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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2016年2月 5日 (金)

最近の変化

 このところのブログでの新しい展開とともに、なんとなく自分の中での変化を感じるので、思いつくままに書いてみたいと思います。

 昨日みるきさんのコメントへのお返事の中で

 「最近パートナーの人間理解の方が私より余程的確に見ていると感じられることが増えてきたのですが、もしかするとアスペ的な世界への想像力が少しずつでも身に付き始めたことで、逆に私が定型的見方の限界とか、陰の部分に気づき始めたのかもしれません。以前なら感覚的に受け付けなかった彼女の話が所々納得され始めているんです。」

 ということを書きましたが、なんかそんな感じのことですね。もちろん、ここで「アスペ的な世界」といったところで、私が触れているアスペの方はごく限られているわけですし、私のそういった想像をここでのやり取りの中で手助けしてくださっている方は、アスペの方の中ではより積極的に人との交流を求めらる傾向が強い方かもわかりませんし、そこで想像されていることがどこまで多くの方に当てはまるのかもわかりません。場合によってはごく限られた「特別な資質」をお持ちの方との間では成り立つことなのかもしれませんし、それは何とも言えません。

 ただ、そうはいっても、ほんとにまれな方との偶然の一致という風には感じないのも事実です。なんでなのかなと考えてみるのですが、ひとつには記事に共感してコメントを下さるアスペの方が複数いらっしゃったということでしょうか。そしてそれぞれの方がご自分でご自分の「アスペらしさ」と思われている部分に記事の内容がつながっていると感じられている。

 その皆さんは、これまでアスペのこともいろいろ勉強されたり、日常でも接する機会が多かったり、悩みながら深く考え続けてこられたり、そういう経験をお持ちだったりするので、その方たちが共感してくださるということは、そんなにごくまれな偶然の一致ではないだろうなと感じられるのでしょうね。

 それから私個人の問題として言えば、パートナーとの関係が一番大きなテーマなわけですが、これまで理解できなかったり反発したりしていた彼女の言葉や振る舞いの中に、このところの私の想像力の使い方で、「ああそういうことか」となんとなく腑に落ちるものが増えてきたこともあります。

 彼女もアスペのことに関してはいろいろ読んだりして、自分がアスペであることは確信していますし、実際私が彼女の言動について理解できずに不思議に思ってここで記事で書いたりすることについても、これまでも何人ものアスペの方から「あるある」という感想をいただいていますから、「ああ、こういうことって多くのアスペの方に共有された問題なんだな」と感じられてきたわけです。で、そういう彼女のアスペ的に感じられる部分について、なんとなく腑に落ちるものが増えてきた。

 また、これまでつながりが見えてきにくかった、いくつかのタイプのアスペの方の中に、その想像力の使い方でなんとなく共通する世界が感じられるようになってきたことも、意味がありそうです。

 ここでのアスペの方とのやり取りでも、気が付くと「この方はほんとうにアスペなのだろうか?」と思ってしまうくらい(笑)、「通じ合う」感覚が生まれる場合もあります。これはネットの空間だからそうなりやすいということもあるのかもしれませんし、いわゆる「スペクトラム」の問題も関係するのかもしれませんが、いずれにしてもパートナーとなかなか通じ合いにくいところでもスースーと通じてしまう感じがあったり、そういう方たちがいらっしゃいます。

その一方で、その感覚がなかなか生まれないやりとりになる場合もあります。理由はよくわかりませんが、コミュニケーションのスタイルがすごく違う、という印象があります。スースー通じてしまう感が生まれる方との間では「コミュニケーションではこういうやりかたが大事」という「やりとりの暗黙のルール」みたいなものが共有されている感じがするのですが、通じ合いの感覚が私に生まれにくい方たちの場合、その部分でどうも結構大きなずれがありそうな気がするのです。

