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2017年5月12日 (金)

沈黙の意味

 また韓ドラネタです。ちょっと考えるヒントになりそうな気がしたので。

 前にも書いたかもしれませんが、韓ドラ見ていて登場人物のやりとりに「え?なんでここで一言ほんとのことを言わないんだ!」といらいらすることがあるわけです(笑) 「言わなきゃ悲しい展開になることが見え見えだろう!」とか。「悲しい状態になってほしいのか?」とか(笑)。

 そこがすごく不思議で、それで、お互いに「言わない」状態で相手に気遣って無理をしたりするので、お互いに相手に気遣いながら誤解が積み重なって、当然のように悲しい結末になる。で、実はそういうことだったのだということが後からわかって、それで自分を思う相手の思いの深さに衝撃を受けて(感激して?)、それで余韻を残してドラマが終わる、みたいな。

 それから、字幕を見ていて面白いんですが、日本語ではいろんな言葉で訳されているところ、韓国語ではたんに全く同じ単語をくりかえしているだけ(たとえばただ相手の名前を何度も繰り返して言う)だったりして、韓国語はわからなくても、単語くらいは耳に入りますから、「なんだ、この翻訳いいかげんじゃん」とか思ったりしていたんですが、それも合わせて同じ理屈かもと思えたんですね。

 つまり、「言葉では語り切れない思い」を、そうやって沈黙で表したり、ただ相手の名前を繰り返して呼び続けることで表したりしているのでは?と思ったわけです。いや、もう「表す」という言い方自体も言いすぎなくらいかもしれませんが。だから翻訳する人は、そのあふれる思いを感じてしまうから、同じ単語を繰り返す翻訳ができなくて、ついついいろいろな言葉で表してしまうというようなことがあるんじゃないかと。

 日本でも「ことばにすれば嘘になる」みたいな言い方があったようななかったような(笑) あまりに大事なこと、あまりにショックなこと、あまりに大きなこと、あまりに深いことはどんな言葉でも表すことができない。できない時はただその苦しい思いをため息のように表すしかなくなるわけでしょうね。

 韓国の人ってがんがん自分の気持ちとかぶつけてくる印象があるし、その印象で言うとそんなふうに「言わない」ということがますます不思議になるんだけど、でもたぶん自分の気持ちをぶつけあうような関係だから、逆にぶつけても伝わらないと思えるときの、あるいはぶつけてはならない(相手のためにとか)思えるときの、そのときの「沈黙」という最後の伝え方があるのかもしれないと思いました。

 で、ここでアスペの方の話になるんですが、アスペの方は、基本的に自分の言葉は伝わらない、自分の思いは共有されない、自分の世界は理解されない、という感覚を強くお持ちですよね?定型だってもちろんそういう「場合」はありますが、もうそれはレベルが全然違う。

 そうすると、「言葉」に対する無力感みたいなものが生まれても当然かなという気がします。

 韓国の場合はそこで「沈黙」みたいなことをいろいろ工夫して(?意識はしてないけど)使うことで関係を調整するということをやり続けてきたのかなと思うのですが、そんな風に「伝わらない時の伝え方」みたいなのはアスペの方にあるのか?あるいは伝わらない時にどうされるのか?そのあたり、ちょっと考えてみるといいかもと思ったのでした。

 ひとつには「あきらめて自分の世界に入り込む」という形があるのだと思いますが、それだけでもなさそうな気がして。具体的にはまだ全然わかりませんが。

 

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コメント

ちょうど、前の記事から、『言葉の表現の仕方の違い』の問題を考えていました!!

>そういう傾向があるので、パートナーの話がその部分で「かちん」と来ることがずっと繰り返されてきたんだ、ということにまずふと気が付いたんですね。私から見て筋の通らない話を一方的に決めつけたように言われるように感じる。それで、「それはおかしいでしょう?」とすぐに反論したくなるわけです。

>子育ての仕方や私に対する要求なども、とにかく「押しつけ」と感じられるものが多くて、全然柔軟性がなくて、息苦しい……と、かつてはそう感じてものすごく憤ったり、しんどい思いが続いたりしていました

