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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2016年2月 3日 (水)

伝え方の問題

 みるきさんがこれと同じようなポイントについてちょうど書かれています。ここでは私の体験と、そこから感じたことを。


 私とパートナーがそれぞれの仕事について話をしていたのですが、彼女の職種が抱える問題点について、彼女がとても憤って話すとき、いつものように私はなんだか私が責められているような印象を与えられ続けました。これまでも不可解でなんどか記事に書いてきた問題です。

 もちろん私自身がその問題点の原因ではないし、別に彼女の意見に反対しているわけではなく、聞いていて十分にありうることと感じるようになりましたから、私の感覚では「ほんとにそうだよね。ひどい話だね」と「共感」しあってハッピーエンド、というパターンが自然に思えるのですが、そっちの方向に進まない感じなんですね。ずっと私が怒られているように感じるか、あるいはけんかを売られているような印象を持ってしまう。

 なんでそうなるんだろう、ということについて、パートナーの側の原因と私の側の原因の両方をこれまでもなんどか考えてみましたが、他の問題ともつながってようやくちょっと腑に落ちる感覚ができ始めました。

 例の基本パターンですが、彼女はその問題について抱いている憤りをそのままストレートに語る。彼女が憤っているのはその問題に対してであって、私に対してでないということはある意味当然の前提で、改めて言うまでもないことだし、意識することすらないと思っているのでしょう。

 それに対して私のほうは彼女の憤りの内容と、その「伝え方」の両方をすごく気にしている。ですからある人がなにかに憤っているとき、それを相手に話す場合には、いろんな意味がありうるのだと私は勝手に思っているわけです。たとえばこんな可能性です。

 「こんなひどいことなんだけど、どう思う?」
    と私の評価を求められている
 「こんなにひどいことなんだよ。そうでしょう?」
    と私に共感を求めている
 「こんなにひどいことと思えるんだけど、どういうことなんだろうか」
    と私に解説を求めている
 「こんなひどいことだから、一緒に対処してくれない?」
    と私に協力を求められている
 「こんなひどいことなのに、どうしてあなたは理解しないの?」
    と私の無理解を責められている
 「こんなひどいことを、どうしてあなたは放置しているの?」
    と私の無責任を責められている
 「こんなひどいことを、あなたも同じようにやってるんでしょう」
    と私の責任を問われている
 ……


 はたまた単に人に憤懣を話して話すことでうっぷんを晴らしたいだという可能性もあります。


 相手の人が自分に求めようとしていることについて、そんないろんな可能性を暗黙の裡に想定しながら話をきき、相手の態度を見ます。そして相手の話の内容やそれについての自分の判断の他に、その話に対して自分はどういう態度をとるべきなのか、相手との間にその話をめぐってどんな関係を作るべきなのか、ということをほぼ無意識に近く、いつも考えているんだと思います。そしてその時に、「相手はそのことについて私に何を求めているのか」の判断が必要になり、その判断のために「伝え方」に注目することが欠かせなくなるわけです。


 定型がなんでそういうことに注目しやすいのかというと、やっぱり定型は問題に対して「仲間と一緒に対処しようとする」という傾向が強いんだと思います。だから、相手が何か問題を投げかけてきたとき、「この人は私に敵対的な気持ちでそれを話しているのか、それとも仲間として何らかの協力を求めているのか、あるいは敵か味方かを判断しようとしているのか」という、相手の態度の評価をほとんど無意識に常にやっている。

 (ちなみに、ロビンソンさんが「相手の眼玉をじっと見ることがなぜ正常だと思われているのか、僕には全然理解できない。と疑問に思われていることの理由の大きな部分は多分ここにあります。目を見ることで、定型は相手の気持ちの動きを推測するし、相手が自分に対してどんな態度で臨んでいるかを判断する大きな手掛かりにするわけです。嘘をつくときは目が揺れ動いたり、動揺することがあるし、その目を「隠す」のはその動揺を隠しやすくすることだからです。だから、相手に目を見せることは「正直さ」の証明にもなる。

 その相手の態度の評価をしながら、自分が相手やその問題に対してどういう態度で臨むべきなのか、けんかか協力か、拒絶か受け入れか、相手のケアか問題それ自体への対処か……、をその場で判断していくわけです。

 その点、アスペの方は問題は基本的に自分で対処すべきだ、というスタンスでいく。相手がかかわる、相手にしかできないことについては相手に求めることはあっても、それ以外は相手に要求することはない。とそんなふうに考えると、私にはわかりやすくなります。

 たまたま相手がそれについて何かを感じて、自分にとってもプラスの方向に動いたとしても、アスペの方にとっては「それはその人の判断であって、私の要求の結果ではない。自分は別に要求していない。」ということにもなりそうです。

 だからアスペの方にとって「伝え方」は基本的には大きな問題ではなく、評価は相手に任せることが礼儀。自分がどうこうすることではない。へんに「伝え方」を考えるのは、相手を操っていることにもなりかねない。それは不誠実。だから自分は自分の素直な気持ちをそのまま表現するだけ。そこにはそれ以上の意味は何もない。……アスペの方の感覚はそういうものなのだと想像すると、私にはわかりやすく感じられます。

 で、もしそういうふうにアスペの方が考えられたとすれば、定型はそういうことを想定していないので、とても混乱することになります。

 定型は大前提として、相手が何かを伝えてきたときには、上の例のようにそれは自分に何かを要求しているという可能性を考えます。もちろん「単にうっぷん晴らしをしたいだけ」という可能性もありますし、その場合は、「ああそう」と単に聞き流すか、共感するか、みたいなことになるかもしれませんが、そうでない可能性も考えて対応します。

