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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年7月 1日 (水)

悩みどころ

今の自分の理解力や想像力がにわとりさんの抱え込まれている苦労にはなかなか届かないことを感じさせられます。これまでアスペの方の見方や感じ方についていくつかの面では私の想像したことを、アスペの方から肯定的に受け止められたこともあり、少しは自分の想像力が届き始めた部分も出てきたように思ったのですが、にわとりさんが抱えられている問題は、そういう想像力の働かせ方とは何か違う方向のものを大きく含んでいるような、そんな気がするんですね。

ひとつのキーワードとして皆さんからも何度か出てきたのは自己肯定感で、それはかつて自分が受け入れられた感覚、体験の有無とか深さによって左右されると思え、もしそうならその部分は定型アスペ問題そのものというより、二次障がいに当たるものかもしれません。自己肯定感をどの程度持てるかは、定型アスペに関わらず、誰でも受容された経験で左右されるでしょうし。

違いが出るとすれば、自己肯定感を回復する仕方かも知れません。定型はそこで改めて周囲から温かく見守られたり、受け入れられたりすれば、いい方向に向く可能性が高まると思えるし、今回のみなさんの応援の仕方も、そういう感覚で努力される方も少なくなかったですよね。私も基本的にはそんな感覚を抱く方ですし。中にはそこは自分自身で乗り越えるしかない、と感じられている方もあって、そこも考えるべき所と思えますが。

いずれにせよにわとりさんもそういうみなさんの応援には感謝の言葉をのべられつつも、残念ながら少なくとも現時点ではそれがにわとりさんの気持ちに前向きのエネルギーを提供できるところまでは至れていない訳です。

定型アスペ問題で時々感じるアスペ的特徴として、「共感的な関わり方」や「励まし」が定型的なやり方では通用しにくいところを感じるのですが、にわとりさんとの関係でもやはり同じことが起こっている可能性は感じます。

定型アスペに関わらず、誰でも十分に受容された体験があれば自己肯定感の問題はそれほど深刻にならずに済むかも知れませんが、環境から言ってそこに困難を抱えられ、自己肯定感を高めることが課題になった場合、どうやったらそれが可能になるかという面で定型アスペに差が出る可能性も感じます。

にわとりさんに対して一体どういう言葉を伝えることが力になるにのか、ほんとに悩みどころです。

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コメント

トマトです。

「自分としてはやりようがない、何を言われても受け入れられないし納得出来ない」くらい追いつめられて、気持ちが凝り固まって、身動き出来ないような絶望感や孤立感のとき・・・。

その苦しさを聞いた人、見た人で、アンサーコメントを送る人はほとんどが「気を楽にしてあげたい」「何か言葉をかけてあげたい」と思って、コメントを送ります。

どうやら・・そこまで追いつめられた方は、こちらの「〜してあげたい」を「ありがたくいただける状態ではない」ということではないでしょうかねぇ。

往々にして定型は、経験値が本能に刷り込まれていて自分がギリギリの状態でも、本心ではありがためいわくでも、反感を感じていても、反射的に「ご親切にありがとう」というパフォーマンスが出来ます。
でも・・そんな定型でも家族や恋人など、遠慮の要らない甘えを出してしまう相手には、乱暴な言い返しや、意地悪な言い返しをしてしまうこと、ありますよね。

そう・・・「相手によりけり」です。

その点、ASの方の多くは、自分の気持ちに余裕がなくなると「相手かまわず」になりがちじゃないですかね。

こらこら、せっかく見ず知らずの人が、一生懸命優しいコメントを送ってくれたのだから、そんなミもフタも無いお返事じゃ失礼だよ・・・なんて、意味の無い次元でしょう。

「その点はやりました、でもダメでした」「それも頑張っても無理でした」延々のアンサー返しになってしまい、励まそうとした方が段々と疲弊してしまいます。

ここで定型は「励まそう、慰めようとした自分の気持ちが伝わらなかった」という、受け入れてもらえないゆえの悲しさと傷を負います。

相手は、はなから深く傷ついてコメントし、こちらは寄り添おうとしてコメントし、それが、なぜか両者をさらに傷つけてしまう

ヤマアラシの恋・・・状態になりがちです。

そういうときの「うまくいきそうにないときの間をあけるコメントの工夫」が、きっと、両者を少し楽にするのではないでしょうか。

寄って行った定型が、最終的になぜか「ごめんなさい」と謝らなくても良い段階での、引き方です。

話しかけたときに、不穏な空気だったので、さりげなく話をきりあげる・・みたいな。

すごく・・・シンプルなところにコツがあるように思えるのですが、私自身、まだ感情が邪魔してうまくコミュできてないんですけれどね。


トマトさん

横レスすみませんが、発達障害は人への気遣いに欠け、ストレートに感情を表現する人達ばかりではありません。
逆に定型者の中にも私達の好意に感謝ではなく、文句を言う人も少なくないです。
人それぞれなんです。
私達が「定型者はありがためいわくだとはっきり言う人種だ」と言われたら腹が立ちますよね。

発達障害者自身の話ですが、解決策が見つかるのは奇跡に近いです。
社会適応できない発達障害や軽度知的障害者は失敗を繰り返しながらも対策を考え、失敗し、毎回毎回絶望感を感じています。
挑戦、努力を繰り返すごとに毎回毎回絶望感をひたすら繰り返して感じるんです。
思春期辺りから自殺を考える人も少なくないです。
それでも死にきれなければ絶望感と自分への失望感に耐えなければいけません。
その上に鬼畜な人からの無理解な説教や侮辱などの耐えなければいけません。
簡単に返事ができることではないんです。
絶望感で何も手につかず、皆様へのお礼は時間経ってからしようと思ってました。

そして他の人のアドバイス通りにしたくてもできないんです。
それでもコミュニケーション能力もない、相手の表情もよみとれない、日常生活などの身体の不器用さなどがあいまって思うようにできないんです。
それを言ったら、障害を盾に言い訳してると言われ続けるんですよ。
反論は論外。事実説明は障害を印籠にしてると言われる。
「アドバイスありがとうございます」なんて言ったら、「またはじまった。口先だけのお礼!実行できずに能書きだけは一人前ね!」って罵倒されたことありますか?
何言っても反感を買って叩き潰される。
どうやって言葉を返しますか?

皆様への感謝はあります。
皆様のアドバイスや気持ちにも答えられない、応えられない。
アドバイスしても「これはしたけどだめだった」と聞かされて周りがうんざりしてるのもわかってますが、 先程書いたように皆様のアドバイス通りにやるのも難しい。

感謝の気持ちはあるけど、励ましてくださる方の気持ちを考慮しながらどう表現したら良いかわからなくてお礼ができずにいるんです。

余裕がないから、発達障害は思いやる気持ちや配慮に欠けてると決めつけられるのは不快です。


にわとりさん
お気持ち、わからなくもないですが、にわとりさん、こちらに来ていたのは、何か今の状態から少しでも脱っしたいために来ていたのかと思ってました。

でも、にわとりさんの言動を見ていると、そういうわけでもなさそうで、何を求めてらっしゃるのかがわからなくなってきてしまいます。

現在、ボーっとされてらっしゃるとのこと、まずはここから離れて、ゆっくりご自身を休められてはどうでしょうか?
いつまでも、いろいろな意見に振り回されてもにわとりさんの体のためによくないと思います。
しばらく、こちらから離れてゆっくり休んでください。 ご自身を大切にされてください。

そもそも私がここで話することが間違ってたのかもしれませんね。

皆様の好意はうれしいのは事実です。その言葉が全くないよりかけてもらった方が救われるのは事実です。

しかしアドバイスを受けられるのかはその人の能力次第です。
例えば今回私が仕事を出来なかったと絶望したことで、励ましの言葉はいただける方がありがたいです。
建前ではなくて本心です。

