2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 矛盾を受け入れる入れ子の自分 | トップページ | アスペに「なる」しくみ »

2017年7月13日 (木)

原因と結果を見間違えない大事さ

 定型アスペ問題を考えるとき,その出発点になるのは日常の中でのトラブルということになりますが,そのトラブルの性質,原因を考えていくときに,「生まれながらに持っている感じ方や考え方の特性」のずれによる部分と,「そのずれが積み重なる中で作られる,その困難への対応の仕方」のずれの部分をより分けて考えることの重要さをますます感じています。

 言葉を変えると一次障害と二次障がいの区別,という言い方もありますね。

 たとえば自閉系の特性としてわりあいイメージされやすいもののひとつに「他人とのかかわりをさける傾向が強い」というものがあるだろうと思います。それこそ「自閉」の名前の由来みたいなものですよね。

 でも,実際には自閉症スペクトラムとみなされる方の中には,かなり人とのかかわりを求めるかたも多いわけです。この場に登場されるアスペの方たちも,わざわざほかの人たちとのやりとりを求めていらっしゃるわけですし,その意味では全然「自閉」ではない。(そういう方たちを積極奇異型とかめちゃくちゃなネーミングであらわされたりもしていますが,ひどい話だと思います)

 カサンドラ症候群というのが問題になるのも,そもそもアスペの方がパートナーを求めているからです。「大事な人を求める」ことがなければ結婚も成り立たないという意味で,ここでも「自閉」ではない。

 つまり問題なのは「他人を避ける」ことではなくて,「他人を求める」ときの「求め方」や,「他人と付き合う」ときに必ず生まれるトラブルの「理解と調整の仕方」にずれがある,ということなのでしょう。

 そこがうまくいかないことが繰り返されると,結果として「他人を避ける」しかなくなる場合がある。それは原因というより結果だと考えられます。

 その証拠に,定型のがわっだって,アスペの方とうまくいかずに苦しむことが続けば,結局はそのアスペの方を「避ける」ようになりやすいでしょう。そこは同じだけど,ただ定型の場合はほかの定型の人についてはそういう避け方をしなくて済むことが多いので,「自閉」とみなされないだけとも言えます。

 ということは,「だれだって他人とうまくいかないことが続けば,他人を避けるようになる」ということは共通なわけです。違いは「他人とうまくいかない」ということが起こりやすいかどうかで,アスペの方はそれが起こりやすく,定型はそれに比べると起こりにくいという違いがある。
 
 その一つの理由はアスペは少数派なので,周りは大体自分とは違う理屈や感覚で生きている定型なので,孤立しやすいということでしょう。だから「誰にも理解されないからほかの人たちを避ける」ようになりやすい。その証拠に,この場でもアスペの方同士で共感しあう例が少なくありません。

 でも,たとえばあすなろさんの家族の例を見てもわかるように,それだけではなくて,たとえアスペの方同士が集まっていても,「同じ理屈や感覚を持っているからうまくいく」ということでもなくて,アスペ間の対立もかなりシビアになる例があるわけです。
 そう考えてみると,アスペの方が「他人を避ける」ようになりやすい原因は,「他人とずれたときにそれを調整する仕組み」に独特の性質,特性があって,その特性によって定型より関係調整が苦手な部分があることにある,と考えるとわかりやすくなります。


 アスペの方はそういう「苦手さ」をより多く抱えて成長していくことになるわけですが,そこで環境が厳しいと,周囲から否定され続けたり拒絶され続けたりすることになり,自己肯定感を持ちにくく,他者に対しては強く懐疑的になったり,敵意を持ったりすることで自らを守らざるを得なくなる。

 そしてそういう姿勢を持ち,かつ自分を強く押し出す傾向が強い人が何らかの意味で「上の立場」(妻に対する夫,子供に対する親,部下に対する上司など)に立つと,相手とのずれを調整するのが苦手な分,「力で相手をねじ伏せようとする」形になりやすい。あんこさんのお父さんの例などはその典型でしょう。

 おなじような環境に育っても,自分をあまりつよく押し出さないタイプの方の場合は「相手をねじ伏せる」よりもむしろ自分の中に問題を抱え込んでひとりで苦しむ方向に進むかもしれません。


 逆に環境がゆるやかで,周囲から肯定的に見られ,受容されて育った方の場合は,自己肯定感を保ちやすく,他者に対しても比較的信頼を持ちやすく,友好的な姿勢を持ちやすくなるでしょう。

 そうなると,もともと関係の調整が苦手であっても,気持ちにゆとりができやすいので,いろいろな工夫もしやすくなり,仮に問題が起こっても比較的軽くすむ可能性が高まるし,自分なりに楽しく生活する世界を作りやすくなる。


 この理解の仕方がどこまで実態にあって有効かはわかりませんが,仮にそんなふうに考えてみると,アスペの方は「共感性に乏しい」とか,「他人を求めようとしない」とか,そういう単純な決めつけをする必要がなくなります。それはその人が置かれた状況やその人の性格などが合わさって作られる結果なのであって,原因ではない,と考えられるようになるわけですから。

 そうすればアスペの方がほんとに多様だ,ということも無理なく理解できるようになります。アスペの方がしばしば示す純粋さも,優しさも,逆にはげしい攻撃性や場合によっては差別的な姿勢も,そのどれも「その人が置かれた状況によって生み出されうるもの」として無理なく理解ができるようになります。

 そしてここが大事っだと思うのですが,そうやっていろいろなタイプの方があり,場合によっていろいろな姿を示すことがある,ということは,定型だって基本は同じです。


 どんなコミュニケーションも多かれ少なかれずれを含んでいますし,問題の起きない人間関係もあり得ません。だいじなことはそのずれを調整し,問題を修復する工夫です。そうやって調整の仕方を考えるときに,原因と環境によって生み出される結果を取り違えるとうまくいくはずがありません。結果の部分しか見なければ,容易に相手を決めつけるだけの凝り固まった見方になり,それはさらには差別へとつながっていきます。そして調整ではなく,否定と排除の姿勢になっていきます。

 逆に原因と環境の違いから結果への流れを見つめられれば,そこに「別の可能性」を見ることが可能になり始めます。結果で相手を決めつけるのではなく,調整の工夫がそこから模索可能になるわけです。自分だって原因と環境が同じならば,同じような結果になっていた可能性が高いことが実感できるようになりますから,差別的な見方は不可能になりますし,単純な否定や排除もできなくなります。

 私がここで模索し続けているのは,たぶんそういうことなんだろうと思います。
   

« 矛盾を受け入れる入れ子の自分 | トップページ | アスペに「なる」しくみ »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/71125112

この記事へのトラックバック一覧です: 原因と結果を見間違えない大事さ:

« 矛盾を受け入れる入れ子の自分 | トップページ | アスペに「なる」しくみ »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