 ここでも時々紹介されていますけれど、アスペの方の中に(定型でも同じことですが)、激しいDVを引き起こすようなタイプの方もありますよね。多分「二次障害」の部分が大きいのではないかという気はしつつ、原因の理解は私にはむつかしいですが、そういう激しい攻撃的な姿勢などは、たとえば私のパートナーなどとは全然違って、そういう全然違って感じられるタイプの方をひとまとめに「アスペ」という言葉でくくって考えていいのか、ということも謎のままでした。

 そんなふうに同じアスペの方でも「スペクトラム」にも大きな違いがあるし、性格(?)的なところでもものすごくいろいろだし、それを一色単に考えてしまうと、すごく危険なこともあるんじゃないかとかはずっと気になっていました(し、今もそうです)。

 ただ、まだうまく言葉になりませんが、最近私に「腑に落ちる」感覚が生まれ始めたその想像力で、今までバラバラにも感じられてきたそういういくつかのタイプのアスペの方の姿に、なんとなくつながる共通の根っこのようなものが感じられてきています。その共通した世界をベースにして、その人の持って生まれた性格や、あるいは環境の違いの結果として、かなり違ったタイプが生まれていくような、そんな印象です。まだほんとにかすかな印象にとどまりますけれど。

 というようなことで、私がこのところ感じ始めた「アスペ的世界」は、ものすごく特殊な場合に限られずに、ある程度は広がりを持つ可能性をなんとなく私自身は感じているわけです。(もちろん単なる思い過ごしかもしれません ('◇')ゞ)

 そんな風にアスペ的な世界がなんとなく「腑に落ちる(なんかこの言葉便利。感覚的にわかるという感じの意味ですよね)」ものに感じられ始めて、そしてそれは何人かのアスペの方とそういう理解が共有される経験によって支えられて、「ああほんとにこういう別の世界があるんだなあ」ということが私の中で実感として感じられるようになってきた。

 そうなってくると、今度はアスペ的な感覚から見て、定型の世界はどう見えるだろうか、ということにも少しずつですが想像力が働き始めますから、今まで自分では気づけなかった別の「定型的世界の姿」が見え始めてきます。そうすると、なんであんな「偏った」「変な」「皮肉な」見方をするんだろうか、と反発したり拒絶感をもったパートナーの言葉について、「確かにそうも言えるなあ」という気になってくるのです。そして、ほとんどの定型の人はそういう自分の姿(の一面)について、「気が付いていない」だろうなあという感じも生まれます。

 ものごとにはどんなことでも二つの面がある、と私は思っていて、ある人にとってある場面では「よいこと」は、別の人や別の場面では「わるいこと」になることがあるし、長所は同時に短所でもあるし、やさしさと残酷さ、美しさと醜さも隣り合わせのような気もします。ただ人間はできれば「よいこと」を目指したいという気持ちを持っているし、長所を伸ばし、やさしく美しくなりたいという欲望もある(多分その気持ちの裏返しで、それを否定する人もありますが)。だから自分のよいところの裏面は、できるだけなくしたいし、見たくないと思うのだと思います。

 けれども、それは違う視点から見れば、全然違う姿が見えてくる。いわば「裏面」が見えてくるというわけです(裏のない表はありませんし)。アスペの方の言葉が、「思いやりがない」とか「人を傷つける」と定型から激しく非難されることがあるのは、実はそういう定型的世界の「影」の部分を、定型と異なる視点から見て、素直にそれを指摘するからではないでしょうか。そこは定型が見ないように一生懸命頑張っているところで、「それを言っちゃおしまいよ」という部分。

 だから定型的な「思いやり」はアスペの方の視点からは嘘っぽく感じる場合がある。そして定型は「本音と建て前」をものすごく使い分ける、というふうにも見えて、なんとなく不誠実な印象を受けることがある。

 あ、もちろん定型的な思いやりが意味のない嘘だ、と私が考えているわけではありません。それはとても大事なことだと思います。ただ、その同じことでも、視点を変えてみれば、場合によってとても否定的な意味を持つことがあるし、多くのアスペの方はその否定的な面に苦しんでいるのだろう、という気がしてきたという話です。注目するポイント、見方のずれが、気づかれることなく大きな不幸を生み出す「ことがある」、ということですね。