それでも自分の存在意義を感じられたかというと正直難しいです。
社会適応できない発達障害や知的障害は悪いことはしてないけど、何の生産性もなく、支援がないと生きられない。
悪いことはしてないけど、常識がわからなくてあり得ないと絶句され、軽蔑される。
知的障害の中には欲望のまま生きる人もいる。
健常者夫婦から生まれたなら同情の余地もありますが、精神病者や社会適応できない夫婦から生まれた子はあらかじめ防げたわけです。
里親に出したらましな子供にはそだったかもしれませんが、障害者を引き取りたい人はまずいない。

障害者の存在ってきれいごとだけではすまされないんです。

どんくりさん

最初はそうでした。
仕事はできてると勝手に勘違いしてましたから何とか変わりたいと思ってました。

しかし仕事ができてないと分かって、これではコミュニケーション以前に人と上手くいくはずがないとわかったので、書くつもりはないです。

努力不足でも、障害を盾にしてるわけでもありませんが、仕事できない奴がしゃしゃり出る権利はないので。

仕事ができてると勘違いしてたのが恥ずかしいです。
早くに自覚していたらこちらに相談して皆様に迷惑かけずにすんだのに申し訳ないです。

にわとりさんの気持ち、訴えられたいことは、皆、もう十分わかっています。
どうぞ、まずはご自身を大切に過ごされてくださいね。

これははっきりと言わないとわからないかなと思うので、投稿します。


でも、ここだと、編集がきかないので、掲示板の自己考察に書いていきます。

きっちり読んでください。

にわとりさん

掲示板の方で、あすなろさんがあなたへ向けたメッセージを載せているのを読ませていただいた時に、ものすごくあなたのことを理解していらっしゃると思えたのですが、どうですか?

世の中捨てたものじゃなくって、良き理解者、寄り添ってくれる人ってどこかに必ず居ると私は思うんです。ゼロか百じゃないんです。良い出会いも必ずあるはず。それを大切にしてくださいね。

自分の身の置き所ってあると思うんです。自分にとって敵?と思える人の中に身を投じるよりも、少数でも理解、共感、共有してくれる人の中にいる方が、自分の身を守ることになると思います。ご自身でご自分にプレッシャーをかけすぎないでくださいね。

まずは、自分の身を大切にして、心の回復を図ることが先決かと思われます。
理解してくれる人へ自分の思い(感情)を吐き出すことは、決して悪いことではありません。むしろ、必要なことです。
吐き出す相手を間違えてしまうと、自分の身を滅ぼしかねませんから、その点は障害あるなしに関係なく、気をつけなくてはならないと思います。

そして、自分のために言葉をかけてくれていると思っても、その全てに反応しなくてもいいんですよ。取捨選択する権利は、にわとりさん、あなたにあるのですから。人の考えに振り回される必要はないのです。聞き流す部分があってもいいんです。ゆっくり、時間がかかってもいいんです。そういう人だって沢山いるんですから。

自分を守るために、ずるく、したたかに生きてる人だって、結構いるんですよ。善か悪かっていうのも、人によって違ったりしますから、比べる必要はないんです。ただ、法に触れちゃいけませんけどね。

にわとりさんにとって、居心地のいい場所が見つかりますように。

コクーンさん
ありがとうございます。お騒がせしました。すみません。

突然はじめまして。アスペルガー当事者のりなこと言います。

定型の方からの気持ちは大変ありがたいからこんなことを言うのは申し訳ないのですが、にわとりさんを思ってのアドバイスは当事者から見ると必要ないと思います。
仕事のこと、人間関係のこと、にわとりさんが悩んでいた容姿に関してのアドバイスは全て分かりきっていることだったり、すでに試したことだったり、定型には正解でも当事者には外れている(間違っている)答えだからです。

私なら共感や慰めの言葉はむしろいらないです。現実の結果が良くならないと意味がないからです。
むしろ共感をもらうと自分の現実を思い知らされて惨めになります。
同じアスペ当事者からの共感だと余計に惨めになります(同じ当事者から言われるとやっぱり発達障害は惨めな境遇なんだなと思い知らされるため)。
だからといって非難や否定をするのも嫌です。
私には構わずにほっといてほしいです。

にわとりさんも独り言のように現状をただ嘆いていただけだと思います。 
そこを共感や元気付けようとする言葉はむしろ必要はなく、彼女には誰も構わずにほっとくのが一番良かったんだと思います。
アドバイスもいりませんでした。
ましてやにわとりさんに対する非難はもっての他です。
にわとりさんは自分の本音を言っていましたが、皆様の好意には感謝してましたよね。
仕事や容姿などの現状を改善できないにわとりさんを非難するからにわとりさんは怒ったのではないでしょうか。
何故にわとりさんが皆様から非難されるのか…?正直戸惑いを感じます。

ちなみに私なら近くに悲しんでる人や悩んでる人がいても声もかけずにそっとしておきます。
自分だったらほっといてほしいからです。
逆に共感を求める方にはどう声かけをしたら良いか戸惑います。
「共感はどのタイミングで、どういった言葉や思いを伝えるべきか、自分が相手の立場になって考えたらわかるでしょ」と言われますが、「自分の立場だったらほっといてほしい。自分で立ち直らない限りは人からどんな言葉をかけてもらっても救われない」と思うので、他の人がどのタイミングで、どんな言葉や態度で接してもらいたいのかは想像できません。

りなこさん

>私なら共感や慰めの言葉はむしろいらないです。現実の結果が良くならないと意味がないからです。

 ここがとても興味があるのですが、もしよければ教えてください。共感や慰めがいらないとして、自分のしんどさを人に語るのは何が目的だということになるのでしょうか?ほっておいてほしいなら、最初から何も言わなければ問題が起こらないと思うので、そこがすごく不思議でとまどうところなんですね。わざわざ言うんだから、反応を求めていると理解するのが定型に典型的なパターンなんだと思います。

 そこのところがたぶん大きな誤解をお互いにうむ仕組みなのかなという気がします。

パンダさんへ

ガーディナーさんが別スレの本文で語ってくださったようにただ聞いてほしいという人もいますが、ただ抱えきれない怒りを掲示板で言っているだけです。姿が見えないからなおさら言いやすいのもあったと思います。
そこに共感や慰め、非難の言葉は求めていません。

>私なら共感や慰めの言葉はむしろいらないです。現実の結果が良くならないと意味がないからです。

ましてやパンダさん以外の参加者の方達はにわとりさんのコメントにコメントするべきてはなかったというかことです。
一番間違っていたのは、他の方がすでに仰っているように、コクーンさんが、二次障害の仕組みのコメントで、にわとりさんに「障害を印籠にして甘えてる」と仰ったこと。
身体障害の方と比べられることです(身体障害の方と発達障害の困難は全く違うため、一緒の土俵で比べるのは間違いです)。
言った側は叱咤激励の意味だったとしても、アスペの人には障害を理由に怠けてると罵られてるようにしか感じませんからあまり使わない方が良いと思います。
パンダさん以外の方は基本的にほっとく。構わない。
アドバイスは本人から質問してきた時だけにした方が良いと思います。
その時も努力不足とか甘えてるとか言うのはもっての他です。

パンダさんは管理人という立場上、コメントせざるを得なかったとしても、基本は「そうだったんですね」と答えるくらいが無難だと思います。
例えばにわとりさんが容姿で色々言われるとよくコメントなさってましたが、その時にパンダさんは「顔の造作じゃなくて、雰囲気次第で印象は変わるんだよ」的なアドバイスなさったことがあったと思いますが、おそらくにわとりさんもそれは分かっていて、一般的な対策は当事者はすでに施していたと思います。私もそうでした。

パンダさんがアドバイスなさる場合は本人からの質問があった時に答えるだけで良いと思います。
基本的には「そういった現実もあるんですね」的なニュアンスの言葉を一言返すくらいが無難だと思います。

興奮気味に訴えてるアスペがいたら、「愚痴をはいてるのか?アドバイスを求めてるのか?」と聞いてみる。
アドバイスも「すでに試した(他に対策ありますか?との意味)」と言われるのであれば、きっぱり「すみませんが、私にもこれ以上はどうして良いか分かりません(お役に立てなくてすみませんでは伝わりにくい)」と答える。
「あなたはアドバイスしても、試したばっかり言ってるわね」と言うと、「今まで努力してきたのに何が分かるのよ!」と反発されて逆効果。

>ほっといてほしいなら黙っていたら問題はなかったのに何故わざわざそこに言うのか?

