2021年4月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 「わかる」順序 | トップページ | みんなわかんないことはパターンで »

2016年11月26日 (土)

言い訳をしないこと

 最近記事を書くスピードがとても遅くなりました。仕事が忙しいということもあるのですが、どうもそれだけではなく、自分の中で何か変化が起こりつつあるのだという気がします。

 ひとつには自分の中で何かが一段落したので、今までのような形で「書きたい」という欲望がちょっと落ち着いてきたことがありそうです。

 また、掲示板などでみなさんが盛んに議論を続けられていて、それは私が「こういう場ができるといいな」と考えていたことの一つなので、それが出来上がるまでの私の役割もまた一段落したような気がする、ということもありそうです。

 基本的に私は自分が書きたいと思ったときに書くので、次に自分の中でなにか自分を突き動かすような思いが生まれてくるまでは、こんな感じが続くのかなという気がします。それがいつどんな形でなのかはわかりませんが、でもたぶん「次」がいつかは訪れるだろうなという漠然とした感覚はありますね。

 それまでは無理に何かを絞り出すようなことはする気持ちにはなりません。今はちょっと違う角度で、広い意味でこの問題を考える時期だという気がしています。

 ところで、私は韓ドラとか結構面白くてよく見ているのですが、不思議な人間関係や不思議な生き方がたくさん出てきます。そこがまた面白いのですが、ときどきすごく気になることがあります。それは「言い訳をしない」という場面がときどき見られることなんですね。

 誤解だということを相手にいうべきだ、言わなきゃ相手はわかってくれないだろう。なんで言わないんだ。と感じるところで口をつぐんでしまう。見ていていらいらするんですね、なんでわざわざ黙っていることで変な方向に行くようにしているのか!と(笑)

 

 でも、ようやく最近ちょっとわかってきた感じがあります。もちごん誤解かもしれませんけれど。それはこんなことです。

 一生懸命相手に訴えて、相手に伝われば、当然言うでしょう。でも伝わらない経験を徹底して繰り返す体験が重なればどうでしょうか?伝えようとすることに無力感がまず生まれてもおかしくありません。誤解だということが自分ではわかっていても、何を言ってもその誤解が解ける見通したがたたない状況に置かれたとき、人は誤解を解きたいという気持ちさえ失っていってしまう。「もう勝手にすれば」という気持ちが生まれることになります。

 どう説明したところで、相手は自分の見方でしかものを考えられない。私も自分の見方でしか説明できない。そこを超えられる手掛かりがあれば努力もするが、それがことごとく否定された場合には残るのは無力感です。だからある意味で自分の世界に閉じこもろうとする。そうやってぎりぎり自分の世界を守ろうとするのでしょう。

 もしかするとアスペの方はそういう状態に陥ってしまうということが起こりやすいのではないか、そんなことを考えます。そう考えると、パートナーについてなんとなくわかる気がする部分も増えてくるんですね。

 

 私の場合は、たぶん定型的な感覚を使ってだと思いますが、他の人と思いを共有しあう世界がそれなりに広がっています。もちろん誰とでもそれが可能だということはありませんが、それでもある程度は可能だし、基本は「可能だ」という感覚がある。少なくともアスペの方よりはその感覚が強そうだとは感じる。

 もちろんそれでも絶望的に思いが共有できない場合があり、それはとてもつらいことになることもあります。その思いを拡大して、それこそが自分のベースとなる世界だと想像してみると、そこで自分が感じてしまう徹底した無力感がある程度実感できる感じがするんですね。

 で、その感覚で考えると、韓ドラの上に書いたようなシーンのいくつかは「ああ、そういうことなんだ」と納得できる感覚が生まれます。すべてではないのですが。

 徹底して無力感の中を生きざるを得ない状況の中で、どんな生き方が生まれてくるのか。これは定型アスペのどちらにも同じように問題になることだと思いますが、比較すればアスペの方のほうがそうなりやすい環境があることも間違いないでしょう。

