2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 感情のバランスのとり方 | トップページ | タイミング »

2016年9月21日 (水)

共通部分の模索

 パートナーがまず否定から入る,という話はこれまでもずっと繰り返してきましたが,昨日面白いことがありました。

 テレビを見ていて,ある話が私は気にくわなくて,ひとつひとつについて,難癖をつけていたわけです。

 そしたら彼女が「否定的なことばかり言う」と嫌そうに言ってました (笑)

 なんだ,彼女も否定的な表現ばかりだといやになるんじゃん,と改めて確認。別に彼女を否定していないんですけど,それでもそうなんですね。

 ということは,彼女が自分が普段そういう言い方をしているということについても,彼女自身の価値判断で「それはよくない」と考えてもおかしくはないわけですよね。

 もしそうなら,そのあたりを共通の足場にして,なんか作っていくことができないのかなとか,そんなことを思いました。

違いやズレを前提にした共通部分の模索,でしょうか。

« 感情のバランスのとり方 | トップページ | タイミング »

コメント

>ぱんださん

今回の記事を読んで、『え?そこですか?』と思ってしまいました。
馬鹿にしたり呆れたりしているわけではありません。
そうか、奥様は全体的に無口な方のようですし、大人ですから、その奥様だけを見ているとそう感じるのだなという発見です。

タイプの違うアスペの子二人を育ててきて、一番難しいと思ったのは、自分がかなり辛辣な発言をするのに、相手から言われた何気ない一言を自分の否定と捉えて怒ってしまう、ということでした。
むしろ、定型よりも、ちょっとした言葉に敏感で、果てしなく落ち込んでしまったり、逆に攻撃的になったりする。
発した定型の友達の方が『なぜ?』と戸惑ってしまうことがとても多かったので、私の役目は、『おそらく相手には悪気がないと思いますが、本人はどうしても傷ついてしまうようです。そういう時はなるべく離してください』と担任や学校にお願いすることでした。

まだ思春期真っ只中の娘は、この傾向がさらに強まっていますが、息子の方は自分のこの傾向を、『定型とは根本的に感じ方が違う。だから、イラッと来ても自分の中で抑えよう』と思ったようです。
妹がストレートに感情を出すのを苦笑いして見ています。

そういえば、夫だけ見ていたら、きっとわかりませんでしたね。子どもの成長を見てきて、何もない状態の無垢なアスペの子はこう感じるんだと実感したからこそ、分かるのかもしれません。

なので、定型がアスペの言葉に傷つく以上に、別の視点でアスペはもっと傷ついている。
そういうことが起きているかもしれません。

定型は余計なことは言わないで胸に収める。
アスペは余計なことは言わないで胸に収める。

親子であっても、この距離感が重要なのだなとつくづく感じます。

連投すみません!
ちょっと、気付いたことがありまして……。
うちの子たちとのやり取りを振り返ってみて、思いました。

例えば、『バカ』とか、『アホ』とか、そういう、いわゆる禁止ワードみたいなものがあるとします。

定型は、この言葉そのものよりも、言われた背景を想像します。
『バカだねー』と、親しい人に、ちょっとした失敗について、ニコニコ顏で言われたとしたら、それは『愛嬌』とか『かわいい』という意味で捉えたりします。

しかし、アスペの子(大人だとこういうパターンはすでに分かっている人も多いと思うので)は、『バカ』という言葉そのものに反応し、自分をバカにした、否定したと怒ります。

逆に、本当に『バカ』と罵りたいとき、定型はストレートにその言葉を使いません。嫌味を言ったり、そう感じた背景を説明して、相手が反省するのを待ったりします。
しかし、アスペの子は、怒っているときは、ストレートに『バカ!』と言ってしまいます。別に相手に反省を求めなくてもいい。自分が怒っているんだから、その感情を包み隠さず出すのが本当だと思います。

まるで表裏のやり取りですね。

すると、アスペが別に怒っていないとき、定型は遠回しに『バカ』と表現されていると勘違いしてしまうことが起こり、アスペが怒ってストレートに表現した言葉を『辛辣だ』『いくら怒っていてもそんな言い方はないだろう』と取られる事がある。