パンダさんの記事に目が行き、単純に記事に対して意義を申し立てをしたのだと思います。
例えば「第一印象でバカにされるからアスペ定型以前の問題だ」と鶏さんが言ったのに対し、「顔形ではなく、雰囲気次第で変わる」とパンダさんが答えてましたが、それも当時者からしたら「言われなくても十分に分かっています」。
あすなろさんが化粧とかのアドバイスをなさってましたが、「すでに試しています」。
最初からにわとりさんはパンダさんやこちらの定型の方に憤りを示したわけではないんだと思います。
様々な対策を施しても効果がなく、排除され続ける当時者の現実があるから、どうにもならない理不尽さと怒りを抱えるしかないのですが、パンダさんの記事は(大体は当たっていますが)一部外れている部分があるから異議申し立て(中傷ではなく、当事者によってはこういった現実もあるとのにわとりさんの書き込み)をしたら、パンダさんも他の定型の方々もそれを理解しようとせず、当時者がすでに試したアドバイスをするから困惑したのだと思います。

それでもにわとりさんは困惑しながらも、定型の方々には礼儀として「ありがとう」とお礼をおっしゃっていました。

なのに「せっかくアドバイスしたのににわとりさんは文句ばっか!」と言うから、にわとりさんや当時者の方々が腹を立てたのだと思います。
さらにはコクーンさんから「にわとりさんの言うことは本当なの?あなたにも原因はなかった?」などの書き込みまで見られたからにわとりさんも怒るのは当然ではないでしょうか。

もちろんにわとりさんも言い過ぎた部分はたくさんあります。
しかしにわとりさんや当事者の方々を怒らせたのは一部の定型の方々の対応にも原因があります。

なのにパンダさん達が「にわとりさん一人が問題を起こした」という扱いをするのは私も違うと思います。

>最初から何も言わなければ問題が起こらないと思うので、そこがすごく不思議でとまどうところなんですね

パンダさんには申し訳ないですが、「にわとりさんが一人で問題を起こした原因」といわれているようにしか感じませんでした。

アスペによってはパンダさんのご意見に賛同なさる方もいらっしゃると思いますが、私から見れば、一部の方のニワトリさんに対する間違った見方や非難がにわとりさんを傷つけ、荒れる原因になったと思っています。

誤解があるのであれば、のえるさんのお返事をなさるときにパンダさんのご意見をお願いします。

りなこさん

 いろいろありがとうございます。もちろん私の言いたいことがうまく伝わっていないと思うところはすごくたくさんありますが、それはそれとしてとても勉強になります。

>パンダさんがアドバイスなさる場合は本人からの質問があった時に答えるだけで良いと思います。基本的には「そういった現実もあるんですね」的なニュアンスの言葉を一言返すくらいが無難だと思います。興奮気味に訴えてるアスペがいたら、「愚痴をはいてるのか?アドバイスを求めてるのか?」と聞いてみる。アドバイスも「すでに試した(他に対策ありますか?との意味)」と言われるのであれば、きっぱり「すみませんが、私にもこれ以上はどうして良いか分かりません(お役に立てなくてすみませんでは伝わりにくい)」と答える。「あなたはアドバイスしても、試したばっかり言ってるわね」と言うと、「今まで努力してきたのに何が分かるのよ!」と反発されて逆効果。

 ここは特に具体的で私にもわかりやすかったです。ほかのアスペの方(リアルに接触のあった方)についても、長年かかえていた疑問がようやく解けてきました。

 またいずれ改めて記事にしたいと思いますが、そういうコミュニケーションの姿勢は定型的には全く完全に誤解を生みます。これは似たような事例について、ほかの何人かの定型の人に尋ねても私と全く同じ理解でしたから、たぶん定型のほうはかなり安定して、ごく普通にそうなのだと思います。そういう考え方をリアルな場で(特に相手と真剣にかかわろうとすればするほど)定型の側が思いつくのは、ほとんど不可能に近いくらいむつかしいのではないかと感じます。人として大事だと信じている生き方を根底から否定されるくらいのショックです。

 そういうずれが大変な悲劇を生みます。定型はそのアスペの方の発想を相当深刻に受け止める必要があると同時に、アスペの方はそういう姿勢は完全に誤解されてしまうという厳しい現実は知っておいたほうが安全だと思います。これはお互いにそういうことだと思いますね。ほんとに悲劇です。

 いやあ、ほんとに壮絶なことだなと、やや絶句。ただ、絶句した後、ある種の踏ん切りはつきそうですが。

 

パンダさん

パンダさんの意見ににわとりさんが「違うよ。当事者がかか右手いる事情は※▲□◆※▲□◆…」と一生懸命話してるのだろうとの感覚でした。
にわとりさんが抱えきれない怒りを掲示板で話していた理由については人の姿が見えないからとは言え、掲示板を私物化(一人言のように掲示板で叫んでいた)していたのはにわとりさんの落ち度もあります。
定型の方からは「声をかけてほしいんだ」と勘違いされる可能性はあると思いますね。

パンダさんはショックを受けてましたが、逆に私からしたら落ち込んでいる人を見てもどうして良いかわからないです。
よかれと思ってかけた言葉が逆効果もありましたし、落ち込んでいる人との関係や境遇、タイミングなどもあるでしょうし、自分ならほっといてほしいから相手に立って考えて言葉を話すのは難しいです。
昔お付き合いしていた人も声かけで励まされるタイプでしたが、その辺も上手くいかなかった理由のひとつです。
友人や知人や職場ともなるとまた違った対応や言葉かけだったりしますからなかなか難しいですし、ある本には大切な人を亡くした人や災害にあった人には、同じ経験に遭ってない者からの言葉は逆に傷つけてしまうかもしれないので、「何と言って良いのかわかりませんが…」と言葉を濁すか、何も言わずに知らないふりをして過ごします。

難しいですね。

りなこさん

 ほんとにそうですね。とにかく「人に話をする」ということの意味がものすごくずれてしまっているみたいで、たとえて言えば「このリンゴ酸っぱいよね」と言われて、実はそれがその隣にあるみかんを指して「このミカン甘いね」と言っていたのだった、とあとからわかるというくらいにほんとにむつかしいことです。

 そこまでお互いの言葉の意味が違ってしまっていれば、お互いに誤解が生まれるのも当然ですよね。それこそ、りなこさんが上のように書いてくださったことについて、私がこうやって私の感じたことを書くこと自体、それって求められているの?返事をする必要ってあるの?ということがわからないということにもなります。

 ただ、そこまで言い出すと、もう話をすることが全部不可能ということになってしまいますから、問いかけがあればできるだけ自分なりにこたえる努力はする、それでずれが起こるときには調整する努力をする、ということしか、方法は見つかりません。

 それでうまくいく場合、人もあるし、うまくいかない場合や人もある。そういういろんな可能性も常になくなりようがないですよね。その都度ひとつひとつ学んで工夫していくしかないよなあと思います。

