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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2016年9月14日 (水)

自分を肯定することと人を否定すること

 たとえば,車を運転していて,前の車がものすごくトロトロと走っていたり,ウィンカーの出し方,タイミングがおかしかったりして「いらっ」と来ることがあります。基本的に「いらち」なのかもしれないのですが(^^ ゞ 「なんでもっとさっさと行かないんだ」と,思ってしまうことがよくあったわけです。

 けれどもここしばらく,そういう場面に出会うと,「もしかしてこの人もなんかの発達障がい?」とか思ってしまうんですね。もしそうなら,本人にとってはいい加減な運転をしているということでもないし,頑張ってないわけでもないし,ただ車の流れが読めなかったり,注意のポイントにずれが起こったり,そういうことで本人もものすごく慎重になってトロトロになっているのかもしれません。

 実際,事故を繰り返した経験とかを書かれているアスペの方もあったと思います。

 安全運転とか,渋滞を生まないスムーズな交通,ということを考えると,ある種の運転の仕方に否定的な判断をしなければならないことは,まあ仕方のないことなのでしょう。親が認知症が出て来た時に,最も心配したことの一つは運転でしたし,どうやったら運転をあきらめてもらえるかについて,パートナーにもいろいろ相談しながらだいぶん考えました。

 そういう運転に出会って腹立たしく思うこと自体はまあ仕方がないか,当然なのか,そういうことなのかもしれないのですが,そのことで当人を責められるかどうか,というのはなんかむつかしい問題だなと。

 認知症の例で言うと,そのひとつのパターンとして,重くなると同じ話を何度も何度も繰り返すという場合があります。本人は毎回初めて話をするつもりなのでしょうし,毎回聞いてほしくて話をするのでしょう。介護関係の仕事をしていると,そういうのは日常茶飯事のことのようですが,そういうことには慣れているパートナーでさえ,耐えがたくなる時はあるようです。

 私の母親の例でいうと,もともとよく言えば天真爛漫と言えなくもないし,そこがある種の魅力や才能として人には映る部分もありますが,生来ものすごく身勝手な人で,周囲を振り回し続け,私たち子どももものすごく苦労をしてきたのですが,それが介護が必要な状態になってますます「磨きがかかる」部分も出てくるわけです。

 タイプとしては完全な巻き込み型で,他者の感情を掻き立て(その技術は大変なものです),不安や怒りを生み出して自分の不安に付き合わせる,ということを繰り返してきた人なので,まともに付き合っていると,こちらの精神が完全に耐えられなくなります。その結果,ごく自然に防御法として心理的に距離を取って巻き込まれないようにする,という態度が身についてくることになります。

 でも,そうやって心理的には防御をしたとしても,「ひどいことをされている」という思いがなくなるわけではないですし,周囲の人を含んでいったん決まったはずのことが勝手に覆されたりも繰り返され,いろんな人に迷惑をかけ,「実害」も生まれるわけです。

 ですから,どうしても愚痴を言いたくなることがなくならないわけですね。頭ではこの人はこういうタイプの人で,もう修正は不可能だし,当人もものすごい不安を抱えながら生きていることはわかるので,もしそこに共感できるなら「かわいそう」ではあるのですが,とにかく「被害」がひどいものですから,感情的には処理しきれないものがあるわけです。

 で,パートナーに愚痴ると,やっぱり「それはもう仕方がない」という割り切りの態度で接するしかないと言われます。この点は彼女はほんとにすごいと思うのですが,実際彼女もこれまでいろいろ「被害」を受けているにもかかわらず,今はちゃんと母親の話を聞けるんですね。過去には繰り返し否定的に見られ,攻撃の対象にもなった彼女が,今では母親に最も頼られ,信頼される「カウンセラー」になっています。