逆に定型が、本当は怒っているのに、その遠回しな言い方でアスペには伝わらなかったり、逆に親しみを込めて言ったはずの『バカ』が、アスペを怒らせる原因になったりする。

これは子どものやり取りに起こる単純なズレですが、大人はもっと複雑な形で出てくるとなると、余計に分かりにくいズレが生まれるように思います。

これ、ありますあります 笑

アスペのパートナーの真似をし、同じテンション(低い)で、同じ表情(眉間にシワをよせて)で、同じ言葉で話をしたらどうなるのだろう。と何度か実験してみた事があります。
すると、めちゃくちゃ機嫌悪くなって引きこもるんですよね^^;

私から見ると、「同じことしただけなんだけど」という理不尽な気持ち。

ずっと関わってこないので私から話しかけ、原因を尋ねると、「お前が悪い。感じ悪かったから。お前から喧嘩売ってきたんだろ。帰れ。(彼の口癖)」との事。
私「どういう所が感じ悪かったの?」
彼「不機嫌そうな顔、声も感じ悪い、しゃべり方も」
私(…それ、いつもの君だよね?)
私「毎日、私も同じ事されてるんだけど
彼「してない」

この後何をどう聞いても「してない」の言葉以外かえってこない…。

私は想像はつきます。きっと彼は特性により、自分の表情がどうなっているか分からないんだと。そして、自分がされた事はよく分かるけれど、自分が人に与える影響については分からないんだと。
想像はついても、私のこの理不尽感はどこにやったらいいのだろうと。自慢じゃないけどADHDの特性で人一倍感情豊かな私の怒りはどこへ出したら良い?と。

こういう時、冷静に「そりゃそうだ」になりきれないnoaでした 笑 

あすなろさん

 お子さんのお話には,いつも定型アスペ問題について,すごく重要なところ(と私には感じられる)で新しい発見をさせていただいています。

 娘さんは相手の言葉に傷つく。それは言葉について相手の人と共有されたニュアンスなどは含まず,娘さん独自の論理で理解されたものなので,他の人にはなぜ傷つくのかが分からない。逆に娘さんにとってはその言葉の理解の仕方は,言葉自体は相手と共通のものなので,それが理解されないことが分からない。「言葉」としては「伝わっている」わけですから。

 つまり,同じ言葉に人によって異なるニュアンスがある,と言うことについて,お互いに気づいていない状態がある。周囲の定型と娘さんの違いは,定型の場合は知らず知らずに他の人たちとニュアンスのすり合わせをやるので,娘さんに比べればかなり実際に共有されやすいものになっているのが,娘さんは「言葉」としては同じだ,というレベルで突っ走るので,他の人と共有されにくい,という点でしょう。

 娘さんが怒るのは,「当然この言葉はこういう意味でつかわれるべきだし,他の人もそれを当然わかっているはずだ(「言葉」としては同じだから)」と,素朴に信じ切っていてそれを「無視」する相手が許せない,あるいはそういう理屈に合わないことで自分を責めるのがたまらない,という思いがあるからだろうと想像します。

 息子さんの場合は大変な苦労を経て,そこを次のステップに進まれている。つまり,「どうも自分のニュアンスはあいつらには共有されないようだ」ということに気づき,自分にはその理屈は訳が分からないけれど,とにかくうまく生きていくにはそこで怒りを相手にぶつけても意味がないんだ,と思い始めている。その結果,自己主張を抑えるという生き方を身に着けてこられた。

 定型の側が息子さんのようにならないのは,自分の感じているニュアンスが他の人たちにも共有されているという「多数派の安心感」があるからでしょう。自分が変わる必要はなく,「あのへんなやつ」が変わるべきなのだ,と考えてすませられるからです。息子さんの方はそういう「多数派」に囲まれて,自分の方を変えざるを得ない状況に追い込まれていくわけです。

 定型同士なら,もう少し前の段階でお互いに「微調整」をして,そこまでの対立にならないような工夫をやるのが多いわけですが,そのやりかたが娘さんや息子さんには取りにくいので,どうしても「孤立した我を通す」形になってしまうのでしょう。

 人間関係をうまく作っていくには,どうしても「ズレを調整する」ということが必要になるので,そこで娘さんや息子さんはすごく困難を抱えやすいわけですよね。そして結果として息子さん的に,かなりつらい「一方的な自己否定」を行う形での「調整」を行わざるを得ないところに追い込まれやすい。

 アスペの方が定型社会に対して「理不尽さ」を強く感じずにおれないのは,そのあたりのことがかなり効いていそうな気がします。

 そんなふうに考えると,定型アスペ問題の「作られ方」がまたひとつ見えてくるような気がするんです。

noaさん

 面白い(といっては失礼ですが (^^ゞ )ですよね。 行ってみればnoaさんは彼に対して「鏡」になってあげようとされたわけじゃないですか。私も経験上すごくよく分かります。

