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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2016年2月23日 (火)

空を切る

 アスペのパートナーをお持ちの定型男性キリンさんが私の記事「子ども心」に寄せてくださったコメントに,キリンさんも私と同じように,パートナーに向けた気持ちがうまく受け取られずに空を漂ってしまう体験について書かれていました。

 「ああ,ほんとにおんなじだ」と私は感じて,なんだか救われた気持ちになったのですね。自分だけがやりとりが「へたくそ」だったり,なにかこちらに原因があるんじゃないと改めて思えたことも大きいのかもしれません。

 で,これも改めてしみじみ思ったのですが,定型アスペ関係で定型が精神的にきついときは,この「気持ちのやりとり」とか「気持ちの交換」が期待通りに進まず,自分が込めた気持ちが行き場を失って宙に浮いてしまう場合が多いんだろうなと思えました。

 ひとのコミュニケーションというのは,物や言葉や気持ちのやりとりなわけですけど,そのやりとりがずれちゃうんですよね。で,定型的な期待からすれば「裏切られた」ことになる。(もちろんお互い様のはず)

 こんなたとえを思い出すんですが,ボクシングで相手にパンチを繰り出すとき,相手にブロックされるにしろ,ヒットするにしろ,そのパンチが相手に受け止められ,届いたときに比べると,空を切ってしまった時の消耗は倍ぐらい大きいという話を聞いたことがあります。

 定型アスペ間では,そういう「空を切る」ことが多くて,それで精神的な疲労,ダメージがきつくなるのかなあという気がします。

 そういうダメージを受けないためには,一番いいのはちゃんと相手に届くやりとりにすることですが,現実問題としてはそれは簡単なことではない。だとすればとりあえず比較的やりやすい現実的な方法は,仮に空を切ってもダメージを最小限にする工夫でしょうか。具体的にはあまり強い気持ちや期待を込めることなく,ボクシングでいえば軽いジャブの応酬のような形で少し腰を引いてやりとりすること。

 もちろんそうするということは,定型本来の期待の持ち方をものすごく薄める形になりますから,ダメージを受けないために払う代価も小さくはありませんけどね。

 

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コメント

>パンダさん

先日は、私の自分勝手な結論に、同意してくださって、ありがとうございました。

>定型本来の期待の持ち方をものすごく薄める形になりますから,ダメージを受けないために払う代価も小さくはありませんけどね。

まさに、そこなんです。
きっと、私は子育てを通して、そんな自分との戦いもしてきたのかもしれません。
子どもの部分、男の人だからではなくて、私にもものすごくあります。だから、アスペの家族が、みんなで私を拒絶したり攻撃したりしている気持ちになって、悶々としていたことも多いです。
それで思ったのは、この子どもを慰めるのは、他人なのか?ということです。
小さい頃は親という他人なのでしょうが、自我が確立しているにも関わらず、まだ他人に慰めや承認を求めるのはおかしくないか?と。
自分の中の子どもを自分で慰めるって、本当に難しくて、親から常に叱咤されていた記憶しかないと、特に厳しいんですが、それをしないといつまで経っても虚しさは無くならないんですね。

自分の中の子パンダちゃんに、こう話してみてはいかがでしょう。

「子パンダちゃん、お母さんの気持ちを察しながら車の運転を諦めさせるのは大変だったよね。その中でよく上手にできたね。大成功だよ」

あくまでパンダさんの中の子どもに、パンダさんが呼び掛けるイメージですから、馬鹿にしているわけじゃありませんよ!

私もそんな風に無理やり思うようにして、今まで「それでも周りが認めてくれないなら、何の意味もないんだよ!」と言っていた厳格な自分がようやく褒めてくれるようになりました。

あすなろさん

 望む人から認めてもらえないとき,世の中から認めてもらえないとき,それでも人は自分を認めてくれる人を作ろうとするんでしょうね。それは書いてくださったように「大人になった自分」かもしれないし,自助グループの仲間のように,「同じ経験をした他人」かもしれないし,あるいは心の中の「神様」かもしれません。前に書いた袴田さんは,自分が神になることであの過酷な状況を生き抜こうとされたように思います。

 そういう気持ちの動き方は,もしかすると定型もアスペも同じで,ただ求め方や求める相手に違いが大きく出てくる,ということなのかもしれないですね。あすなろさんのパートナーさんについても,あすなろさんもそういう意味のことを書かれていたように思いますが,私が拝見している限りでは,自分が認められない状況への激しい怒りが渦巻いて,それが暴力的な行動になって出てきている面が大きいようにやっぱり感じてしまいます。