 とりあえず私のほうとしては「難しいですね。」という「理解」が共有されたことで一つの大事なステップができたと感じるのですが、ただこれについてもしばしばアスペの方は「難しい」という、ある意味否定的な結論が共有されて、なんでそれでよかったという話になるのかがわからない、と感じられる方もあるようで、そこもまた「むつかしい」ところですが ('◇')ゞ

 定型的には「こういう問題、こういう困難がここにある」という理解が共有されることは、「じゃあそれをどうしたらいいか一緒に考えていけますね」という前向きの姿勢がそこから共有されるきっかけになる、と感じられるので、プラスの評価になるのですね。

 マイナスを共有することはプラスに移るきっかけになる。そういうの、定型的な関係では多いです。

 ちなみに「何と言ってよいのかわかりませんが…」ということ、それもその姿勢自体が相手の人の支えになる場合もあると思います。「私にはどうする能力もないのだけれど、あなたのことを心配しているし、もしできることが見つかればあなたの役に立ちたい」という気持ちの表現にもなりうるので、それは相手にとってはうれしいことになる(こともある)。ただ、それを「気持ち」だけで「具体的には何もない」と考えると、「意味がない」という評価も出てくると思います。定型同士でも「あの人の言うことは口だけで中身がない」と感じられればそういう評価になりますが、アスペの方はそういうふうに感じられる方や場合が多いのかなというのが私の印象です。

パンダさん

分かりにくくて大変失礼しました。

前回のコメントについては、私がパンダさんの返事にコメントしたので、お返事がいらないわけでも、特に求めているわけでもどちらでもありませんでした。
パンダさんが感じたことを書いたり、私に言いたいことがあったら書くのかなという認識でした。今回も同じです。

ただ、一般的な話をした時に間違いがありましたら「ここは違います。こういう意味ですよ」と訂正してくださるとありがたいです。
ややこしいですね。

>私がこうやって私の感じたことを書くこと自体、それって求められているの?返事をする必要ってあるの?ということがわからないということにもなります。
「お返事いりません(パンダさんが書きたいか書きたくないかそちらの選択に任せますよ)。」「この部分とこの部分は答えて頂けませんか。」などと相手に分かりやすく言わないと、相手から見れば、コメント返しを望んでいるのかすらわからなくなってしまいますね。
時間はかかるけど、どうしてほしいのか逐一話す、聞く、これらをお互いに身につけた方がないですね。

普段の生活では家族や親友が落ち込んでいてもほっておきます。
向こうも私が鈍いことはわかっているため、何かあった時には向こうから話してきます。
その時は共感も否定もせず、ただ話をひたすら聞くだけです。
逆に私は友人や家族にはあまり愚痴や相談ごとなどを言うことはないです。
友人や家族は専門家ではないし、共感もらっても問題は解決しないので。
ただアスペ定型の問題から相談をせざるを得ない時があれば、支援者に相談して解決法を求めることはあります。
どうにもならないことがあれば、諦める方向で、自分一人で処理します。

>マイナスを共有することはプラスに移るきっかけになる。そういうの、定型的な関係では多いです。

おそらくですが、アスペの場合は相手から「前提の違いの調整からしないといけない、マイナスからのやり取りをしないとならないから面倒で厄介だ!」とか「あなたが頭がおかしいから人とは前提がちがうのね」などと否定的な見方やイライラした態度を取られるからマイナスにとらえてしまうのだと思います。

また自分が悪いとか足手まといだと感じてる当事者は多いので、相手に迷惑かけてるとか相手を悲しむ顔を見ると罪悪感を感じてしまう人もいると思います(でも一人にしてほしいなどといったアスペ的な感覚は捨てられない)。

>「あの人の言うことは口だけで中身がない」と感じられればそういう評価になる

私のことですね。

例えば落ち込んでる人がいるなら心配したふりだけではなく、食事に連れていっておごってあげた上で、相手が元気付くような話や共感を見せないといけないでしょうし、皆がいやがる雑用とか仕事を沢山やって相手の負担を大幅に軽減する。
友人が車をパンクさせたなら修理が得意であればそこまで行って無償で治す。
近所の雨戸が壊れたなら自ら無償でなおしに行くとか。
「気持ち+『行動』」がなる』ないといけないのでしょうね。

私は食事をごちそうするなどの経済的な余裕がなく、人の話を聞くくらいしかできない(共感はしないです。ただ話を聞くだけです)。
人の話を聞くことも、自分の仕事や生活が忙しかったり、(体力を回復させるのに時間がかかるので)睡眠を優先させたい時には落ち込んでる友人の話を聞く余裕かもないこともあります。

親友ではない友人であれば、困ってる人や落ち込んでる人がいても「大変ね…」と言うだけです。利用されるのは嫌なので『話を聞く姿勢を持つ』だけです。
(経済的な余裕があった場合でも)家族や親友には食事をごちそうするなどの『行動』には移しますが、同僚や後輩には利用されたくないので、ごちそうするなどの『行動』には移さないです(ごちそうするなどの『行動』を一度でもすれば、「やって当然」のような態度を取られた苦い経験が沢山あるために親しい人以外には『行動』には移してません)。
(まず直す技術はありませんが、仮にあったとしても)知人の車とか近所の雨戸を直すとかも、(人から「やって当然」のような振る舞いをされて利用される経験が過去に多かったので)、私を利用しようと考えていない友人や彼、家族以外のものは一切直さない、『行動』は移しません。

他のアスペの方はそうではないと思いますが、私の場合は「口だけで行動しない」「人に冷たい」と思われてるかもしれませんね。

りなこさん

 りなこさんのコメントを拝見していると、私の感じ方としては基本的に応答を「半ば」求めているという印象が出てきます。強要している感じはしません。ただ、そう感じる私の感じ方がずれてないかどうかは気になる、そんな感じですね。

 ということで、私が触発されることについて、少し書きたくなったので書きますね。

>おそらくですが、アスペの場合は相手から「前提の違いの調整からしないといけない、マイナスからのやり取りをしないとならないから面倒で厄介だ!」とか「あなたが頭がおかしいから人とは前提がちがうのね」などと否定的な見方やイライラした態度を取られるからマイナスにとらえてしまうのだと思います。

 なるほど。そもそも定型の側が常にアスペの方とのやりとりについて否定的な態度で来られるので、相手(定型)に対して態度がマイナスになりやすい、という意味ですよね?それは定型同士でも相手からそういう態度をとられればマイナスの態度になると思うので、そのこと自体はわかる気がします。

 それはそれとして、私が「マイナスを共有することはプラスに移るきっかけになる。」と書いたのは、「むつかしいね」というように、「相手に対するマイナスの評価」ではなくて、「その事態に対するマイナスの評価」が語られた場合のことでしたので、少し違うポイントかもしれません。

 その二つの違いはこんな感じです。

① 「お互いに話が通じない」 → 「相手が悪い」(相手に対するマイナスの評価)
② 「お互いに話が通じない」 → 「自分と相手と、どちらもお互いを理解できなくて苦労している」(相手に対するプラスの評価)

 ①の場合はけんかになるか物別れになる。②の場合は、「お互いに理解しようと頑張っているんだけど、なかなかその努力が実を結ばないね」という、その「頑張っている姿勢」」をお互いに認め合っている感じが生まれるので、相手を否定する感じにはならず、けんかに進まないことになります。私が考えてみたかったのは②のほうの場合で、定型間では「むつかしいね」といったマイナスの言葉が比較的スムーズにそういう感じで進みそうな場合でも、アスペの方とはそういかない場合が多そうだ、というそのあたりのことです。


>また自分が悪いとか足手まといだと感じてる当事者は多いので、相手に迷惑かけてるとか相手を悲しむ顔を見ると罪悪感を感じてしまう人もいると思います(でも一人にしてほしいなどといったアスペ的な感覚は捨てられない)。

 ここのところはとても興味があります。その「罪悪感」がなぜ起こるのかというところですね。もし相手のことがどうでもよくて、関心もないのだとすれば、どうなろうと罪悪感は生まれないように思います。それが生まれるということは、「本当はそれではいけない(この場合で言えば相手を悲しませてはいけない)」のに、それができない、という気持ちを持つからですよね?

