ここは半分あっていて、半分違っていますね。私もそう感じてしまうんだけれど、なんでなんだろう?(あるいは私がそう感じることが理解されにくいのはなんでなんだろう?)という話です。

 あすなろさんとサロマさんとの話が全然かみ合わないように見えるのは、たぶん同じ理由だと思います。あすなろさんの方がかなり刺激的な表現を使われることはありますが、「実験」と断られたことの意味がよく伝わっていないですよね?

 もちろん、「実験はいけない」という反論の仕方はありますけど、サロマさんの反論はそうではないように見えました。つまりあすなろさんの意図は理解されないままに、表面的な言葉に反論しているように見えるわけです。

 あまり話を拡散させるとわかりにくくなるかもしれないので、その点はここまでにしておきます。

 まあ私の理解が正しければ、これは簡単に解決する問題ではないと想像するので、ゆっくり考えてみてください。

うーん、〆た後にごめんなさい。
多分、私も入れ子の原理がわかってないアスペです。
時々、親しい人の、ある言葉だけに反応して急に怒ったり不機嫌になったりしますから…
向こうは大抵「そういう意味でいったんじゃない」「言葉尻をとらないで」「なんでも悪くとらないで」などど言われます。
そして和やかに話していた内容は吹っ飛んで、変な終わり方になってしまうことがごく親しい人とはありますね…

それが激しかった若かりし頃は、そして発達障害という概念がまだ日本で言われてなかった頃は、自分は「境界性人格障害なんだ」と思ってました。
診断はされたことはありませんが…
しかしながら、人への執着心がそれほどなかったので、チョット違うのかな?とも思ったりしてましたが…

パンダさんから見て、私って入れ子が下手だと思います?
これは客観的に知りたいだけで、今後意識していきたいからの質問です。
答えられなければそれでいいですよ〜

キキさん

 ある言葉だけに反応して急に怒ったりする、というのは私もおっちょこちょいでしてしまうことがありますし、それだけで入れ子の原理がわからない、という話にはすぐにはならなさそうに思います。(ちょっと付け加えると、入れ子って何重にも作れるわけですから、いくつくらいまではOKというのも人によって結構差があると思います。その辺は「スペクトラム」かも。)

 ただ、おっちょこちょいの場合は指摘されて考えるとわかるわけですが、指摘されてもわからない、ということだと(その例がこのブログへのコメントでもなんども繰り返されてきたので、私がわけがわからなくなったわけですが)、それは「原理がわからない」ということの可能性が高いと思います。

 キキさんの場合、そういう点についてあまりやりとりした記憶がないので(単に私の記憶力の問題かもしれませんが ('◇')ゞ )、どっちなのかよくわかりませんが、漠然とした印象としては、たぶん「苦手」だろうな、という気はしています。

パンダさん

やっぱりそうですよね〜、私、入れ子の話になると、全然理解できないので…(入れ子の仕組み自体)。

だから、定型の方々の話が時々難しすぎると感じるのは、ここなんでしょうね。
アスペの方の話は入れ子がない、または少ないから、シンプルでわかりやすく感じるんだと思います。


パンダさん

「 自分だって立場が違う人に対して完全に理解できるわけじゃないのに 相手の立場のことを理解していると 思い込んでいる」
「 定型の人がアスペの人のことを完全に理解できないことは怒っているけど、 自分だって立場が違う人のことを理解しきれずに相手のことを傷つけている」
「定型の方がアスペの立場の人のことを理解できてないところがあったとしても、それをすぐに激しく責め立てるような言い方は相手に対しての憂さ晴らしや中傷でしかなく、まちがっている」
これをあすなろさんが実験と称したもので、私を試していたり、伝えようとしていたということですよね。

