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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2017年6月 7日 (水)

ルールの違い

 あることについて,私がだいぶ頑張って解決しようとしてきたのですが,そのことをパートナーに話してもなかなか理解してもらえない,という状態が続いていました。

 今回もまたそういうやりとりがあったのですが,私のわからない説明に業を煮やしたのか,彼女が「それであなたはその(解決の)ために何をやったの?!」というようなことを問い詰めるような口調で(と聞こえてしまう)言うんですね。

 で,私はまたもやショックを受けるわけです。今まで説明してきたことは何だったのか?私が努力をしている姿を全然見ていなかったのか?という,ちょっと愕然とする思いです。


 それから少しして,「ああ,これも<あれ>だよな」と気づくんですね。

 彼女にとってその言葉の意味はたぶんこういうことです。私の努力は人間関係の調整に関係する部分がとても大きいので,そこで私が何をどう調整しようとしているか,ということについては彼女はまずわかりにくい。そういうやりかた,見方は彼女のレパートリーの中にはなくて,彼女は違うやり方で解決しようとするからです。

 だから,私がどれほど一生懸命説明しても,何をしているのかがぴんと来ない。できるだけわかりやすいようにとたとえ話などをしても,そのたとえの意味が伝わらない。だからごくシンプルに「何をやったのかわからない」ということになります。

 ここまでは私もそういうこともあるだろうとは思えるので,「そのやりかたの意味が分からない」というような形で言われれば,「ああ,ここはやっぱり見方や考え方がすごく違うんだな。だから伝わりにくいんだな」と思ってそれでOKになるわけですね。そしてもう少し伝わりやすい説明はないだろうかと考える。



 でも,彼女の言い方はそうではなくて,「何をやったの?」ということでした。このことばは定型的には全然違う意味を持つことが多い。とくに強い口調で言われるときはそうです。つまり,「何をやったの?」=「何もやってないじゃない!」という強い非難の意味が相手に伝わるのです。

 定型アスペの間でよく問題になるエピソードの一つとして,部屋が暑いときに「暑いね」と相手に言うと,アスペの相手が「暑いね」といってそれでおしまいになって,コミュニケーションがうまくいかないという例があります。このとき定型の言う「暑いね」には「だから窓をあけない?」とか「クーラーをつけない?」という問いかけとか依頼の意味が入っていて,むしろそちらのほうが言葉の主な意味になっているわけです。

 アスペ的理解の展開
   定 「暑い(と私は感じるけど)ね。(あなたはどうなの?)」
   ア 「(私も)暑い(と感じる)ね。」

 定型的理解の展開
   定1 「暑い(と私は感じるけど)ね。(あなたはどうなのかな?もしあなたも暑いのなら,窓を開けたほうがいいのじゃない?あなたは近くにいるから窓を開けてくれると嬉しいんだけど)」
   定2 「(たしかに暑いと私も思う。だから)窓を開けようか」
 
 というような違いが生じやすいわけです。たぶん。で,なんで定型がストレートに「開けて」と言わないことが多いかというと,それはこれもたぶん「相手の気持ちに働きかけようとする」からです。

 「暑いね」という言葉は,最初にまずお互いに「暑いと感じている」というところは共通だという確認の意味があります。(だからもし「いや,そんなに暑くないけど」と言われればその後の展開は変わる) 

 そして,もしそこで相手が否定しなければ,「問題が共有された」ことになりますし,「じゃあ一緒に問題を解決するにはどうしたらいいか」という課題が生まれることになる。

 で,どうやって解決をするかといえば,窓を開けるとかクーラーをつけるなどがあるわけですが,そこで状況からみて話した側がそれをするより相手にしてもらったほうが何かの意味でよかったり便利だったりする,ということが分かると,相手の人が自分でその判断をしてそうする。という展開になる。

 つまり,定型のこの言い方には「相手のひとと理解を調整して,一緒に問題を解決しようとする姿勢を作り,そのうえで,その役割を相手の人に自主的に判断してやってもらおうとする」というような意味があると考えられます。

