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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2016年2月21日 (日)

しつけと定型「操縦法」

 昨日の記事「子ども心」で,「一緒に相談しながら問題に取り組んできた」→「アドバイスも効いて,うまく対応できた」→「これを報告して『よかったね』と言ってほしいor一緒に喜んでほしい」という,学習できない私の「子ども心」について書きましたが,それからふと,あ,これって報連相の話につながるな,と思いました。

 アスペの方は報連相,つまり報告,連絡,相談がうまくいかずに職場などで苦労する,という話ですね。それは実際に業務に支障をきたすこともあるんだと思いますが,多分それだけじゃなくて,この「子ども心」を定型が満たされないので,感情面で不満がたまることがあるかもしれないと思いました。そしてたとえばこんな展開があるかも。

 定型の方は必要な報告がされていないように感じるので,「こいつは常識を知らないやつだ」という見方になって注意をする。けれども,アスペの方からすれば最低限の必要な情報伝達はやってるのだから,何も問題ないはずと思って,何を文句を言われているのかよくわからない。よくわからないから対応のしようがない。でも文句を言われるから,とりあえずいつもより「こんなこと余分なことだけどなあ」と思うようなことまで報告してみるけど,今度は逆に「そんなこといちいち言わなくてもいい」とか怒られたりして,ますますわからなくなる。

 そうすると定型の方は自分にとってはあまりに当たり前の,説明する必要もないようなことについてしばしばずれた対応をされて,いくら注意をしても効果がないので,いら立ちが募ってくる。だんだん「こいつはよほど抜けているのか,それとも俺を馬鹿にしているのか」と疑う気分になってきて,いら立ちは怒りになってくる。

 アスペの方は自分が一生懸命頑張ってやってるのに,全然認めてもらえなくて,つらい思いをしているところに,上司は情け容赦なく叱ってきたりするので,ますます委縮してしまい,何かまた怒られると,自分自身にも腹が立ってきたりして,知らず知らずに(自分に対してとか,自分の運命に対してとか)怒った表情になったりする。

 上司の方からすると,相手を怒っているのに,反省する姿勢や態度ではなく,怒りを自分に向けてきていると感じ,「なんとずうずうしい,反抗的な奴だ」とショックを受け,怒りのボルテージは一挙にあがり,激しく怒鳴りつけるか,あるいは「もう,こいつには何を言っても無駄だ」と見切りをつけ,排除の対象にしていく……。
 ま,いつものながら私の勝手な想像ですから,どこまで実際にそうなのか,よくわかりませんが,なんとなくありそうな気もします。で,そうだとすれば,この報連相問題,たんに技術的に何を伝える必要があるか,そいうことだけでは終わらず,定型の「子ども心」が満たされるかどうか,という問題も結構効いている可能性があるわけです。定型の側は「気持ちの共有ができないやつだ」と感じやすくなりますから,そうすると「こいつは自分の仲間にはならない」という判断になりやすい。

 まあすごく有能な人であれば「利用」の対象にはなるでしょうけれど,他の定型と同じような仕事ぶりの場合には,定型は仲間大好きですから,自分と仲間になってくれそうにない部下は当然優先順位も下がります。さらに「態度がふてぶてしい」とか「反抗的だ」「可愛げがない」と感じられたりすれば,「敵対的」と思われるわけですから,優先順位どころではなくなるわけですね。激しい差別待遇にもなりえます。


 さて,それでもうひとつ思ったことです。 

 アスペの方からすれば,定型の気持ちの動き方はなかなか理解しにくいわけですから,「共感的に対応する」ことは当然とてもむつかしい。で,アスペの方が定型社会に適応するには,基本は「パターンを読み解く」という形になります。それ自体もなかなか大変な作業ですし,読み解いてうまくいったと思えば,そのパターンを使って大失敗することもある。そのパターンを使えるところと使えないところの区別がまた定型的なので,そこが読み解きにくいからです。

 そういう苦労を重ねながら,でもさすがに経験値が上がっていきますから,だんだんとできることが増えていくこともある。この辺は同じアスペの方でも得意不得意がありそうで,比較的スムーズにこなす方と,それ自体かなり苦労される方があると思いますが,いずれにせよ少しずつでも適応可能な部分が増えていく傾向はあるでしょう。

