自他の感情理解とコントロール
定型タイプの私の勝手な想像です。
アスペの方は他人の感情について理解するのがむつかしいと言われます。(感情自体について理解がむつかしいのか、定型的な感情の理解の仕方がむつかしいのか、そこはとりあえずおいておきます。) でも、実際は理解がむつかしいのは他人の感情についてだけではなくて、自分の感情についても(定型的な)理解がむつかしいのではないか、と思える経験が、たとえば私のパートナーについてはそう感じることがあります。
この二つは、たとえばこんな感情理解の仕組みを考えると、まあそういうこともあるかなと思えることです。つまり、アスペの方(の少なくとも一部)は、感情の動きをコントロールする脳の仕組みと、それを意識する脳の仕組みの間のつながり方が、定型とは違いがあって、自分の感情の動きを定型的な形では意識しにくくなっている、ということです。
もうひとつ、他人の感情理解というのは、「相手の感情状態に共鳴してしまって、自分の感情が突き動かされる」ということがベースになって、「相手の感情≒自分の感情」みたいな状態(まあ、共感というようなことですね)になり、で、その感情状態の原因を相手のものだと意識することでなりたつものだと、そんな風に考えてみます。
図式的に書くとこんな話ですね。
こういう風に仮に考えてみると、これまでここで語られてきたいろんなことが結構説明できるようになります。
【例1】アスペの方は「共感性が低い」と言われたりする一方で、実際はすごく人の感情に影響されてしまうことがあるという、一見すると矛盾したように感じられる話。
これは実際は <(相手の)感情の動き>→<(私の)感情の動き>という流れはあるんだけど、<感情の動きを意識する働き>→<自分の感情の理解>のところで定型的な展開になりにくいので、「定型的な共感が成り立ちにくい」からだ、という風に合理的に説明できます。
【例2】アスペの方が過度に定型の感情に巻き込まれてしまって、自他の区別がむつかしくなっているように感じられることがある、ということについて。これについては以下のように考えることができます。
定型の場合、<感情の動き>が起こった後、そこから<感情の動きを意識する働き>→<自分の感情の理解>と進んで、その感情の動きが自分自身が原因で起こったと感じるか、<感情の動きを意識する働き>→<相手の感情の理解>と進んでそれが相手が原因で起こったと感じるかの区別をしていきます。そこで<自分の感情>と<相手の感情>をある程度区別しながら調整する、ということを考えるようになる。
ところがアスペの方の中に<感情の動きを意識する働き>のところで相手と一体になって共感状態のようになった感情を<自分の感情>と<他者の感情>に分けて考えるというしくみが定型のようには働きにくい場合、自他の区別なく混乱した感情の渦の中に巻き込まれてしまうということが起こりやすくなります。
【例3】定型的に見て、相手のアスペの方が「こういう感情状態にあるんだろう」と思ってそういっても、その方が全くそんなことはない、と言われることがある場合について。
これは<私の感情の動き>→<感情の動きを意識する働き>のところで、定型がそれを意識する働きとアスペの方がそれを意識する働きの型が違うので、同じ理解にたどり着きにくい、という形で説明することができます。
【例4】 定型が他者との感情的な交流の中で自分の感情状態をコントロールしようとするのに対して、アスペの方がそれを嫌う傾向が強い、ということもまた次のように説明ができるようになります。
それを説明するために、ひとつだけ次のようなことを補足して考えておくことにします。つまり、<感情の動きを意識する働き>→<自分の感情の理解>という風に感情を理解するということは、「理解することによって感情をコントロールする」ことにもつながるのだ、ということです。
まず <(私の)感情の動き>→<感情の動きを意識する働き>→<自分の感情の理解> という形で自分の感情状態が悪いと理解したとします。その時、定型の場合、自分の感情と相手の感情が影響しあってその状態が変わる、という仕組みを使おうとするわけです。つまり
その自分と相手の感情を定型的な形で分けて考える、というところがうまくできない場合は、お互いの感情がこんがらがってしまって、却って混乱してしまい、わけがわからなくなるという事態になる。
アスペの方もその人なりのやり方で自分の感情と相手の感情を区別することはあるのかなと思うのですが、少なくとも定型的なやり方とは何かが大きく異なるので、定型的な区別に基づく働きかけが成り立たず、混乱してしまいやすい。
そうなると、定型の感情的な働きかけは自分を混乱させ、事態を悪くすることの方が多いことになりますから、基本的にはそれをアスペの方は避けようとすることにもなる。そして自分の中で、時間をかけて自分自身で自分をコントロールする道を探す形になる。
いずれの場合も、私がパートナーとの間で何度も体験したことを元に、私から考えるとそう理解するとわかりやすくなる、というような話です。
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