これには反対です。無理解な人達に怒りの気持ちを表したことに対して、相手に対する攻撃だと取られるのは違うと思いますし。

またこちらに対して間違った知識を持って対応したり、援助してきた人に、不当だと感じるのは間違いで、それでも感謝の気持ちを持つべきだとの意見も違うと思います。
たとえアスペ側が援助を求めてきたのだとしても、 それに対して努力不足だからがんばりなさいと無理解なことを言ったり、間違った対応をしていい理由にはなりません。
不当だと思っても感謝の気持ちを持つべきで、文句を言うのはまちがっていると言うのであれば、これこそ優しい虐待ではなく、悪意を持った虐待でしかありません。定型側の善意からくる親切だったとしても。

アスペの援助要求を断る権利は定型の側にもありますから無神経な対応をするならはじめから断ってほしいです。

サロマさん

>これには反対です。無理解な人達に怒りの気持ちを表したことに対して、相手に対する攻撃だと取られるのは違うと思いますし。

 あくまで私が理解した範囲でのことですが、やっぱり話がずれていると思います。「無理解な人たちに怒りを持つ」というのはある意味当然のことです。そのことをあすなろさんが否定しているとは思えません。むしろあすなろさんはどっちかというと、そういう無理解に対する怒りは正直に表明するタイプの方のように私には思えます。

 ですから、あすなろさんがここで言っているのはそういう意味ではないと私は思えるんですね。

 つまり、お互いに相手のやり方について「無理解で怒る」という状況があるわけです。サロマさんが定型の一部の人の意見に怒るように、定型の側もサロマさんたちの議論に怒ることがある。で、それをサロマさんのようなタイプのアスペの方から見れば、「定型が不当である」という話になるわけですが、逆に定型の一部の人から見れば「サロマさんが不当である」と感じられる。その点では同じわけです。

 まずそのことをサロマさんは認められますか?というのがあすなろさんの議論(実験)のポイントだと思えるんですね。で、サロマさんにはそこは一貫して伝わっていないように見えるわけです。たとえば

>またこちらに対して間違った知識を持って対応したり、援助してきた人に、不当だと感じるのは間違いで、それでも感謝の気持ちを持つべきだとの意見も違うと思います。

 という言い方。これまで繰り返し何人かのアスペの方から激しい言葉で主張されてきたことだと理解していますが、私はそんなこと一言も言っていないつもりですし、あすなろさんもそういうことは言っているようには私には見えません。

>またこちらに対して間違った知識を持って対応したり、援助してきた人に、不当だと感じるのは間違いで、それでも感謝の気持ちを持つべきだとの意見も違うと思います。

 ということも、少なくとも私は全く思っていません。まあこの間の経緯を考えると、私がそう言っていると誤解されるような、独特の理解の仕方がサロマさんたちにはあるのかなとは想像するわけですが、少なくとも私はそういうことは一切意図して発言していません。

>たとえアスペ側が援助を求めてきたのだとしても、 それに対して努力不足だからがんばりなさいと無理解なことを言ったり、間違った対応をしていい理由にはなりません。

 おなじことですね。

>不当だと思っても感謝の気持ちを持つべきで、文句を言うのはまちがっていると言うのであれば、これこそ優しい虐待ではなく、悪意を持った虐待でしかありません。定型側の善意からくる親切だったとしても。

 たしかに一部の定型の方がそういう主張と思えることを激しく言われたことはあったと思います。まあでもそれはそういう方だったということで、私のここでの議論や、たぶんあすなろさんの議論も、そういう話とは全然違うことを言っているわけです。

> アスペの援助要求を断る権利は定型の側にもありますから無神経な対応をするならはじめから断ってほしいです。

 これも同じですね。対応が無神経と感じているのはお互い様の事です。サロマさんたちだけが無神経と感じているわけではなく、定型的に言えばサロマさんたちこそ無神経に見えたりするので、一部の方から激しい攻撃的な言葉も出てくるわけです。

 で、ここではそういう「お互いに相手を理解できないで、お互いに相手が悪者だと信じ込んでいる」という現状があるのだ、ということを前提にして、その不毛な対立を超えてどういう関係の調整が必要になるのかを考え続けています。