 そして定型同士の場合は多分「単なるうっぷんばらし」の時にはなにかそれなりのサインが送られてくる。「ただ聞いてほしいだけなんだよ」みたいなことを言外に伝える何かですね。聞く方は相手の話し方やその展開のしかたから、それを読み取るわけです。わかりにくいときは直接間接に尋ね返すこともあるけれど、基本的には直接聞き返すことも避ける傾向もあります(そこを察することができないのは、こちらの「未熟」さになると定型が考えるのかもしれません)。

 けれどもパートナーとのやりとりでは、そういう「聞いてほしいだけ」というサインが見当たらず、彼女の怒りの表情が向けられ続ける(彼女にその意識はないのだろうと思いますが)。たとえばこんな展開です。


 私が「彼女は共感してほしいのかな」と考えて共感的なコメントをしてみるんだけど、「そう、そうなのよ!ひどいよね!」というような「共感への共感」のコメントや、共感できてうれしいというような表情も返ってこない。それで共感を求められているのでもなさそうだと感じる。

 共感を求めているのではないとすれば、その共感に基づいて、一緒にその問題に対処しようとされているわけではなさそうだと感じる。

 じゃあ「うっぷん晴らし」をしたいだけなのかな、と思うけど、定型ならそういう場合、言うだけ言った後で「聞いてくれてありがとう」とか「もう、腹が立って思わず一方的にしゃべっちゃったけど、ごめんね」とか「おかげさまでちょっとすっきりした」というような感謝とか申し訳なさの気持ちとかを言葉で伝えたり、なんとなく表情で表すことが多いのに、それもないから、うっぷん晴らしとも思えない。

 そんな状態で相手の憤りの言葉は続くので、「これは私を仲間にしたいのではなく、私を責めているのかも」と感じ始める。で、だんだんとしんどくなってくる。そして「なんでそのことで自分が責められなければならないのか。私の責任じゃないでしょう」と思い、「八つ当たりするなよ!」と憤慨したり、場合によって「この人は私を敵と思ってけんかを売っているのか」とか、「なんで私を信頼しないんだ」と腹が立ってくる。



 いや、ほんとに頭でいちいちそんなことを考えていません。ほとんど直感的な話なので。ただ、振り返って考えて言葉に直してみると、だいたいそうなんだろうと思えますし、少なくとも私の心の動きは結構これでだいぶ説明できそうな気がします。

 最近彼女から「あんたは自分のことにしすぎ」というような、自意識過剰みたいな批判のされ方をすることがあって、まあ当たっている部分もあるとは思いますが(笑)、どうも問題はそれだけではなくて、何か困難に出会ったとき、「自分一人で解決する」ことを基本にするか、「一緒に解決する」可能性の模索を優先するか、という定型アスペ間の基本的な姿勢の差がこういうところにも表れているんだろうと考えると、私にはわかりやすく思えるのでした。

 これまでにわとりさんなど、何人かのアスペの方とのやりとりで躓き続けた部分も、この話の応用版で理解できるような気もします。
 

 
 

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コメント

不思議なんですが。
自分ひとりの中で解決したい意志が強いなら、相手にその感情を見せつけることもしませんよね。まったく家族との関わりを絶って、自分の中で解決する。家族から見れば、人形のように感情を読み取ることができないか、あるいは自分だけの空間に籠って解決するまで出てこないということになるかと思います。

しかし、奥様は『パンダさん』の前で、その感情を見せつけるわけですから、少なくとも『パンダさん』に対して何かを訴えているわけです。パンダさんがいるからこそその感情を出すわけですよね。頼っているということになるのでしょう。

うちの場合、夫はこの『感情をぶつけているだけ』という状態が、もっと複雑です。

以前も書かせていただいた『死ね!』という言葉。
最近、どうやら漠然と怒りをぶつけたいわけではなく、『私』に対して言っているのだということが分かりました。それも、私が寝ているときに傍まで来て(私は目が覚めていたが、夫は私が寝ていると思っていた)『この役立たずのバカ女! 死ね』と罵ったので、それが分かりました。
しかし、起きて面と向かったときには言いません。
あるいは、酔いに任せて面と向かって言ってしまい、次の日はそれを謝るというような。

どうやら、仕事で抱えているストレスが膨大過ぎて自分では処理できない状態である。

職場ではもちろんのこと、出すことができない。

自分でもそこまで膨大なストレスになっていることが自覚できない。

『家族』には出しても良いという間違った社会性を学んでしまった。

何がストレスになっているのか混乱していて、目に付いた『妻の落ち度』(=自分が夜中過ぎに帰ってきても迎えない。自分の思うような『完璧な』家事ができない=ほとんど本人の妄想)にそのすべてをぶつけずにはいられない。

という流れでそうなっているような気がしています。

もちろん、『役立たず』などといわれて、我慢できるはずもなく、夫に対しては相当な怒りを持っていますが、彼にはそこまで怒りを持たれる原因になっていることは分からないようで、機嫌のいいときはこちらを気遣うような態度です。

夫の場合は、親の厳しい躾け(有無を言わさず定型的になることを身体で覚えさせられた)という経験と、年の離れた両親による昭和の価値観の植え付け(妻は何があっても夫を黙って支えるもの。夫のストレスを請け負うもの)があったために、余計にこじれている例だと思いますが、相手の心情を察することができないため、暴走に拍車が掛かっているんだと思います。