 そうすると、やっぱりアスペの方(あるいはりなこさん)にはその方なりの「人に対する態度はこうあるべきだ」という考え方があるわけですよね。理想的な人間関係の作り方というのか。今のところわたしがなんとなく感じるのは「相手が喜んでくれるのはうれしい(できれば相手に喜んでもらえるようなかかわりはしたい)」ということと「相手を悲しませたくはない」というような、ごく大雑把なところでは、定型もアスペも違いはないのかなということくらいまでです。

 このあたりも同じ定型、同じアスペといっても個人差もすごくありそうなので、ちょっとむつかしいですが、もう少し細かくその共通点と違いが分かってくると、定型アスペの関係の調整がやりやすくなっていくのではないかと思うので、興味があります。

>>「あの人の言うことは口だけで中身がない」と感じられればそういう評価になる」
私のことですね。

 私自身は定型の話として書いたので、りなこさんがそうであるかどうかは何も考えていませんでした。

>利用されるのは嫌なので『話を聞く姿勢を持つ』だけです。

 この、ただ話を聞くだけ、という姿勢は本のインタビューで伸夫さんも生徒を相手にするときの態度として語られていました。結果としてそれが子どもとってすごくありがたい態度になっていて、私は「まるでカウンセラーみたい」と感じたところでもあります。

 伸夫さんの場合はそこで「利用されるのは嫌なので」というような理由は語られておらず、基本的にはその態度は肯定的に語られているのかなと思いました。もしそうだとすると、りなこさんが「利用されるのは嫌なので」と書かれるのは、「話を聞くだけ」という態度の一番の原因というより、もともとそういう姿勢になりやすいところで、「利用される」経験を繰り返し受けてしまったために、その意識が強まったのかなと、そんな風に想像しました。

 同じアスペの方でも個人差がすごく大きいわけですが、そういう個人差ができる理由のひとつに、やっぱりそれまでの経験の違いがすごく効いているんだろうなと、改めて感じています。

>他のアスペの方はそうではないと思いますが、私の場合は「口だけで行動しない」「人に冷たい」と思われてるかもしれませんね。

 やっぱり思うのは、アスペの方は定型から理解されにくい部分が多いので、否定的に対応されることが多くなる結果、周囲に対して警戒心を持たなければ身が持たない、という状況に置かれやすくなり、その姿勢がまた定型から「あいつは態度が悪い」と思われてしまって関係がさらにむつかしくなる、という「悪循環」があるのだろうということです。

 この悪循環をうまく良い方向に変えていくにはどうしたらいいのか、それが大きなテーマなのかなと思います。

パンダさん

あけましておめでとうございます。

>りなこさんのコメントを拝見していると、私の感じ方としては基本的に応答を「半ば」求めているという印象が出てきます。

「半ば」とは強引にということでしょうか?強引に求めているわけではないのですが。


ただ、定型とうまく関係が築けたことがないですから、私の反応をパンダさんがどう感じるか(答えるのか)どこかで気になっているのかもしれませんね。
共感とかではなく、定型の方の反応がどうなのかということです。

>私が考えてみたかったのは②のほうの場合で、定型間では「むつかしいね」といったマイナスの言葉が比較的スムーズにそういう感じで進みそうな場合でも、アスペの方とはそういかない場合が多そうだ、というそのあたりのことです。

なるほど。パンダさんは②に関しての部分を仰っていたんですね。
あくまで私の場合はですが、①のパターンしか経験になかったので、②についてもマイナスのイメージを持ってしまったのかもしれませんね。

>「本当はそれではいけない(この場合で言えば相手を悲しませてはいけない)」のに、それができない、という気持ちを持つからですよね?

例えば「気を使って励ましてくれた」場合、「それに応えられない罪悪感」というより、「気を使って励まそうとしている状況を作ってしまっている罪悪感」を感じるんです。
失敗続きで人の役に立てず、人のフォローなしには何もできない引け目。
それで落ち込んでる私を見て周りが励ましの言葉を入れてくるわけですが、さらに「自分は励ましを入れられるほど何もできないんだな」と思い知らされ、さらに落ち込むんです。
本当は一人で殻に閉じこもって、ほっといてほしい。
罪悪感を感じるのは、相手の励ましに応えられない(でも本音はほっといてほしい)とのジレンマではなく、「相手にフォローをさせてしまっていることへの罪悪感」です。
励ましの言葉があっても、失敗続きの私のフォローをして相手の顔が疲れているのは見え見えです。
そこで自己嫌悪になるんですね。
はっきりした気の強い人は「あなたに励ましの言葉まで入れないといけないからよけいに疲れるわ!」と言ったり、そういった陰口を叩かれたりします。
私はそこで「上手くできるあなた達に発達障害の何が分かるのよ」と腹が立ち、一方で人に迷惑かけることしかできない自分に対して怒りを感じ、複雑な思いになります。

励ましの言葉を入れてくださる方の気持ちを損ねることになりますが、
「いくら羽を休めても、人の役に立てなかった現実は変わらない」ので、ほっといてほしいんですね。
励ましは「人の役に立てなかった傷に触れられて慰められてる」という、嫌な現実を思い知らされているような感覚になります。
コクーンさんの言葉も当事者によっては「障害を理解していない」と感じたり、プレッシャーを与えられてるように感じるだけでなく、当事者が「人の役に立てなかった」引け目を感じてる時に、コクーンさんの言葉は「本来は根性次第で乗り越えられる問題」だと言われてるように感じ、ますます「自分はだめな人間なんだ」と感じることも理由にあると思います。
トマトさんが「励ましてくれた人に感謝しない」との言葉を言って、一部の当事者から非難されたのもこういった背景があるからだと思います。
誰だって本来なら「社会適応できるようになりました!ありがとうございます」とコメント返したいと思いますから。
したくても出来ないから言われるのは悔しいです。
一部当事者も決して意地悪だけで辛辣な言葉を投げ掛けたわけではないと思います。


>このあたりも同じ定型、同じアスペといっても個人差もすごくありそうなので、ちょっとむつかしいですが、もう少し細かくその共通点と違いが分かってくると、定型アスペの関係の調整がやりやすくなっていくのではないかと思うので、興味があります

アスペの特性や抱えている問題(定型側にも言えるでしょうか?)もあると思います。
例えば「社会復帰したいのに「少なくとも経済的には」人のお世話にならないと生きていけない状態」にある人は、その引け目はいくら定型側の理解や共感があっても本人は救われません。かといって叱咤激励や努力不足と言うのもだめ。本人次第ですね。
お互いの精神状態の余裕と心の広さがあることが前提だと思います。

>同じアスペの方でも個人差がすごく大きいわけですが、そういう個人差ができる理由のひとつに、やっぱりそれまでの経験の違いがすごく効いているんだろうなと、改めて感じています。

そうですね。伸夫さんのケースは「パシりには使われていない」印象ですから私も否定的には感じません。
あとは「先生」という立場で「生徒」の話を聞いているのもあると思います。
私は(障害雇用ですが)デイサービスの見守りをしていますが、「職員」の立場で「利用者さんの話を聞く」のは苦痛ではありません。