 
 実はこの母親と私との関係で私が感じることや,その中で作らざるを得なかった「距離の取り方」は,私とパートナー,あるいは定型とアスペの関係でアスペの方の側が感じることや取らざるを得ない距離と似ている部分があるのではないかと思っています。つまり自分に対して「過度に感情的に巻き込んで来ようとする人」に対する対応の仕方,ということで私にとっては母親がそうですし,アスペの方にとっては定型がそうなるのかなと,そんな風に感じるのですね。


 そんなふうに考えてみても,世の中,それぞれの人がどうしようもない「自分」というものを抱えて生まれてきて,どうしようもないその人の環境の中で育ち,その人の生き方を作り上げていく。それはある意味選択の余地がないもので,当人の努力がどうのこうのという問題をはるかに超えてしまっています。男性として身体も心も生まれ,周囲からも男性として接してこられ,男性としての生き方を作って今の自分がある,と言うことの中に,私が選択できる部分はものすごく小さいのと同じです。

 でも,そうやってどうしようもなくそうせざるを得なかった中で作られてきた生き方が,他の人にとっては迷惑極まりなかったり,怒りの対象になることが少なくない。

 私はこれまでいろんなことに「怒り」をもって生きてきたのですが,でもそこで怒りの対象になる人もみんな,結局どうしようもなくそういう生き方になっているとも考えられるわけで,逆に私自身が同じようなことで怒りの対象にもなりうるわけです。ということをある程度リアルに感じられるようになると,いったい自分が今まで素朴に抱えてきた怒りや憤りってなんなのだろうと,そういうことを考えてしまうことがあります。

 いや,もちろん究極的にはそのような「怒り」は「自分(たち)」を守る,という,いわば利害の部分につながっているのだとは思いますし,そのことを否定はできないと思うのですが,「自分を守る」ために,自分の論理で「相手を否定する」ということには納得できないものが残り続けることも事実で,そこがむつかしいところです。
 

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コメント

こんにちは(^ ^)
私は車を運転しないのですが、徒歩でも同じようなイライラを頻繁に感じます。
道の真ん中をものすご~くゆっくり歩く人、まして3人横並びとかだとイライラMAXです 笑

私は以前、人に怒りを感じる事に罪悪感を持っていたんです。するとどうなるか。
人に優しくなるかというと違うんですよね。表面上は人に優しく、いつも穏やかで誰にも怒らない良い人みたいで、でも内面はイライラと妬みと被害妄想が膨らんでいって、結局誰のことも信頼していない「良い人」とはかけ離れた人格ができていって…

だから今は、全てを許そうという方向にシフトしたんです。
自分が他人に自分の価値観で自分勝手に「怒り」という感情を持つこと。まずはそれを許してあげます。これだけだとそうとう傍若無人になりそうですが、同時に他人が他人の価値観で行う言動も許してあげます。(もちろん重大な犯罪を犯したり、人を深く傷付け続ける事を許せるほどには、私は寛大になれませんが)
そして、他人が他人の価値観で自分に対して「怒り」を向けてくること、これも許してあげるんです。
みんなお互い様で。

例えば、上記の3人横並びで道路を占拠したままゆっくり歩く人の場合、
まずは「道路はあなたたちだけの物じゃないのに」などと私は怒りを覚えます。ですが、怒る自分を許してあげます。
怒ることは許可しますが、次にその3人の行動も許すわけなので怒りを本人達に向ける事はありません。会社に着いたら、同僚に愚痴ろうなどと考えてやり過ごします。そんな風にして、自然にただ自分ひとりで頭の中で「このやろー」とちょっと悪口を言って 笑 

だけど会社に着く頃には、すっかり忘れていて結局愚痴る事もなく終わる事がほとんどです。たまに「怒り」が強すぎて消えない時には、愚痴を聞いてもらったりして人の力も借りて心を落ち着かせるようにしています。