 これに対してダイレクトに「開けて」というときには,直接的な命令ですから,相手の人に判断をゆだねるというクッションがないわけですね。


 似たようなことがカナータイプの自閉の子がしばしば見せる「クレーン現象」というのにも見られます。

 たとえば相手にドアを開けてほしいとき,相手の腕をつかんでそれをドアのノブにポンと置いたりする,というあれです。これをされるとされたほうは何となく自分が物のように扱われた気分になります。

 なぜかというと,一般的なやり方では相手に「ドアを開けて」と言葉で要求するわけですが,それは言葉で相手の気持ちとか意図に働きかけて,その人に自分の意志で開けてもらう,ということをやるわけですが,そういう言葉での要求抜きで腕をつかまれて「強制的に」あることをさせられた,という感覚になるからです。つまり自分の意志が無視されたように感じるわけですね。人は物を扱うときには物の意志など考えませんから,それと同じような扱いを受けた印象になるわけです。


 ということで,定型的な発達では「相手の意志に働きかけることで自分の要求を実現しようとする」ということをどんどん複雑化させていきます。そうやってクッションを何重にもしていく。その先に「暑いね」という言葉のような「間接的な要求」みたいなことが生まれてくることになります。

 これに対してアスペ的な発達ではそういうクッションを発達させるのではない形で,もう少しストレートなやり取りの仕方を重視する方向にいくのだろうなと思います。そうすると定型的なクッションはますます意味が分からなくなり,定型のやり取りを見て「本心を隠している」「本当のことを言わない」という否定的な理解がそこから生まれてくることもある。


 で,彼女の「何をやったの?」という言葉はそのストレートバージョンなわけですね。それは私のやっていることの意味が説明を受けても分からないので,「(それはつまり)何をやった(ことになる)の?」と素朴に尋ねているだけなのです。でも定型の私はその同じ言葉に「何もやっていないじゃない!」という裏の意味を感じ取ってしまうし,そして実際彼女の表情が相手を非難するときの表情に近い(実際は困惑の表情)なので,そこはもう間違いないと思えてしまうことになります。頭で考えるのではなく,自動的にそう理解してしまうわけですね。

 ようするに,お互いにコミュニケーションのルールが違うわけです。だからお互いに相手のやりかたは「反則」に見えてしまって,困惑したり,ショックを受けたり,怒りを覚えたりすることになります。
 

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コメント

分かります!
そういう言葉の印象の受け取り方に加えて、文脈の中のどれを捉えているのかというのも、非常に誤解が多いですね。
『○○をやったから、△△になった』『○○しないと、△△にならない』と言う説明で、『△△になった、ならない』の部分だけを捉えて、大揉めになること多いです!
夫ともついこの間、これで大喧嘩!
私は『○○だから』の部分を強調して、『○○をしないでほしい』という警告を送っているのに、『俺を△△と見下したな!人格否定しやがって!』みたいな話になって、あー、もう無理だー!と。その部分をいくら説明しても、人格否定された!という怒りになってしまって、結局噛み合わずにお互いに恨みが募るようなことになってしまいました。

同じように、仕事で接しているアスペのお子さん。
テンションハイで、大騒ぎがやめられず、お家に送る時間が遅くなってしまった。
『やめないと、お母さんに、こういう理由で遅くなりましたって、お話ししなくちゃいけないよ。やめようね』と言ったら、一旦やめたものの、『お母さんに話す』という部分だけが残ってしまって、さらに大騒ぎ!
『言ったら殺すからな!おめえのせいだからな!』と大暴れ。
あ、これはしまった!と思った時には遅かった!
その子が他のことに気を取られて、私の言ったことを忘れるまで、さらに時間が掛かってしまいました。

