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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2016年2月24日 (水)

バランス

 定型アスペ問題の一番の鍵は,要するにバランスのとり方の違い,そのずれの問題なんだなと思いました。一人の人の心の中のバランスと,そして人との間のバランスと,その両方のバランスのとり方。

 持って生まれた条件の違いで,周りの世界の感じ方が異なり,その結果それぞれの世界に適応して自分のバランスを保つためのやり方も異なっていき,そしてお互いに異なるバランスのとり方をする者同士が接するときに,そのずれによって対立が生まれる。

 だとすれば,私たちの課題はどういう条件の違いが,どういう適応の仕方,バランスのとり方のずれを生み出し,そういう異なったバランスのとり方を持つ人間同士がどうやってそのずれを前提にした新たなバランスを作っていくのか。そこを整理し,考えていくことになるのでしょう。

 いろいろありますが,煎じ詰めていけば,そういう比較的単純な問題であるようにも思えます。

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コメント

パンダさん

こんにちは。キキ(アスペ+ADHD)です。
バランス。考えてみると、私や、私の周りのASDは、どうも自律神経のバランスがうまく取れないことが多い。
そうすると、自分の体内でさえバランスを取れないのに、社会とのバランスを取ることは更にストレスがかかる。

そういう意味では、やっぱり自律神経的にも安定(もちろんそうでない定型の方もおられると思いますが)している定型さんに、やっぱり負担がかかっちゃうかな?とちょっと思いました。

歩み寄りは私もすごく関心があるし、やりたい。しようと思う。
だけどどうしても、定型さんの、懐というのか、そういうのに助けてもらわないと、「対等に歩み寄る」というのは、ひょっとしたら難しいのかなぁと感じます。

劣っているとか卑下しているとかとは少し違って、やっぱり能力的に(敏感な自律神経も含めて)欠けている部分があるのは否めないと、あくまでも私の場合ですがそう思います。

かわいらしく「ねえ、助けて〜♪( ´θ`)ノ」って言えるようになれば(それには問題点を発見できるようにならないといけないのですが)、いいのにな!
そこは甘え下手なアスペ、ハードルは高いかな!
(脱線しますが、私もネコちゃんとはすごく楽にいられます (^。^)

まずは、自分だけで解決しようとするところをあえて、信頼するパートナーには(意味があるのかないのか、自分側はまだピンときませんが)、何でも話していこうかなぁと思っています。

「こう感じるの、こういう意図でやったの」と。
全て受け入れてもらう前提ではなく(受け入れてもらえれば勿論最高に嬉しいんだけど(^。^))、話の内容にパートナーがズレを感じたら、そこを調整してみる。
そんなことが出来たらなぁ、多分出来る、いまより良くなる、と前向きに思ってます。

(本来、自分は根は楽天的なので、能天気な発言に思われたらすいません m(__)m)

※過去記事、読みすすめてます。
びっくりするのは、アスペのは方の発言に、私が自分で1人で使っていた用語(仕事モードとか)が使われたりしてること。
やはり共通の感覚があるのだなぁと思います。
そして、その感覚を、この世界の言葉で表すと同じ表現になったりするのは面白いなぁと思います。

※よく、ことわざで、日本語と英語のことわざが似てたりするのも「文化が違うのに面白いなぁ」と思ってたんです。
そう考えると、なんか、ポイントをつかめたら、うまく調整できそうな気がします。
またまた楽天的ですいませんm(__)m

キキさん

対等の問題は難しいですね。何かの「能力」という物差しを使ってみると、対等ということは多分どんな人同士でもあり得なさそうですから、そこは能力のある人間が補うのは自然なことなのでしょうね。そこで補ってもらった側が感謝の気持ちを持つことも自然なことに思えます。

なんだろうな、お互いに自分に与えられたものを使って頑張って生きている、その姿にお互いに尊敬の気持ちが持てれば、なんか対等になる気がします。

で、キキさんも猫とは気楽なんですね! (笑)
私も猫に学ばねば φ(..) メモメモ

過去ログでまた何か発見があれば教えてください。

パンダさん

おはようございます。
お言葉通りに甘えさせてもらって(笑)過去ログから…(^。^)

去年の4月6日の記事「定型でもアスペでもあるということ」。
そうなんですよねー、スペクトラムの色合いによって、人との関係性も形が変わってくる…
私は離婚経験がありまして、色合いの濃いアスペ夫と接するうちに、いま考えると私はカサンドラみたいになってたと思います。
「もうこの人と話し合いは一切無理なんだ」と、最後は投げてしまった形です。
時を経て私も診断を受けて…
いま、私とのやりとりを投げずに、私を好きでいてくれてる周りの人たちに、改めて感謝?というのかわかりませんが、そんな気持ちを持ちました。

定型アスペでなくても、アスペアスペであっても、定型定型であっても、それぞれに難しさの形があるんですね。

どっちの気持ちも知りたい、という、欲張りな気持ちで、このブログを読ませてもらってます。
どの記事もどの意見も、ほんとに皆さん真剣で、頭が下がる思いです!