 なんか、そんなふうに私の「アスペ的世界」についての見方の変化と、「定型的世界」についての理解の変化がワンセットになって進んでいる感じがあります。そうすると、これまでアスペの特徴としてものすごく否定的に言われてきたことについて、違う見方が生まれてきますし、逆に定型的世界で素晴らしいとされてきたことについて、否定的な面が感じられるようにもなります。

 私が定型的な感覚から「これはおかしい」と疑いもなく感じてきたパートナーのいくつかの言動が、むしろそう疑いもなく思っていた私のほうの未熟さを表すものに感じられてくることもあります。で、逆に「世の中のことや人の気持ち」について「わからない人」と思い込んでいた彼女について、私よりもよほどその別の面について鋭く理解している人に感じられてくるのですね。

 こういう見方がどこまで広がりや深まりをもてるかわかりませんが、とりあえずはこんな感じでアスペ的世界(と定型的世界)の私の理解が進むような気がします。で、その際、「相手の世界は悪く見える」場合が多いわけですが、それは自分にとって困った面が強く意識されやすいからで、アスペの方からすれば定型的世界に苦しめられているから定型的世界の悪い面が目に付きやすい。そしてそのアスペ的世界を理解しようとすれば、アスペの方にとっての定型的世界のマイナスの面を理解しないといけないことになります。

 けれども、本当はその先に、アスペ的世界からみて定型的世界の良いところと素直に感じられる面もあるはずで(希望的観測 (笑))、そこまで見えてくるとようやく良い面悪い面についてのお互いの理解についてある程度バランスの取れた見方になるのかなという気がします。今はまだマイナスの面への注目を優先せざるを得ませんけど。

  

 
  

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コメント

はじめまして。1年半位前から拝見させていただいています。ちくと申します。いつかコメントさせてもらおうと思いつつも、匿名とはいえ、パートナーのプライバシーのこともあるので今まで一読者でずっとこのサイトには支えられてきました。(本当にこのサイトに助けられたことが何度も
あります。ありがとうございます。)
ざっくりというと、私は社会でうまくやっていけている定型よりADHDで、元アスペ旦那の間に子供が2人、離婚後またアスペのパートナーと再婚、お腹に子供がいます。アスペという言葉を知ったのは、前回の結婚生活の中で、所謂カサンドラ状態になり、身も心もボロボロになったときに『モラハラ』という言葉を知りました。モラハラは治らないから離れなさいとどのサイトにも書かれていて、私が今まで尽くしてきたことが全くの無意味であったことにかなり落胆しました。でも、なぜモラハラをするのか??という疑問をもったときにはじめて『アスペルガー』という言葉に触れ、(モラハラをする人全てがアスペルガーではないことはわかっています。単純にうちのケースはアスペルガー思考ゆえのモラハラであることがわかりました)それはそれはびっくりと同時に今までの不可解なズレが全て解消されました。しかし、原因はわかっても、お互いに修復不可能な
ほど、理解のズレと心の傷と金銭的な理由などがあり、元旦那もアスペルガーとカテゴライズされることに不愉快という状態で、相互理解も難しく離婚を決意。数年後、今のパートナーと出会い、あれだけ苦労したのにまたアスペルガーのパートナーを選んでしまう自分に疑問を持ち、自分のADHD特性を知りました。今のパートナーとはもちろん定型とアスペルガー的な問題はちょいちょい起きるのですが、自分がアスペルガー的な思考を知ってからのスタートなので、ズレを未然に防ぐことができ、今の所うまくいっています。そればかりか、今のパートナーを通して、以前の結婚生活の
傷が、
あの時元旦那はこんな気持ちだったんだ、ともう遅すぎますが感謝することもあったりして、傷が癒されることもあります。本当に人生とはいたずら的だなと思ったり。もちろん全て万事順調というわけではなく、今でもこのサイトや他のアスペルガー友達にハッとさせられることも多く、
日々相互理解に向けて頑張っています。