 ところが彼にとってはそれは全然「鏡」の意味を持たないということですよね。

 この,相手が自分の「鏡」になりにくいということは,アスペ的な生き方にとってかなり重要なポイントなのかなと思ったりします。定型はそれをやり続ける。そうやって関係を調整しようとする。アスペの方はそういう「鏡としての他者」という手がかりを,なぜかあまり使わない,または使いにくいのでしょうね。

 なんかそう考えると,私的にはわかりやすいような気がしました。

>ぱんださん

そうそう!その通りです。
私も書いてて何だか分からなくなっていましたが、ちゃんとまとめてくださって、ありがたいとともに、流石だなと思いました。

『そこですか?』と書いた理屈はもう1つ、ぱんださんの過去記事に、同じようなことが書かれていたような記憶があったからです。だから、今更私が同じことを言ってもなと思っていたのです。
(実際、どの記事とか、探すのは無理なんですが)

けれど、それを書かれていたぱんださんが、その内容を別の解釈でしていたことなのかな?
まさに、同じ言葉をどう解釈するかのズレ。同じ人間でも起こってしまうということですね。

そして、ぱんださんのお返事から、またまた、私の思考は違う方向へと暴走しています(笑)
付いていけなかったら、放置していただいて構いません。(どうやら、これが私の特性みたいですね^^;)

>定型の側が息子さんのようにならないのは,自分の感じているニュアンスが他の人たちにも共有されているという「多数派の安心感」があるからでしょう。自分が変わる必要はなく,「あのへんなやつ」が変わるべきなのだ,と考えてすませられるからです。息子さんの方はそういう「多数派」に囲まれて,自分の方を変えざるを得ない状況に追い込まれていくわけです。

以前にも、アスペの方から、息子が多数派に合わせて無理をしているということを言われて『??』と思っていたのですが。
確かに息子が、『自分は定型とは根本的に違う』と気付いて変わったのは確かです。
けれど、どうも、無理して変えたとか、定型に合わせて苦労しているとは見えないんですね。
彼は、いつも自分のペースで楽しそうにしているし、自分の置かれた環境をフルに愉しんでいるというか。
本人は何も変わっていなくて、むしろ合わせようとしていた自分の無理に気付いて開放されたというか。

学生なので、懇親会とかよくあるんですが、『おれ、コミュ障だから、こういうの面倒なんだよな』と言いながらマメに出かけていきます。
さぞかし、居辛くて、疲れただろうなと思うと、すごく楽しそうに帰ってくる。

息子のいう『コミュ障』はべつに自分を卑下して言っているわけではなく、定型がよくそう言うからその表現を使っているだけで、面倒なコミュニケーションは極力避けたい性格だからという意味のようで、それ以上でもそれ以下でもないようなんです。

で、何が楽しかったかというと、コミュニケーションを楽しめる人がやっていることを観察しているのが楽しかったみたいで、『○○がこんなことやっててさー!』とか、『こんな趣味があるみたいなんだよ』とか、自分から発見できない世界を知るのが楽しいみたいなんですね。

息子は小学生のとき、療育の先生に『まさに典型的なアスペですね!ちょっと研究論文の題材にさせていただいていいですか?』なんて言われたことがあって、本に書かれているアスペの特徴を兼ね備えた『ザ・アスペ』と思われたようです。

それで最近感じるのは、息子はアスペの特性を十分自覚しているのじゃないかということです。

例えて言うなら、まったく日本語が話せない外国人。しかも、日本に馴染みのない言語、スワヒリ語とか?を話す外国人がやってきて、日本語話せないけど、覚えるのも大変だしなーと感じながらも、だからって日本人に興味が無いわけではなくて、分からないながらも、日本人のやることを観察していると楽しいなーと思いながら、言語にこだわらないところで日本人の良さを知ろうとしているような。

どうせ、定型とは違うんだし、それじゃ定型が何をやってるか観察しようじゃないか、みたいな割り切りを感じるんですね。

で、息子の話は、とっても面白いです。
逆に『○○がこんなことやっててさー』『それ、学生の間では普通じゃないの?』『いや、俺には全然興味ないから、何がそんなに楽しいのかなと思うんだよね』みたいな会話で。
なるほど。学生がみんな同じ方向に興味持つわけじゃないのかと、私が発見するわけです。