ここの部分なんですが、うちもこの手の揉め事が多くて、『何で、分からないの?』『何で、そう捉えるの?』と私が突っかかることが多い。

しかし、よくよく話し合っていくと、そもそも、

『一方的に決めつけた』『押し付け』あるいは『私の言動に突然怒り出した』と思っていること自体が、私の思い込みだったということがたくさんありました。
すると、アスペの家族は、『なぜ、それを一方的に決めつけたと理解しちゃうのかが分からない』『俺は何も怒っていないのに、そっちが怒り出したと決めつけた!』と反論される。

それから、あれ?と思って、私がどんな言葉でそう感じるのかを考えてみました。
すると、私にとって『決めつけ』や『押し付け』と感じられるキーワードがあるように思えてきました。
つまり、アスペ家族は何も押し付けていないのに、その言動をされると、私の方が『押し付けた!強引だ!』と誤解してしまうようなんです。

その逆もあります。

言葉って不思議ですね。
自分の習い性でその『言葉の印象』を作り上げているくせに、自動的に相手の感情が見えてしまうような錯覚を起こすのです。

気付いたんですが、この『自動思考』をコントロールするのは、とってもとっても難しい。なにせ、すべての対人関係をこれでこなしているわけですから!!!

それと同時に、受ける印象と遣う言葉の選択は、別だということです。
自分はその言葉に嫌な印象を受けるのに、自分自身は平気で遣っていたりする。

アスペ定型はその差が極端ですが、人間関係全般に、このトラブルはありそうだなと感じます。
国会なんて、まさにそんな感じですよね。敢えて間違ったとらえ方をして見せるという、いやらしい手段にも使えます。


もうひとつ、前の記事の『普通』について、なるほどなと感じました。
同じ発達障害でも、ADHDやLDは、『普通ライン』が見えてしまうんです。
ADHDはむしろ刺激過多なので、周りが期待する『普通ライン』が分かり過ぎてしまう。
だから普通ラインに何としても近づきたい、近づけなくちゃいけないという意識が強いです。
しかし、行動は普通ラインどころか、ごく限られたことしかできない。その開きが物凄く大きいんです。理想と現実のギャップが激しすぎる。

前にどこかで『ASDの人より、ADHDの人のほうが、深刻な精神疾患を抱える割合が多い』というのを読んだ気がしますが、おそらく『普通ライン』が見えるか見えないかの違いが大きいのではないかと感じます。

あすなろさん

> 同じ発達障害でも、ADHDやLDは、『普通ライン』が見えてしまうんです。
ADHDはむしろ刺激過多なので、周りが期待する『普通ライン』が分かり過ぎてしまう。
だから普通ラインに何としても近づきたい、近づけなくちゃいけないという意識が強いです。

 これはすごくわかりやすい説明ですね。かなり深く問題の本質みたいなところに食い込んでいるという印象を持ちました。

> 自分の習い性でその『言葉の印象』を作り上げているくせに、自動的に相手の感情が見えてしまうような錯覚を起こす

 これは言葉が持っている運命的な性格だと思います。だって、たとえば「お菓子」という言葉を言えば、私も相手も大雑把には同じものをイメージすると信じ込んでるからそれを言葉としてつかえるわけで、そこに全て疑問を持ったら、そもそも言葉でのやりとりは一切できなくなります。

 よく、「他人の言うことは決して理解できない」みたいなことが言われることがありますけれど、これ、実際はとっても奇妙な主張なんですよね。理屈から言えばその言葉の意味だって相手には伝わらないんだから、そんなこと主張すること自体、無駄だ。壁に向かって音を出しているだけだ、ということになるはずなんです。でもわざわざそういうことを主張する。

 ということは、最低限「お前には私の言うことは理解できないんだ」という言葉の意味が伝わるとい信じ込んでいるから、ということになって、自分で自分を否定しているような変な主張なんですね。

 だから、そこに本当にこだわりだしたら、最後は仏教でいえば「無」になります。しかも「無」もないのだから「無無」で、「無無」もないのだから「無無無」……と、永遠に続くムムム、の世界になって、言葉で考えることを去って、そのあと、すっと現実世界にもどる、ということをやるんですね、たぶん。(十牛図とかの世界)

 この仏教の考え方がほんとにそれでいいの?ということはとりあえずおいておきますけど、なんにせよ、「誰も他人の言うことは理解できない」というのは、ものすごく中途半端な理屈で、全然矛盾した主張で、それは言葉の持っている根本的な性格からそうなるんだという、そういうことだと私は理解しています。

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