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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年5月17日 (日)

わかったつもり

 このところしつこく中間領域とかキャラとかそのあたりにこだわって今まで感じてきたことをつなげてみて,それはそれでまた見えてくるものもありましたが,へたをすると抽象的に「頭で考える」「言葉の遊び」になってしまう危なさも気にはなります。

 やっぱり最終的には自分の生きている日々の生活の中で,何を作っていけるんだろう,ということが問題なわけですから,改めてまたもう少し素朴に具体的なことを考えていった方がいいのかなとも思います。

 もちろん具体的に考えたり,抽象的に整理しなおしてみたり,どっちも意味があるんでしょうし,まあバランスなんでしょうけれど。

 それにしても,世の中というのは本当にいろんな人が集まって生きているんだなあと,そんな当たり前のことをいまさらのように感じています。定型アスぺ問題を考えると,お互いに理解しあうことがどれだけむつかしいかということが分るし,それほどにお互いに「違った世界」に生きているのに,そのことに全然気が付いていなかったことに驚くわけですが,でも定型同士だってほんとうは同じなんですよね。わかったつもりになっているだけで。

 

Keiさんが,定型は「できたような気になっている」だけだというようなことを書かれていて,なるほどなあと思います。「わかったつもり」と同類のことですよね。

 きっと定型というのはこの「わかったつもり」をすごく使うことで,人と「共感」したり,つながりを感じたり,信頼したりしているんじゃないでしょうか。それは一種の賭けなわけで,「本当は違った」みたいなことはいつでも起こりうる。アスぺの方はそこで常に裏切られ続けた経験があるから,簡単に「わかったつもり」にはなれないんでしょうね。で,定型のその「わかったつもり」を,とても素直に疑問に思い,問いかけたりする。

 定型の方はうすうすそれが一種の賭けであることをわかってはいて,でも「それを言っちゃおしまいよ」という感じで人との関係を作っているところがあるから,その部分を「そんなの賭けでしょう」とあからさまに言われてしまうと,困ってしまうのでしょう。見たくない部分を見せつけられちゃうわけで。だから腹を立てる。そこを言いだしたら関係がこわれちゃうでしょう!とも感じる。生きていくうえで大事な「夢」を否定されるような気にもなる。

 おっと,また話が抽象的になっちゃってるかも (笑)

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コメント

ちょっと、自分自身の経験から、この問題を考えてみました。
私は、アスペの特性は割合にして少ないにしても、ADHDの特性はあって、それが様々な場面で悪さをすることは確かです。
アスペの方でもADHDの特性を持ってらっしゃる方も多いですし、その点では重なるところもあるかと思うので。

例えば、複数の予定を加味してスケジュールを立てなくてはいけないときがありますよね。そのとき私は何を優先していいのか分からなくなるのです。
ダブルブッキングしてしまったとき、過去の事例や、そこで接する人の性格や習慣などを考慮し、優先しなければならないのはどちらか判断します。
私には、これが難しい。
定型の人はそういう多方面からのメリットデメリットを考え、総合的に判断できることが多いのです。
しかし、私は過去のことを覚えていなかったり、周囲の動き、相手の特徴などがわからなかったりして、最終的に好ましくない判断をしてしまって迷惑をかけてしまうことがあるのです。
この微妙な判断というのは意外に重要で、細かいことまで含めれば日々様々な場面で行っていると思います。
定型は、過去の記憶、接したことのある人物の特徴、取り組もうとしている物事の傾向、などが経験すれば割と確かな形で残っているのだと思います。
けれど発達障害はそれらの記憶が弱かったり、状況からパターンを把握するのが難しい。それらの手掛かりがないと、何かを判断する場合、常に『賭け』になってしまうのです。
運が良ければ賭けに勝つけど、悪ければ負ける。まさに綱渡りですね。