息子を見ていて、夫や娘が辛いように感じるのは、息子に比べて、夫や娘が、定型的要素を持っていることなのかなと思うのです。

息子が、定型とは区別して考えているところを、娘は区別できない。定型とはどうしても合わないところを、なんとかして合わせようとしている。アスペの感覚でどうにもならないことに気付いているけれど、その自分が許せないという感じです。

もちろん、学校という社会が、娘のアスペ的な部分を否定するということもあります。
素のままの自分を出すと、みんなから非難が来る。だからと言って、定型は『当然こうでしょう?』と言うだけで、具体的にどうしたらいいのかを教えてくれない。
息子はその定型の非難をいちいちまともに受けていたら身が持たないよ。という感じなのです。

夫は、まさにその定型の非難を受け続けてきて、自分を変えようと無理をして、自分が分裂している状態なんですね。
そして、分裂した状態が、自分が作り上げた安定した地位だと信じている。

家族から見ると、1つ1つの行動がまったく道理が通っていないのですが、本人は気付いていない。

だから息子はそれを見て、確かに苦労は分かるけど、それを割り切れるかどうかは本人の問題だから、静観するしかないと言います。

よく、アスペが重度だとか、軽度だとか、当事者の方も話題にしますが、私は、アスペ度が重いというのは、息子のような人を指すのかなと思います。

アスペ度が軽いからこそ、娘や夫は、定型との齟齬に悩む。どっち付かずで苦しむんじゃないかと。

だから、息子は、ザ・アスペの生き方しか出来ないことはちゃんと分かっていて、逆に定型との差を新しい発見として見られるのかなと感じます。


>noaさん

そう!ADHDって、感情が激しいんですよね。
最近、もしかして定型よりもアスペの対極にいるのはADHDなのかもしれないと思っています。

それじゃ、両方持っている人は何?と言われてしまうと分からないんですが。^^;

夫婦の会話って面白いですね。パンダさんの記事でたまに見かけるこの手のスケッチは、よそ様のリビングルームをこっそり覗き見させてもらっているような楽しさがあります。パンダさん、テレビの前で、どんな顔して難癖付けていたのかな?とか、奥様どんなタイミングで抗議されたのかな?そのときは不機嫌そうなお顔だったのかな?それともからかうようなお顔だったのかな?とか・・・、非常に興味深い記事でした。

さて、自分が相手に対してっやっていることと同じことを、相手が自分にしたというお話について・・・。
これは多分、アスペ的感覚で言えば、全く違う体験になってしまうのでしょうね。「私は右手を出しただけ、なのに相手は私の左側の胸を突いてきた」ね?全然別なことでしょう?

またまた私の幼少期の回想で恐縮なのですが、自分はいつもやっていることが、人からされると許せない、ということ、確かに私にもありました。
小さい頃、よく母親から「ガーディナーは、人からやられると怒るくせに、自分ではおんなじことをやっているんだから!」と叱られたものです。それは私の特質として、自分がやっていることが、相手に対してどう映るのかがわからなかったということもあります。

それから例えば私とAちゃんがお互いに同じように相手の嫌がることをして、それに対して大人から叱られたとします。
「あたしのやったこととAちゃんのやったことのいったいどこが同じなのよ?私がこんなことをしたのには、これこれこういうことがあってああいうこともあって・・・、いったいどこが同じだというの?」
怒りに至ったいきさつをおもえば、この怒りは私独自のものであり、決してAちゃんの横暴さとは一緒にできないものなのだ、という確信があったのです。
いえいえ、世の中には「どんな事情があるにしろ、人の嫌がることをしてはいけない」という取り決めがあり、それを破ったということで言えば、私もAちゃんも大まかには同じことをしているというのですが、そんな理屈は全く受け付けられない私でした。

と、ここまではちょっとテキスト風な、私の説明でしたが、実を言うと、私は今になっても、あの時の私の怒りは正当なものであった、というか、少なくとも定型のAちゃんの横暴さと、わたしの横暴さは、似て非なるものであったと思っているのです。自分が横暴であったかどうかもいまだにわかりません。アスペ以外にもADHDも相当に強かった私ですので、何か気が付かないところで、力加減を誤ったり、興奮して相手から怖がられるような言動をとっていたかもしれません。
なかなか自分を客観視できない年頃ですし、言葉に出すこともできなかった頃のことですので、事実関係はわからないままですが、何となく理不尽な思いばかり募らせていた幼少期の私でした。
だから、その頃の私にいくら「自分がされていやなことを、人に対してやってはいけません」というようなお題目を教え込んでも、馬耳東風だったと思います。「(私がしていることはAちゃんがしていることと)同じことなんだよ」ということが理解できていなかったのです。

