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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2016年9月30日 (金)

それぞれの世界

 また例によって素朴な「再発見」です。「再」というのは,これまでも同じようなことを感じて書いてきたことなのですが,また改めてもう少し広がったり深まったりしたところでそれを感じるようになったという意味です。

 人はそれぞれみんな自分の世界を生きています。そこには自分だけじゃなくて,ほかの人たちがいっぱいいて,決して自分の思い通りにならなくて苦労もするけれど,でもそこで出会う他の人たちのことも,自分なりの理解でしか理解できてなくて,言ってみれば自分の世界に取り込む形でそこに現れているのでしょう。

 そうやってみんなが自分の世界の中で,人との付き合い方を学んでいます。そして自分の世界の中で自分なりに相手への気遣いの仕方などを身に着けていきます。それは自分の世界の中ではとても大事な気遣いの仕方で,もちろん自分の世界の中ではある程度実際に効果があるし,自分にとってはとてもリアルで大事なものなのです。

 ところがまた違う世界の中で生きている相手の人は,それとは違った気遣いの仕方を身に着け,あるいは作り上げていきます。それもまたその人が生きている世界(その人にとって見えている世界)の中では大事なもので,とてもリアルなものです。

 この二人の世界に共通性が多くて,気遣いの仕方もうまく調整されて共有されている場合,お互いの気遣いはとても力を発揮して,二人の関係を素晴らしいものにしていきます。だからその気遣いの仕方は二人にとって,言ってみれば磐石の「正義」みたいなものにも感じられます。

 ところがもしこの二人の世界がすごくずれていたとします。お互いの気遣いの仕方も全然ずれてしまう。その二人が出会うと何が起こるでしょうか。自分の気遣いがまったく相手に通じません。相手は自分にとって大事な気遣いを全然してくれません。

 お互いに「相手は気遣いができない人間だ」とすごくショックを受けたり傷ついたりするでしょう。そして相手が「これは私の気遣いなんだ」と仮に説明したとしても,そんなのは嘘だとしか思えなかったり,あるいは「偽善だ」と感じて激しい怒りさえ感じるかもしれません。なぜなら自分の世界の中では,そんなものはなんのリアリティもないものだからです。「気遣う良い人」のふりをして,実際にはひどいことをする人間,としか相手が見えなくなるのですね。

 思い返せば私もこれまでそういう形での相手への「猜疑心」や「怒り」を繰り返し感じてきたように思います。そして相手の世界を「偽善」としか思えなくなる。

 相手の世界の中ではそれは実際にほんとに必要な「善意(気遣い)」で,すごく大事にしているものだったりするわけです。どこにも「偽善」はない。もちろん気遣いとかは「こうすべきだ」という種類のものも多いですから,「本当はそうするのはしんどいけど」というような気持も含まれることも少なくありません。

 その意味では「本心から」とは完全には言いにくいところもある。でもやっぱり「人としてそこはそうすべきだ」と思い,本気で大事にしようとしているわけです。それが相手から見ればなんのリアリティもない偽善に見える。そういうずれがあります。

 世の中に蔓延していて,人を殺す理由にもなる「正義」とか,相手を「偽善」として怒りを持つこととかは,基本的にはそういう種類のものなんじゃないでしょうか。お互いに自分の世界を守ろうとして,相手の世界との結びつきを断ち切ってそうなっていく。

 パートナーとのこれまでの葛藤も,そういう部分が多いなあと,なんかしみじみ感じることでした。

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コメント

初めてのコメントから、何年か経ちました。私の中を、また言葉にしたいと思いました。もしもお読みいただけましたら、幸いです。

いろいろな出会いと、別れを経験しました。人との関係に、心が動くようになりました。あたたかいものと、苦しいものがあります。
心の動きから、記憶があらわれるようです。からまっていて、時には涙をともないます。ほどけるまで、くり返すのかもしれません。
浮かんでくるものを、すくい取る日々です。人と接するほど、私自身の中に向かいます。変化は思いがけず、不思議なよろこびです。

数年の様子を、こうして言葉でくくります。皆様の変化が、よいものでありますように。お読みくださり、ありがとうございました。

コルテオさん

 公開手続きがこんなにも遅くなってしまってほんとうにすみませんでした。
 具体的にはわかりませんが,いろいろなことを経てこられたのですね。

 どのような変化であれ,そのすべてが私として積み重なっていくわけでしょうし,
 あとはその積み重なりをどう生きていくか,でしょうか。

 また何か書きたいことが出てきたらどうぞお書きください。

 最近公開手続きのミスが連続してしまっている状況ですが,注意します。

コルテオさんへ。
始めまして、ガーディナーと申します。
よろしくお願いいたします。

何年か前の常連さんだったのでしょうか?
私は一年ほど前にここを知り、
昔の記事も時々読ませていただいています。
ですからコルテオさんのお名前だけはお聞きしたことはあるのですが、
どのようなコメントを投稿されていた方なのかは思い出せません。

今回のコメント読ませていただきました。
一編の詩を読むような感動を覚えました。
言葉の生命力の本髄を見せて頂いたように思います。
決して刺すような鋭い言葉ではなく、
でも一つ一つの柔らかい言葉が、細かい粒子になって、
固く閉ざされた心にも浸透するような、そんな感動でした。

この数年間に、コルテオさんが体験された「何か」を
私は知らない。
でも知らなくても良い、
私の気持ちは、コルテオさんの言葉によって、
むしろ自分自身に向かいます。

>心の動きから、記憶があらわれるようです。

この「あらわれる」は「現れる」?それとも「洗われる」?
そんなこと詮索することすら憚れるような、
神聖な気分になりました。

また、聞かせてください。

パンダさん
いつも、お気遣い、ありがとうございます。すべて私の積み重なり、と、私も思います。
「あなたが見ているものがあなたである」。これは、本にあった、支えとなる言葉です。

ガーディナーさん
コメントくださり、ありがとうございます。誰かに、通じたことを、うれしく思います。
知らなくても良い、は、とても優しいです。すべてのお言葉、大切に、胸にしまいます。

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