この誤解は、本当にお互いの感情を煽ります。
お互いに、自分には文脈をこう捉える傾向があるが、それは正しいとは限らない。両者に誤解が生じることがある。というのが、もっと知れ渡らないと、トラブルはなかなかなくならないのかもしれないなと思いましたね。

こんばんは^_^

パンダさんの

 似たようなことがカナータイプの自閉の子がしばしば見せる「クレーン現象」というのにも見られます。

 たとえば相手にドアを開けてほしいとき,相手の腕をつかんでそれをドアのノブにポンと置いたりする,というあれです。これをされるとされたほうは何となく自分が物のように扱われた気分になります。

という記事の一部分、私は息子にクレーンをされていたときは「お、頭いい!」なんて呑気に思ったものです(笑)
だって、結果はそうなるんですもんね。

「起きて!」が言えなかった頃は、私の目のまぶたを直接開いて「起きた状態」にしようとしてました。
これも「なるほどなー!」と思ったりしてました。

上のふたつは、まだ息子に自閉があるなんて、全くの全く想像もしてなかった頃の話です。

私自身がアスペだから、そう感じたのかなぁ?

しかし、定型さんは本当にややこしいことを毎日やってのけてるんですねー!
瞬時に判断できるから定型なんでしょうね。
そんな手順、考えながらではとても出来ませんー!f^_^;

あすなろさん

 みんなこのあたり、苦労してますよね。

 ところで前から思っていることなんですが、やっぱり夫婦関係は同じ定型アスペ関係と言っても親子関係とは全く違うむつかしさを持っていますよね。親としてアスペの子どもに接するときと、パートナーとしてアスペの相手に接するときとではほんとに問題が別といっていいほどの違いもありそうです。


キキさん

>「お、頭いい!」なんて呑気に思ったものです(笑)

 これまた頭爆発するくらい面白い見方ですね!
 そういう発想、私は逆立ちしてもバク転しても(どっちもできないけど(笑))出てきませんでした。こうやって教えていただかなければ死ぬまで思いつかないでしょう。
 これだからアスペの人の意見は私には貴重なんですね。宝物。

>しかし、定型さんは本当にややこしいことを毎日やってのけてるんですねー!

 人間、エネルギーの総量なんてそんなに変わんないから、たぶん頭の使いどころが違うんですよ。まだ具体的にはわかんないけど、きっといろいろ見ていけば、「アスペさんて本当にややこしいことを毎日やってのけてるんですねー!」というのがいろいろ出てくるんだと思います。
 そういうところが見えてくるとまた面白くなりそう。

 

>パンダさん

夫婦と子供との違い。
おそらく、対等な立場か、庇護する立場かの違いでしょうね。
対等というのは、何も良い意味ではなくて、どちらも同じくらい自分を主張したい立場で、庇護する相手なら、ムカッとしても少し高い位置で俯瞰できるのかもしれません。

夫の例と、お子さんの例を逆転してみると分かります。
お子さんが『人格否定したな!(僕をバカにしたな!』と言ったら、そんなことはない!と言い訳する前にまず謝ると思います。心の中では悲しくなっても、きっと何か原因があるはずだと探るでしょうね。
夫が『言ったら殺すぞ!お前のせいだからな!』と言ったら、一瞬唖然として、怒りが湧いてくると思います。

でも、どうやら夫もアスペの子も、これまで誤解したり、されたりすることが多くて、自分の主張を認めさせたくて必死!というところは共通するように思います。

あすなろさん

>どうやら夫もアスペの子も、これまで誤解したり、されたりすることが多くて、自分の主張を認めさせたくて必死!というところは共通するように思います。

 うーん、なるほど。

 ある意味ではそこまでいつも厳しいところに追い詰められて、極度に緊張して身構えていないと生きていかれない、ということなのでしょうか。そう考えるとわかる気はします。アスペだからそうなる、というよりも、アスペであるがゆえに置かれた状況によってそうせざるを得ない、ということになりますよね。

 仮に自分も同じ状況になれば、同じような生き方になるだろう、という感じになるという意味では共感できます。

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