一方で、息子の方は、人の心情や動きを、自分が出会ってきた人のいくつかのパターンに分類するということで乗り切っているようで、これはまた興味深いなあと思っています。
息子にとって、夫はこういう人、私はこういう人、という型があって、『決めつけ』ています。なのでよく『あなたは、どうせこう言うはずだ』という言い方をされてカチンと来るのですが、実際後で考えてみると、まさにその通りで、愕然とすることがあります。
この息子の『夫の分析像』がすごく的を得ているようで、夫への対処の仕方が『神的』なので、唸ったことがあります。しかしそれが非常にいい形で有効になるんです。
息子にとって、その都度表情や声色で相手の心情を推し量るということができないため、こういう方法を考えついたようであり、しかし経験が浅いため、この分析が間違ってしまうと大変なことになるのですが、彼は自分の特性をちゃんと分かって対策を編み出しているんだなと思います。

定型はその都度、相手の心情を様々な条件から推し量ることができ、それは定型に対しては『当たる』ことが多い。
しかし、アスペにはその都度ということが難しく、パターンで覚えるか、無視するかという形になりやすいのかなとも思います。

こんにちは。
今日の記事、まさに!という感じでとても共感できました。あるあるすぎて思わず笑ってしまいました。

人によるとは思いますが、私個人の場合は、‘ただ言いたいだけ’です。(ただ聞いてほしいだけ、とは違います)正確には息継ぎも無く延々と自分が空になるまで感じたことや思ったことを吐き出して無に戻りたいというだけで、私の場合人間がダメなら何も無い空間に吐き出すとか文字に書き出して無に戻るとかそんなのもありです。ビンとかに向かって吐き出して終わったら終了とかもいいですね~。
聞きたくなくなって、定型さんからもう聞きたくないと言われてもそっか~分かった。いいよいいよありがとねで終わると思うので、腹が立つまで聞かなくても途中で逃げちゃえばいいような気がするのですが。ぱんださんのおっしゃる‘うっぷんを晴らしたいだけ’が最も近い気がしますし、たぶん奥様は‘ありがとう。あなたに聞いてもらってだいぶすっきりして気持ちも晴れたわ’と思ってるのじゃないかなって思います。ただその頃には自分は無の状態に帰還しているのでもう周囲のことからは切り離されてシャットダウンしているので対人コミュニケーションには繋がっていかない(ありがとうの言葉や態度の表出には繋がらない)から、定型さんからみると何もかえってこないみたくなるのかななんて思います。

定型アスペの基本的姿勢の差という話があったので1つ語らせてほしいのですが、
私の世界は、極端に言うと全である絶対的なせかいと不完全で完全な絶対的な自分がいるだけの空間なんです。ややこしいと思いますが、簡単に書くと世界と自分があるだけの価値観で生きているというか基本実在しているのは自分だけ。そこに時折だったり継続的だったりはしますが、自分以外の人間が登場してくる。しかもその人たちはホログラム?っていうんですかね?何かテレビとかで言っている3次元的な立体映像みたいなやつです、的なイメージで登場してきて、親しい人や共感度の高い人はより鮮明にそうでない人は薄ぼんやりとみたく見えるんです。
なので、基本スタンスとしては、何をするのも何かを決定するのも解決するのも私自身、周りの人たちはあくまでもイメージ映像でありいついなくなるのか分からないのでさして重要ではない。だけど、濃く見えている大切な人たちだけは自分にとってとても愛おしく世界そのものだと思えるので大切だしその存在そのものに感謝している。これが愛。みたいな。
こんな世界にいるものですから、最後のほうに書かれている

ぱんださんの
        最近彼女から「あんたは自分のことにしすぎ」というような、自意識過剰み        たいな批判のされ方をすることがあって

は非常によく分かります。奥様のいいたいことが(笑)
というより、私がよく周囲の人に言います(笑)


それにしても、前から感じてはいましたが、本当に定型の方はすごいですね。今日の記事のぱんださんの解説を読んでいて、そんな高度なことを常にやっているのか!しかも無意識に!それじゃあ、私が何をどう頑張ってもなにがなんだかさっぱり分からないはずだわと思えました。清清しいまでにそうはなれないなと思えたので今まで通り我が道を爆走することにいたします(笑)(笑)(笑)
今日の記事、アスペの人間としては、そうそう!まさにそういうことよ!でありました。


再度すみません。もしかしたら、ぱんださんに誤解を与えていたりして・・と考えてしまったので再登場してしまいました。

上のコメントですが、私は全く怒っていません。傷ついてもいません。癇に障ってもいません。念のため。

!マークとか言い回しとかもしかすると、嫌味とか決裂とかに見えていたりして・・・(汗)なんて深読みして急に不安になりました。

    それじゃあ、私が何をどう頑張ってもなにがなんだかさっぱり分からないはずだ    わと思えました。清清しいまでにそうはなれないなと思えたので今まで通り我が    道を爆走することにいたします(笑)(笑)(笑)
    今日の記事、アスペの人間としては、そうそう!まさにそういうことよ!でありま     した。

の部分が不安になったのですが、これは自分の中では、

すっごいな~(単純にすごいと思っている、尊敬)→でも自分がこれをするとなるとかなり難しいし2,3度生まれ変わりでもしない限りできなそうだな→(いかんいかん、この思考回路が深みにはまると自己嫌悪に突入してしまう可能性がある。それはいかん。どうにか立て直そう)そうはなれないのだから自分の道を行こう(←これは自分で自分に言っている。)→ここで終わるとぱんださんに失礼かな?お互いの関係をよりよいものにって言ってるブログなのに自分は自分の道を行く・・ってそれじゃそれを言ったらおしまいよって感じかも・・→違う違う。そうじゃなくて、伝えたいことはそういうことじゃない→この記事は共感できたし楽しかったということを伝えよう