 で,いつもそうやって「頭で考えて実行する」という形で定型社会を生きていきますから,これは大変につかれるわけです。常に周りの状況を計算し続けなければならないですから,そこに費やすエネルギーは膨大になる。仕事が終わるころにはもう精根尽き果てて,暗い顔にもなりがち。で,「根暗」とかも言われる。

 なんにせよ,アスペの方にとって定型社会への適応ではこの「パターンの習得」がひとつの有力な武器であるわけです。

ちょっと視点を変えると,この「パターンの習得」をうまくやっておけば,それで定型の子ども心は満たされて「うん,かわいいやつだ」となって満足度が上がるわけですから,アスペの方が定型を「操縦する」武器にもなるわけですよね (笑)

 
 それで,そこから長年の疑問の一つが解けたように思うんですが,その疑問というのは「礼儀」というやつが一体なんなのか,ということです。

 私は型にはまったことが苦手なタイプで,型にはめられるのもいやでしょうがないわがまま人間ですから,「礼儀」なんてわけわかんないわけです。「形」ばかりこだわって,そんなもの「心」がこもってるわけじゃないし,「虚礼」という言葉がありますけど,そのままでしょう,とか思ってしまう。そんなのうわべだけで人を欺いているようなもので……,とこの辺はアスペの方の気持ちがわかるように感じる部分でもあります。

 でも,たとえば定型の子ども心を満たさないとこの定型優位社会では生きていきにくい,ということになると,「定型が満足できる応答のしかたのパターン」を身に着けることが大事なわけですから,そこで「わりと定型が共通して満足しやすいパターン」が「礼儀」として作られていき,それを子どもたちに教え込んでいくようになる。これは定型同士でももちろん効果を持つわけですが,そういうパターンを提示されることはアスペ的な子どもたちにとってもとてもわかりやすく,習得しやすいわけです。

 定型の子ども心がわかりにくくても,この「礼儀」というパターンを習得して活用していけば,アスペの方でもある程度うまく定型を「操縦」することが可能になる。多少ぎこちなく,堅苦しく感じられても「あの人は礼儀正しい人だ」というプラスの評価にもなりやすいですし。

 そうすると,この「礼儀」というもの(これも一種の共同幻想ですが)は,お互いに理解がむつかしい定型とアスペをぎりぎりつなぐひとつの工夫という面も考えられるわけですね。もしかすると○○流とか,礼儀作法を作り上げた人には,ものすごく頭のいいアスペの方たちもいたのかもしれません。自分の経験で苦労して作り上げたパターンを整理して体系化したわけです。

 で,今の世の中,私のように型にはまることが嫌いなわがまま人間や,あるいは人を型にはめたくないやさしい人間が増えましたから,それは自由が増えるということではいいんだけど,逆にアスペの方がそれまで頼りにしていたパターンを失って,「各自自助努力で工夫せよ」という世界になってしまう面がある。世の「自由化」の中でどこでも起こることですが,それは激しい弱肉強食の世界にもなるわけです。

 そう考えると,今の世の中で「定型アスペ問題」がシビアになってきたのは,ひとつにはこれまで何人かの方が言われていたように,「昔は問題を隠してきたが,今は隠さなくなって,ちゃんと取り上げられるようになってきた」という面が一方で確実にあると同時に,昔は「パターンの共有」ということで折り合いをつけてきた部分が失われてきたために,摩擦が起こりやすくなった,という面があるのではないかと思えます。

 

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コメント

パンダさん

こんばんは、キキ(アスペ+ADHD)です。
「こども心を満たす」…わかります。
礼儀としてかどうかわかりませんが、「かわいい奴じゃ」と思われる程度には社会では振るまえます。

ただ…あとのフォローができないから、「かわいい奴じゃ」と思われるのは、しんどいんですよ。
プレッシャーがかかりますし、失望させたくないから、飲み会などにもある程度付き合わなくてはいけなくなります。
報告も、したりしなかったりでは失望や混乱をさせてしまうので、思いつく限りやるのですが、どうしても抜けてしまう…
そうすると、一度「かわいい奴じゃ」と思ってくれた相手は、何だか私に裏切られたような、よくわからない気持ちになるんだと思うんです。

「かわいい奴」でずっといければいいんですけどね、所詮、フリでやったことは、後が続きません(T_T)

母にはよく、「とってつけたような親孝行するな」と言われてました。
思いついた時に、本などで仕入れた方法で親へ感謝を示したりしてたんですが、ちゃんと心からやってないと思われるんでしょうね。