 そのあたりの問題も考えていかなければならないなと思いますし、その意味でも、私自身がある種の自分自身の無力感をしっかりとみつめ、大事にしていくことが必要な気がしています。

 またひとつ、「共有できる」ことへの幻想が取れてきた気がします。わからない人にはわからない。別に理解されなくても自分が悪いわけでもない。この感覚、何人かの方が繰り返し書かれていたことでもありますね。ようやく少しその世界が実感でき始めたかもしれません。

 もちろん、理解しあうことについて変に悲観的になっているのとは全然違いますけど。

« 「わかる」順序 | トップページ | みんなわかんないことはパターンで »

コメント

私はパンダさんのブログではずっと、主観を書いています。


それを読まれるかたからどう受け取られるかは正直、本当にわかりません。

そして、自分の思いと正反対に受け取られているようだと思っても、相手の方の事情が断片的にしかわからず、何を手がかりに説明していいのかも途方にくれるという体験を去年の夏ごろにしました。


今は気になりませんが笑

なので、私は


ちひろさんの


かぼちゃさん
勘違いしていたようで失礼しました。しかしおっしゃっている意味があまりよくわかりませんでした。


このコメントがとても嬉しかったです。


中身がわからないのはもう、全然かまわないというか、わかったという方の方がまれ?笑
(受け取ってくれているかたがたありがとうございます)

でも、とにかくちひろさんはそのままでいいと思うんです、何も問題ないと私は思っているんです、的なことだけ、は伝えたかったので、自分には珍しく説明してみました。

言い訳?というのか説明してみました。


ちひろさんがわからなくてもひとまず読み取ろうとしてくれたことが嬉しかったです。


自分を責めていると思っている人からの文章ってすごく抵抗感あると思うんです。


でも、責めていたわけではないということは感じ取ってくれた。
様子。

何かいてるのかはよくわからないけど。笑


敵じゃないよ、そんなことが伝えたかったです。


ありがとうございました。

ちひろさんもありがとうございました。

連投すみません!


気になって汗


ちなみにいいわけって相手に悪いことしちゃったなって、感じたときに発動されるものかなって、思うんです。

もともと、そのつもりもなく、あっ自分と受け取りかたが違うようだと思ってるだけだと、説明というのかなと思いました。

以前言い訳がましいとコメント頂いたとき、どの文章がそういう印象を与えてしまったのか、全くわからなかったことがあり、言い訳というのは受けとるがわの主観?なのかなと感じました。


そうなると、私は関係ないなって。感じました。


失礼しました。


かぼちゃさんのおっしゃる通り、言い訳か説明かどっちなのか?と考えると難しいですよね。

パンダさんのよく見る韓ドラの、言い訳しない場面の描写がどうかはよくわかりませんが…なんでしょうね、そういうのを聞くと韓ドラもちょっと面白そうかなとは思うんですが、やっぱり見る気が起きません(^_^;)

元々日本にもそういう文化はありましたよね。え〜と多分30年くらい前頃からですかねぇ、不言実行をもじって有言実行なんて言葉が出たりして、今じゃすっかり普通の言葉になった感もありますけど。その頃からでしょうか、日本でも何でも喋りたがる風潮が生まれてきたような気がします。

その頃までは、言い訳はしない!男は黙って背中で語る!という価値観が現役で生きていました。沈黙は金とか、このブログのコメントでも話題になった事があったかと思います。言い訳とは違う文脈だったかと思いますけど。まぁ、わからないヤツにはどう説明してもわかってもらえないし、わかる人には言い訳なんかしなくったってわかってもらえるものです。その中間にいる人には一言の説明が確かに有効ですけども…

元々は儒教の流れから来ているのではないでしょうか。恐らくはそれで、韓国にもそんな美学があるのかな、と納得できるような気がします。まぁステレオタイプな韓国人像からはちょっと想像できないんですけど…(^_^;) 儒教の文化圏にあっては、説明してもわかってもらえない無力感から自分を守る為という理由は、少々考えにくいのではないかな…と私は思います。