定型がわかったつもりになっているというのは、本当の意味で賭けではなく、意識しなくても総合的な判断ができる=本人には賭けのようでも確実に当たることが多い。

この違いではないかと、思えました。

あすなろさん

>定型がわかったつもりになっているというのは、本当の意味で賭けではなく、意識しなくても総合的な判断ができる=本人には賭けのようでも確実に当たることが多い。

 たぶん,私も「当たる確率が高い」ということのような気がしますが,それは似たような発想を持っている者同士の間だから当たりやすいのでしょうね。発達障害の方との間では発想が異なることが多いので,ずれることが多くなる。しかも多数派の方が「正しい」とされやすいですから,外しているのは発達障害の方ということになる。

 さらにアスぺの方の場合はアスぺ同士の間での個性の差がまたたぶん定型以上に大きい可能性を感じるので,アスぺ間なら確率が高くなるとも言えなさそう。


 それにしても,あすなろさんが時々ADHDのことを書いてくださって,それを拝見すると,うーん,そんなに違うのか。そういうことで苦労されるのか,と改めて思ってしまうのですが,なぜかというと,普段あすなろさんのコメントを拝見しているときにはとても自然に読めてしまって,全然そういう差を感じないからなんですね。

 まあ私が鈍感なだけなのかもしれませんが (^ ^;)ゞ ,あるいはそこにネットという道具の性格が関係しているのかどうか。

 もしかするとADHDの方はネット空間の中ではそんなに「障がい」を意識しなくても行けたりするんでしょうか?

 

あすなろさんの、ダブルブッキングした時の、何を優先するか…を読んだときに自分とはあまりにちがって驚くと同時に、自分の選択の仕方こそ違和感を感じてきたり、いえダブルブッキングをどちらが優先かと相手をふるいにかけることにショックを感じたり、 わからなくなってきました。
私は先に予定が入ったことを優先します。あとから入った予定は、断りはしません。同じように大切に後日にできないか相手にきちんと話をします。相手が 後日にできない場合は、先に予定が入っていたことを、きちんと説明してお断りします。もちろん、病院とか、仕事とか、家族とか、最優先なことは例外です。
いつも元パートナーがあとに入った約束を優先することが、腹立たしくもあり、悲しく、またその程度にしか見られていないのかと絶望的な気持ちになり自分をどんどん卑下していました。
予定をどのようにたてていくか、こんなにも人それぞれちがうのだと改めて知らされた気がします。

またこちらを読み、学ぶ度に、自分もADHDではないだろうかと思うことが増えてきました。 そして、父が 軽くアスペなのではないだろうか…とも思えてきています。

>パンダさん

定型は当たる確率が多い…というより、傾向を分かっていることが多いといえるでしょうか。
これは人に対してだけでなく、例えば取り組もうとする事柄でも言えます。
効率的な手順というのはやはり総合的な判断から生まれるものですから、それができないと非常にまどろっこしいことをしていたり、余計なところにこだわっていたりして、結局結果が得られずに疲弊する。
なんか、人にも物事にも裏切られる(自分で蒔いた種なんですが)感じはありますね。
あ、ネットだと少し静観する時間がありますし、多分思っていることを実行するとなると不具合が生まれるので、それがここではバレずに済んでいるんだと思います。


>どんぐりさん

書き方が悪かったようで。
ダブルブッキングしたときの対処という意味ではなく、予定が重なってしまったとき、どちらを優先するか(相手との約束をしていない段階で)ということです。

例えばAの会議を優先して、Bさんと会うのを断った…結果、Aの会議はどうでもいいような内容で、Bさんと会うのはそのときでなければできないチャンスだった。

そんな行き違いが多いということです。

Aの会議が大したものではないというのが、これまでの経験から分かっている人もいる。取り敢えず出席してくださいと言われていても、別に大丈夫だよと判断する人もいる。
だったら、Bさんと会えば良かったなと後悔してしまう。そんな感じです。
もちろん、どちらもお断りするときにはちゃんと筋を通しますよ。