 で、そういう調整を模索するには「相手が悪者である」という直感的な判断を、いったんはカッコにくくって、「相手から見たらどう見えるのか」ということを考える必要が出てくるのです。それはその直感的な判断が間違っているということを言っているわけではなく、ただその判断の仕方には限界があるので、もう少し客観的に考え直してみる必要がある、と言っていることなわけです。ここが一貫して伝わらないようなのですね。サロマさんの話は「カッコにくくること=直感的な判断の否定」という理解で固まってしまって、そこから先に議論が進まない状態に私には見えます。

 そんなふうに私が問題にしている議論の前提部分が一貫してサロマさんには伝わっていないと私には見えるのですね。そこが「入れ子(カッコでくくること)」の問題でもあるわけです。で、その前提の部分が共有されないために、いつまでたっても「お前たちは私たちを悪者にしている」「不当な要求を繰り返している」というサロマさんの議論から先に進まないで同じところをぐるぐる回るだけ、ということが起こっていると、私には見えます。

にわとりさんに対して自分のことのように痛みを感じ、何かできることはないかと援助しようとした方に対し、にわとりさんや一部のアスペの人が「 助けも求めていないのにありがた迷惑だ」と思っていることが、一部の定型の方から見れば「無神経」だと感じるとのお話ですよね。
無神経だと感じるのはお互い様だと。

そうだとしても、間違った理解で追い込んできたのは向こうからであることには変わりないです。
私達は彼らに無神経なことをしてきたけではなく、彼らの無理解さに反論したんです。それは自然なことですし。
その上彼らは自分達への振り返りすらせず、私達が無神経だから問題なんだと話をすり替えてくるから余計に腹が立つんです。
ましてや私達は援助を求めたわけではありません。
無神経な対応をしてきたのは向こうてす。
そんな人たちの気持ちや立場なんて想像すらしたくないです。
自分への振り返りをするべきなのは無神経な対応をしてきた人達です。

サロマさん

 まあ,だいたい私が前回説明したことから予想される範囲に収まるご意見だったと理解しています。

 ということで,私のほうとしては一応サロマさんはこういう考え方なんだろうな。その視点からみるとこう見えるんだろうなと頭で予想できて,その通りになる,というレベルではあたまでは理解できたことになっているのだと思います。

 ただ,頭で理解することと気持ちを理解することはまたちょっと別ですよね?サロマさんがずっと抱え込んでいる痛みはサロマさんのもので,もし私がサロマさんと同じ条件の中で生きているのであれば,その自分の感覚で共感的になれると思いますが,そこは明らかに違っているので,そういう意味で共感的に応答することはむつかしい状況です。どうしても頭での理解のレベルにとどまります。

 残念なことは,この点ではサロマさんは私の話は一貫して理解されていないということです。ご自分の視点からの決めつけの話しかされないわけです。いくらそれではないのですよ,といっても同じことの繰り返しになります。

 ですからこのようなやりとりをいくら続けていても,それだけでは何の問題の解決にもならないでしょう。おなじところをぐるぐる回るだけに終わるはずです。今までのやりとりは整理しなおせばあきらかにそういう「法則性」を持っていると思えるので,そこが変わらなければ同じ結果になるはずです。

 ただし,同じように「入れ子」の話はよくわからないとおっしゃるキキさんとはまた全然違うやりとりができるんですよね。だからその意味でサロマさんの怒りがそういう形で反復されて,うまくコミュニケーションが取れなくなること自体は,それだけでは「定型アスペ問題」とは言えないだろうと思います。

 その意味で,サロマさんが定型VSアスペの図式で全部を理解しようとされていること自体,限界のある決めつけの議論になっていると考えられます。もちろん定型アスペ問題がからんでいることは私も間違いないと思うのですが,それだけでは到底説明不可能です。その点をサロマさんがどう受け止められるかは大きなポイントではないでしょうか。

