「わかる」順序
記事「ミートソースの愛」にいただいた亜紀子さんからのコメントに、記事を読んで「あぁ!なるほど!と思」われたことが書かれていました。定型の感じ方について、「この記事を読むまで、何を言ってるの?とばかり思って」いらっしゃったということです。
似たような体験を私もここで逆の立場で繰り返しました。パートナーがいつも言うことを、「何を言ってるの?」と思っていたのが、ここでアスペの方から似たようなことを書かれるのをよんで、なんとなく「なるほど、ほんとにそうなんだ」と思うようになる、という話です。
そういうことがあると、だいたい彼女からは「私の言うことを信用していない」と怒られるのですが、たぶんそういうことではなくて、ほんとに「わかんない」んです。ところが同じことを言う人が二人、三人と出てくると、自分にとってぴんとこなかった話が「ほんとにそういうことがあるんだ!」と感じられてくる。
ある意味面白いことだなという気がします。自分にはピンとこないことでも、二人目、三人目の話から何か「ほんとなんだ」と思い出すスイッチが入るんですね(笑)。
ただ、私の場合はとりあえず「ほんとにそういうことってあるんだなあ」と思えるようになっても、「なんでそう思うんだろう?」ということについてはピンとこない時期が続くようです。それからいろいろ考えているうちに、頭で「こういうことなのかもしれないなあ」という理解ができることがある。でもやっぱり頭で無理やり考えた感じにとどまって、感覚的にはピンと来ないままです。
それがそのうちになんとなく「腑に落ちる」感じになってくる。「いや、そりゃそう感じるのも無理はないな」とか、「自分でもそういう状態になればそう感じるだろうな」というような感覚が生まれ始める。こういう状態になると、定型もアスペも基本は同じで、ただ条件の違い(持って生まれた感じ方の違いも含めて)でいろんなことが異なってくるんだ、という感じの理解になっていくみたいです。
そうなってくると、「違う条件をもって生まれ、違う条件の中で育った、<同じ人間>」というような感覚が生まれてくるんですね。違いを突き詰めていくことで、違いを前提にした共通性みたいなものが感じられるようになる。そこまで来ると、だいぶ「わかった」という感じが出てきます。
もちろんすべてについてわかるわけじゃなくて、たとえば「なんで病気の時、優しい言葉かけをしてくれないのか」みたいな、ひとつひとつのことについてそんな風になっていく印象を持ちます。ときどきいくつかの事がまとめてわかり始めることもありますけど。
さらにその先にどういうステップがあるのかはまだよくわかりませんが、自分にとってわけのわからない人と、お互いに理解を進めていく順序みたいなものが、こういうところにあるのかもしれませんね。
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コメント
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この記事を改めて読み返して、ようやくぱんださんの言ってることが理解できたように思います(o^-^o)
亜紀子さんのコメントを読んで感じたのは
お弁当に手紙を添える行為に、愛情を感じました。たとえその『手紙の内容』に感情をいれていなかったとしても...
健康を考えて作ったお弁当(*^▽^*)
そこに、旦那さまの好きなものも、たまには
入れてるのかな?
私も、息子のために毎日作っていますが...
ことごとく嫌いなものは残してきます(°▽°)
始めはそれでよくケンカしました。
でも、私も『全部食べてくれること』で満足するので(残されるとガックリくるので)
今は、好きなものだけにしてます(丿 ̄ο ̄)丿
健康も心配ですが...
そこはあきらめました(* ̄ー ̄)
それでケンカしないでいられるなら、平和だからです(笑)
というわけで、また自分語りになりましたが
(о´∀`о)
また亜紀子さんのエピソードもお聞かせください。いつでも構いませんのでm(__)m
投稿: アンブロ | 2016年12月 1日 (木) 12時51分
アンブロさん
> お弁当に手紙を添える行為に、愛情を感じました。たとえその『手紙の内容』に感情をいれていなかったとしても...
内容ではなく、かたちに愛を感じる。……なるほど。結構奥がふかいかも。
投稿: パンダ | 2016年12月 2日 (金) 21時11分