でもこれはきっと、「アスペだからできない」というような問題ではなくて、日常的に感じていた理不尽さ、言葉にできない苦しみなどを取り除いてあげれば、この辺のところはもっとスムーズにいくのではないでしょうか。それにはやっぱり、感情の表出が大きくかかわっていると思います。悔しい思いをしている、その「悔しさ」を、誰かに伝えることができたとき、何かが変わるような気がします。

noa さんへ


こんにちはー。

‘想像はついても、私のこの理不尽感はどこにやったらいいのだろうと。自慢じゃないけどADHDの特性で人一倍感情豊かな私の怒りはどこへ出したら良い?と。

こういう時、冷静に「そりゃそうだ」になりきれないnoaでした 笑 ’

そりゃそうだー!!(*≧m≦*)そんなときに冷静になれる人なんて超人過ぎるぞー!
私には無理だー!というかそんな超人目指さない~(笑)


noa さん、noa さん、
‘ADHDの特性で人一倍感情豊かな私の怒りはどこへ出したら良い?’
ここ、ここに出しちゃいなさい^^今画面の前で私が手を置いてるからここにごほっと怒りを吐き出しちゃってー(笑)!そしたらまとめて丸めて窓から捨てるよーヽ(´▽`)/
あーないないーもうないーどんどん吐き出しちゃってー
どんどん窓から捨ててやる!えい!

noa さんのコメント読んでたら自分もまさに定型さんに同じことやってそうだな・・なんて冷や汗かいてきちゃいました・・。
うー思いやりってなんだ?分からないよーーー。
ちなみに私せっかくマジックミラーから透明の板に気づいたのに勝手が分からず迷走中なのでよろしくお願いします。

ガーディナーさんへ


前から実は感じてたんですが、ガーディナーさんの表現というか言葉ってとても躍動感があるというか形とか色とか味を感じるというかとても個性的で素敵ですねo(*^▽^*)o

先日のコメントの「いつも明るく溌剌とゴムまりのように弾んだ子どもでした」とかすごく好きです!私の偉人語録(私調べ)にそっと入れさせてもらいました。

上のコメントも「パンダさんの記事でたまに見かけるこの手のスケッチ」とか「ここまではちょっとテキスト風」とか、私にはない発想過ぎて凄いです!!

内容も私は自己主張することが多い部類なので、とても考えさせられる部分も多く、とても勉強になるのでいつもありがとうございます。
静かな人とか、落ち着いてる人とか、みんなを優先させてくれる優しい人とかの正直な内面の思いみたいなのを聞かせてもらえることってとても貴重だし大切にしたいのでまた勉強させてくださいねー(*^ω^*)ノ彡

あすなろさん

 なるほど。息子さんはさらに一歩先を進んでいらっしゃるんですね。

 私の勝手な想像ですが,息子さんにそれが可能になった理由の大きなものは,基本的にそういうご自分の特性をそれなりに認めてくださる環境があるからだと思います。特に「研究論文の題材」にと求められるような環境であるとすれば,当然その論文を書く方は基本的に肯定的に接し,また息子さんの可能性を信じていらっしゃるのだと思いますし,つまりは肯定されるという環境が,単に個人レベルを超えて,社会的な意味をももつものであると感じられたのですね。

 そこまで肯定的に,たぶん理性的に認められる環境があるとすれば,息子さんご自身も周囲を「研究」する姿勢が生まれても不思議ではない感じがします。

 だとすれば,息子さんの今後の展開は,定型アスペ関係を考えていくうえでの大事なモデルケースの一つにもなりそうですよね。ちょっと楽しみな感じがしました。


ガーディナーさん

 いつもながらわかりやすい説明ですごく理解が進む感じがします。人間関係の調節のためにはどうしても「相手の立場で考える」という部分が必要になってくるのだろうと思いますし,その点でアスペの方は定型的関係から排除されやすくなるのだと思いますが,でも,多少道筋に違いはあるかもしれないにしても,アスペの方もアスペの方なりに「相手の立場で考える」力を深めていかれるわけですよね。ガーディナーさんがその素晴らしい例であるように。

 その,それぞれの「深め方」の道筋の共通する部分と違う部分がもう少し見えてくると,ずれに基づく対立みたないこともより対応しやすくなるかもしれないですよね。そんな風に思いました。