という内面の流れを通って、ああいうコメントになったのですが、いかんせん私はどこを切り取って人様に伝えたらいいのかよく分かっていないので毎度何回も追記をしてしまうことになってすみません。我ながらくどいなとは思っていますが面倒な人と思われるほうが誤解されたまま進んでいくよりは誠実だろうと私は思うのですみませんが、嫌味などではないということをどうぞよろしくお願いします。

あすなろさん

 この記事を書きながら、あすなろさんの夫さんのようなタイプの方についてはどう考えたらいいんだろう、ということは気になっていました。

 みるきさんから「その通り」というお墨付きをいただきました(?)ので (笑) 、今回の記事の理解のしかたやみるきさんの説明で、ある程度ベースになる部分はおさえられるのかな、という気もします。

 そのうえで、自分の抱えた葛藤を、自分の中だけで解決しようとする傾向の強い方と、外側に向けてぶつけて発散しようとするタイプの方があるのかもしれませんね。あんこさんのお父さんの場合は後者になるのではないかと思います。

 ただし、外側に向ける傾向がわりに強い方でも、あすなろさんの息子さんのように、あるいは多分Katzさんのように、アスペ的かもしれませんが、わりと上手に状況を読み解いて、対策を立てて葛藤を減らされている方もある。またAS-Pさんのように、奥さんとの関係では対策が立てられずに困惑され続けながら、それが奥さんへの攻撃のようにはならない方もある。

 このあたり、性格的な違いもあるでしょうし(定型でもすぐに人のせいにする人もあれば、自分を反省するほうに行く人もあるように)、環境のせいで、対策を身に着けやすかったり身に着けにくかったりという違いが出てくるかもしれません。にわとりさんなどは育った環境によって生まれた苦労が多そうですよね。

 アスペの方の「個性の違い」を、そんな感じでもう少し考えていけるかもしれませんし、それは大事なことになりそうですね。

みるきさん

 いやあ、また共感していただけてうれしいです。ひとつひとつ共有される世界が広がりつつあるような感じがします。みるきさんの説明もまたわかりやすく、学ぶことがとても多いです。

 あと、パートナーの気持ちをわかってくださるということで、私にとっては「ああ、やっぱりパートナーはそういうふうに感じているんだ」ということが確かめられてありがたいです。

 私の受け取り方についてご心配いただきましたが、あとから説明してくださったみるきさんの意図されたとおりに感じていました。私の場合は全くマイナスの印象は持ちませんでしたのでどうぞご安心を (笑)
 

ありがとうございます。ほっとしました(笑)
それはもう本当にほっとしてとても安心しましたしきちんと思ったことが伝わったということに嬉しくなりました(笑)


ぱんださんへ。


ぱんださんの
        最近彼女から「あんたは自分のことにしすぎ」というような、自意識過剰み        たいな批判のされ方をすることがあって

は非常によく分かります。奥様のいいたいことが(笑)


と書きましたが、付け加えてもいいですか。

私が思うに、これは批判じゃないですよ(笑)ぱんださんへの愛の言葉です。
どういう流れでの話か分からないので確証は無いですが、たぶん、「他人のことや自分ではどうにもならないことまで1人で背負い込んで悲しい思いをしたり辛い気持ちになったりしてあなたが傷つく必要は無い。その人はその人で解決するしかないのだし、ちゃんと解決して自分で生きていけるだけの力はちゃんとある。だから、あなたはその人の力を信じて見守ってあげるだけでいいの。それだけで十分あなたの優しい気持ちは伝わるの。だからもうそんなに色々なものを背負って傷つかないで。あなたには自分のことに集中して幸せでいてほしいの。それが私にとっても幸せなの。」ということかと。
どう考えても奥様からぱんださんへの愛情であり、あーぱんださん想われてるんだな~って微笑ましく思いました。
ただ、もちろん単純におもしろくないとか批判として使うこともありますから、あんまり調子にはのらないように(笑)したほうがいいのかもしれませんが(持ち上げておいてちょっぴり落としてみました(笑))

みるきさん

そんな風に説明していただくと、そうなのかあ、そんな気もするなあ、としみじみ感じてしまいます。そこでも「伝え方」のズレで、怒られているとか、迷惑がられている、という印象が先に来てしまうので、その内容の方を素直に感じ取りにくくなるのかもしれません。もちろん「愛の鞭」かもしれないし、場合によっては本当にただの鞭である可能性もありますが (^_^ゞ

それにしてもここまで来ると、定型のもって生まれた枠組み(伝え方への「こだわり」)のせいで、アスペ的な素直な善意を理解できなくなってしまっている、という話にもなりますよね。見方を変えればそれは定型の持つ「障害」と言えなくもない。ひねくれた心というか。

最近パートナーの人間理解の方が私より余程的確に見ていると感じられることが増えてきたのですが、もしかするとアスペ的な世界への想像力が少しずつでも身に付き始めたことで、逆に私が定型的見方の限界とか、陰の部分に気づき始めたのかもしれません。以前なら感覚的に受け付けなかった彼女の話が所々納得され始めているんです。

確かに、アスペの人には、相手がそれにどう反応するかということまで意識が向きにくいという特性が多かれ少なかれ、ありそうですね。

私が家族と接していて難しいなと思うのは

相手の反応には意識が向きにくいけど、自分が同じようにされたら同じように不快に感じたり怒ったりするというところです。しかも、私以上に過剰反応することもあります。

例えば、夫が私に『バカ、役立たず!』と言ったので、私が全く同じことを彼に言ったとしたら、逆上して手が付けられなくなるでしょう。何日も何日も引きずるかもしれませんし、その根拠はなんだと詰め寄るかもしれません。
夫にとって、その言葉が一番苦痛に感じるので、機嫌が悪い時に誰か(主に私)にぶつけたくなる。最大の攻撃=発散なのだと思います。

