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2016年9月20日 (火)

感情のバランスのとり方

 もうだいぶ前になりますが,「感情を出せない源氏の人びと―日本人の感情表現の歴史 」という本を読んで,これがめちゃくちゃ面白かったんですね(前にも一度書いたかも(^^ ゞ)。紫の上なんて,感情出せないので最後にはひたすら出家願望になるし,六条御息所はこれも普段は出せないので,生霊になって「無意識」の形で激しい感情を表出して,でもそのことに自己嫌悪するし,そんな話ばっかり(笑)

 そういうのとの対比で私にとってはすごく面白いのが韓ドラの世界なんですが,まあ感情表現が激しい激しい。いや,抑えるところはすごく抑えるんだけど,マイナスの感情も基本的にはばんばん相手にぶつける印象があります。「そこまで言ったらもうおしまいでしょう」と日本的には感じられるところ,全然そうならないところがまた面白い。

 親子でも兄弟姉妹でももちろんそうで,「ちょっと,この姉妹,どんだけわがままを言って相手を否定しているわけ?」とか「もう相手を嫌悪して拒絶してるんじゃない?」とか感じるようなやりとりが続く,そんなドラマもあるわけです。ところがその家族の一人が海外に行くことになると,もうみんな泣いて泣いて大変なのです。そこがまた面白い。

 

 自分の感情をどんなふうにコントロールして,気持ちを収めようとするか,というのが,ほんとに人によっても社会によっても違う。日本でもてはやされるのは,ストレートには出さず,自分の中で処理することを求められ,ただ,それでもどうしても漏れ出てしまう感情を周りが察して,その「我慢している姿」に共感するようなスタイルでしょうし,韓ドラの世界などはむしろお互いにがんがん出し合ってそこでバランスを取ろうとしているように見えます。

 だから一見「お互いに嫌悪している」ようにも見える関係は,実はものすごく「相手を必要としている関係」で,そうやって感情をぶつけ合うことでバランスをとっているから,その相手がいなくなると困っちゃうことになります。ドラマでも「胸にぽっかり穴が開いたみたい」というような表現が出てきたりしますけど,そりゃそうだろうなと思います。

 ストレートに言う,という点では,韓ドラのスタイルは一見アスペ的世界に近いようにもみえるけれど,でも実際はものすごく違いますよね。アスペの方は感情のやりとりによって自分の中のバランスを取ろうとしているようには見えにくい。その点はむしろ源氏物語的です。でもそこで察しあう形でバランスを取ろうというのとも違うのでしょう。

 

 日本でも感情をぶつけ合う形でバランスを取ろうというタイプの方ももちろんあります。日本では少数派で,でもある意味では出せなくてフラストレーションを抱える多数派的生き方には「魅力的」に映ることもあるのでしょう。だから時々そういうタイプの人が映画などに描かれる。ちょっと困った人だけど,心惹かれるものがある,みたいな感じで。

 定型アスペ問題も,その人が「どんなふうに感情のバランスを取ろうとしているか」ということによって,ずいぶん現れ方は異なるのだろうと思います。その人のタイプによって,きっと対処の仕方のポイントに違いが出てくるのではないかという気がします。

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コメント

ぱんださん、みなさん。
ご無沙汰しました、ガーディナーです。

私はこの夏、抱えている仕事がとても忙しくなり、それが終わってホッとしたせいか、まるで燃え尽き症候群のように、ボーっとボーっとボーっとして、2か月ほどを過ごしていました。
先週あたりからようやく立ち直り、久しぶりにここへ戻ってきました。まるで浦島太郎です。
相変わらずみなさんがお元気そうに議論していらっしゃるのを読ませていただき、議論の苦手な私ですが、何かひとこと言いたくなりました。

今日の記事、感情のバランスの取り方についてですか・・・。
わたしは小さな頃、たいそうよく泣く子どもでした。しょっちゅう怒っていました。泣くときはずっと泣き続けるので、しまい頃にはしゃっくりのようなけいれんを起こしたり、酸欠を起こすのでしょうか。手がしびれてジンジンしていました。笑い上戸でもありました。場にそぐわないはしゃぎ方をすることも多かったです。

でもそれを以て、自分が感情表出の豊かな子だったとはどうしても思えません。感情起伏が激しくて、心身ともにとても不安定な子どもでした。それから、何かうまく表現できない「苦しさ」のようなものが、もう5,6歳のころには無自覚の中にもあったと思います。「苦しさ」というのは、今の言葉で思い返してみれば・・・、ということですが。

そういった心の状態がアスペルガーの二次障がい故とは言い切れませんが、今の私には、思い当たる原因があります。私は幼いころから家族の中で、自分の好きな食べ物や、見たいテレビ番組、着たい服、使いたい文具の色など、、、何も主張できずにいる子どもでした。
言葉の発達が遅れていたというわけではありません。むしろ、ませた言葉使いで大人を苦笑させたり、お友達を批判したりすることにかけては、年齢以上の語彙と発言力を持っていたと思います。
でも肝心のWANTとLIKEが言えなかったのです。より自分の心に近いものを、外に出すことができなかったのです。それを言うことがいけないことだと思ってはいなかったのですが、自分の好きなことややりたいことを口にすることが恥ずかしかったのです。