>ガーディナーさん

はじめまして、noaと申します。不注意優勢のADHDです。パートナーはアスペ、息子は不注意と落ち着きなさが強く出ているADHDです。

とても分かりやすく説明していただいてありがとうございます(^^)
やはり、「同じではない」ということなんですね!きっと同じという感覚に違いがありますよね。定型はざっくりで「同じ」と言う。アスペさんは細部まで見られていて完全一致で「同じ」と言う。そんな感じがします。

>日常的に感じていた理不尽さ、言葉にできない苦しみなどを取り除いてあげれば、この辺のところはもっとスムーズにいくのではないでしょうか。

私もそれは感じています。あすなろさんが仰っていた「トラウマ」のお話のような事と捉えて間違いないですか?
他のコメントで『カウンセラー』のように接してくれたお友達の話を読みました。自分の、『能面』のように表情なく過ごした小学・中学時代と重なって、他人事とは思えず感情移入しつつ読みました。お友達との出会い本当に良かったですね!
「悔しさ」をただそのまま受け止める存在が彼にもきっと必要なんでしょうね。私がもう少し人として成長できた時に、その役目を果たせるといいなと思いました(^^)

>みるきさ~ん(/_ ;)

もう!笑っちゃったじゃないですか 笑
べそかいちゃったじゃないですか 笑

本当に、この場所は私が子供の頃からずっと欲しかった『家庭』のような場所ですね!
みんながこの場所で感情を吐き出せて、誰かが優しく受け止めて、そんな優しい優しい場所に私には見えてます(^^)

冷や汗なんてかかなくってOKですよ!だって、お互い様だし 笑
お互いにお互いの嫌なこと知らず知らずしちゃいますもんね!そこはもう『許しあい』で解決していきましょう!私は、ここで聞いてもらっちゃったので彼への理不尽感は消化できました~!本当にありがとうございます!

>ぱんださん
面白いって言ってもらうと単純な私は、「なんだ見方を変えれば面白いことだったんじゃん~」と悩みから抜けられるので実は助かってます 笑
鏡が通じないのについつい鏡を求めてしまう定型って、そこに『こだわり』を持った困った特性持ちなのかなって最近は思います^^;

>あすなろさん
「アスペの対極はADHD」それってなんだか面白い見方ですね(^^)何かの本でADHDとアスペはカップルになりやすいと読みましたが、対極だからこそ惹かれあってしまうのかもしれませんね!私の両親もそういえばアスペとADHDです 笑

息子さんは本当にかっこいいですね!真のアスペだからこそ、そこまで辿り着けたというのがまた興味深いです。確かに、私のパートナーはアスペになり切れない部分があるというかアスペ度が薄いから、どっちつかずで苦しんでいる感じあります。

みるきさん

たくさん褒めて頂いて、ありがとうございました。
『個性的な文章』と書いてくださいましたが、個性的という点において、
みるきさんは私の数段上を行く方だと、秘かに拝んでおりました。
『話を始めるタイミングはもはや賭けの域です。』
なんて、とってもかわいらしいです。
みんなが話しているその傍で、大きく息を吸い込んで
「エイ!」とばかりに声をあげ、みんなから「はあ?」という顔されても、
一人嬉しそうに話し続けるみるきさんの姿を想像すると、とても楽しかったです。

それから『静かな人・落ち着いた人』とは私のことでしょうか?
あら、どうしましょう!?
よく思い出してください、私はADHDも相当に含まれているんですよ。
もの静かで落ち着き払ったADHDの人っているんですか?

落ち着いた人には、私も憧れます。
一日中「あれがない、これがない」と言って物を探したり、
ダブルブッキングしたことに気が付き、真っ青になって誤りの電話を掛けたり、
アイロンがけに3時間もかかって、時計を見て飛び上がったり、、、、
ということに惑わされない、そんな落ち着いた人生を、私も歩みたいですね。


noaさま
コメントありがとうございました。

鬱屈した思いに共感してあげることって、言うほど簡単ではないですよね。
相手のプライドを大切にしつつ、なお寄り添うということは、
こちらにはこちらの感情があるし、特に大人の場合むつかしいことですよね。

私もそういった気持ちを大人になるまで持ち越してしまった一人です。
どうして今こんなに感情が落ち着いたのか、ということを思い返してみると、
本当にたくさんの偶然に恵まれてここまで来たことが分かります。