しかし、こちらからしたら『自分がやっておいて、同じことをやられたら怒るってどういうこと?』と言いたくなりますし、『自分がやられて嫌なことは、ふつう他の人にやろうとは思わないでしょ?』となるわけです。

本人には、自分の衝撃と相手の衝撃が結びつかないという特性があるからなのだと理解できても、攻撃されれば黙っていられませんよね。

息子はそんな父親を見ていて、自分も散々被害を受けてきて、『嫌だと思ったり、怒ったりしても、直接相手にぶつけるのは避けよう』と決意したそうです。
なので、嫌だと感じても皮肉ではぐらかしたり、場を離れたりします。

しかし、こんなことがありました。
息子が友達と遊びに行った先で転んで、ケガをしたのです。
かなりの重症だったのですが、見た目には分かりません。帰ってきても『調子が悪い』と部屋に籠っていてしばらく気付きませんでした。流石におかしいと思ってよく見たところ、大変なケガだった。
それから治療に通っていますが、なぜその場にいた友達に言わなかったのか、みんな気付かなかったのかと聞いたら、『気付かれないように痛い顔をしないようにしていた。途中でさすがに耐えられなくなって、ちょっと体調が悪くなったといって、帰ってきた』というのです。
『どうしてそこまで隠すの?痛ければ友達に言えば良かったでしょ?』と聞くと『そんなことで騒ぐなんて恥ずかしいし、迷惑だから』と言っていました。

どんな場面で、ストレートに出していいのかいけないのか、判断が難しい。けれど、何でも大騒ぎする父親のような人間にはなりたくない。

息子にとっては、大ケガをして痛いと訴えることも、ストレスで大騒ぎしたり相手に八つ当たりすることも、同じレベルなのだなと感じました。

状況判断が難しい場合、常に外へ発散するか、うちに抑え込むかという二者択一にならざるを得ないのかなということを感じた出来事でした。

こんばんは。
ガーディナーです。

<伝え方の問題>という記事全体を読んでの感想というより、一点だけ数行に刺激を受けて、どうしてもお話したくなってしまったので。

このように「全体よりも一部に目が行ってしまう癖は、アスペルガーの特質である」と診断の時に心理士さんに言われました。
それは納得しているのですが、最近私は本当に自分がアスペかどうかわからなくなってきています。
どっちでもいいと言えばどっちでもいいことなのですが、私はアスペルガーにアイデンティティを持っているので、そこが揺らいでいる今、ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、自分の世界観までもが崩されるような深刻な気分を味わってもいます。

さて、私が刺激を受けてしまった記事はこちらです。
>最近彼女から「あんたは自分のことにしすぎ」というような、
>自意識過剰みたいな批判のされ方をすることがあって、
>まあ当たっている部分もあるとは思いますが(笑)、

こんな文を読むと、パンダさんの奥様やみるきさんとは、私は明らかに違う感覚を持っているなと思うのです。

私もよく自分のことを「(周囲に起こったことを)自分のことにし過ぎ」と思うのです。
記事に書かれたパンダさんのこととはまた違った場面ですが・・・。

例えば、です。
集団の中で、何となくうまくいっていないAさんという人がいて、
Bさんという人が、Aさんのことを非難したり、ちょっと軽んじたような態度をとっているのを見ると、私は本当に辛くなります。
その時、Bさんの意識には、私は存在していなくて、あくまでもAさんのことを言っているのだということは分かりますが、
私はまるで自分自身が否定されているような気分になるのです。
多分Bさんは何も考えずに冗談のような気分で言ったことですが、それが私にはAさんを侮辱していると感じてしまうのです。
これは理屈ではなく、マイノリティにしか理解できない感覚なのだと思います。
Bさんが無意識に持っているAさんに対する自己優越心に、過剰なまでにアレルギー反応を起こしてしまうのでしょう。

若い頃の私だったら、そんな時かなりムキになってBさんに食って掛かるような言い方をして抗議することもありました。
かなり生真面目に「Bさん、それって差別につながる言葉ですよ」とか言うのですが、決して冷静には言えなかったですね。
頬を上気させて、息遣いも荒く、ここで負けてはいけない、と思う気持ちが顔に出ていました。
Bさんにとっては、私が突然何の脈略もなく怒り出すのですから、そりゃびっくりしますよね。
「アスペルガーは突然怒り出す」と言われている所以かもしれません。

自分の障がいに気づいて以来、そういう場でいきなり抗議するのはやめようと思うようになりました。
そこで怒ってもAさんは救われないし、Bさんにも何も伝わらない、ということが分かってきたからです。
一時期は、笑って話しているBさんに、笑顔で話せるようにならなきゃ大人ではないとまで考えていたこともありました。どうしても私は過剰適応をしようとする癖があるのですね。今はそれは間違った考え方だと思っていますが。
でも、そんな場面に出ると、未だに私はいたたまれなくなります。怒りを隠すことには慣れましたが、時々自分を保っているのが精一杯になることもあります。
これってあすなろさんのご長男の心境につながるのでしょうか?