更に言えば、アスペが多くを語らないとしたら、それは説明が徒労に終わる事が多かった生育歴も勿論あるかも知れませんけど、単純に表現が下手という可能性もあるんじゃないかと。またリアルタイムの会話が下手だからという可能性もあります。

私の場合は会話下手かも知れません…と言っても私も結構おしゃべりですけども(^_^;;) でも、10代の頃はまだしも、それ以降は、リアルタイムで会話のキャッチボールの中で思考を前に進める感覚は、ちょっと出来ていないと思います。自分の予想してなかった問いかけや否定の言葉が来た時に、本当に自分の意志に沿ったいい感じの回答が頭に浮かぶのは、会話が終わった後です。下手すると数日くらいかかる。大抵はその場のノリに沿った返事がクチから出てしまいます。まぁ、場の空気は壊さないんで日常生活では大した問題にはなりませんが、困るのは交渉や相談などの時ですね。

それは置いといても、私も昭和の教育を受けて来たので、言い訳なんかしない方が美しいという感覚を持っています。自分もなるべく言い訳はしたくない…と思うんですけど、やっぱり難しいんですよね…(^_^)ゞポリポリ

あ〜しまった連投スミマセン。最近ブログの記事が遅いのに掲示板の承認はあまり滞らなくて、もしかして相当無理されてるのかな?とちょっと心配していました。この記事を読んでちょっと安心しました。そして掲示板の管理をどうもありがとうございます。

…という一言をさっきの投稿の末尾にくっつけたかったのですが、忘れました。これなんですよね。記憶力の欠如と注意の欠陥、そしてシングルフォーカスによって会話の流れを追う事に一点集中してしまう。リアルタイム会話において私の意志を十分に反映させる事が難しい理由です。

>かぼちゃさん

ちょうど、かぼちゃさんがコメントに書かれた内容を、パンダさんの記事から考えました。

自分は自分という意志が強いというのは、アスペの方によくあるというのが分かってきましたが、こういう言葉のやり取りだけで、それがつよく出ると、『あなたはこうです!』と押し付けられているように捉えられる、というところもあるかなと。

かぼちゃさんともそういう食い違いで、私の方が不快を感じたことがありましたね。
でもかぼちゃさんは、全然そんなつもりがないとおっしゃっていて。

かぼちゃさんだけでなく、他のアスペの方からそう感じること多いです。

でも、Katzさんの表現はそういうのを感じないんですね。

何かここにポイントがありそうだなとも思います。

もちろんかぼちゃさんの表現が悪いと言っているわけではありませんし、定型だから、アスペだから、そう受け取るとも言えない気がします。

私も断定していると言われたことが多いので、同じですし。

相手の気持ちは分からない+相手の状況を断定した表現を避ける

そのあたりも大きいかもしれないと、考え中です。

何れにしても、ここや掲示板でのトラブルは、人間関係の基礎をすごく考えさせていただける良い機会ですね。

トラブルを怖がらずにやり取りさせていただきたいなと思っています。

パンダさん、場を提供してくださって、管理していただいているだけで、感謝感謝です!

 みなさんのコメントを拝見していて改めて感じたのですが、最近私はアスペなのか定型なのかは私のコミュニケーションにとってはあんまり重要でなくなってきています。アスペでも感覚が合う方もあるし、合わない方もある。定型も同じです。

 たとえばKatzさんには勝手に深い友情を感じてしまいます。そういうの、感じられない定型の人は私の周りにいくらでもいます。だからその違いは定型アスペの違いとは全然関係ない。

 そういうところまで来ると、そういうレベルでの感覚の違いをあげつらって差別云々を問題にする議論には、全然リアリティを感じなくなりますね。「お魚が好きだ」と言ったら「肉差別だ」と批判されているような、そのレベルの話になりますから。そういうことを問題にしたい方の感覚もなんとなくわからないではないですが、その議論は早晩行き詰まりますし、あんまり面白みを感じませんし、そのレベルは超えたところで考えていきたいと思います。