世の中、微妙なバランスで成り立っていることが多く、何を優先するべきかはその場で自分が判断するしかありませんが、記憶力や洞察力の優れた人なら、本当に的確な判断ができて、他人に迷惑をかけることもないわけです。
発達障害はその対局で、自分では最善のものを選ぼうと努力していても、記憶力や洞察力の弱さで間違った判断をしてしまう危険も高いといえます。

あすなろさん
そういうことですね…。
…というか、私が読み取る力がないがために、取り違えをしてしまいすみませんでした。

あすなろさんは ご自身がADHDであるとおっしゃってらっしゃいますが、私も、最近、思うのです。
私は、まず片付けが得意ではありません。そして、とにかく、家にいるより外に出たい、じっとしているのが苦手で休日は計画性もなく 子どもとこんなところまで来てしまった… というところがあり、行き当たりばったりな面があるように思うのです。 また提出期限はおそろしくギリギリ。何か自分が人とはちがう気がしてなりません。 他にもたくさんありますが、 父も 理不尽なことばかりで、母がどれだけ苦労したか… 元パートナーを悩むうちに、自分自身はどうなのよ…と思えてきて…。 自分を振り替えることが増えてきました。 本当に自分の真の部分が何なのか、わからなくなってきています。

パンダさん

Katzさんやあすなろさんが「記憶」についてコメントしているが興味深いです。この「記憶の仕方」に定型との大きな違いがあるのではないでしょうか?

Katzさんは定型的なグレイを感じると、それを『白でも黒でもない=グレイ』とはっきりさせた上でそのグレイを「後で白か黒か推測する」と言っています。あすなろさんは「敢えてグレイの位置を決めて、白寄りか黒寄りかを意識に置いておく」「保留案件に順位を付けておく」というようなことをおっしゃっています。二人とも「グレイのままだと記憶できない」から、とりあえずの形でも「黒か?白か?」と意識しないことには「記憶に残せない」「忘れてしまう」という感じらしいのですが、これは僕にとっては不思議な感覚です。

おそらく定型の「分かったつもり」というのは「実は分かってない」というわけではなく「ぼんやり憶えている」みたいな状態を指すなのだと思います。その「ぼんやり」をはっきりさせるのがコミュニケーションの目的であるような気もします。アスペの方のコミュニケーションは「はっきり記憶したことを情報交換する」みたいな感じなのでしょうか。

例えば仕事しながらラジオで「初めて聞く曲」があって、それを後で誰かが口ずさんだら「あれ、その曲聞いたことある」とか、たまたま見かけた他人にまた別の場所で会って「あの人さっきも見かけたよね?」と言うような場合、それを「どうやって憶えたのか?」という感じです。具体的にメロディを口ずさめるわけでもないし、後から顔を思い出せるわけではないのに「知っている」という感覚がある。もちろん「いい曲だな」とか「面白い服装だな」とかそれなりに興味を引きつける何かがその音楽や人にあったから憶えているわけだと思いますが、たくさんの人と会話してる時も「言葉」や「解釈」にフォーカスしながらそのバックグラウンドにある「仕草」「表情」「話の流れ」「場の空気」もそれなりに憶えていて、それが後で「賭ける」時の参考データになるから、まったくの「当てずっぽう」ではない。

アスペの特徴で「シングル・レイヤー思考」というのがありますが、定型のグレイって「灰色」じゃなくて「マルチ・レイヤー」のそれぞれの色や情報が重なって全体として「グレイ」として感じられているような状態じゃないでしょうか? 役に立つか立たないか分からないようなことも「勝手に何となく背景に映り込んでる」というような。で、何となく憶えている割に「すっかり忘れてしまう」ことも多かったりするのですが。

Keiさん

>その「ぼんやり」をはっきりさせるのがコミュニケーションの目的であるような気もします。

 これ,結構言えてるかも,と思いました。定型にとってコミュニケーションが大事なのは,話し合う中で自分の気持ちを整理していく,という意味があるんですね。だから迷いながらああでもない,こうでもないと話すんだけど,そういうの,私のパートナーはすごく嫌みたいです。「それで何を言いたいの?」と言われたりしますが,そこが分んないから,話をしたいわけなので,そう言われると困ってしまいます (^ ^;)ゞ

> 定型のグレイって「灰色」じゃなくて「マルチ・レイヤー」のそれぞれの色や情報が重なって全体として「グレイ」として感じられているような状態じゃないでしょうか?

