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2017年7月30日 (日)

将棋との違い

 また入れ子の話ですが、将棋はある意味で入れ子の連続のようなところがあります。

 「「自分がここで歩を打つ」と相手はそれを「自分が次に飛車を○○に動かす」準備と考えて、それに対抗して金を××に動かすかもしれない。その時は自分は次に桂馬をうつことで相手の意図を外すことができる。」というふうに自分が考えるだろうと相手が考えて、金を××に動かさず、銀を××に動かすかもしれない。その時は自分は歩を進めて成ることで局面を変えることができる。そうすると相手は……」」」


 みたいに、お互いの読みを読みあって進めるわけですね。しかもその読みのパターンはものすごい数になります。

 将棋のプロと言うのは基本的に天才みたいな人でしょうし、何十手も、しかも何筋も読むんでしょうね。そんなに複雑な入れ子を頭で展開する。そういう人たちの中にもアスペ系の方が結構いそうです。

 だからその意味ではアスペの方が入れ子がわからないということはないはず。アスペ系の方が得意なプログラミングだって入れ子のオンパレードですしね。

 
 でもだからと言ってそういうアスペ系の方が人間関係の入れ子をうまく理解できるわけではなく、そこではものすごく苦労されたりもするわけです。

 
 何が違うのかなと気になっているのですが、ひとつてがかりになりそうなことは、将棋の場合は駒の動きがあらかじめはっきりと決まっていて、それ以外はルール違反だということです。だから相手の意図を読むと言っても、限られた可能性の中から読んでいけばいいわけで、しかもそのルールは基本的にはずっと変化しない。

 ところが人間関係の場合は、相手の出方のパターンはきっちりとは決まらない。大雑把には法律に違反しないとか、習慣に従うとか、礼儀に従うとか、ある程度の決まりがあるときもあるけど、それも絶対とは言えない。決まりと言っても矛盾するようなのがあって、場合によって使い分けたりもするし、そもそも決まり自体がどんどん変わっていくこともある。

 割と安定しているように見える習慣だって、十年、二十年と年月が経つとぜんぜん変わってしまうこともあるし、そもそも文化が違うとお互いに全然矛盾するような習慣を持っていたりします。

 だから世の中の人間関係の中での決まりと言うのは、多かれ少なかれ揺れ動き続けるものなわけですね。もちろん大きな決まりは比較的安定して続きやすいし、細かい決まりはすぐに変わる可能性が高いとか、そんな違いはあるにしても、でもいずれ変化していくというのはどちらも同じ。原始時代から一切変化しないきまりなんてないでしょう。

 かといっていつでもずるずると変化していったら、みんなわけがわからなくなって世の中大混乱になるから、ある程度は安定していないといけないし、安定させようとする力も働く。そういう意味で変化しようとしたり安定しようとしたり、そのあたりも揺れ動きながら世の中の決まりは成り立っているわけです。


 そうすると、そういう社会で生きていくには、「はっきりと決まらないもの」について、お互いにいろいろ調整しあいながら折り合いをつけていくような、柔軟な、あるいはある種のいい加減さを持ったやりとりの仕方を身に着けていかないと生きていきにくいことになります。

 そうすると、曖昧さが我慢できず、白黒明確な状態を好むアスペの方にとってはとても不利な状況だということになりますよね。


 たぶん定型の使う入れ子は、そういうあいまいさをたっぷり含んだ入れ子なんでしょう。そこがたとえば将棋などのように、曖昧さは全くない入れ子(ただし、相手がいろんな可能性のある手のどれを選ぶかは断定できない)とはすごく質が違うのだということになりそうです。


 物理学とかの自然科学や数学、論理学、プログラミングなどでアスペの方が活躍しやすいのはそういうめちゃくちゃ曖昧な世界、複雑な世界を数式や論理の式で明確にしながら考える方法を持っているからでしょうね。「どっちとも言えない」みたいな世界も「確率」という数学で対応してしまいますし。そのやりかたで宇宙の始まりまで考えられてしまうわけですから、その力は相当のものです。

 法律なんかも、めちゃくちゃ複雑な世の中を、法律と言う「きまり」で割り切る形で対処するから、アスペ的な理解がしやすいところでもあります。ここもまたアスペの方が活躍する場面の一つになっているようですね。ただし非常に複雑な問題について、あまりに機械的に表面的にルールを当てはめることでおかしな法律的判断が生まれることも実際にはよくあっていろんなトラブルのもとにもなりますが。 


 共感の問題がそこにどうからむのかはまだちょっとよくわかりませんが、とりあえず理屈の世界の問題としては、そんなことがありそうな気がしました。

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