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アスペルガーと定型を共に生きる

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2016年9月 3日 (土)

信頼とコミュニケーション

 今朝,うちの家ネコが家に近づいてきた他の猫を激しく威嚇する様子などを見ていてふと思ったのですが,猫間関係(?)とか,「相手の気持ちを理解してコミュニケーションをする」みたいなこと,まあないですよね。

 どんな動物にだって,少なくとも雄雌があって結婚が必要な動物なら生涯の内一度は他の「仲間」とコミュニケーションをする必要があるわけですけれど,そこで「相手の気持ちを理解して,思いやってやりとりする」みたいなことはちょっと想像しにくい。

 チンパンジーぐらいだと相手の行動の狙いを読んでだましあいをする,みたいなこともやるみたいで,そういうのを見てびっくりしたことがありますけど,逆に言えばやっぱりそういうのって稀なことなんでしょう。

 私の数少ない異文化体験からすると,日本の社会はこの「相手の気持ちを理解して接する」みたいなことを強烈に強調する社会のようで,「言葉に出さずに相手を理解する」ことを結構求められますが,欧米などだと「言葉に出さないことはなかったこと」になったりする。そのあたりが日本の「思いやり」だの「おもてなし」だのがその特徴になる,というところにもつながっているように感じます。

 また定型とアスペの関係でいえば,定型社会は「相手の理解」「裏読み」みたいなことを重視するのに対して,アスペの方はそこは「理解はできない」という割り切りを重視する傾向がある。

 人間が作ったコンピューターの世界は,とにかく言葉にしてなんぼの世界ですよね。プログラムなんて,ほんとにコンマひとつの違いで全然動かなかったりするわけでしょう?「思いやり」なんてとんでもない(笑)

 と考えていくと,コミュニケーションって,もともと「お互いに理解しあう」ということを別に前提には成り立っていないわけですよね。


 でも面白いなあと思うのは,割り切りを重視するアスペの方も,やっぱり人に話す,ということはされるわけです。ご自分が普段考えられていることを自分の中でとどめておくのではなくて,なんか語りたくなる。語りたいという思いは個人差は結構ありそうですけれど,多かれ少なかれそれがある。

 相手にそれが理解されることにどの程度期待するかはたぶん定型アスペ間でだいぶ違いがありそうですし(みるきさんは2割くらいと書かれていたかな),しばしばいわれるタイプの違いにもそこが絡んできそうですけれど,でもたとえば発言しないタイプの方でも「読む」ことはされる。「定型を理解する」ことは求められているんですよね。


 そう考えると,「理解できない」ということを前提にするアスペの方の姿勢は,ある意味コミュニケーションの一番の基本なのかなと思います。と同時に,それでも人間の世の中は「理解しあう」という要素がどうしても欠かせなくて,それがないと成り立たない。そこで「完全に理解できる」と思ってしまうとまたいろいろ問題が起こるんだろうけれど,でも「理解しようとする」姿勢も一緒に生きていくうえでは必要で,「信頼」というのは,その姿勢を保つことなのかなと。

 定型アスペ間で「信頼」に亀裂が入って傷ついたり苦しんだりすることが多いのも,つまりはそういう人のコミュニケーションの姿に基づいているんじゃないでしょうか。「まったく理解できない」と思っていれば,もともと「信頼」など必要ないし,逆に「完全に理解できる」ということならこれもまた「信頼」は不要です。「信頼」はそのどちらでもない,ある意味中途半端な状態で意味が出てくる。

 うーん,ということは,アスペの方が「裏切られる」感覚を強く持たれる場合がある,ということは,実は「信頼」という姿勢を持たれているからだ,ということになりますね。だから「裏切られる」感が生まれる。やっぱりアスペの方も「理解したい」という思いから決して自由ではない,といことがそういうところからも見えてくる気がします。定型よりは割り切っているけど,でも決して悟っているわけではない。 

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コメント

相変わらずどーでもいいところに食い付くKatzです(^_^;)

> 人間が作ったコンピューターの世界は,とにかく言葉にしてなんぼの世界ですよね。プログラムなんて,ほんとにコンマひとつの違いで全然動かなかったりするわけでしょう?「思いやり」なんてとんでもない(笑)

これが意外とそうでもありません。コンピュータは確かに融通が利かないです。その点は笑っちゃうくらい極端ですね。ただ、コンピュータがどう動くかを想像しながら挙動を追いかけていくと、何かこう「気持ちがわかる」ではありませんが、何かが通じたような気分になる事はあります。ああ、こいつは私がこう指示したからこうなんだな〜、ここは私の指示が悪かったな、スマン!って感じです。…気持ち悪い機械オタクの世界ですな(^_^;;;)

気持ち悪いかどうかは脇に置いといて、その点では逆に、融通が利かない事が信頼の要になりますね。人間が指示した事「しか」やらないワケですから、悪い事をしたら、それは必ず、指示した人が悪い。原因はこちら側にあります。謙虚な姿勢でこちらの言葉をじっくり反省すれば、どう悪かったのかは必ず見つかります。

自分ではない他の誰かが悪い事もあるんで、そこがまた、難しい所になりますけども。ああここが悪かった、でもこれは俺のせいじゃねぇ!でも仕事だからそこは飲み込んで、うまく回避する方法を考えなきゃ!余計な仕事を増やしやがってバカヤロウ…なんて事はよくありますねぇ。