 これも分かりやすい喩えです。いろんな思いが整理されずにぐちゃぐちゃある状態。その整理をアスぺの方はたぶん自分の中でやろうとされる傾向が強くて,定型は人と一緒にやろうとする傾向がある。いつもではないですけど。そんな違いがあるかも。

 シングルレイヤーというのはレイヤーはいろいろあるんだけど,意識に登るのが一度に一つだけという意味なのか,そもそもひとつしかレイヤーができないという意味なのか,どっちなんでしょうね。パートナーの場合は時間をかければ複数のレイヤーを使うこともあるけど,切迫すると一つになりやすい感じがします。漠然とした印象ですが。

Keiさんの感覚を知って、私の中でやっぱり!と思ったことがあります。
Keiさんがそれに当てはまるかは別として。
我が家は、私がADHD、夫がASD、こどもたちがそれぞれASD、ASD+ADHDとサンプルが揃っているので、それぞれの違いを実感することが多いんですが、どうADHDを持っていないASDの方は、忘れるという感覚はあまりなく、もし周りからみて『忘れた』と思われることがあるとすれば、それはもともと本人の意識になかったことが多いです。
だから、忘れたでしょ?と聞くと、そんなのは聞いていない、承知していないと言います。
逆をいえば、本人が承諾すれば必ず完璧にやり遂げてくれるし、やっている途中で手や口を出すと頼んでおきながら余計な手を出すな!と逆上します。
適当な依頼をしてしまうと、それを真面目に成し遂げようと考えるので、後からやっぱりいいということは許されません。
ADHDを併せ持っている子のほうは、とにかく忘れてしまうことが多い。それでも指摘されると「そんなことは聞いていない!」「分かってる!」と意地になりますが、本人が混乱しているのは明らかにわかります。
この「忘れてしまう」「忘れてしまうことに悩む」症状はADHD特有のものじゃないかな?と思います。
集団の中で混乱の原因になるのも、もしかしたらADHDの特性の強い人かもしれません。
掲示板のほうで本の紹介をさせていただいたアズ直子さんが、仕事関係で、家庭で、障害となることを挙げられているんですが、一番大変そうなのはADHD(ADD)的側面でしたね。

ちなみに、私がグレーゾーンに段階を付けるようにしたのは、自分のADDを自覚してからです。
それまで定型と同じように『なんとなく保留』にしておけばなんとかなると思っていたのですが、それで失敗して責められることばかりで、なんでだろう?と思っていたんです。
ADDは定型のように『なんとなく』と思ってしまうと、すっかり記憶から抜け落ちてしまうんだ!と、やっと分かって考え出した方法です。それでも全部はできないので、ポイントを絞るのが難しいんですけどね。
おそらく夫のようなASDだと、そこで『分からない』=白となるのかもしれません。

あすなろさん

「忘れてしまう」ということは誰にでもあるように思うので問題はどう対処するかでしょうね。だから「絶対に忘れちゃいけない重要な案件」であれば定型アスペかかわらず予定表に書き込んでおくとかアラームセットしておくとか工夫はすると思います。