友人や知人といった「対等」な立場でも話を聞くことが嫌だったわけではありません。相手のために何かすることも嫌ではありませんでした。
高校時代は友人の話をひたすら聞くだけでしたが、「りなこは優しいね」とよく言われてました(この時言われたのはおそらく文字通りの意味だと思うのですが)。
当時はコミュ障で気が合う人が多かく、コミュ障ではない生徒や教師も優しい人ばかりだったので、私が困った時にも助けてくれたり、利用されることはありませんでした。

私が冷たくなったのは、社会に出てからです。
友人、知人など「対等」な関係のはずの人から、一方的に話を聞かされ続けたからです(逆に人の話は聞こうとしない)。
中には「話を聞くだけでは意味がないのよ。元気づけてあげたいなら行動も必要なのよ」と言われ、食事をおごったり、変わりに用事をするなどの行為が大事なんだと言われたことがあります。
さらにはこちらの金銭事情や忙しいことも考慮しない人もいました。
利用されてるようにしか感じられなかったので、「私のことも考えてくれて、対等に接してくれる友人」のみの話しか聞かないことにしています。
しかし伸夫さんや他のだったらどうか分かりません。
発達障害だからではなく、私は見返りを求めるので、見返りを求めない行為をできるほど心優しくはなれませんでした。

それともパンダさんは「りなこは話を聞く姿勢に対して否定的な考えだ」との意味で仰ってますか?

昔、父が不倫をしていたことがありました。結果的に母のところに戻りましたが、私は今でも父と愛人が許せずにいます。
定型の妹は父が不倫した傷は消えることはないけど、カウンセラーや彼氏に共感をしてもらうことで気持ちが軽くなったと話してました。
しかし、私はカウンセラーや付き合っていた彼に共感を受けても気持ちは変わりませんでした。父が不倫した事実は消えないからです。
話を聞いてもらうだけでは意味がないと考えるのは、私自身が共感によって癒されないからかもしれませんね。

>やっぱり思うのは、アスペの方は定型から理解されにくい部分が多いので、否定的に対応されることが多くなる結果、周囲に対して警戒心を持たなければ身が持たない、という状況に置かれやすくなり、その姿勢がまた定型から「あいつは態度が悪い」と思われてしまって関係がさらにむつかしくなる、という「悪循環」があるのだろうということです。

すみませんが、これはどういうことでしょうか?

りなこさん

 あけましておめでとうございます。

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>りなこさんのコメントを拝見していると、私の感じ方としては基本的に応答を「半ば」求めているという印象が出てきます。

「半ば」とは強引にということでしょうか?強引に求めているわけではないのですが。
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 やはり一つ一つの言葉の受け取り方がすごくずれやすいんだということを改めて思いました。私が書いた部分には強引という意味は全くありません。その文章のすぐ後に「強要している感じはしません。」と書いているので、そういう誤解はないだろうと思ったのですが、そういう小さなところでお互いの理解がずれてしまうようですね。 丁寧にずれの可能性を考える必要があるなと思います。

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ただ、定型とうまく関係が築けたことがないですから、私の反応をパンダさんがどう感じるか(答えるのか)どこかで気になっているのかもしれませんね。
共感とかではなく、定型の方の反応がどうなのかということです。
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 お互いに小さな誤解が積み重なる可能性を慎重に考えないと、思いもしないところで関係がおかしくなってしまうのだろうと思います。「変だな」と思ったら聞いて確かめるしかないかもしれないですね。

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>私が考えてみたかったのは②のほうの場合で、定型間では「むつかしいね」といったマイナスの言葉が比較的スムーズにそういう感じで進みそうな場合でも、アスペの方とはそういかない場合が多そうだ、というそのあたりのことです。

なるほど。パンダさんは②に関しての部分を仰っていたんですね。
あくまで私の場合はですが、①のパターンしか経験になかったので、②についてもマイナスのイメージを持ってしまったのかもしれませんね。
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 やはりそうだったんですね?そういうことなら私にもわかりやすくなります。

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>「本当はそれではいけない(この場合で言えば相手を悲しませてはいけない)」のに、それができない、という気持ちを持つからですよね?

例えば「気を使って励ましてくれた」場合、「それに応えられない罪悪感」というより、「気を使って励まそうとしている状況を作ってしまっている罪悪感」を感じるんです。
失敗続きで人の役に立てず、人のフォローなしには何もできない引け目。
それで落ち込んでる私を見て周りが励ましの言葉を入れてくるわけですが、さらに「自分は励ましを入れられるほど何もできないんだな」と思い知らされ、さらに落ち込むんです。
本当は一人で殻に閉じこもって、ほっといてほしい。
罪悪感を感じるのは、相手の励ましに応えられない(でも本音はほっといてほしい)とのジレンマではなく、「相手にフォローをさせてしまっていることへの罪悪感」です。
励ましの言葉があっても、失敗続きの私のフォローをして相手の顔が疲れているのは見え見えです。
そこで自己嫌悪になるんですね。
はっきりした気の強い人は「あなたに励ましの言葉まで入れないといけないからよけいに疲れるわ!」と言ったり、そういった陰口を叩かれたりします。
私はそこで「上手くできるあなた達に発達障害の何が分かるのよ」と腹が立ち、一方で人に迷惑かけることしかできない自分に対して怒りを感じ、複雑な思いになります。
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 とてもリアルな説明で、そういうことならばなぜ罪悪感になるのか、私にも理解ができる感じがします。

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励ましの言葉を入れてくださる方の気持ちを損ねることになりますが、
「いくら羽を休めても、人の役に立てなかった現実は変わらない」ので、ほっといてほしいんですね。
励ましは「人の役に立てなかった傷に触れられて慰められてる」という、嫌な現実を思い知らされているような感覚になります。
コクーンさんの言葉も当事者によっては「障害を理解していない」と感じたり、プレッシャーを与えられてるように感じるだけでなく、当事者が「人の役に立てなかった」引け目を感じてる時に、コクーンさんの言葉は「本来は根性次第で乗り越えられる問題」だと言われてるように感じ、ますます「自分はだめな人間なんだ」と感じることも理由にあると思います。
トマトさんが「励ましてくれた人に感謝しない」との言葉を言って、一部の当事者から非難されたのもこういった背景があるからだと思います。
誰だって本来なら「社会適応できるようになりました!ありがとうございます」とコメント返したいと思いますから。
したくても出来ないから言われるのは悔しいです。
一部当事者も決して意地悪だけで辛辣な言葉を投げ掛けたわけではないと思います。
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 とても分かりやすい説明で、私にも書かれたことはよく理解できる気がします。

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>このあたりも同じ定型、同じアスペといっても個人差もすごくありそうなので、ちょっとむつかしいですが、もう少し細かくその共通点と違いが分かってくると、定型アスペの関係の調整がやりやすくなっていくのではないかと思うので、興味があります

アスペの特性や抱えている問題(定型側にも言えるでしょうか?)もあると思います。
例えば「社会復帰したいのに「少なくとも経済的には」人のお世話にならないと生きていけない状態」にある人は、その引け目はいくら定型側の理解や共感があっても本人は救われません。かといって叱咤激励や努力不足と言うのもだめ。本人次第ですね。
お互いの精神状態の余裕と心の広さがあることが前提だと思います。
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 つまり、「引け目を感じる」というところが重要なポイントなのですね?