でも、私なりに、相手を喜ばせたいという気持ちはちゃんとあるんですよ。
ありすぎて、周りに合わせるために神経を張り巡らせる必要があるのかもしれません。

たいていの自己啓発本は、定型世界にいかに適応するか、という内容が多かったので、参考になったのですが、所詮、心でわかった訳ではないのでしょうね、読んだそばから忘れてしまう感じでした。

いま、自閉(知的障害あり)の息子への子育てに悩んでいます。
どうしても、アスペ感覚からの躾になってしまうだろうし、わたしが学んだ定型スタイルは教えてやれるけど、心を教えてはやれないんですよね…
申し訳ないなぁ、と思うと、涙が出てきてしまいます(T_T)

キキさん

やっぱりこの問題、アスペの方にとってほんとに深刻な問題のひとつなんですね。でも定型はその深刻な悩みを理解するのには大分努力が必要だと思うし、それ以前にそういう悩みがあること自体、全く予想もできない人がほとんどのような気がします。

子育てをされるときにそれがさらに深刻な問題に感じられるというのも、ああそうだろうなあと思いました。自分が経験してきた苦労を子どもにはさせたくないという気持ちは、定型アスペ関係ないですよね。

理解できないから読んだそばから忘れてしまうというのは、私も同じです(*_*) 私の場合、パートナーから彼女のことについて説明されても、上手く理解できなくて、しばらくするとまた同じような質問をすることになり、彼女に何回同じこと言わせるのかと怒られるんです (ToT) ところが私の方は、同じような質問を繰り返しているという自覚さえありません。

自分にとって分かりにくいことは覚えられないし応用も効かないのは、定型アスペ関係なく人間に普通のことなんだと思います。そういう限界をお互いに認め合えるようになるかどうかは、大きな問題なのでしょうね。

パンダさん

おはようございます。キキ(アスペ+ADHD)です。

パンダさんに頂いたコメント、
…………………………………………
>理解できないから読んだそばから忘れてしまうというのは、私も同じです(*_*) 私の場合、パートナーから彼女のことについて説明されても、上手く理解できなくて、しばらくするとまた同じような質問をすることになり、彼女に何回同じこと言わせるのかと怒られるんです (ToT) ところが私の方は、同じような質問を繰り返しているという自覚さえありません。
…………………………………………

↑これ、すごく反省しました∑(゚Д゚)
めっちゃ責めたりしてしまうこと、あります。
忘れてることについて「私に関心がないってことね!」とかって…(ー ー;)

違うんですね、真剣に聞いても感覚として覚える訳じゃないから忘れてしまうんですね。
私も同じなのに!!
同じなんですね、お互いに。
すごくすごく納得しました。

大きな関心を持って大事にしてくれてる人に「関心がないのね!」なんて、
本当に傷つけてしまっていたと思います。

ところで子育てのこと、うちは祖父母も一緒に住んでいるんですが、
(子から見て)祖父は未診断ですが、かなり典型的できついアスペルガー、祖母は定型中の定型です。
(その2人に育てられたのが私でして、定型アスペの難しさは考えてみると赤ン坊の頃から見てる訳ですね)

そして、子育ての話に戻るんですが、この定型のおばあちゃんのおかげで、ずいぶん自閉の息子は恵まれていると思います。
おばあちゃんはとても優しい。

ある時、息子に「誰が1番、あなたの気持ちをわかってくれる?」と聞いてみたら、「ばあちゃん」と言ってました。
やっぱり私じゃないんだー、とは思いましたが、そういう、優しい心に存分に赤ン坊の頃から触れてこれた息子は、幸せなんだと思います。

定型アスペ夫婦に育てられた私は、幼い頃は特に混乱の毎日でした。
同じ件に関して、母が言うことと父が言うことが真逆なので、どちらも聞こうとする子供としては、混乱してました。

大人になってからは、「情緒的なことが絡むことは母の意見」を、
「情緒が絡まない、理性的な判断が必要な時には父の意見」を、と分けて考えるようになってました。

母はよく、父とやってこれたなぁ、と思います。根が優しいからでしょうね。
父は、母以外の人とは添い遂げることは出来なかったと思います。

余談になりました、ごめんなさい( ´ ▽ ` )ノ

キキさん

 また貴重なお話をありがとうございます。

 読んでいて思ったのですが,いろんな個性の方が集まる関係の中で,言ってみたら「役割分担」ができるようになることがとても大事なような気がしました。

 子どもにとっても多様な人と多様な関係を結びながら,「いろんな選択肢」を経験しながら,柔軟に生きていく力をつけていくことにもなります。土台一人の人にすべてを求めることなど不可能なわけですし,要はバランスですよね。一人の人だけをとりだして「この人はいい(悪い)」とか議論するのはおかしいと思います。