これには私の2歳年上の姉の存在が大きくかかわっています。姉は(多分)ADHD気味の定型で、いつも明るく溌剌とゴムまりのように弾んだ子どもでした。なんでも主張できる子でした。根本的に私とは趣味が合わなかったので、例えば姉妹で一つだけ何かを買ってもらう時だとか、映画館へ出かけるとき、テレビを見る時間、私たちが意見が一致することはありませんでした。私の方から「○○が観たい」とか「△△を食べたい」と主張したことも何度かはあったと思いますが、姉はその私のおずおずとした申し出を「何、それ?趣味悪い!」というように一蹴し、大抵は姉の主張が通ってしまいました。決定権は常に姉にあったのです。
それが日常で、そばで見ていた両親はなぜか姉の横暴さを叱りませんでした。姉は自分がわがままを通しているという自覚なく、いつも主張が通っていたようです。
姉が私に「趣味が悪い」と言っても、父や母が何も叱らなかったので、幼かった私はいつしか「私は本当に趣味が悪いんだ」と思うようになり、なるべく本音を言わなくなったのです。
でも私も本質的には自己主張をしたい子だったので、当然心は屈折します。全く納得がいかないことばかりの毎日だったからです。私が突然思い出したようにかんしゃくを起こしたり、長泣きをしたり、高笑いをしていたのは、その屈折した思いをどこかで発散したいという、本当に自然な流れだったんだと、思います。
私の立場から見れば、姉のほうが数段上をいく暴君だったのですが、両親や姉から見れば、妹の私の方が、突然怒ったり泣いたりするわけのわからない我儘な娘だったということです。
そんなわけで私は毎日叱られていましたから、本当に自分は我儘でレベルの低い人間だと思い込んでいました。

そんな私も大人になり、自分なりに表現することを覚え、自分の本質を発揮できる仕事に就くことができました。いつの間にか自分の心の内を、敢えて激しい口調で主張しなくても、静かに伝えることができるようになりました。わけのわからない感情の高ぶりに苦しむことはなくなりました。

私の場合だけかもしれませんが、感情が静かな時ほど、心が満たされているように思えます。

久しぶりの投稿なのに、長文になってしまい、失礼いたしました。

おかえりなさい(((o(*゚▽゚*)o)))

(私は 諸用で ごくたまにしか見に来れなくなっていますけど)

こちらの皆んなにとって 楽しみなことですね(^-^)/

追記・ガーディナーです。

おはようございます。
出かける前に一点だけ、訂正させてください。

昨夜私は姉のことを
<ADHD気味の定型>であると表現しましたが、
<ADHD気味の非アスペ>と書くのが正しかったですね。

以上、特に重要な誤りでもないとは思いましたが、
どうしても気になってしまったので・・・。

ガーディナーさんへ

私もココチさんの真似したい~

おかえりなさい~o(*^▽^*)o待ってましたー

‘ボーっとボーっとボーっとして’癒されましたーさすがです(*´ェ`*)

‘私の場合だけかもしれませんが、感情が静かな時ほど、心が満たされているように思えます。’

なろほどー。全体のコメントと合わせてとても大切なことを教えてもらった気がします。
ありがとうございましたー

ココチさんもおっしゃってくださってますが、私もガーディナーさんの再来を楽しみにしてた1人なのでまたお話聞かせてくださいねー(o・ω・)ノ))

ココチさん、みるきさん。
こんばんは、ガーディナーです。

久しぶりに掲示板をのぞいたら、みなさんの議論が白熱していて、
ウワ~!どしよう~、ついてけない~、
と蒼ざめていたところでした。
なので、こんなに暖かいお言葉をかけて頂き、
感激しました。ありがとうございます。

ガーディナーさん

 ボーっとボーっとボーっとされていたんですね (笑)
 私も基本的にかなり長い時間ボーっとできないとダメなたちです。

> いつの間にか自分の心の内を、敢えて激しい口調で主張しなくても、静かに伝えることができるようになりました。わけのわからない感情の高ぶりに苦しむことはなくなりました。

 なんか,こういうの拝見すると,すごいなあと思うんです。
 一見わけがわからない感情の爆発にも,ちゃんと理由があって,
 それが場合によって何年も何年もかかって落ち着くことがある。

 一見おだやかに,おしとやかに見える(笑)ガーディナーさんの中に
 ちゃんと激しい子ども時代のガーディナーさんが座っている。
 なんか,そういうの,すごいなあと思うんです。

 時間はかかるんですよね。
 でも時間はかかっても表現することによって,葛藤が力になる。
 いや,なんかすごいなあ。

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