 だとすれば,やっぱりどちらもそこに苦しんでいるのかもしれません。

パンダさん、あすなろさん、こんにちは。まるです。

私も、自分で自分を認められる経験をしてから、なんとなく物の見方が変わったような気がします。まあ、私の軟弱な精神ではそれができる時もできない時もありますが、そこすらも、まぁ人間だしホルモンバランスとかもあるし、波もあるよね、と認められるようになりました。

パンダさん、お気を悪くしたらごめんなさい、なのですが、1つ不思議なことがありまして。パンダさんはよく感情の問題を他人との間で解決するか、自分の中で解決するかを、定型とアスペの違いという形でお話しされているように思うのですが、そこから一回離れてみてもいいんじゃないかな、と思うんです。

うーん、何が言いたいのかというと、「求めるから苦しいんだ」っていうのは何千年も前のお釈迦様の時代でも、人類が抱えていた悩みで、その対処法も何千年も論じられていて。古いものなら瞑想、座禅、新しいものだと7つの習慣とかかなぁ、と思うのですが。あと、認知行動療法とか。ちなみに瞑想もマインドフルネスとかいって流行ってるみたいですね。
で、その対処法に共通してるのが、自分の中で解決しましょう、ってことなんじゃないかなと。そこがまず、土台になって、共感とかはそこに乗せてくものなのかな、という気がしてます。だから私の中では、自分で解決するっていうのは、アスペも定型も関係なく、人間が成長していく過程の1つなんじゃないかなぁと思ってます。とすると、「子供心」っていう表現も言い得て妙ですね。

ボクシングだとうまく例えられないんですけど、例えばキャッチボールだとして、普通のキャッチボールが他人との関わりの中で解決するパターンだとすると、それを成立させるには相手に委ねる部分があって、自分でコントロールできる範囲から逸脱する部分が出てきます。一方、自分で解決するパターンっていうのは、「あなたの投げたボールは、なかなかいい色、形をしてますな。これは興味深い。ところで私の投げたボールはいかがですか?おお、そう評価されますか。いやー実に結構。」みたいな感じかなぁ…どう受け取るかはお互いの自由。さらにそれを尊重しあえれば素敵だけど、受け取ってもらえなくてもそれはそれでいっか、みたいな。うーん、余計わからないですね(笑)

ちなみに私はこういう考えは本等で読んで、面白そうだからやってみよう!という感じなんですが、アスペの方々はご自身の生活の中で思いつくんでしょうか?そこもまる的不思議ポイントではあります。

私がこういうことに関心を持ったのはこの1年くらいで、パンダさんの方がお詳しいような気もひしひしとしていて、これこそまさに釈迦に説法じゃないかと感じつつも、お話しさせて頂きました。

パンダさんへ

私のコメントなんかを取り上げて頂き何だか恐縮な思いです。
ありがとうございます。


ボクシングの例えとても分かりやすく面白いです。

>空を切ってしまった時の消耗は倍ぐらい大きい

これは私もどこかで聞いた事があります。(はじめの一歩だったかな?)

こうした空振りによる消耗が続くと、本人の体力も余裕も無くなり、フォームは崩れ、繰り出すパンチはどんどんおかしくなっていき、何とか当てようとパンチを繰り出したつもりが、フラフラなフォームのせいで、たまたま頭が当たってしまって、というか何故かそういうものだけは当たったりなんかして、相手からすると 「な、なんてヒドイ事をするんだ!いきなり頭突きしてくるなんて、そっちがその気ならこっちも!先に頭突きをしてきたのはそっちだからな!」と、こちらからすると「いや、ちょっと待って今のはそういうつもりじゃ…自分はパンチをしたつもりが…」相手「いや、これまでパンチをされた事実などない。(当たってないし確かにそうですよね)いきなり頭突きをしてきたのはそっちだ!」こちら「いやちょっと疲れてて、それがたまたま…」相手「何だか知らないけど、勝手に疲れてるのはそっちだろ。言い訳して自分を正当化するな!頭突きをしてきたのはそっちだ!」と、もはやボクシングの試合どころではなくなるのでした。(※注 我が家の場合 笑)


ここで言う"頭突き"というのは配慮にかけたやり取り的なところです。例えベタすぎてすみません。。何だか本題とズレてきちゃいましたね。


今回、私の中では"承認欲求"という言葉がキーワードとして浮かびました。と言っても私は心理学?的な事とか全く詳しくないので、これから勉強して探ってみますが、何か関係しているのかもしれません。


P.S.
この前スティーブジョブズの映画(2016年度版)を観てきました。この映画は2時間の本編のほとんどが口論(?!)なので普通の人が観るととてもつまらない映画だと思うのですが、アスペ定型的視点で観ると、そのアスペ定型問題がとても良く表現されていて、すごく見応えのある内容でした。(ジョブズがアスペ的なのは有名?)このブログをご覧の皆様であれば、特に興味を持って観て頂けるのではないかと思います。お時間がある方はぜひ。(注 映画会社の回し者ではありません 笑)