 ところで韓ドラは私ははじめは苦手でした。パートナーは今でも嫌いみたいです(笑)。

 とにかくギャンギャン感情的にぶつかり合うだけの世界に見えてしまって、近寄りがたかったですが、最近はその世界にすごいもうひとつのリアリティを感じるようになりました。自分がそうなりたいとは思いませんが、でもそれもまた人間のリアルな姿の一つで、そこから自分を見直すと、それまで見えていなかった新しい自分の姿がいろいろ発見されて面白いです。

 あすなろさん的に言えば「人間関係の基礎」をすごく考えさせられる素材の一つ、という感じがします。

 やっぱり違いを考えるって、面白いことなんだと思います。

かぼちゃさん こんにちは~(*^▽^*)

>私はパンダさんのブログではずっと、主観を書いています。

かぼちゃさんのコメントは「絵本」を読んでいるようなそんな感覚でいつも拝見しています。

いつだったかな~お子さんの足し算のやり方。

5+5+1+1?だったかな?私もそろばんをやっていたのでなるほどなぁ(>_<)
とおもったのでした(笑)

「やり方」は一つではない。と思わせるコメントでした(´∀`*)


ぱんださん

本当にどうしたのだろう・・・と思っていたところなので( ゚Д゚)
また新たに記事が出て、安心しました(*^▽^*)

私も韓ドラは苦手です~(。-∀-)怖いー

でもこの私の感じる怖さはアスペの方が感じる「怖さ」に似ているのかもですね。
なーんて今思いました。

風邪で寝込んでいてお返事遅くなりました。


あすなろさん


コメントありがとうございます。

私は

"
かぼちゃさん
勘違いしていたようで失礼しました。しかしおっしゃっている意味があまりよくわかりませんでした。


このコメントがとても嬉しかったです。"


この文章を強調したくて


"
そして、自分の思いと正反対に受け取られているようだと思っても、相手の方の事情が断片的にしかわからず、何を手がかりに説明していいのかも途方にくれるという体験を去年の夏ごろにしました。"


を書きました。


修飾語というのか。

なので修飾語に私は意味を持たせていないので、あすなろさんの書いていたことは私にとって問題ではないので特にコメントすることがありません。


また、補足すれば、書いた内容はあすなろさんとのやり取りを書いたわけではありません。

あすなろさんのコメントが不快とかそういうことではなく、あすなろさんの書かれていたことに合わせてコメントしようとすると自分の伝えたいこと、自分がぶれるので自分なりに誠意を持って正直にコメントしました。

アンブロさん

コメントありがとうございます。

そろばんやっていらしたんですね。

私はアンブロさんの在り方?というのか佇まいが好きです。

風が吹いているというのか流れているというのか。

私の主観ですが。笑


ありがとうございました。


>かぼちゃさん

あれ?勘違いされてしまいました。

かぼちゃさんが不快に思われたというわけではなくて、私が前に、勘違いして不快に感じたことがあったということを言いました。

なので、かぼちゃさんにどうしてほしいというわけではなく、そういう行き違いって、どうして生まれるのかな?と知りたかっただけです。

かぼちゃさんのお返事を見る前に、その辺りを少し分析してたどり着いたことがあります。

誰かが『自分語り』をしている時に、その相手の話を自分のこととして取り込んでしまうのではないかということです。

ちょうど、かぼちゃさんにもいま、同じことが起こりました。
私の書いた内容は、一般的な行き違いについて、事例として、私とかぼちゃさんの過去の行き違いについて出させていただいたのですが、かぼちゃさんは、ご自分宛のメッセージだと勘違いされた。

似たような状況の人(私とかぼちゃさんは、主婦で、母であることと、たぶん趣味が似ていること)だと、自分のことと同化してしまいやすいのかなということです。

Katzさんのお話を淡々と受け止められるのは、生活の仕方や価値観が、違うところにあるから、『へえ、そうなんだ!』という発見のような気持ちで受け止められるのかな?と。

あくまで自分分析、自分語りです。

掲示板に書いたことも、自分語りなので、気にしないでくださいね。
いや、勝手に、かぼちゃさんをネタにしたのは、大変失礼ですね。
お許しください。

対話ではなくて、こういう説はいかがですか?ということで、何かご意見があれば、お願いします。
あすなろの言ってること、全く分からんと思われるなら、無視してくださいね!