こういう所をもう一段突っ込んで考えると、人間関係にも応用できる感覚なのかな〜と思っています。

Katzさん

 いやあ,面白いです。コンピューターの気持ちが分かっちゃうんですね ! (笑)

 昔なんかの本で読んだんですけど,日本人の技術者って『物の気持ち』になって考えるみたいな人が結構いるとかいないとか,そんな話があったような。それがアスペの方にも通用する話だとすると,ますます面白いと思います。

 それで,だから信じられるというのもまたわかりやすい! そうですよね,裏切らない。だからワードとか使ってると,へんなところで勝手にいらない修正をやられてしまって,それをどう取り消したらいいのかわかんないとか,そういう「おせっかい」をプログラミングされるとかえって腹立ったりします (笑) おなじようなことでぼやいて怒っている人をこの間ウェブで見ましたけど,「お前,俺の言うとおりにしろよ!」とか思うみたい。

 やっぱり人間って,「わかったと思える」相手(コンピューターも含む)に対しては「信頼」感が出てくるんでしょうね。安心感ともいえるかもしれません。だから,コンピューターでも予期せぬ動きをされると,なんか「こんちくしょう」となって,信頼感が失われる。そのあたりの気持ちの動き方はやっぱり定型もアスペもないのでしょうね。面白いです。

 

こんばんは(^^)

猫ちゃんたちは、『喋る』という機能を持たないから、『感じる』だけで行動するからシンプルだし、わかりやすいと思います。

人間は、『感じながら』も思いと違う言葉を使って気づかいしたり、さぐっていったり、なんだか『言葉のラリーをすることが礼儀』だから、色々難しいことが多いなぁと思ったりもします。

うちの子(ASD)は、「質問に答えたら、またそれについて質問されるから、はじめから話したくないんだ」と言います。
真面目に答えようとする者ほどしんどいかもしれませんね。

ちょっとそれましたが、私の場合、『信頼』は『言葉』よりも『行動』を見て、それを積み重ねていって成り立つ感じです。
相手をわからなくても、わかってもらえなくても、『へぇ、あなたはそう感じるんだね~、私はそう感じることはないけど、面白いね』という感じで話し合える人とは喋りたくなりますね(o^o^o)

毎度の二度投稿、あいすいませんm(__)m

『言葉のラリーって難しい』と先ほど書きました。
相手の様子を見ながら、切り上げ時もさぐらなくちゃいけないでしょ。
私はたいてい電話の途中でトイレ(失礼)に行きたくなっても言えません(笑)
『いつまで耐えられるかな』と思いながら、相手が切り上げ時を提案してくれるまで我慢します、真っ青になりながら(__;)

というわけで、つまり、二度目の投稿では、「掲示板やブログで、私の投稿態度(ラリーの態度)に問題があったらすみません」ということを言いたかったんですm(__)m
まあ幸いに、皆さん、その辺りはおおらかな感じでお互い様、といってくださるような雰囲気なので(勝手に決めてる(^o^;)あまり気にしていないのですが…

ああ、お恥ずかしい、なにやら訳わからない感じになってきました、これにて失礼いたします…

こんばんは(^^) また思うことあり、おじゃまします~。

実は今日、私、ちょっとだけ『裏切られた』という気分を感じました。

それで『私は相手を信頼していたのか?』と考えてみたら、答えは『まだNo』という感じ…そのいくらか前の段階の『期待していた』がぴったりきました。

私の話を聞いてくれる、わかってくれる、わからないところは詳しく聞いてくれたりして理解しようとしてくれる…という期待をしていたんだなぁと感じました。

これが長い間続けば、『信頼』になるのかもしれませんが、今回は『期待』の段階で、仕事上のやむを得ない理由であったけれど、もう会えないことになり、ちょっと『裏切られた』感じがしました。

頭ではわかってるんですよ、裏切りではないし、そう感じる自分がちょっと変…と。

『どちらかといえば他罰的、それはむしろいつも自分が非難されたり、攻撃されたりされるのではないかと気にしているともいえる。そのため、相手が自分に対して敵意があるという見方になることがある』これが私の、心理テスト結果から言われたことなんですが、つながる気がします。

だから、私の場合は、いったん信頼してしまえば、何かがあって関係が崩れても『裏切り』とは取らないと思います。
期待の段階…『この人を信頼できるようになるかも!』という時に起こりやすいのかなぁと感じました。

ちなみに、私が心から信頼している人は、五本の指で足りてしまいます…(^o^;

ま、ま、毎度の二度投稿、ほんとにすみませんm(__)m

えっと、前はもって軽く『信頼』という言葉を使ってコメントを書いた気がするので、「言ってることバラバラ!」なので修正です、はい、本日、『信頼って簡単じゃないよな…』と思いなおした次第ですm(__)m

私は前に書いたコメントをしっかり覚えていられなくて、読み返す忍耐力もなくて、ほんと言ってることグラグラかもしれませんが、不快に思われる方、すみません。
日々、変化(成長でありたいが)しているのです…申し訳ないです。

キキさん

 期待と信頼の区別,おもしろいですね。信頼に達すると裏切られ感が起こらないというのは,なんか不思議な感じがしました。「信じていたのに裏切られた」ってわりに世間では言うと思うのですが,そうならないわけですね?期待の場合は「外れた」という,より軽い感じになるような気がしていますので,そこも不思議。

 なんかいろいろあって面白いですね。

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