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>同じアスペの方でも個人差がすごく大きいわけですが、そういう個人差ができる理由のひとつに、やっぱりそれまでの経験の違いがすごく効いているんだろうなと、改めて感じています。

そうですね。伸夫さんのケースは「パシりには使われていない」印象ですから私も否定的には感じません。
あとは「先生」という立場で「生徒」の話を聞いているのもあると思います。
私は(障害雇用ですが)デイサービスの見守りをしていますが、「職員」の立場で「利用者さんの話を聞く」のは苦痛ではありません。

友人や知人といった「対等」な立場でも話を聞くことが嫌だったわけではありません。相手のために何かすることも嫌ではありませんでした。
高校時代は友人の話をひたすら聞くだけでしたが、「りなこは優しいね」とよく言われてました(この時言われたのはおそらく文字通りの意味だと思うのですが)。
当時はコミュ障で気が合う人が多かく、コミュ障ではない生徒や教師も優しい人ばかりだったので、私が困った時にも助けてくれたり、利用されることはありませんでした。
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 なるほど。りなこさんも優しいと思われ、またりなこさんの周囲の方も、りなこさんから「やさしさ」を感じられる方たちだったんですね?ということは定型アスペ間でも「やさしい」関係は作れるわけですね?

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私が冷たくなったのは、社会に出てからです。
友人、知人など「対等」な関係のはずの人から、一方的に話を聞かされ続けたからです(逆に人の話は聞こうとしない)。
中には「話を聞くだけでは意味がないのよ。元気づけてあげたいなら行動も必要なのよ」と言われ、食事をおごったり、変わりに用事をするなどの行為が大事なんだと言われたことがあります。
さらにはこちらの金銭事情や忙しいことも考慮しない人もいました。
利用されてるようにしか感じられなかったので、「私のことも考えてくれて、対等に接してくれる友人」のみの話しか聞かないことにしています。
しかし伸夫さんや他のだったらどうか分かりません。
発達障害だからではなく、私は見返りを求めるので、見返りを求めない行為をできるほど心優しくはなれませんでした。
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 「見返りを求める」=「対等」ということですね?わかりやすいです。
 それにしても高校時代とその後と、ほんとに大きく異なったわけですね?それがりなこさんの態度の変化に影響しているのだとすると、そのこともとても分かりやすいです。

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それともパンダさんは「りなこは話を聞く姿勢に対して否定的な考えだ」との意味で仰ってますか?
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 「利用されるのは嫌なので『話を聞く姿勢を持つ』だけです」と書かれていたので、りなこさんにとっては話を聞くということはマイナスのイメージなのかなと想像したと思います。

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昔、父が不倫をしていたことがありました。結果的に母のところに戻りましたが、私は今でも父と愛人が許せずにいます。
定型の妹は父が不倫した傷は消えることはないけど、カウンセラーや彼氏に共感をしてもらうことで気持ちが軽くなったと話してました。
しかし、私はカウンセラーや付き合っていた彼に共感を受けても気持ちは変わりませんでした。父が不倫した事実は消えないからです。
話を聞いてもらうだけでは意味がないと考えるのは、私自身が共感によって癒されないからかもしれませんね。
============================

 共感によって癒されるかどうか、ということについて、アスペだから癒されない、ということはなさそうな気がしています。なぜならこの場でも、アスペの方同士で理解されて救われたというようなことを書かれる方が何人かいらしたと思うからです。私のパートナーにしても、共感に意味を感じないというのではなく、求めてもなかなか得られないからあきらめて拒否的になっているところがあるような気がします。

============================
>やっぱり思うのは、アスペの方は定型から理解されにくい部分が多いので、否定的に対応されることが多くなる結果、周囲に対して警戒心を持たなければ身が持たない、という状況に置かれやすくなり、その姿勢がまた定型から「あいつは態度が悪い」と思われてしまって関係がさらにむつかしくなる、という「悪循環」があるのだろうということです。

すみませんが、これはどういうことでしょうか?
============================

「アスペの方は定型から理解されにくい」
    ↓
「定型がアスペの方を誤解して、アスペの方を批判的に見るようになる」
    ↓
「定型から批判され、否定されることが多くなるので、アスペの方は定型に対して警戒心を持たざるを得なくなる」
    ↓
「アスペの方が警戒心をもって接してくるので、定型の側はアスペの方に対する印象が悪くなり、さらにアスペの方を非難するようになる」
    ↓
「定型からさらに批判され、否定されることが多くなるので、アスペの方は定型に対して警戒心を強めざるを得なくなる」
    ↓
「アスペの方がさらに強い警戒心をもって接してくるので、定型の側はアスペの方に対するもっと印象が悪くなり、さらにアスペの方を強く非難するようになる」
    ↓
   以下、その繰り返し

 という悪循環です。

りなこさんの言葉と被りますが、アスペの絶望感って、言葉や共感で救われないくらいに絶望感を感じてるんだと思います。

例えばアフリカの飢餓状態のところにいたとします。
「食べ物がなかなか手に入らなくて辛いんだね」と共感されても救われないですよね?「同情するなら食べ物をくれ(昔流行ったドラマの台詞ですが)」と思いますよね。
極端だけど、言葉なんて何の救いにもならないくらいに深刻です。
アスペの立場からすれば「共感はいらないからまともな脳を下さい」ってことなんですね。
絶望状態のにわとりさんを救える人は誰もいなかったんだと思います。

しかし絶望状態のにわとりさんを救えなかったとしてもそれは誰のせいでもないし、にわとりさんが泣こうがわめこうが誰かに絡んで八つ当たりしようがほっとくしかない。
八つ当たりされて迷惑を被ったならそいつを訴えるとか距離を置くしかない。
カサンドラに陥ってる定型の方が「ASの配偶者を救えなかった」と自責していた方がいましたが、その定型さんのせいでもない。

絶望に陥ったアスペを救う手立てはなく、本人が一人で苦しみながら這い上がるか、精神を病んだまま生きるか、最悪は自殺しか本人が救われる手立てはないのかもしれません。

パンダさん達も私もこの世の中を今すぐ変えられるわけではありません。
にわとりさん本人、アスペ本人の問題としてほっとくしか手立てはないんだと思います。

酷い言い方ですが、アスペ当事者の一人としての経験談としてお聞き願えたらと思います。

仮ににわとりさんが自殺の選択をしたとします。
しかし自殺の選択しか本人には救われる道はなかったということだと思います。
仮に自殺を止めることは本人からすればおせっかいかもしれない。「自殺を止めるくらいならあなたの健康な脳と変えてよ」と思う人もいるかもしれません。

恐ろしい話をしていると思いますよね。こんな話引きますよね。
しかし絶望の淵に立たされた当事者にとっては、家族や恋人の存在も、カウンセラーも、他者からの共感などが薬とならないくらいに、報われない現実の方が強かったということです。
それだけこの世の中に、何より自分自身に絶望していたということだと思います。

トマトさんの最初のコメントは、自殺したいくらいに追い込まれた当事者にとっては「あなたに何が分かる!」との反感を抱くだけです。
にわとりさんがたとえ表面的でも「ありがとう」と言ったのは定型の方々に対する精一杯の礼儀や感謝の表しであり、同時に「私にはこれ以上構わないで下さい」とのメッセージでもあったのだと思います。

にわとりさんはありがとうと言葉を述べても、他の方からの励ましに応えようとしたり、元気になる姿も様子もなく、現状に対する恨みや不満、絶望感ばかりを口にしているから、叩かれたのだと解釈しますが(トマトさんの最初の批判的なコメントもこれが理由だと思いますが)、お互いに噛み合わなかった感じですね。

そしてにわとりさんは「現在この心境だということをわかってほしい。共感してほしい」との思いもあったのだと思います。掲示板に自分の思いを書いたのはそれが理由だと思います。
だからといって、皆様に共感してほしいわけではなく、批判もせず、ただ黙って見守ってほしかったのだと思います。
仮に自殺を選択したとしても(にわとりさんが自殺を選択したという意味ではないです。今ごろ何をされているのかも私にはわかりません。)。

私の経験談なので、にわとりさんが同じ心境とは限らないですけどね。

おはようございます。
前にも同じ話があったこと忘れて、また同じ話をしてしまっていました。

サロマさん

>アスペの絶望感って、言葉や共感で救われないくらいに絶望感を感じてるんだと思います。

 この深刻さは経験していない人にはなかなか理解してもらいにくい部分だと思います。私も自分の経験から想像して実感できる範囲では理解しますが、それを超えると頭で考えるしかなくなりますから、「ぴんとこない」という状態になりますね。

