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アスペルガーと定型を共に生きる

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2017年7月11日 (火)

矛盾を受け入れる入れ子の自分

 「あなたって困った人だね」という言葉は、一番シンプルに理解すれば「あたな」=「困った人」という断定と言うことになります。そして「困った人」=「自分にとってはマイナスの人」=「できれば避けたい人」という意味を持ちますから、そういう風に相手に言う場合には「あなたとはかかわるのがしんどい」「あなたとはもうかかわりたくない」という意味を持つことにもなりえます。

 けれども、少なくとも定型のコミュニケーションではその言葉の言い方、言うタイミング、状況などの違いによっていろんな意味を持つことができます。

 たとえばその相手の人との関係が深い信頼関係でつながっているような場合、その言葉は相手への愛情の表現であることもあります。なぜそうなるかというと、「あなたは本当に困った人だけど、それでもあなたと私は深い信頼関係でつながっている。そしてこれからもずっとそうだ。あなたのその欠点を私はこれから受け入れて生きていくことを覚悟した。たとえあなたが私を困らせるとしても、そのあなたを受け入れたいと思うほどにあなたは私にとって大事な人なのだ。」という、相手に対する思いの深さを伝えている場合もあるからです。

 「困った人」という言葉を単に「かかわりを避けたい人」という意味だけでとらえると、こういう理解の仕方は生まれようもありません。「かかわりを避ける」ということと「大事につながっていく」ということはもちろん矛盾しているからです。

 ところが定型はその矛盾をそのまま受け入れるような態度をすることがしばしばあります。

 この矛盾した思いを受け入れる、ということと、もしかすると入れ子の話がなにかつながるということを、何か漠然と感じます。

 なぜかというと、「困っていると悩んでいる自分」と「相手を大事に思い、つながっていきたいと思う自分」という二つの「自分」が同時に成り立つためには、その両方の面を見て、その両方の面を受け入れているもう一つの「自分」が必要になるからです。つまり図式化するとこうなるかも。

 「『相手に困っている自分』と『相手を大事に思う自分』の両方を見つめ、その両方を受け入れている自分」

 この時、『相手に困っている自分(a1)』と『相手を大事に思う自分(a2)』は分裂してしまうのではなくて、「その両方を受け入れている自分(A)」の二つの面だ、と言う形で一体化させられるわけです。その意味で自分(a1)と自分(a2)が自分(A)との間で入れ子の関係になっていることになります。

 自分の矛盾した思いを矛盾を含んだまま受け入れる、と言う話は定型の判断がグレーのものになることが多い、という話にもつながっていきます。さとさんが鋭く指摘されていたように、定型のグレーと言うのは「白と黒の間」という意味ではなくて、実は「白もあるし、黒もある」というその両方を認めている、という場合が結構あるわけですね。だからさとさんはそれは本当のグレーじゃないだろう(あるいは自分の考えるグレーではない)、と感じられたようです。

 でも、「『白と感じている自分』と『黒と感じている自分』の両方の自分をどちらも意味のあるものとして認めている自分」というふうに自分を入れ子にしていけば、「両方の面を持ってどちらとも決められない自分」が成り立つわけで、そこが一般的には「グレー」と表現されている中身だということになります。

 定型は、そういう風にどちらかだけに決めてしまわない「もう一人の自分」を入れ子のような形で作ることが多い。そうすると矛盾している両方が「両方ともそうだ」と言う形で受け入れられるようになる。たぶんその見方がアスペの方に理解されないことが多いのでしょう。

 定型はそうやって一見折り合いのつかない矛盾したものを一体化し、対立して分裂してしまうことを避ける、という工夫をやってきたのかなと思います。だからアスペの方のように「白か黒か」どちらかに割り切る、というスタンスに違和感を感じることがある。「そんなに簡単に割り切れないでしょう。どちらもあるでしょう」と思ってしまうわけです。

 人と人の関係は簡単に割り切れないものです。お互いに自分の理屈では割り切れないものを持っていて、どうしても完全には折り合いがつかない。人とのつながりを持続するには、そういう折り合いのつかない部分も含めて相手を受け入れていくよりない。定型はそうやって関係を持続する方向を重視する傾向がある。これに対してアスペの方は自分の理屈に合わないものは割り切ってしまう傾向が強く、そうすると自然と相手との関係は切れていきやすくなります。

 そう考えてみると、一見矛盾した二つの自分を入れ子的にもう一つの自分で受け入れていく、という関係を作るかどうかの違いが、人間関係の作り方の違いに結びついていくのだとも言えそうです。

 一部のアスペの方に非常に伝わりにくいのは、私がAの私としてa1とかa2の私を語っていることについて、Aではなくてa1かa2としてそのまま受け止められるからだろうという気がします。

 

 あすなろさんが「特に良いも悪いも無いメッセージを『責められた』と感じるところは、また別な感覚で、これもまた多くのアスペの人に共通するところなのかな?と感じました。」と書かれているところも、この理屈で言えばA(良いも悪いもないメッセージを発している自分)ではなくてa1(良いメッセージを発している自分)かa2(責めるメッセージを発している自分)としてそのまま受け止められてしまうから、と理解できることになります。もしそうならやはりそれも入れ子の有無にかかわることですね。

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