 そこがしっかり見つめられない限りは,サロマさんの議論は結局定型の定型としての存在を全否定することにつながり,極端に言えば「殺し合い」でしか解決できなくなるように思えます。

パンダさんの『殺し合い』という表現から、これまでのトラブルの相関図が想像できるような気がします。

あくまで『俯瞰』して考えています。
それを個人攻撃と捉える人に関しては、ご本人の個人的事情と割り切らせていただきます。

また、刺激的な言葉を敢えて使わせていただきますので、そういうのが苦手な方は、読まないでください。
(私も空気が読めない人なので、自分にそういうつもりがなく、『酷い言い方だ!』と誤解されることが多いので、先に予防線を張っておきます)


まず、にわとりさんがこちらに来られた当初は、リアルの生活で、周囲の人に蔑まされ、利用されて、まるで奴隷のような生活を強いられていたと記憶しています。
ご本人は根っから良い人なのでしょう。理不尽と思われることに関しても、きっと自分が悪いのだと思って尽くしていて、何か指摘されると常に自分に原因があると自責していたと記憶しています。
それをこちらで吐き出すようになって、コメントを寄せる側は、何とかにわとりさんに自信を付けてもらいたいと思っていたのではないでしょうか?
少なくとも私はそういうつもりで、放っておけませんでした。

しかし、実際には、寄せられるコメントは、すでににわとりさんが、これまでの人生で様々に工夫したり苦労したりした結果、どうにもならないことばかりで、初めはコメントに対して『ありがとうございます』と受け入れていたにわとりさんも、だんだんと鬱陶しく思えるようになった。

すでに何度も試している。自分でも分かりきっていることを、異口同音に繰り返され、堪忍袋の緒が切れた。
そこで発した言葉は、不特定多数の人を傷つけるような辛辣な言葉だった。
そこでパンダさんが管理人として、それだけは許されないと釘を刺したのだと思います。

にわとりさんの事情を察することができない人々に(私を含め)取り囲まれてやいのやいの言われ、騒音に耐え切れずに持っていた拳銃を発砲してしまった。
しかし、拳銃を発砲したことは、許されることではない。
パンダさんが制裁したのは、発砲した行為に対してです。

しかし、にわとりさんをそこまで追い詰めたのは、事情も知らずに集団であれこれお節介を焼いた側であって、にわとりさんがそういう行為に出たことは十分理解できると言われているのが、今疑問をもっていらっしゃるアスペの方たちではないかと。
拳銃で撃たれたことに憤る前に、そのきっかけを作った側の責任は問われないのか?ということなのだと思います。

この撃たれたきっかけを作った、定型側の無知というのは、発砲事件以前にしっかりと考えなくてはならない点ですが、そこは、パンダさんがこのブログで一貫してやろうとしながら、年月をかけてもなかなか辿り着けないものであり、それが解決したら、このブログどころか、世の中のアスペ定型問題は、ほとんど解決するであろう、重要で非常に大きな問題です。

それを個々のレベルで闘いながら、疲弊しているのがアスペをはじめとする、発達障害者の運命であり、それはいくら誰かを非難しても解決できない問題なんだと思います。

私も、ADHDの特性から、本当に誤解を受けて酷い目に遭ってきた。それは生育歴に収まらず、親子の関係でも、仕事の関係でも、趣味の仲間であっても、直面しなければならない問題で、それにいちいち憤りを感じていた時分は、物事が解決するどころか、自分が世の中に不満を抱くことばかりで生きることさえ辛くなっていました。
いくら訴えても、解決することは出来ない。
訴えれば訴えるほど、自分の運命を呪うだけ。

しかし、にわとりさんが、『共同幻想』という、社会のあり方そのものに目を向けられたとき、『これは個人のレベルでどうにかできる問題じゃないんだな』と気付いて気持ちが楽になりました。