キキさん

今晩は。

これまでも定型との間では自分がアスペ的悩み方になり、パートナーさんとの間では自分が定型的な悩み方になるということを教えてくださった方がありました。定型アスペ問題を考えるときにすごく大事なことだという気がします。

それに、そういうキキさんのような立場の方は、ごく自然に(?)両方の悩みを体験されるわけですから、ある意味バイリンガルみたいですよね。ということは、かなり大事な通訳者になれるのかもしれないと、そんなことも期待してしまいます。

私なんかはどっぷり定型で、どうしても頭が定型の枠に縛られてしまうので(ほんと、融通が効かない点はどっちもどっちかも)、部分的には想像力で理解が進むところがあったとしても、結局「借り物」に留まります。

ということで頑張っていい通訳者になってくださいね(と、すぐに人頼みになる(笑) )。

キキさん、パンダさん、こんばんは。
ガーディナーです。

対等の問題は難しいですね。
「人間である以上、どんな場合も対等である」とか
「そもそも対等だなんてことにこだわることが間違っている」とか、
いろんな意見がありそうですね。

私は地元で、様々な障がいを持った人と障がいを一切持たない人達が集まり、
対等にお付き合いをするというコミュニティに参加しています。
そこで最近あった面白いできごとを紹介しますね。
お二人のコメントを読み、ふと思い出したので。

ある日、そのコミュニティに小学5年生の難聴の女の子ミコちゃん(仮名)が入会してきました。
ミコちゃんは去年まで聾学校に通っていましたが、
5年生の2学期から地域の小学校に転校して普通学級に通うようになりました。
知的障がいはありません。
ミコちゃんはおとなしい女の子で、おしゃべりが苦手ですから、
他の会員さんと仲良くなるのは至難の業でした。
ただ、一人だけ入会当日から仲良くなった人がいました。紗智子さん(仮名)です。
紗智子さんは40代の重度自閉症を持つ女性で、
言葉によるコミュニケーションが非常に難しく、ボディタッチをされることも苦手な人です。
そんな紗智子さんにミコちゃんはスーッと寄っていって、
紗智子さんのおでこに自分のおでこをくっつけてニコニコニコっと笑ったり、
おっかけっこをしてはしゃいだりするのです。

ミコちゃんの通う小学校のクラスは、先生もお友達も理解が深く、
ミコちゃんが心地よくクラスで過ごせるようにいろいろな配慮をしてくれています。
でも、おそらくミコちゃんは毎日の学校生活に疲れを感じていると思います。
5年生の女の子たちの会話のテンポ、何となく含みを持ったような言い回し、
思春期の女の子たち特有の読みづらい空気・・・。
補聴器をつけていても決して理解できない、聾学校とは違う文化です。

私にはわかります、
これはアスペの私が、毎日定型の子たちに囲まれて過ごした教室と一緒だということが。
誰に何をされたというわけでもないのに、毎日の教室がいかに孤独な場であったか。
そしてミコちゃんが、一番初めにお友達として選んだのが、
ことばを持たない重度自閉症の紗智子さんであったというのも、まったく私と同じです。

紗智子さんは、普通に考えれば、一人で道を歩くこともできない、
買い物もできない、就労もできない、つまり何もできない人、ということになります。
でも、人見知りの難聴少女が、初めての場へきても、安心して遊べる相手になる、という、
恐らくどんなセラピストにもできない難行を、
意図することなくやり遂げてしまえる人でもあるのです。
また、逆に言えば、ミコちゃんは、
他人からボディタッチをされることを極端に嫌がる紗智子さんの顔を、
ためらうことなくタッチして、親交を深めることができるのです。
これもまた、どんなアドヴァイザーにもできない仕事を瞬時にやってしまったわけです。

こんな場面に出会う度に
「人は、生産活動に参加していなくても、みんな自分にしかできない仕事を持っている」
ということを確信します。
そして、自分の仕事とは何かを探して、そこに誠心誠意向き合うことが、
他者と対等に付き合うことの第一歩になるのではないかと考えます。

というような私の長~い思いを、パンダさんはたった2行で表現されてました。

>なんだろうな、お互いに自分に与えられたものを使って頑張って生きている、
>その姿にお互いに尊敬の気持ちが持てれば、なんか対等になる気がします。

そう、私が言いたかったのは、そういうことなんです(超・楽天的人間な私)。

ガーディナーさん

初めまして、キキ(アスペ+ADHD)です。
コメントありがとうございます(^。^)

過去ログでは、何度もガーディナーさんのコメントを読んできました。
私にも、とてもわかりやすく感じます。
何よりも、いつも落ち着いてお話されている姿がイメージとして目に浮かび、
なんというか、思慮深い、という印象を持っています。
(私は思いついたまま文章にしてしまうので…)

ミコちゃんと自閉症のサエコさんのお話で、とてもよくわかりました。
本当にそうですね。
自分の役割を早く見つけたい!
自分にしかできないこと、きっとありますよね。

ここでは、色んな役割になっていった方たちのコメントが読めるので、とても楽しい(すみません、ばかにしてるのではなく、自分と同じように感じる方をみつけたり、違う考え方からの発見など、宝の山のように思えるんです)。

私も皆さんのヒントになるようなコメントを書けたらいいな、と思っています。
なんか、ほんと幼稚ですいません、いい歳してるんですが、思慮浅く…m(__)m

これからも楽しみにしています。
よろしくお願いします!