今日投稿させてもらったのは、私も今回の内容のようなことを感じる日々なのです。今のパートナーとうまくやるために普段定型的思考を一呼吸おいて、アスペ的な思考を想像して、その上で両方の視点を踏まえて物事に向き合うようにしています。そうするとたまに定型友達と話してるときに、自分が無意識にアスペ的な思考で話していて、「あ、定型的にはこうだった。」なんて頭の中で逆変換するときなんかもあったりで、自分の変化にすごく驚いています。

オチもなく長くなりましたが、もし私の経験が誰かのヒントになれば嬉しいな、と思うので、また機会を見て投稿させていただきますね。これからもよろしくお願いします^_^

ちくさん

 はじめまして、どうぞよろしくお願いします。

 そうですか。そんな経過をたどってこられたんですね。そしてそんなところにたどり着いてこられた(……って何を言ってるんだか (笑))。

 お書きになっているように、きっと他のみなさんにとってもすごく貴重な体験だと思いますし、少なくとも私にはとても大事な例を聞かせていただいたと感じます。いろいろ考える足場の一つになるような。

 ガーディナーさんのように、アスペサイドから「定型の世界の見え方」に肉薄される方もあるし、逆に私も模索してきたように、定型サイドから「アスペの世界の見え方」を感じ取ろうとする努力もあり得て、そしてちくさんはそれが実際にできてきているというわけですよね。しかもそのことで新たな相手の方との関係がよい形で作られるようになった。すごく心強く感じました。

 またぜひ折に触れて体験談など、お聞かせいただければうれしいです。

こんにちは、ぱんださん。

先日は自分的にかなり突っ込んだ発言をしてしまったと少し反省(内容についてではなくそれをここで書いてしまったことについてです。)しました。(汗)

あれから、時間をかけて少し考えを整理してみたのですが、たぶん、ここも根本的なアスペと定型のズレなのかもしれません。
はじめに、この記事があがったときに実はコメントさせてもらおうかなと思っていたのですが、何だか回り道をしてきたような感覚です。

ぱんださんが、

   ただ人間はできれば「よいこと」を目指したいという気持ちを持っているし、長所を   伸ばし、やさしく美しくなりたいという欲望もある(多分その気持ちの裏返しで、そ    れを否定する人もありますが)。だから自分のよいところの裏面は、できるだけなく   したいし、見たくないと思うのだと思います。

というところに対してなのですが、えっ!とびっくりして、その後になるほどーと思ったのです。私はてっきり、「よいこと」を目指したいという気持ちを持っている→だからこそ、自分の内面を見つめてよいところもわるいところも見つめようと思う、見たいと願う。と続くのだとばかり思っていました。(笑)

もしもこの自分の裏の部分を見たい、見たくないのズレが定型とアスペのズレなのだとしたら・・と考えたらなぜ、その部分を直球で打ち抜くアスペがひどい人、冷たい人認定されるのかよく分かる気がします。

といっても(もちろん、前提としては個人差があると思います。)アスペの自分がそれを直球で伝えるとき正直余り悪気は無かったんですよね(笑)それどころか、あなたが気づいていなそうな大切なあなたの一部を教えてあげている(←上目線~(笑))→私ならそれはもう嬉しいことである→この人も喜んでくれるに違いない→相手が怒るか悲しむ(そんなことを言うなんてあなたって最低な人ね!とかほんとうにひどいわ!とか)→なぜそうなる?・・新しい自分を発見して嬉しくないのだろうか?それとも自分という人間は綺麗なだけの存在(私の人生観としては、汚い部分が奥行きや深みを出してくれるので、綺麗も汚いも関係なく全ての自分が尊いし素晴らしい。と思っている・・ことが前提としてある。)だとでも認識しているのだろうか?→よく分からない・・私は何かしたのだろうか・・いや怒ってるし悲しんでいるのだからしたのだろう→誤る・・とにかくひたすらに謝る(内容そのものにではなく、自分が何かしでかし、不本意ながら相手を傷つけ悲しませてしまったという点に対して)→本音を言えばもしやなにか前提が違うとか価値観が違うとか双方の思い違いが有るのでは?という話し合いがしたい→過去の経験上、そんなことを言ったら大炎上。話を蒸し返されてさらに火に油を注ぐことは確実と分かっている→もやもやして、結局根本のズレは何なのかよく分からないままだが、そこはそのままで終了する→根本が分からないままなので同じことを繰り返す→深みにはまっていく