おそらく、激しい言葉で『発砲』してしまったにわとりさんも、言葉とは裏腹に、非常に高い位置から世の中を理解できるようになっていらしたのではないかと思います。

たまたま、これまでの生育歴から、そういう攻撃的な言葉を発砲することしかできない不器用さが、大きな誤解を招いてしまった。
私も『攻撃的だ』と言われる所以は、ここにあるだけで、本人は特に誰かを攻撃しようというつもりはない。

にわとりさんの悲劇は、その表現法を知らずに、その言葉に反応した多くの人が、無差別に傷ついてしまうだけで、ご本人はいたって、着実に、世の中を俯瞰できるようになっていたのだと、私には思えます。

そして、世の中の問題に気付くことは、何も反社会的な危険思想ではなくて、自分の立ち位置を再確認するだけのことで、それ自体、誰かを攻撃する意図は全く無いものだと理解してもらいたいですね。

相手には相手の考えや立場があると受け入れたり、相手の行為に感謝の気持ちは示すべきだとのことですよね。

仮にこちらからその姿勢を見せても、向こうがにわとりさんに努力不足などと言ったことや非難したことを謝罪なさってないし、優しい虐待をしたなどの間違いを認めたり、謝罪なさったわけではなく、こちら側のみの歩みよりや感謝の気持ちを持ったり、こちら側だけが相手に反論したことなどを謝罪することで相手との関係が上手くいくのであれば、それはフェアではないです。
こちら側のみが謝罪や感謝の気持ちや相手の立場を受け入れただけで、向こうはそういった態度を見せた訳ではないのですから。

>サロマさん

大きな勘違いをなさっています。

では、相手が行ったことに対して、相手が謝罪するまで決して許さないという態度を貫くのが正しいとしましょう。

それなら、私は、サロマさんから受けた数々の言葉にひどく傷つき、人格を否定されました。
それに対しては、謝罪していただけるのでしょうか?
私がサロマさんを傷つけたことに対して、その理由は説明しましたが、どういう風に謝罪すれば納得できるのでしょうか?
ごめんなさいという言葉ですか?ひたすら言い訳をせずに私が悪かったと繰り返すことですか?

それなら、私からも、サロマさんに同じことを要求します。まずはご自分からその見本を示してください。
しかし、それはサロマさんが納得する方法なので、私が納得できるかどうかは分かりませんが。

つまり、これこそが、パンダさんのおっしゃる『殺し合い』なのです。

サロマさんの言ってることわかるな。

にわとりさんを非難なさった方々を私達から歩み寄れ、許しなさいということでしょうか?
無神経なことを言った人達が自分達の非を認めていないのに、相手の好意や親切心からやっていることなのだから感謝の気持ちを持つべきだとのことなのでしょうか?

私は心を広く持てないからそんな人達に歩み寄れない。

相手のためを思い、良薬だからと勧めても、それが毒であれば、その人は死にます。
それを良薬なんだから飲みなさいとか、せっかく良薬を進めてあげたのに毒を与えたなんて言い方はひどいとか、そんなことを言われるようであればその人たちの方が残酷ですよね。
相手がどんな思いで言ったとしても、毒は毒であり、それを勧めてきたわけです。毒を与えてきたことに感謝するように言うのは違うのではないかと。
私達の訴えが殺し合いでしかないのだとしたら理不尽ですね。


>初めはコメントに対して『ありがとうございます』と受け入れていたにわとりさんも、だんだんと鬱陶しく思えるようになった。
ここは違うと思いますよ。
アドバイスにうっとうしくなったからにわとりさんが拳銃を撃ったのではない。
自分達の要求する応え方をしないにわとりさんに対して、トマトさんの言葉をはじめとして定型の方々が次々とにわとりさんにリンチを始めたわけですよね。
にわとりさんは身を守るために拳銃を発砲したのに、リンチをした定型の方々の責任は問われずに拳銃を撃ったしたにわとりさんのみが警官に(管理者側から)制裁を受けた。