まるさん

お釈迦(オシャカになる方の (笑))パンダです 。

なんかそこ、究極のポイントなんですよね、きっと。「アスペルガーと定型を共に生きる」でインタビューさせていただいたカレンさんの場合は、自然のなかで御自分が受け入れられたような体験をされて、そこから関係が大きく変わられたようです。

一種の悟りの世界のようなことかもしれませんが、そういう境地に行きやすい方と、私のように自分へのこだわりが強すぎて、そこが難しくて子どものままになりやすい人がいる気がします。私の母親がその点で極端に子どもで、さすがにそれに比べれば私は大人ですが、でも子どもをたくさん引きずってますね、子どもと遊ぶの好きだし(笑)

まあ、人間誰でも自分の持っているもので生きていくよりないですから、そんな自分の限界と付き合いながら、ボチボチやっていくしかないのでしょう、きっと。

まるさんが書かれているように、アスペの方がその辺りどうやって乗り越えられるのか、私もとても知りたいです。


キリンさん

例えばなしがとても分かりやすくてリアルでした。そんな形で定型的な感じ方を説明すると、もしかするとアスペの方にも伝わりやすくなるかどうか、ちょっと気になります。

承認欲求とか自己評価とか、なんかそんな言葉がありますよね。ここは定型アスペに関係なく大事なところでもあると思うんですが、ただお互いに認めてほしい部分や認め方にズレが起こりやすい気がしています。


映画のご紹介ありがとうございました!! 今度の休みにでも、スターウォーズとはしごで見てこようかな……


こんばんは、ちょっとお久しぶりのガーディナーです。

パンダさん&キリンさん、定型男性同士、いい感じに連帯してますね。
そこに私の夫も加えさせて頂きたいほどです。

パンダさんとキリンさんの書いていらっしゃったボクシングのパンチの話、
私にもよ~くわかりますよ。
というより、生まれた時からずっとそれをやっていた感じです。
ずっとやっていたから、それが私のスタンダードな気分だったのです。
取り立てて考えてみることもなく、それが当たり前の気分。
大人になってから改めて考えると、お二方のボクシングの話、
幼い頃の私と全く一緒です。
空を切ることの空しさがベースにあり、
常に傷つけられているという無意識の感覚と共に私の成長期は過ぎてゆきました。
ボクシングに例えると「ヒットした!」という喜び感には
慢性的に飢えていました。
「ヒットしなくても良い、せめて誰かにブロックされたい。
ねえ、誰か、私のパンチを認めてよ、身をかわすことなく、目をそらすことなく」
そんな思いだったかもしれません。

発達障がいの子供の育児書のようなものを読むと、
盛んに「できることを認めて褒めてあげましょう」ということが謳われていますが、
なんか違うな、という思いがしています。

私がリトルガーディナーだった頃、周りの大人たちはよく、
私に対し「ピアノが上手ね」「算数が得意ね」と誉めてくれました。
でも、そんなことなんの慰めにもならなかったと思います。
満たされていないから、少しばかり得意だったピアノや算数の得点を、
鼻にかけて自慢したり、ひけらかすようなことをしていたのです。
褒められても褒められても、心は常に孤独でした。
多分私は
「ピアノなんか弾けなくても、算数なんてできなくても、
あなたはあなた、とっても素敵な女の子」と認めて欲しかったんだと思います。

子どもの存在を認める、って本当はとても奥の深いことだと思います。

なんていう言い方をすると、
当時の大人たちに私が今とても批判的な意見を言っているようですが、
そんなことはありません。
お互いがお互いに、空を切っていたんですから。
逆に「どんな育て方をして欲しかったんだ?」と聞かれても、
私には答えられません。
また「じゃあ、現在のお前は3人の子ども達をさぞかし立派に育ててるんだろうな」
などといわれたら、それこそ立つ瀬もありません。
とにかくあのリトルガーディナーを八方円満に育て上げるなんてこと、
神業をもってしても不可能だったはずです(本当に難しい子でした)。

あ、ごめんなさい、また話が逸れてしまいましたね。
まあ、リトルガーディナーの話はさておいて、
パンダさんキリンさんのコメントを読ませて頂いて、そういう思いは定型アスペ限らず、
人間関係の中では多々あることなんだということがよくわかりました。
今まで私はそれはどちらかというと、アスペとか少数派特有の感覚かな?
と思っていましたけどね。

ガーディナーさん

 いつもながらでもありますが,でもこのお話は私にとってはいい意味で衝撃的でした。「なあんだ,これも一緒じゃん!」という。

 アスペの方のどこまでの範囲の方に通用する話なのかはもちろん私にはわかりませんが,でも印象としては相当広い方と共通性がありそうな気がしました。

かなり重要な問題ですね,きっと。

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