ということが何度もあって、なぜなのか?と思っていたところ、今回のぱんださんのコメントです。あーなるほど、つまり根本的に定型さんはそんな汚い自分は見たくないし、見ないように努力していたわけか。綺麗な部分と綺麗な世界を信じて生きていきたいという人生観なのか。とやっと納得したわけです。
そりゃあ、綺麗な世界で生きたいと願っているのにいやそこ汚いよなどと水を差されたら誰だって気分が悪くなりますね(笑)

また、私のアスペ的世界観の話なのですが、以前どこかに書いたように基本的には自分だけの世界にいて、その空間に自分が見つけた自分とか世界を描いて自分だけの世界を作っているような感覚なのです。なので、綺麗だろうが汚かろうがどうでもよくて、私はたくさんの自分を探しているんです。最初は自分で自分の中を覗き込んで深く深く探っていく。でもなかなかそれだけでは限界もあって、そんな時、自分とは違う存在である他人と関わることで、映し鏡のように相手に写る自分を見つけたり、相手の中に自分を見たりできる。つまり、他者とはわたしがどういう人間であるのかを教えてくれる尊い存在である。好きとか嫌いとか、合う合わないとか、こういう部分はこう思うとか、そのどれもが私を教えてくれている。例えば今回の例で言えば、世の中にはいろんな人がいるが、少なくとも私自身は綺麗も汚いも関係なくよいこともわるいことも全て知りたい人間であることが分かりましたし、反対にぱんださんは今のところまだそれほど汚い部分を欲しているわけではなく綺麗な世界への羨望みたいなものがある。ということが分かりました。辛辣発言をしたなと自分では思うのですが、私個人としては、新たな自分再発見~ラッキー、ぱんださんについても1つ見つけた気がするしラッキーとかなり楽観視しているのでした(笑。それがいいのかは分かりませんが。)

私の自分語りは別にどうでもいいですが、(あってもなくてもどうでもいいので長かったら削除しますね(笑))いつも、人間の頭の上にそれぞれ自分はこういう人間でこういう特性があります。価値観や人生観はこうですというプロフィールが書かれていたらいいのにな~そうしたらそれを踏まえて対応できるのに!(笑)と熱く語っているのですが、またしても本日も思ってしまったのでありました。

いつもながら長くなってしまいましたが、たぶん、人生観とか根本的な価値観がそもそもズレまくっているのかもしれないことがよく分かって面白かったです。(笑)定型さんでもアスペさんでも他の方の世界観とか人生観も何かの機会があれば聞かせてもらえたらいいな(照)(このままだと私、最近急に出てきて、自分語りをしまくっている頭のおかしい人になっちゃいそうで恥ずかしいのですよ・・とほほ)

そういえば、お前はもう出てこないのじゃなかったのかという突っ込みはなしで見逃してもらえると嬉しいです(笑)