リンチした側が制裁を受けないくせに、自分の身を守るために撃った側だけが責められるのはおかしいですよね。
リンチした側に感謝しなさいとのご意見もありましたが、リンチを受けたのに感謝しなさいというのはおかしいですよね。

ささん

 繰り返しになるのでこれ以上書きませんが、
 私が説明を繰り返していることについて、
 その前提の理解がみごとに全く共有されていません。

 ほんとになにか物理の法則を見ているように、
 怖いくらいに同じことが繰り返されています。

 相手の議論を理解したうえでのご意見なら生産的なやりとりになりますが、
 残念ながら相手の議論を理解しないうえでの議論なので、
 なんの反論にもなっておらず、私の方は反論もしません。
 何を言ってもまたおなじようにぐるぐる回るだけであることは
 ほとんど火を見るより明らかだからです。

 同じところをいつまでもぐるぐる回り続ける議論の限界を感じられて
 いつかもう少し違う目で見られる部分が出てきたら
 またその時にご意見を伺えたらと思います。
 

あすなろさん

私は違う立場の人を完全には理解できないけど、にわとりさんを傷つけた方のように相手に自分の価値観は押し付けるつもりはありません。だけとあすなろさんはそれを否定しましたね。

あすなろさんのことについて語ったことが中傷だとしか捉えられないのなら構いませんが、攻撃的な態度をとられがちな人にはそれなりの理由があるのは事実です。

>さ さん

>トマトさんの言葉をはじめとして定型の方々が次々とにわとりさんにリンチを始めたわけですよね

定型の人たちの『親切』が『リンチ』と捉えられてしまうカラクリについては、これまでのやり取りでだいぶ解ってきた部分ではないでしょうか。

ささんがご覧になっているのは、過去の一番問題の大きかった部分であり、そこに至るまでの経緯や、その後のにわとりさんの変化を何もご覧になっていません。
少なくとも、私は何度もにわとりさんからお礼を言われた覚えがありますし、他の方の助言にもお礼を言っていた部分があります。
にわとりさんが社交辞令を使っていたとおっしゃるのでしょうか?
アスペの方は、そういう社交辞令を上手に使い分けることができるのでしょうか?

何かそういう重要な心のやり取りを全く無視して、揉め事の部分にだけ目を向けていれば、どんなに時が経っても解決することはないと思いますし、ここでパンダさんが積み上げて来られたことを破壊する行為になると思います。

サロマさん

 横合いからごめんなさい。あすなろさんとのやりとりに割り込むなということでしたら,そのようにしますのでおっしゃってください。

>私は違う立場の人を完全には理解できないけど、

 と書かれたこの部分についてのみの感想です。

 このことをここではっきりと表明されたというのは,堂々巡りのかみ合わない議論を脱するうえで,とても大きな転換になるのではないかと思いました。

 もちろん違う立場の人のことを完全に理解できないのはサロマさんだけではなく,すべての人がそうです。例外はありません。

 そしてこの場は,そのことを前提にお互いに理解しあうための批判はしても否定はせずにお互いの関係の調整の仕方を考えるための場です。

 もし上のように書かれたことが,そのような場の性格,意義の理解の共有に結びつくのであれば,それは大変に大きなことだと思います。

 これは私の勝手な理解ですが,このところサロマさんの議論になにか新しいものへの転換の可能性がかすかに感じられていたのですが,上の言葉にそれがより具体的に感じられるようになりました。

 実際にそこからあらたな展開がうまれると素晴らしいのですが。

>サロマさん

>攻撃的な態度をとられがちな人にはそれなりの理由がある

つまり、これはにわとりさんが、攻撃的な態度を取られたことにも、理由があるという事です。
サロマさんは、にわとりさんも私と同じ傾向があったと認めていらっしゃいましたね。

その理由とは何なのか?