ところで。
Bさんの<自己優越心>というのは、何もBさんに限ったことでは無く、人間である以上、誰しもが持っているものだと思います。当然、私の心の中にも持っていて、それ自体を非難する資格はないのですが・・・。
多分、それが、私と同じような立場にあるAさんに向けられたということで、胸が締め付けられるような気分になるのだと思います。
Aさんと仲間として親しく付き合いたいかどうかは別として、Aさんに対して、私は同朋意識のようなものは強く感じていると思います。

話を初めに戻しますが、「なんでも自分のことにし過ぎ」というのが、もし定型の人の特有のものであるのならば、やっぱり私はアスペじゃないのかなあ、と思ったりもするのです。
とはいえ、Aさんのような人を見ると、無条件に同朋意識を持ってしまう私は、やっぱり胸を張ってアスペルガーを名乗っても良いような気もするのですが・・・。
ま、多くの人にとっては、私がアスペか否かなどという問題は、どっちでもいいことですよね。失礼しました。


あすなろさん

 息子さんのお話し、アスペ的世界での「生き方」の一つを感じさせていただいています。お父さんとの緊張関係の中でどういう自分であろうとしているのか。なんか息子さんなりの人生観ですよね。

 定型アスペ問題って、そういう「人生観」みたいなところに入り込んでいかないと、見えてこないんだろうなと改めて思います。


ガーディナーさん

> 「なんでも自分のことにし過ぎ」というのが、もし定型の人の特有のものであるのならば、やっぱり私はアスペじゃないのかなあ、と思ったりもするのです。
とはいえ、Aさんのような人を見ると、無条件に同朋意識を持ってしまう私は、やっぱり胸を張ってアスペルガーを名乗っても良いような気もするのですが・・・。

 胸を張ってというところがいいですね(笑)。
 名乗っていいんじゃないかと私は勝手に思います。

 少なくともガーディナーさんが定型アスペ問題の当事者であることは間違いないし、その際のガーディナーさんの悩まれ方、困られ方は定型サイドのものではなく、アスペサイドのものだと思います。アスペ的な資質(?)がどういうところに強く出るのか、ということはほんとに人さまざまだと思うし、定型と共通する部分もその人によってすごく差があるのでしょう。

 なんか、パターン化されたアスペ像って、最初の手掛かりとしてはある程度必要でしょうけれど、具体的に一人一人が自分の人生を模索しながら送っていくにはまったく不十分だと思います。

 たとえてみれば「あなたは女でしょう、私は男でしょう」と言っているようなもので、別に間違いではないけど、それで「じゃあ男と女として理解しあいましょう」と言ったところで、そういうことで理解しあえる部分なんてものすごく限られているのと同じだと思うんですね。もしその程度のおおざっぱさで問題が解決するなら、すべての夫婦問題は全部解決です (笑) そんなレベルの話では解決しようもないから、夫婦の葛藤はむつかしいわけで……

ガーディナーさん、こんにちは。みるきです。


     私はアスペルガーにアイデンティティを持っているので、そこが揺らいでいる      今、ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、自分の世界観までもが崩され     るような深刻な気分を味わってもいます。


とのこと、とても心配になりました。私にできることはほぼ無いに等しいとは思いますが、同じアスペ仲間として(ごめんなさい。私の中では勝手にガーディナーさんを同胞的仲間意識で見てしまっていました。もしもお嫌だったらすみません。その時は改めておっしゃってください。)ガーディナーさんのことが気にかかっていることやガーディナーさんがご自分の力で今の状況を脱すると確信してます(アスペ仲間として信じています)ということをお伝えしたかったので出てきてしまいました。(余計なお世話だったら切り捨ててくださいね(笑))

ガーディナーさんのおっしゃっておられたお話なのですが、もしも見当違いであったら申し訳ないのですが、こういうこととは違いますか?
ガーディナーさんは、Aさんに感情移入してBさんにアレルギー反応を起こしたのではなく、ご自分が過去に似たような経験をしたことでその当時にフラッシュバックしてしまい、Bさんがその当時に自分を傷つけた、若しくは差別的態度をとっていた人に重なってしまい、いてもたってもいられなくなってしまった。
または、アスペルガーはどうしても少数派になってしまうので、多数派の方が持つ多分無意識な傲慢さや優越感、自分は正しく相手が間違っているという圧力(自分と同じ人は沢山いる、あなたのようなひとはいない。だからあなたがおかしい。とか)に反応してしまっている。さらに言ってしまえば、(さらに辛辣になります)多数派の方の持つ、自分は優しくて正しくていい人だというパッケージの陰に潜むずるさや弱さ、残虐性や暴力性を感知してしまい、そこに気づかない、気づこうともしていない部分に嫌悪感がある。そういうことではありませんか?
もしもそういうことであるのなら、私は、そんなことはよくあると言えます(笑)
私は確かに、上記の「なんでも自分のことにし過ぎ」の部分では先日のコメントのように感じますし、もしかするとガーディナーさんとは違う感性なのかもしれません。
ですが、私の感覚だと上の場合のぱんださんとガーディナーさんの反応は似て非なる別のものなのでは?と思ってしまいます。
先ほど、私もガーディナーさんと同じようなことはよくあると言いましたが、私個人の場合は、Aさんに感情移入してAさんのためにBさんに腹を立てるのではなく私自身が昔言われたこと、でも言い返せなかったことなどにあの時はこう言いたかった、あの時は辛かった、苦しかったという完全自分目線での当時の相手への恨みとして反応しています。ですので、正確にはその瞬間私の中にはAさんもBさんもいません。
これってたぶん、前述のぱんださんが他人のことに関わりすぎているよというような内容での「なんでも自分のことにし過ぎ」とは違います。ここでの私は他人に関わっているのではなく、他人を通して見えた当時の自分の感情に引きずられているのですから。