言いたいことが短くまとまらないですね私^ ^;
ぱんださんが自分の中の負の感情に対し寛大になれないような印象を文章から感じたので、ぱんださんの全ての感情を認めて許していただけたら、より楽に生きられるのではないかと私が勝手に思っただけなので、なんとなくで読んでいただけたらと思います。

パンダさんへ

興味深くよんでいました。

怒りとは別で「相手を否定する」というのが、その人の自己表現のひとつなのかな?なんて思ったりもします。


人A「その格好変じゃな~い↑」

いわれた人B「私は好きだけど、この格好Aは好きじゃない、おかしいと思うのね。」

ぱんださんこんにちは。

運転のお話、わかるわかる~でした。

私は運転もマイペースなので、一応流れにはのるものの、煽られてもパッシングされても構うことなくスピード違反で捕まらない程度くらいまでしかスピードを出しません。

しかし、本当は誰もが心の中で思っています。

お前もう少しスピードだせよ!って(笑)

車線が多いと勝手に抜かしてくれるのでいいんですが、1車線で自分が先頭とかだと後ろの渋滞が気の毒になります。

できる限り、早めに後ろの人たちを行かせてあげるんですが、ぼーっと走ってるうちにまた次の一団がやってくるので笑えるほど楽しい運転生活です(゚▽゚*)


でもやっぱり、自分が急いでいるときとかは自分と似たような運転する人とか車ごと跳ね除けたくなります(←自分最低)
そんなときは、落ち着け!これはいつもの私だ!と言い聞かせてまあ仕方ないかーと気分を落ち着かせることにしています。

なんの話でしたっけ?
笑えますねー
ちゃんと運転しろって話でしたーヽ(´▽`)/

noaさん

> 全ての感情を認めて許していただけたら

 ここ,ここなんです(笑) そこがむつかしいんですよね。
 許すというより,もう開き直るみたいなことは時々ありますけど……

かぼちゃさん

> 「相手を否定する」というのが、その人の自己表現のひとつ

 なんかわかる気もします。否定と言う表現を多用する人,いますしね。
 あ,パートナーも典型的~

みるきさん

 うーん,犯人がここにいたとは! 
 深く反省するように! (笑)

ばんださん、こんにちわ〜(*^^*)

私も今日まさに『イラっと』運転中にしたので
コメントを...

私は裏道を通るのが好きで(笑)細い道を見つけては、いつもドキドキしながら

(対向車がきたら、ピンチ❗なくらいの細い道)

問題なく通れたら、『よし。切り抜けた🎵』なんて 思いながらも運転してます。
(意味不明ですね 笑)

で、今日 ピンチにでくわしまして
(前から対向車がきた)

仕方なく、バックしたんです。
でも、かなりバックして(暗かったからドキドキしつつ)

すれ違いに相手を見たら、こっちを見ずに
スルー...

この記事を読んでからだったので

あぁ...今、私 イラッとした・・・

クラクションをならす『だろう』私なら❗

なんて、これが入れ子か〜....なんて考えていました(^_^;)

イヤ〜...まだまだ自分を見つめることが
沢山ありますね。

『怒り』ですが。

『怒ってる人にビクビクする自分』と

『怒ってる自分』になんか矛盾も感じたりしてます。

そして私の周りにはけっこう激しい言葉づかいをする
友達が多いので....(ヤンキーとかではないです。
どこにでも、いるような人です(^_^;)

アスペの方々の言葉づかいに傷つかないのだと思います。

私の場合は、言われる『言葉の表現』にびっくりすることが多かったかな〜...