 定型アスペ間はどちらから見ても同じことが起こりますので、「相手が理解してくれない」ということは「お互いにそうなんだ」ということを前提にして、それでも自分の想像力を少しずつ鍛えて、なんとか「理解」の範囲を広げて関係を変えていく、という努力しかないのだと思います。

 だからそこで自分本位の怒りに任せて関係を破壊するような言動は、この場では最もふさわしくないことだと思っています。にわとりさんは最後に個人の意見ではなくその破壊的な行動を他の人への呼びかけとして行ったので、断固たる対処が必要になりました。これはどんな理由があれ、この場では決して許されない行動です。

パンダさん

パンダさんから見た「にわとりさんの破壊的な行動」というのはどんなことですか?
念のため確認です。

それとにわとりさんが「障害を盾に甘えているのではないか」との発言に反論なさったことがありましたが、パンダさんや他の方(全員ではなかったとしても)は
「障害を盾に甘えていないか?など、にわとりさんの意にそぐわないことを言われたとしても、にわとりさんが反論するのは間違いだった。」
「にわとりさんはその言葉を素直に受け止めるべきだった。『忠告ありがとうございました』と感謝の気持ちを持つべきだった。」
「他者からのアドバイスに対し、すでにためした、~したけどだめだったなどの返しは問題」
だということをおっしゃっているのですよね。

掲示板が荒れたのはにわとりさんの攻撃性も問題だとは思いますが、「障害が原因で甘えているのではないか?」などと言われたことににわとりさんに反論した経緯があると思います。

にわとりさんは「障害について甘えているのではないか?」との意にそぐわないコメントがあっても、反論をするべきではなかった。
素直に受け止め、ありがとうございますと感謝するべきだった。
仮に傷ついても相手を許し、受け入れるべきだった。
そうおっしゃっているわけですよね?
トマトさんやにわとりさんを非難なさっていた方もそれをしなかったにわとりさんに怒っていたのもあるようにかんじます。

http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-af28.html#comment-113570188
http://communicative.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6961881

破壊的な行動についての一部はこちらで説明なされていましたね。失礼しました。
(ただ、のえるさんやりなこさん達のやり取りについて未だにご返答なされていないので、その続きを答えていただきたいとねがっております)

サロマさん

 ちょっと仕事のほうでバタバタしていますので,しばらくちゃんと応答できないと思いますが,ご容赦のほどを。

ご都合のほどを考えずに自分の都合を押し付けてしまいました。失礼しました。

サロマさん

 私の勝手な想像では,今サロマさんの中で何か新しい理解が生まれつつあるのだと思いますので,あせらずじっくりと考えていけばいいのではないでしょうか。

 なんにしてもしばらく応答が悪くなりますがご容赦のほどを。

サロマさん

>パンダさんや他の方(全員ではなかったとしても)は「障害を盾に甘えていないか?など、にわとりさんの意にそぐわないことを言われたとしても、にわとりさんが反論するのは間違いだった。」「にわとりさんはその言葉を素直に受け止めるべきだった。『忠告ありとうございました』と感謝の気持ちを持つべきだった。」「他者からのアドバイスに対し、すでにためした、~したけどだめだったなどの返しは問題」だということをおっしゃっているのですよね。

これは私の発言とほかの方の発言を一緒にされるのは困りますということをずっと言い続けてきていることなので,ここでも同じ応答になります。

>にわとりさんは「障害について甘えているのではないか?」との意にそぐわないコメントがあっても、反論をするべきではなかった。
素直に受け止め、ありがとうございますと感謝するべきだった。
仮に傷ついても相手を許し、受け入れるべきだった。
そうおっしゃっているわけですよね?

 そういう趣旨で発言された方もあったように思います。私ではないですが。

パンダさんは言っていないとの趣旨でしたね。失礼しました。

>にわとりさんは「障害について甘えているのではないか?」との意にそぐわないコメントがあっても、反論をするべきではなかった。
>素直に受け止め、ありがとうございますと感謝するべきだった。
>仮に傷ついても相手を許し、受け入れるべきだった。

この発言をなさった方には『利用者同士のやり取り』の範囲内として、仲介には入らなかったのだと思いますが、それに対するにわとりさんの反論はなぜ『ガイドラインに反する』と見なされたのでしょうか?
にわとりさんの反論が問題として、にわとりさんとの対話をなされたのでしょうか?
私から見れば、にわとりさんの反論も『利用者同士のやり取り』の範疇だと感じるので、にわとりさんの反論が問題視されたり、にわとりさんと掲示板でやり取りなさる経緯に至ることに疑問があります。

サロマさん

>それに対するにわとりさんの反論はなぜ『ガイドラインに反する』と見なされたのでしょうか?

 ?なんの話でしたっけ?
 最終的にガイドラインに反したのは前にも書いたように破壊的行動があったからですが、そのことではなく?

パンダさん

にわとりさんがトマトさんやコクーンさん達に対する反論をなさっていたことがありましたよね。
それもガイドラインに反しているとみなされたのは何故か?ということです。

サロマさん

 具体的にはどれをガイドラインに反しているとみなしていたという話でしょう?
 反論すること自体をガイドライン違反とすることはありえないので。

パンダさん

探して見当たったのは、こちらの最初のトマトさんのコメントに対し、次ににわとりさんの反論がありますよね。
これはただの反論であり、ガイドラインに反するとは思いません。

あとは二次障害が生まれる仕組みのコメントですね。
2015年6月30日 (火) 11時17分のコメントが中傷(ガイドライン違反?)とみなされるのは分かりますが。
2015年6月30日 (火) 12時56分はにわとりさんの反論であって、この部分はガイドラインに反するとは思いません。

サロマさん

 話が拡散しないようにひとつに絞ります。

> 探して見当たったのは、こちらの最初のトマトさんのコメントに対し、次ににわとりさんの反論がありますよね。これはただの反論であり、ガイドラインに反するとは思いません。

 どなたかそれをガイドラインに反するとどこかで主張されている,という意味でしょうか?

どなたかが明快な言葉でガイドラインに反しているとはおっしゃっていません。

例えばこちらの最初のコメントに対し、にわとりさんの反論があり、にわとりさんの反論に対して他の方から反論しないように言われ、(一時は収まったかのように見えたけど)後ににわとりさんが怒りをぶり返しました(どこの記事か見つかりませんでした)。
その後にパンダさんとにわとりさんのやり取りに至りました。

パンダさんがにわとりさんのやり取りをする経緯に至ったこと、パンダさんがにわとりさんにガイドラインに反したことは、このにわとりさんの反論がきっかけなのかなと思いました。


サロマさん

 なにか私にはよくわからない理解のされ方が一部の方に繰り返し発生しているようですね。

 そのパターンがかなり安定しているように思えるので,これは単に不注意という問題ではなく,なにか一種の法則性のようなもの,理解の仕方の安定した偏り方がそこにはあるのだと思います。

 そこが自覚されない限り,同じようなトラブルはずっと続くことでしょう。そのずれの仕組みを見出すことがこのブログの大きな役割だというのは,一貫した私の姿勢です。(ということ自体がうまく伝わりにくい方が一定程度いらっしゃるようですが,どう説明したらいいのかいまだによくわかりません。)

パンダさん

私の勘違いということを仰っているのでしょうか?

サロマさん

>パンダさんがにわとりさんのやり取りをする経緯に至ったこと、パンダさんがにわとりさんにガイドラインに反したことは、このにわとりさんの反論がきっかけなのかなと思いました。

 についてはそうだと思います。

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