上記の話はあくまでも、私個人は、というものですので、ガーディナーさんの場合どのような心理でそうなってしまうのか、それがアスペ的であるのか、はたまた定型的であるのかは私には分かりませんが、アスペの自分としても同じような経験はありますよ~そのとき自分の状態はこんな感じですよ~ということを書かせていただきました。もしかするとますますガーディナーさんを混乱させて追い詰めてしまうのかもしれませんが、ガーディナーさんのコメントを見ていてもたってもいられなかった自分の感覚を信じてコメントさせていただきます。
最悪的に気分を害するものでありましたらすぐにおしゃってください。誠心誠意謝りますから。

最後に、今回の私のコメントは多くの定型の方にとって非常に不愉快極まりなく、傷つかれた方や癇に障った方、腹が立って仕方が無いという方もおられると思います。自分の中では、かなり辛辣な書き方をしているなと自覚しておりますし、かなりびくびくしています。動悸がしてます・・  ですが、正直な本音であり、そういう見方もあるのだということを伝えたくてもう2度と出てこない覚悟で書かせていただきました。(あ・・言い逃げは卑怯なので、勿論反論や指摘なにかあればそこは誠実に対応はさせていただきます。)あー・・・本当にこれを送信してしまっていいのだろうか・・ぱんださんに1度判断していただいたほうがいいのだろうか・・でもやりかたが分からない・・ので・・意を決して送信します・・

最後に、ぱんださん、もしも感じが悪すぎて辛辣すぎて炎上したらすみません。


さらに追記:辛辣部分のずるさや弱さ、残虐性や暴力性、優越感や傲慢さは私自身の中にもあります。確実に。嫌というほど、自分の内面にあるそれを自覚していますし、もしかしたらこれから先さらに今現在の私自身が思っている以上に真っ黒な部分を発見するのかもしれません。なので、それがいけないとか特定の人を非難したいとかそういうものではありません。自分の中にあることを知っているし人間だれしもそうであるという前提を持って話しているということを追加させてください。
ぱんださんの最新の記事で同じような内容の部分があったように思えるのですが、少数派の私からすると多数派・・ここでは定型の方はどうにもそういう影みたいな部分から目をそらしているように思えていたのです。個人的には幼少の頃から。でも成長にしたがって考え直したのですが、定型とアスペ以前に人間とは自分が多数派でいるとき、少数派に対してだれもがそうなる可能性をはらんでいてだからこそ、自分の物差しだけではなく相手の物差しにも理解を示し尊重できる共生的な人間性を身につける努力をし続けないといけないのかなと思っています。(なんのこっちゃですね。(笑)何を話していたのか分からなくなってしまいました。とにかく何か問題があったらすみません(汗))

ガーディナーさん何度もすみません。みるきです。

余計なことかもしれませんが、伝えたくなったので一言。

私の目に映るガーディナーさんは、アスペとしての特性をお持ちになりアスペ的な世界を生きながらも定型世界や定型の人々を理解したい大切にしたいと懸命に努力をされてきたとてもあたたかくて愛情溢れる素晴らしい人です。努力の人だとも思います。まあ、全ての記事を読んでいるわけではないので、不明な点も多いですし、あくまで私の勝手な印象ですが(笑)←たぶん、定型さんはここを余計なひとことだと言いそう(笑)

私個人は定型もアスペもどちらもいいところも素敵なところもたくさんあってどっちも基本好きなのでガーディナーさんがどちらであっても正直あまりそこにはこだわりは無いですし、上記に書いた私の持つガーディナーさんへの印象もそこでは変わりません。

みるきさんへ。

ガーディナー(風邪熱)です
ありがとうございました。
昨日からの暖かいメッセージ、恐縮です。
お返事できないのが申し訳ないのですが、
おとといからの風邪熱でちょっとまだ文章を書くパワーがありません。

回復したら、お返事しますね。

ガーディナーさん、こんにちは。みるきです。

こちらこそ体調が悪い中、丁寧なコメントどうもありがとうございます。
今、風邪が流行ってるみたいですね。私の周りも風邪とインフルエンザのオンパレードですよ~(笑)
 
      お返事できないのが申し訳ないのですが、
      おとといからの風邪熱でちょっとまだ文章を書くパワーがありません。

了解しました(笑)こちらのことは気にせず、ゆっくりと休んでください。
元気に復活したガーディナーさんからお返事を頂けるのを楽しみに待っていますね~(照)私のほうこそ、ガーディナーさんを追い込んでしまったのでは?と気になっていたのでコメントいただけて安心しました。こちらこそ本当にありがとうです。
それでは。おだいじにしてくださいヽ(´▽`)/

2016・02・10

こんにちは。
ガーディナーです。

みるきさんへ。
ρ( ^o^)b_♪♪回復しましたよ。
また明日から仕事です。
お約束通り、さっそくお返事しますね。

私がコメントで「深刻な気分を味わっています」と書いたことについて、
みるきさんは・・・。

>とても心配になりました。
>私にできることはほぼ無いに等しいとは思いますが、
>同じアスペ仲間としてガーディナーさんのことが気にかかっていることや
>ガーディナーさんがご自分の力で今の状況を脱すると確信してます
>(アスペ仲間として信じています)
>ということをお伝えしたかったので出てきてしまいました。