>パンダさん

まさに夫は子ども心が極端に強い状態です。

自分が投げかけた言葉=挨拶、仕事の苦労、要求に、思うように応じてもらえないと、おそらく『寂しい』とか『否定された』と感じるのは、パンダさんと同じ心理なのでしょうが、それが高じて暴言を吐いたり、物を壊したりという行動になってしまうという。

そうやって脅迫的に取り付けた『共感』はやっぱりどこか違うことを感じるので、さらに強引に人の共感を得ようとする。

共感を得られない=人格否定

となってしまうようです。
まさに、解消できない子ども心が、どんどん肥大していって、自分でもどうにもできない状態になってしまった状態です。

息子はそんな夫に困らされてきたので、
『俺は絶対に相手に自分の感情をぶつけたりしないと決意した』といいます。
『分かってもらえない状態は、これまでずっとそうだったので、俺の考え方のほうが可笑しいんだから、ぶつけても仕方ないよな』と諦めるのだと。
『でも、それですごく気楽になったんだよ』と言っていました。

先日、アスペの娘と私で喧嘩になりました。
私が娘の健康のために『こうしたら?』と提案したことを、娘も『そうだね』と同意したにもかかわらず、いざとなったら、それに必要なものが無いと言って怒り出し、結局私の提案を受け入れなかった。
私にとっては、娘が必要だというものは全く意味のないもので、それが無くてもできるでしょ?やらないと、また辛い思いをするよ、ということなのですが、娘は頑として聞かない。

喧嘩の声を自分の部屋で聞いていた息子が、後で出てきて
『あんたは何で自分の考えを押し付けようとするんだ』と諭されてしまいました。
娘にとって、私の提案を受け入れることと、『必要だ』と言ったものはセットでしか考えられない。それが無ければ出来ないという心理は、息子にはよく分かる。でもなぜ必要なのか説明しようがないし、自分で何とかしなくちゃと焦って苛々してしまうのだと。
おそらく、ASDのこだわり部分であって、実質的に必要か必要でないかはあまり意味を為さない。でも私の提案が大事だということも分かっている。だから辛いんだ。
というようなことでした。

前にここの掲示板で、息子が私の提案を受け入れようとしないので困ると載せたところ、アスペの方から説明されたことと同じで、『また同じことやってしまった!』と反省です。
でも今回のことについて説明されても、やっぱりその感覚を理解することはできないんだなと。

こういうことが積もり積もって、『ああ、共感してもらうのは無理なんだな』と諦めるしかなくなるのかもしれません。
これは、アスペが悪いとか、定型が悪いとか、そういうものではないなと。
もし修正できるところがあるとすれば、お互い、他人の心理は理解できないし、自分の思うように共感してくれるとは限らない。
相手には相手の受け取り方、感じ方がある。それは尊重するべきものだ。
という割り切りなのかなと。

息子の『俺の考え方が可笑しい』というのはあまりに自虐的ですが、そこまで割り切ってしまったほうが楽になれるということなのかなと。

子ども心は誰にもあるけれど、大人になって受け入れてもらえるというのは、幻想なのではと思いました。

そういえば、掲示板でお話していた『遅刻癖のある部下の例え話』について、リアルでこんな相談があり、お笑いアメリカ人芸人の厚切りジェイソンさんが、こんな回答をされていました! やっぱり私たちが縛られているのは、『日本』という狭い範囲での常識なのだなとつくづく思いました。

http://netgeek.biz/archives/66694

ガーディナーさん 

> 私が言いたかったのは、そういうこと

 ということで,そのあたり,私にとっては大事な視点の一つなのですが,そういう部分でもちゃんと見方が共有可能なわけですよね。定型アスペに関係なく。逆に定型間でもそういう見方を共有しずらい方も多いわけですから,面白いなあと思います。

 おかげさまで定型アスペに関する固定観念みたいなものを,どんどん柔らかくしていただいている気分です。

あすなろさん

 やっぱりそうなんですね?なんかそんな気がしていました。パートナーさんの話です。

 もしそうだとすると,そのあたり,基本のパターンは定型もアスペも同じですよね。

 ひとが暴力的になることのひとつの仕組みは,そんな風に「自分が受け入れられないこと」への激しい怒りや憎しみの積み重ねが,何かのきっかけで誰かに対して噴き出すことなのでしょう。その相手は別に本当の原因の人でなくても良くて,それこそ「八つ当たり」でもいいわけです。されたほうはいい迷惑ですけれど。

 それにしても,お子さんとの葛藤や,そこで息子さんが言われることなど,もう定型アスペ関係ということを超えて,「そりゃそうだなあ」と単純に理解できてしまう感じがあるのはある意味不思議なくらいです。ガーディナーさんの話でもそうですけれど,ここまでくると定型アスペ問題を超えて,人として共通している部分に入り始めている気がします。

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