感情を受け止めてもらうということも大切でしたが、
それと並んでもう一つ、大切なことがありました。
それは、問題を抱えた私が、自分の力でそれを克服できたと実感することです。
というと何か尊大な印象を持たれるかもしれませんが。

問題を抱えているのは確かに自分だし、
それを乗り越えなくてはいけないのも自分ではあるけれど、
そのために、私は多くの人の力を借りてきました。
その力というのは「一緒に頑張ろう」とか
「私たちが味方よ」「なんでも相談してね」というような支援ではありません。
私が自分の持っている自己回復力を最大限発揮できるように、
たくさんの人が、環境を整えてくれていたということだったと思います。
努力をしたのは私自身ですが、その努力ができるように、
周りの人が、お互い意図しないところでたくさん力を貸してくれたというわけです。

むつかしい問題とは思うけれど、とっても大切なことですね。
ごめんなさい、noaさんのお話しし始めたのに、なんかまた、
前の記事の感情コントロールの話になってしまいました。

noaさんは<タイミング>のコメントで、いろんな難しさを抱えながらも、
それでも彼と一緒にいる時が、心が自由になれるとおっしゃってましたね。
それ、ちょっと逆説的で面白いと思いました。
別の言い方をするとしたら、相手に完全を求めない、ということでしょうか?
だとしたら、これこそ一番大切な姿勢かも知れませんね。

こんばんは~

ガーディナーさんへ~

‘『話を始めるタイミングはもはや賭けの域です。』
なんて、とってもかわいらしいです。
みんなが話しているその傍で、大きく息を吸い込んで
「エイ!」とばかりに声をあげ、みんなから「はあ?」という顔されても、
一人嬉しそうに話し続けるみるきさんの姿を想像すると、とても楽しかったです。’

わーいヽ(´▽`)/褒められた~ありがとうございます!
でもこれ・・これはまさに空気読めてない・・じゃないですかーはははははは(*^m^)

‘それから『静かな人・落ち着いた人』とは私のことでしょうか?
あら、どうしましょう!?
よく思い出してください、私はADHDも相当に含まれているんですよ。
もの静かで落ち着き払ったADHDの人っているんですか?

落ち着いた人には、私も憧れます。
一日中「あれがない、これがない」と言って物を探したり、
ダブルブッキングしたことに気が付き、真っ青になって誤りの電話を掛けたり、
アイロンがけに3時間もかかって、時計を見て飛び上がったり、、、、
ということに惑わされない、そんな落ち着いた人生を、私も歩みたいですね。’

な・・なるほど。なんかかえって私失礼だったかもしれません・・。すみません(;´▽`A``
でもそうなるとこういうやりとりって本当に不思議ですね。

もしも私とガーディナーさんが現実にお会いする機会が合ったら、印象が全く違うようになるってことですね~
私のほうはここでのやりとりと比べるとものすごくマイペースでのんびり屋、あんまりお喋りじゃなくてぼーっとしてるかにこにこしてるか無表情で何かぶっ飛んでること考えてるかしてる静かな人って感じになると思います(笑)そうかと思うと急に発言したり行動したり・・・静かなのかうるさいのか、暗いのか明るいのか、優しいのか冷たいのか、お喋りなのか寡黙なのか、人嫌いなんだか人好きなんだかよく分からない人になる感じがします。

ガーディナーさんからするともしかするとつかみにくい変な人かもしれないですね(笑)

なんか改めて聞かせてもらうとなんだかとても新鮮でもあり何枚も目から鱗が落ちた感覚でなんだかすごく面白くなってきちゃいましたー!
そうですよね。。確かに!ここでの書き込みが全てじゃないですもんねーそりゃそうだー!!!ははははは~!
やっぱりガーディナーさんはとても鋭いですね。
本当に勉強になりました。ほんと人間って面白いですね。掴んだと思っても掴めず、分かった気になっても全く分からず、どれが本質か分からないのにどれも本質っていう。
まるで虹みたいですね。多色の象徴・・7つと言われるその間にもきっといろんな色があるんでしょうね。

あーお恥ずかしいー(/ー\*)だからここでも現実でもあんまり私を表にたたさないで~と言いたくなるんですよー。まあ結果的には自分で好きでやってるからいいんですけどね(笑)私が勝手にガーディナーさんを静かな人だと思い込んだのはガーディナーさんが昔の友人の1人になんとなく感じが似ていたからですね・・今思うと。
その友人はすごく寡黙で自分の好きなこと意外ほぼほぼ喋らず、意見もあまり主張せず、でもちゃんと考えていて時折誰よりも鋭いことをいう子だったのでひそかに尊敬していたんですがなんだかそのイメージで勝手にガーディナーさんを型にはめようとしていたみたいですね。反省します。失礼しましたm(_ _)m

