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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年12月16日 (水)

感情の持ち方の変化

定型アスペ問題を考えていくと、お互いにかなり基本的なところで感じ方や理解の仕方に大きなずれがあり、自分の自然な感覚や判断が相手には全然通用しない、ということが見えてきますよね。そうすると、それまでのように自分の理解だけで相手を批判することが難しくなります。さらに理解が進めば、相手にとっては自分の当たり前のやり方が「ひどい人のひどいやり方」になる場合があることも理解できるようになります。

お互いの理解が進む、という意味ではそれは大事なことですが、でもそこでまた新しい問題が出てきます。それは「頭では相手の人の考え方などがわかるようになっても、気持ちが全然ついて行かない」ということです。相手の望みに合わせると、自分の方はなんだか悪いことをしているような気持ちになってしまったり、あるいは自分が無視されるような気持ちになってしまったりしてつらくなる。「無理をして合わせている」という感じがなくならないと言うことです。

この問題はこれまで何度も「さらに考えていくべきこと」として書いてきましたが、ほんとに難しい問題で、さっぱり進まない状態でした。けれども今回、もしかするとちょっと手がかりになるかもしれないと思える経験があったので、それについて書いてみたいと思います。

といてもその経験は定型アスペ間のことではありません。母親との関係のことです。母親はかなり典型的できついパーソナリティ障害だと思うのですが、いい意味でも悪い意味でも「純真」なところがあり、その時々の自分の思いに正直に動き回る結果、周りが激しく振り回されて大変なことになる、ということが繰り返されてきました。

そこに今は認知症が重なってきて、対応が本当に難しくなってきていました。介護ケアを巡って電話はもちろん、手紙やあるいは直接じっくり話をして確認をしたはずのことが、しばらくすると完全に自分の都合のよい話に変化してしまい、(以前は変化したことはわかっていてただ事情が変わったからと言っていたのが)事実の確認自体ができなくなってきてしまっています。かるく妄想的な世界になってしまうのですね。

問題が家族内部のやりとりのレベルならまだそこで処理できますが、いろんな契約などが絡む話になると問題は深刻になり、対応も大変です。

パートナーは介護関係の仕事をしているので、そういうケースもまたいろいろ経験していて、判断もとても現実的です。

私が聞いていて大事だなと思えるポイントとしては、たとえば現実のチェックが難しくなってきた場合には、相手の言うことは否定せず、とりあえずは聞いておくことがあります。それをしないと自分が否定されたと思ってさらに状態が悪くなることが多いからです。

そうやって即座には否定せずに聞いてあげるので、相手からすると共感的に受容された感覚が生まれやすくなり、実際私のパートナーは母親から自分をちゃんと受け止めて理解してくれる人としてとても頼りにされるようになりました。

けれども聞いてあげることとその言葉をそのまま真に受けてそれに沿って対応することとは違います。そこは冷静に現実を判断して、ごまかしごまかしでも本人にできるだけ納得されやすいやり方で進める工夫をしていきます。

そういうやりかたは、聞けば「頭ではわかる」状態になります。ところが実際に母親とやりとりしていくと、どうしてもいずれ感情が言うことを聞かなくなってしまいます。あまりに身勝手で非現実的な言い方に怒りがわいてくるのですね。実際本人の希望に基づいて苦労して準備したこともすべてパーになり、周りにも迷惑をかけてしまうことも多いわけですし。しかも本人は全くそのことを理解したり反省する気配もないわけで、逆にこちらが責められる場合もある。「もういいかげんにしろ!」という気持ちがどこかでわいてきます。

けれども、そこで怒っても、本人は被害感情をふくらませるだけで、ますます自分の世界に引きこもりがちになり、状態が改善されることがありません。

最近その傾向にさらに一段と「磨き」がかかり(笑)、ちょっといろいろ現実的に心配なことも増えてきました。で、さすがに私もパートナーのサジェスチョンもあって気持ちを切り替えるしかなく、もう開き直って何を言われても否定せず、とりあえず聞いて、本人に関係なく必要な対処を考えていく、というスタイルに徹しました。その結果、やはりかなりスムーズに進む部分が増えてきます。

パーソナリティ障害の場合、第三者の目で物事を理解すると言うことが著しく困難になる場合があります。すべては「私とあなた」の二者の関係でしか考えられなくなり、相手をその世界に巻き込んでいきます。私の場合、物心ついた頃には完全にそのパターンを母親から植え込まれていたので、長男の甚六でそれにまじめにつきあい続けていたんですね。そうすると他の人とのやりとりに問題が起こりやすくなるのでとても苦労しましたが、一種の「洗脳状態」になりますので、それがながくつづきました。

そうすると、たとえば母親に関連することを、第三者と相談をする、ということについても、母親が極端に疑心暗鬼を起こします。それが大きな不安ともつながり、結局二者関係の中で相手を支配しようとする行動にもつながっていきます。第三者の介在を許さなくなるんですね。一種のカルト状態です。(家族の関係は多かれ少なかれそういう傾向を持っていると私は思うのですが、それが極端になります)

今回ある程度母親にうまく対応できたのは、パートナーのサジェスチョンを受けて、ある意味で「他人」になったからではないかという気がするんです。母親の強烈な二者関係支配をもう一段階抜け出て他人として接する構えができてきた。そうすると、相手の「身勝手」な言動に、たとえいらだつことがあっても、ちょっと余裕ができるんですね。その結果、私が対応した後に母親からパートナーにかかってきた電話では、私がとても優しかったという感想になっていました。

親子関係だと、どこか感情のつながりにダイレクトな部分が残り続け、そこが刺激されてしまって冷静になりきれません。よく介護や看護の関係の方が、「自分たちは肉親でないからこういう対応が可能だけれど、家族はそれは無理でしょう」というようなことを言われることの意味も、そういうことに関係しているのだと思います。

パートナーが母親に上手に対応できるのも、そういう距離感をかなり自然にとれるからでしょう。「他人」に対しても、親切にしたいという気持ちは起こりうるわけですから、他人だから見捨てるという話ではないですし。

そこで思ったことなのですが、「頭ではわかるがやるのは感情的に難しい」ということになる理由の一つは、なんかそういう気持ちの距離感の取り方に関係するのかもしれません。パートナーがよく、わたしが求めている夫婦関係のあり方について、「他人であればできる」というようなことを言っていたのも、もしかするとそういうことに関係するかもしれません。

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