みるきさん

すごくいい意味で刺激的なお話で、また大きな手がかりをいただいたように感じます。

改めて記事で考えてみたいと思いますし、ご意見などありましたら是非。

こんにちは。
ここ数日分の投稿とコメントを見てなんですが、アスペさんの中にも個人差があるのはもちろんなんですが、男女差は少なからずあるなぁと思いました。私の知ってるアスペさんでも女性は比較的前向きで(もちろん人生の紆余曲折を経てだと思うのですが)男性はなんかこじれてる?人が多いなぁと感じます。(私の友達や元旦那、パートナーなど、私が関わる男性アスペだけかもしれませんが)それは女性も
働く時代とはいえ、やはり家庭の中での無意識な男性的役割へのプレッシャーや、社会的な状況の中で、いろんなズレが起きてうまくいかなくなったときの
トラウマ経験?みたいなものが多いんじゃないかなぁと思うんです。家庭内でのパワーバランスも男性のが大きいことが多いと思いますし、その中で理解されない苦しみからモラハラ的になってしまう人も多いのではないかと。理解されないままズレは解消されず、夫として、男性としての役割は求められる。女性はどちらかというと変わってる人としてでもそれなりに社会の中で可愛がられていくだろうし、夫婦関係も衝突はあれど、守られていく立場にある人が多いのではないかと。(もちろん憶測ですが例えばこのサイトのように奥様がアスペルガーで旦那様が理解したくて努力されてるケースは
あっても逆のケースはサイトはあれど、結果、
離婚されてることがよくあるな、と。)
全てのケースがそうでないにしろ、アスペルガーという先天的な
部分の共通はこのサイト上でアスペルガーの
方がわかる!という部分であるとして、人によっての差は、性別や環境などの後天的な部分で、今の状態や
思考性をかなり変えているのかなと思います(当たり前ですがw)。
そのうえで、定型なら、後天的にトラウマや何がしかのことがあって鬱などになったりACになっても共感していくことで救われていったりするけど、後天的にトラウマを抱えたアスペさんはどのように癒されていくのか。それが知りたいし、わかれば少しでも寄り添ってあげれるのにな。と思うんです。
みるきさんやガーディナーさんのようにポジティブな思考(会ったことないのでわかりませんが、文面などからはポジティブだな、と感じました。失礼になったらすいません)になったきっかけを教えてもらえたら嬉しいです。

追記

本題の美しい世界ですが、私は定型でもなくアスペでもないADHD的なところが強いので、この定型の美しい世界感は正直あまり好きでは
ないんです。(パンダさんに言ってるんじゃないですよ。世の中的な話です)定型と話していても、その美しいところで作り上げようとしたり、わざとみないようにしたりするところ、本人すら気づいてないけど潜在的なところで全く違うことを願ってるよね?みたいなところを感じるとめんどくさくなったりします。
だからよくよく考えると定型友達より、アスペ友達やADHD友達が多いなぁと気付きました。でもアスペ友達とはうまくいくのに夫婦じゃなかなかうまくいかない。これもまた難しいな〜なんて思いました。

ちくさん、こんにちは。みるきです。
はじめまして。どうぞよろしくお願いします。

ちくさんへのお返事をと思ったのですが、とてつもなく長くなってしまったので(笑)、こちらではぱんださんをはじめ他の皆さんにもご迷惑をおかけしてしまうため掲示板のほうに投稿させていただきました。そちらでやりとりさせていただけるとありがたいです。

よろしくお願いします(o・ω・)ノ))

ちくさんへ。

何度もすみません。みるきです。

今、改めてちくさんの記事を読ませていただいて、

   私は社会でうまくやっていけている定型よりADHD

という部分を見つけて、もしかすると掲示板に書いた私の文章は少し読みにくい、もしくはちくさんにとって、圧迫感や恐怖感のただようものであるかもしれないと焦ってしまいました。
私は個人的に、アスペの人にはアスペ対応、定型の人にはできうる限りの定型対応でコメントしたいなと思っていて、アスペの方には正確性や誠実さ一貫性を意識していて(定型さんからみるとかなり堅苦しくて、理屈っぽい印象になるのかな)、定型の方には世間話みたいな軽い雰囲気を心がけていたのですが、今回、途中からちくさんがアスペなのか定型なのか忘れてしまい(笑)どちらかというとアスペ色の強い文章になってしまったような気がします。なので、言い回しとか言葉遣いとか表現が分かりにくいとか、何かありましたらご指摘お願いします(笑)。私のできる範囲で定型表現に翻訳し直しますね。

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