そうなんだよなーーこれだから表面だって主張するのは考えものなんだよなー。毎回毎回自分をさらけ出して恥を晒してるだけにしか思えない・・・・。

なんど現実でもこれで恥をかいてきたかーーーーそれでもまるで学んでいなかったカー自分~いい加減に学習しようよ自分~まあでもそんなもんだ自分~。

本当に改めて御礼を言います。
ガーディナーさん、本当にありがとうございました。
あなたのおかげでまた1つ気づいたこと、教えて頂いたことがありました。
また考えることができました。
心から感謝します。


追伸:ここのみなさんって本当にアスペ定型(非アスペ、ADHD)関わらず、能ある鷹は爪を隠すを地でいく方ばかりですね。これだけの才能、能力が集まっているのなら世の中なんてすぐにでも変えられそうでなんだか気が抜けて一気に安心しました。
なんだか私はますますやる気のないゴロゴロぼーっと生活に戻ろうーっととどんどんゆるーくなってきましたー(゚▽゚*)はははははは~なーんだそうかそうかー。
ぼっーっと遊んでるうちになんとかなる気しかしなくなってきたぞーいい気分ですo(*^▽^*)o

今度からはガーディナーさんのところにもいそいそと勉強しに行きますねー色々教えてください!!!

>ガーディナーさん

やっぱりガーディナーさんはとっても素敵な魅力的な方ですね(^ ^)

>努力をしたのは私自身ですが、その努力ができるように、
周りの人が、お互い意図しないところでたくさん力を貸してくれたというわけです。

全部1人で解決したと思い上がる人も、自分の力じゃないと卑下する人もたくさんいます。
そんな中、ガーディナーさんのこの文章は、自分自身も他人も尊重されているんだなぁと伝わってくる文章でした。

〈タイミング〉のコメント読んでいただいてありがとうございます(≧∇≦)
矛盾と葛藤の中に生きているので逆説的になるのでしょうね。アスペルガーの真っ直ぐさを持った方には矛盾はもしかしたらないのかもしれないなぁと想像して、また少し面白さを感じています。

完全さは、相手にも自分にも求めないようにしています。完全を求めて生きていた若い頃は本当にしんどいばかりだったので^_^;
全てにおいてメリットもデメリットも存在する。その中でじゃあどれを選ぼうか、という感じで私はアスペ彼氏と生きる道を選択し続けているという事ですね。

アスペ彼氏の無表情は寂しい。言葉遣いはグサ〜ッと刺さる。家事分担は期待できない。育児も定型的な感覚とはズレる。これらがデメリット。だけど、ADHD&AC全開で甘えて暮らせるというメリットのは全てのデメリットを足したものよりずっと大きな価値が私にはあるようです(^ ^)

noaさんへ

私宛じゃないんですけど、なんかガーディナーさんへのお返事に書かれていた

「アスペ彼氏の無表情は寂しい。言葉遣いはグサ〜ッと刺さる。家事分担は期待できない。育児も定型的な感覚とはズレる。これらがデメリット。だけど、ADHD&AC全開で甘えて暮らせるというメリットのは全てのデメリットを足したものよりずっと大きな価値が私にはあるようです(^ ^)」

・・・すごく言葉にできないくらい・・・心が揺さぶられました・・。

なんか・・深い深い愛情を見たような、命の美しさを見させてもらったような胸がいっぱいになる綺麗な響きでした。
とても美しいものを見させてもらいました。心が洗われるようです。
ありがとうございましたo(*^▽^*)o

noaさんにもほんとにほんとにただただ幸せでいてほしいです!
大好きですヽ(´▽`)/

>みるきさん

私いま、ほんとにほんとにただただ幸せになりました!みるきさんのくれたメッセージ見たから!
やっぱりギフト配る人じゃないですかぁ〜(^ ^)ピカピカきれいに点滅してるって言ってくれたの私の誇りになりましたよ!私、落ち着いてちゃ出せない色出してるから〜って 笑(←ばか)
私もみるきさん大好きです〜〜‼︎

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/67592446

この記事へのトラックバック一覧です: 共通部分の模索:

« 感情のバランスのとり方 | トップページ | タイミング »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