私がサロマさんから非難を受けたと感じたことと、にわとりさんが定型から非難を受けたと感じたことは、同じ理由ということになります。

つまり、サロマさんは『当然のこと』として、私を非難したわけですが、サロマさん側には自分を否定されたからという理由があった。

これは、にわとりさんが定型からたしなめられたのは、にわとりさんが定型の言ったことを否定としか受け取らなかったことに、定型側が憤ったことに対して、にわとりさんが、それは人格否定だ!と怒ったのです。

サロマさんが、定型側がにわとりさんに謝れというなら、私がサロマさんに、理由はともかく、人格否定したことに謝ってくれ、と主張するのと同じことになります。

攻撃的な性質を持つ人は同じように攻撃的な性質を持つ人から攻撃をされやすいと言いました。
あすなろさんもにわとりさんも攻撃的だと言ったのは、人格否定の意味ではなく、心理学を勉強し、いろんな人を救ってきた実績のある心理士さんが言っていることです。

しかしにわとりさんの発言自体は一部問題発言はあったかもしれませんが、言い分自体に間違いはなかった。
しかし大勢の人達がにわとりさん一人に「あなたは間違っている」と袋叩きにしたことはフェアではないでしょう。
にわとりさんに攻撃的な性質があったにせよ、言い分自体に間違いがあるのは、にわとりさんの方ではなく、にわとりさんが努力せずに甘えていると言ったり、自分達の考えを押し付けた方なんですから。

私は会社の同僚にわかったようなふりして自分の考えが正しいとは押し付けていません。
非難される覚えはありません。

>サロマさん

話が全く噛み合っていないことはよく分かりました。
その説明を何度か繰り返しているのですが、サロマさんには伝わらないことも分かりました。

また同じ説明を繰り返しても、サロマさんはご自分の正当性をますます主張されて、相手方の言動への不信感を募らせるだけで、無限ループから抜け出すことは出来ないと思います。

ひとつ、言いたいのは、相手方から受けた傷を主張するべきだというのなら、私はサロマさんがどういう理屈であったとしてもサロマさんから傷を受けたと認識しているので、主張する権利があり、サロマさんは、私の側にどういう理屈があろうと、私から傷を受けたと認識しているので、主張する権利がある。

だから、お互いにお互いの言動を責める権利があり、それをやり続ける限り、解決なることは決して無く、どちらかが倒れるまで殴り合うような殺し合いにしかならないということだということです。

どんなに入れ子の話をしたって、努力不足とか、どんなに傷ついても相手の好意に感謝してアスペ側である私達の方のみが歩み寄れとか言って、向こうからナイフで刺して来た事実は変わらないわけです。

私たちが加害者なのにそれを認めないかのように言われたり、殺し合いはおかしいと言われますが、向こうからナイフで刺してきたことを抗議するのはおかしい、ナイフで刺されてもそれに怒るのではなくてナイフで刺してきた相手の立場になって考えるようにというのはおかしいですね。

殺し合いの話をなされてますが、こちらから譲歩ばかりしても向こうは何も自分達への振り返りをしていないじゃないですか。
こちらばかりが身を切って譲歩しなければならないんですか。それで二次障害どころか、自殺した人も身近にいます。
それでも私達がおかしいと悪者にされるのはおかしな話です。

サロマさん

 これはあすなろさんへのコメントでしょうか?

 相変わらず議論がすれ違っているようにしか見えないのですが、サロマさんは誰に文句を言われているのでしょうか?サロマさんが傷ついた話をした一部の定型の方なのかなと想像するのですが、そうだとすれば、あすなろさんは別にその方たちが正しいと言っているわけではないので、話がかみ合いません。

 「こちらから譲歩ばかりしても向こうは何も自分達への振り返りをしていないじゃないですか。」というのも、まったくその通りで、だれもそのことを否定していないんじゃないでしょうか。

 なんのために誰をそこまで激しく批判されているのか、よくわからない議論になっています。私が理解できる限りはあすなろさんは別にそういう方たちと同じ議論をされているわけではないので。

 こういう説明だと、少しは伝わりますか?

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