 またいろいろご経験から考えられていることなど,教えていただけるとありがたいです。ぼちぼちよろしくお願いします。

> なんにせよ,アスペの方にとって定型社会への適応ではこの「パターンの習得」がひとつの有力な武器であるわけです。

 ぱんださんまたしても旨く表してくれました。
 パターンの習得、この後付けの学習により、少しずつ違和感の正体があるのだとか、本当に何となく理解でき、何とか乗り越えるようにもなれたりはします。
 もの凄い労力を使いますが、歳ととも少しずつではありますが、近くなることもあって、私の彼女は最近では、マニュアルから少しでも外れるのをよしとしなかったのが、パターンの習得により結果がよければ他人に任せることも少しできるようになったと話していました。
 ただやはり私の周りでは三十代の手前か三十代になってという、方が多いような気もします。

それと前、別れる原因にもなった根っこの部分が、少し理解できるようになり、そこはやはり、私も彼女も自分の不利益関係なく、言わなくてもいいことを聴かれたら全て話し、聴かれなかったらとことん話さない。
この齟齬が一番大きかったように思います。
定型ではこういったときは場の空気や、この人はどうという格付けをして会話をしているようなので。
私と彼女は道ばたにいる見知らぬ人も、恐らく同じように対応してしまうと思います。
問題が何か起きたときに、どうしてこうなの? と言うと聴かれなかったらとお互いなるのでやはり、私たちの中においてもこれは問題行動な場合があるんだと思います。
今ではお互いがそこを少し理解し、一つクッションを置くことにより軽減されるようになりました。
定型でいう場の雰囲気で聴かれなくても答えること。というのは、私たちにもある程度必要なことだと最近は感じています。

タユミさん

私がアスペ的世界を想像する手がかりになる大事なポイントがてんこ盛りで、ほんとにありがとうございます。特にアスペカップルのなかで起こる問題とそれへの対処の工夫についてなど、すごい刺激的です。

定型の人間関係は、クッション作りの工夫がものすごく多い、ということをこれまで何度か書いてきましたが、アスペ同士の関係でもそれが大切になる場合があるわけですね?そこも定型アスペで共通する部分があるのなら、お互いに定型アスペ関係に上手く使いやすいクッションを探していくことは、とても大きくて現実的な工夫のひとつになる可能性があると思いました。

またいろいろ教えてください。

礼儀正しい・・・ですか。
私の場合はおそらく母もアスペで、礼儀みたいなものが全くできていない人なので、当然のことながら私もそういうものが全く身に付いておらず・・・とても苦労しました。
今は一通りできますが、子供の頃に仕込まれた人は状況が違うかも知れませんが、大人になってから全て自分の力だけで身に付けるのは本当に大変でした。
定型から見ると「礼儀なんて決まりきったもの」というふうに見えるかも知れませんが、タイミング、声の大きさなど、周囲の状況に合わせる必要があります。
そういうのは非常に難しいので、実際何度も笑われました(声が大きすぎるとか、お礼を言うタイミングが若干早かったらしくフライング気味だということで)。
正直、挨拶みたいなものは全廃して欲しいです(苦笑)。

ひとさん

 最近改めて理解を深めますが,同じアスペの方といっても,定型社会への適応の大変さにはほんとに個人差が大きいですね。

 まったく漠然とした印象ですけれど,どういうところでずれが生まれ,どういう工夫で調整が可能になるかについて,人によって異なるいくつかのパターンがありそうな気がします。

 たとえばパターンを「礼儀」みたいな形で教わると,その行動自体は比較的身に付きやすいタイプの方と,ひとさんのように,声の大きさやタイミング,場合によっては姿勢のように「体の調整」みたいな部分でずれが起こってしまう場合と,その違いは大きそうな気がします。どの部分でずれが起こりやすいかで,定型が受ける印象もまたまったく変わるでしょうし。

 このあたり,丁寧に考えていく必要があるなと思いました。

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