みなさんよく使ってい ますね。
『モラハラ』『ストーカー』

みるきさんの『出ていく詐欺』(笑)

私も笑ってしまいました(*´∀`)

あぁ、なんかあんまり重たく感じる必要はないのかな。と、改めて感じているとこです。

あと、アスペの方々が使う言葉って、たまにものすごく『面白い』のもあって(笑)

(彼の選ぶ言葉の表現も、思い出しては一人で
笑ってしまいます〜)

怒りから、笑いの話になってしまいました。
すみません〜
(^_^;)

裏道アンブロさん

 なるほど,アンブロさんは常に裏街道のスリルを楽しまれているのですね? (笑)

 ばくちにはまる人も同じなのかもしれない。そのスリルがたまらない!とか (笑)


> あぁ、なんかあんまり重たく感じる必要はないのかな。と、改めて感じているとこです。


 そうなんですよね。この感覚が身に着いてくると,だいぶ関係が変わるような気がします。たぶんその時のポイントは「ここは重たく感じる必要はない。ここは重たく感じないとやばい」というそのことの「アスペ的な線引き」の仕方がわかってくることかなと思います。そこがクリアになってくると,そうとう「気楽」になると思えます。

運転の話。

私は仕事で運転をしているので、仕事のスピード感と、プライベートのスピード感の違いをひしひしと感じます。

利用者さんの安全を第一にと考えると、非常に細かい規定と、職員の運転方法を一貫させないといけないし、法定遵守です。
運転者のスピード感と負担は、同乗者のそれに比べてとっても軽いんですね。
よく、福祉車両の事故で、運転者は無傷だったのに、利用者が亡くなるケースが多いのはこれなんです。もちろん、体力の違いもありますけど。

それで、職場の規定では、40キロ以上出してはいけないとなりました。
自分では出していないつもりだったんですが、実際40キロの車に付いていったら、遅い遅い!

こんなに主観が違うのかと思いました。

こういう運転も、福祉車両のマークがあるから許されることなんですけど。

プライベートではもっと出ていても遅いと感じ、40キロで走っている車にイライラしますね。

でも、たまたまニアミスが無いだけで、果たして唐突に何か飛び出てきたとしたら、止まれるのだろうか?と思います。

それでも流れを重視してしまう。

車は便利、車は早い、滅多に事故はない、という『妄想』で、イライラするんでしょうね。

本当はとっても危険なもので、間に合いそうにないから車!と安易に思ってはいけないのかな?
そう思い込んでいることがイライラに繋がっているのかなと、最近思い始めています。

でも、イライラするので、車の中で叫びますけど。

『さっさと行けー!この✖️✖️!』

人間って勝手なものですね!

ぱんださんへ

‘ うーん,犯人がここにいたとは! 
 深く反省するように! (笑)’

はい!気をつけます!であります~(゚▽゚*)
あははははは~

あー面白かったー。

あ!ぱんださん、最新記事を読みました。あれはちょっとひどいですよーぶーぶー(笑)
私は元々、人並み?位にはちゃんと恥じらい持ってましたよー。ぶーぶー
ただ、今回ふと定型さんのいう人目がようやく気になった・・そういう話ですー!
あれだと、私が(アスペの人が)まるで恥を知らない人みたいじゃないですかー。
文字通り、「恥知らず」じゃないですかー
恥は知ってました。・・・ただ定型さん目線がようやく体感できた・・そんな感覚です~。

まあいいけどー( ^ω^ )

あすなろさん

> 人間って勝手なものですね!

 まったく!
 運転って,その人の結構深い性格がよく現れる気がします。
 普段は「猫をかぶっている」ぶぶんがストレートに出やすい (笑)


みるきさん

> はい!気をつけます!であります~(゚▽゚*)あははははは~

 よろしい。素直なので許してあげます。

> 私は元々、人並み?位にはちゃんと恥じらい持ってましたよー。ぶーぶー

 すみません,言葉足らずでした。m(_ _)m 補足しておきました。

 素直に謝ったので許してください (笑)

 まじめな話,そこは次に考えるべきポイントだと思います。
 もちろんみるきさんは私のパートナーもそうですけれど,
 「恥を知る」方なのですが,たぶんその恥の感じ方に
 大事な違いがあるんだと思います。
 そこが何が違うのか。結構大事な問題かと。

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