とメッセージを下さいました。
ありがとうございました。
細やかなお気遣いは熱で疲れた心身を優しく癒して下さいました。
お陰で元気になりましたよ。

さて、深刻な状況についてです。
こんな書き方をしてしまったので驚かれたのでしょうが、
どうかご心配なさらないように。

私が深刻に考えるのは、一種の趣味のようなものなので。
ちくさんという方が、次の記事のコメントで
>みるきさんやガーディナーさんのようにポジティブな思考、
>(会ったことないのでわかりませんが、文面などからはポジティブだな、と感じました。
>失礼になったらすいません)になったきっかけを教えてもらえたら嬉しいです。
と書いて下さってましたよね。
ちくさんが私のことをポジティブと感じて下さったとすれば、
多分、私の中の
「悩まないことがポジティブなことではなくて、
悩むことを恐れないことがポジティブな生き方なんだ」
という考えを察知してくださったのかな?
と思っています。

人よりも時間をかけて考える性質(たち)です
深刻に考える時でも、それを悪いことに取らずに
いいチャンスだ、と考えるようにしています。
だから、焦らずゆっくり考えていこうと思います。

パンダさんのブログに出会い、
アスペルガー観というか、自分の見方が変わりました。
私がこうしてちょくちょくコメントを投稿するようになったのは、
今年に入ってからですが、
実は去年の5月ぐらいにこのブログを偶然知り、大変な衝撃を受けました。
初めの一回だけは喜んでコメントを送り、
パンダさんからの丁寧なお返事も頂きましたが、
(残念なことに、そのコメントをどの記事に送ったのか覚えていないんです。
探しても見つかりません。すごく古い記事だったことだけは確かです。)
その後、あまりの衝撃に、それまでの自分の生き方が覆されるような混乱を感じ、
以来今年の1月まで、一切ブログを開くことはありませんでした。

このあたりの心境の説明が、今はまだできません。
とにかく私は半年以上、このブログのことはずっと気にしつつも黙殺し、
お正月に何となくまた開いてみて、
今度は堰を切ったように、溢れる思いを書き綴りたくなったのです。

書いて少し落ち着いて、それからまたしばらくたって書きたくなったり、
いろいろ波はありますが、
こうしてお付き合いすることで、また確かめてみたいことも出てきました。

そんな中、時々深刻になったりして、
みるきさんのような優しい人にご心配かけたりしますが、
しばらくはこんなペースで考え続けようと思います。

ガーディナーさん、こんにちは。みるきです。

回復おめでとうございますヽ(´▽`)/

    さて、深刻な状況についてです。
    こんな書き方をしてしまったので驚かれたのでしょうが、
    どうかご心配なさらないように。

    私が深刻に考えるのは、一種の趣味のようなものなので。

ですが、安心してください(笑)
私もきっとそうだろうなー(私も考えるのが趣味です)、深刻なのは本当だけど根っこの部分ではそれを味わい楽しんでいるのかなーなんて思ってましたから(笑)

それに、私は私のためにコメントしたのですからお気遣い無くお願いします(*´v`*)゜。←いい意味で言っています。

また、ガーディナーさんの溢れる思いを読ませていただけるのを楽しみにしています。

ガーディナーさん

5月のコメントはこれですよね。

http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-8189.html#comment-111025929

そんな風にアスペの方にいい意味で(ですよね? (笑))深く受け止めていただけたとすれば、ほんとに嬉しいです。定型アスペ間で、そんな風にお互いに大事な影響を与え合う可能性がある、ということになるのでしょうから、それこそ私がこのblogで模索し続けてきたものだからです。

正直なところ、5月のコメントだけではまだそこまでの深さで受け止めてくださっているとまでは思いませんでしたが、ROMの方にもそんな風に読んでくださる方もあるのかなあと思うと、ますますやってきてよかったと思います。とくにはじめの頃の何度かの炎上では、もうやめようかという考えが頭をよぎったことも何度かあったのですが。

今では定型アスペ間でも信頼関係を作ることは出来るということに、あまり疑いの気持ちはなくなってきました。もちろんすべての場合にとは思いません。でもそれは定型同士でも同じことですし。


こんにちは、初めまして。
最近ASD(ADHDもギリギリあり)と診断された成人女性です。
ここは面白い!と感じました。まだ、難しい話は初心者の私には理解しにくいところはありますが…
印象に残ったことで…私は多分、定型の方の真似をたくさんしてます。
「聞いてもらって楽になったー」とか、一緒に考えて行こう!と言われて「ありがとう、心強い」とか。
でも…それは全部ではないですが、本心で感じるのとは違い、社交事例のような感じで使ってました。こう言うのが礼儀だろうと…
実は言った側からまた悩んだり、自分で解決はかったりしてます。
定型の方は、本当にそう感じて、自然にそういう言葉が出るんですねー。
幸い、優しい定型の方が周りに多かったので、お手本は多く、かなり真似はできる方です。
そういった、定型の方の自然な反応の仕方とアスペとのズレの話はとても興味深いです。
これからも拝見させてくださいね(←これは本心です)

キキさん

 はじめまして,どうぞよろしくお願いします。
 
 なるほど,そういうのを社交辞令として使うようになるんですね。
 定型の方はそれを聞けば,ほんとにそう感じているのだろうと
 思ってしまう場合が多いかもしれません。
 もちろん定型も社交辞令としていう場合もないわけではないと思いますが,
 そうでない場合の方は多そうな気がします。

 また気が付かれたことなどありましたら教えてくださいね。

 

パンダさん、ご返信ありがとうございました。
確かに、友人や同僚など少し気を遣う人には社交辞令的だとしても言うようにしてましたが、家族やパートナーには話しっ放しで、お礼は気が回ってなかったように思います。
いつも真剣に親身に聞いてくれてるのに…
嘘は言わないまでも、「話を聞いてくれてありがとう」と言えるようにしていきたいと思いました。
ありがとうございました。

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