■かぼちゃさん
>とにかくちひろさんはそのままでいいと思うんです、何も問題ないと私は思っているんです

そういう意味で仰っていたんですね。
私の理解力がなくて失礼しました。

しかし私も彼もお互いに我が身が一番可愛いかったし、私の自己満足も含まれていたのだと思います。
かぼちゃさんに反発してしまったことも反省しております。申し訳ありませんでした。

個人的なことでの横レス失礼しました。

ちひろさん

コメントありがとうございます。

最初にちひろさんの彼と自分が似ていると書いた私の文章がわかりにくいのです。


だから、反発してくださって全然結構です。
反省しないでください笑


我が身可愛さをもっと大事にして欲しいなぁなんて我が身一番の私は思います。

タバコの煙、私、心臓系で×ですし笑


本来あちらのスレに私が書くことなのにお返事下さりありがとうございました。


かぼちゃ

あすなろさん

どのコメントが早かったのか、、、。ですが。


一応

勘違いはしていませんよ。


=======

なので、かぼちゃさんにどうしてほしいというわけではなく、そういう行き違いって、どうして生まれるのかな?と知りたかっただけです。

修飾語というのか。

なので修飾語に私は意味を持たせていないので、あすなろさんの書いていたことは私にとって問題ではないので特にコメントすることがありません。


と書きました。

この真意は、どうして生まれるのかは何となくわかるけど、私がコメントしたところで以前パンダさんの使っていた腑におちる感覚をつかめないで思考しているならいくら話しても意味がない、
だからもう私はその事についてはコメントするきがないというつもりで書きました。

かぼちゃさんは、ご自分宛のメッセージだと勘違いされた。


>かぼちゃさん

と書いてあって自分宛じゃないというひともあまりいないと思いますが笑


ちひろさんのスレでの最初のコメントみてもらえるとわかるように
私宛名かいていません。

皆さんのコメントを見ていてあっ、もしかすると~と書き込んだ、そんな感じです。


まあ、もう完結したことだと思いますが、一応コメントしておきました。


あすなろさん

どのコメントが早かったのか、、、。ですが。


一応

勘違いはしていませんよ。


=======

なので、かぼちゃさんにどうしてほしいというわけではなく、そういう行き違いって、どうして生まれるのかな?と知りたかっただけです。

修飾語というのか。

なので修飾語に私は意味を持たせていないので、あすなろさんの書いていたことは私にとって問題ではないので特にコメントすることがありません。


と書きました。

この真意は、どうして生まれるのかは何となくわかるけど、私がコメントしたところで以前パンダさんの使っていた腑におちる感覚をつかめないで思考しているならいくら話しても意味がない、
だからもう私はその事についてはコメントするきがないというつもりで書きました。

かぼちゃさんは、ご自分宛のメッセージだと勘違いされた。


>かぼちゃさん

と書いてあって自分宛じゃないというひともあまりいないと思いますが笑


ちひろさんのスレでの最初のコメントみてもらえるとわかるように
私宛名かいていません。

皆さんのコメントを見ていてあっ、もしかすると~と書き込んだ、そんな感じです。


まあ、もう完結したことだと思いますが、一応コメントしておきました。


>かぼちゃさん

前回のコメント、掲示板に書く前に投稿したものなので、混乱してしまったと思います。

はい。この件は私の方も納得しました。

確かに、>かぼちゃさん と書いたのに、かぼちゃさん宛てではないとは、おかしいですね。

かぼちゃさんに、私と一緒に、行き違いのメカニズムを考えてほしい、という意味だったのですが、宛名を書いてしまったので、おかしなことになってしまいました。失礼しました。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 言い訳をしないこと:

« 「わかる」順序 | トップページ | みんなわかんないことはパターンで »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