日常生活の中だとパートナーが「忘れっぽい人」であれば頼んだことを念押ししてあげるとか、自分が忘れそうな場合は「忘れるかもしれないから教えて」とか「予防対策」を取っておく。これで大抵うまく行くと思いますが、いわゆる「ど忘れ」というやつもありますね。それが10回中2回ぐらいあるとする(100回中2回でも何でもいいですが)。でも8回うまくいってるんだから「まあいいか」という感じやり過ごせればいい。ところがその「ど忘れ」の方が「10回中8回」となると話は変わって来る。あるいは「どうでもいいことは8回憶えてるけど最重要案件を2回連続で忘れる」とか。

この「10回中8回忘れる人」に対して「10回中2回忘れる人」が「大丈夫か?」と聞きます。 まるで「おまえ頭おかしいんじゃないか?」と聞かれてるようだ。そこで「あなただって2回忘れてるでしょう?あなたもおかしいんじゃない?」と答える。ここで「10回中2回忘れる人」が「逆上」する。そして「世間」に聞く。どっちがおかしいか多数決で決めようとする。第三者から見たらばかばかしい、いわゆる「犬も食わない」ような夫婦喧嘩ですが、そんなところから「定型アスペ問題」が生じてるような気がします。

>「忘れてしまう」ということは誰にでもあるように思うので

もしかしたら、この認識は定型⇔アスペの問題に通じるADHD⇔定型の問題じゃないかと感じました。

ADHDの認識が抜け落ちたり記憶の維持ができないというのは、一般の『忘れる』レベルではありません。しかし、全てにそうかといえば、そうではない。重要性や必要性によってコントロールができるものではないように思います。
大事なものに対して対処をしますが、これが自分の特性をきちんと踏まえていない一般的なものだと全く逆効果になってしまうことがあります。

それを理解してくださいと、説明することも難しいですね。自分を正しくコントロールしてなるべく表に出さないようにするか、出てしまってもクヨクヨしないとか(笑)

アスペの方が相手の心理を読めずに、意図せずに相手を傷つけてしまうというところと、似ているかも。
定型に理解してもらうにはこういう特性を持っている人がいるんだという知識しかないんですよね。

ちなみに、アスペ無自覚の夫は、自分が優秀な定型だと思っているので、私の落ち着きの無さに困らせられている被害者と信じているようです。

あすなろさん

> ADHDの認識が抜け落ちたり記憶の維持ができないというのは、一般の『忘れる』レベルではありません。しかし、全てにそうかといえば、そうではない。重要性や必要性によってコントロールができるものではないように思います。

あ〜、そうそう、そうなんです!と思わずうなずきました。しかも厄介な事に、覚えていたはずなのに肝心な所で意識に上ってこなかったりして、結果として忘れ物につながったりする事も多いんですよね。私の場合は想像力の欠如も加わって、初めての場面に対して準備が必要な時には本当にどうしようもありません。どんなに準備万端にしたつもりでも、動く度に必ず何か一つ以上忘れます。こういうの、誰に相談しても役立つ返事をもらえた事はありませんね。結局自分で対処するしかないんですけど、仕事なら色々と対応方法を取れるとしても、何でもない日常生活の方が実は厄介です。

最近、脳機能を紹介するテレビ番組も増えてきて、それで知ったんですけど。実は定型の記憶も、覚えているから内容も正しいのかというと、実はそうではないらしいですな。人間の記憶ほどいい加減なものはないと言ってもいいくらいのようです。質問の仕方、ただそれだけで簡単に記憶は上書きされてしまうとか。しかも当人にその自覚が無いと。

お二人のお話を聞くと「忘れ方」の質や程度が定型と「全く違う」ということのようです。でも基本的に「重なる部分」もあるから余計に説明が難しいような気がします。

例えばお湯湧かしてタイマーセットして、タイマー鳴って消した、お湯まだ湧いてなかったので少し待とうと思ってテーブル戻ったら「忘れた」とか、「飛行機の搭乗時間」をダブル・チェックしてたにもかかわらず何かの拍子に勘違いして直前で「あれ?やっぱり10時じゃなくて11時だった」なんてこともあります。だから小さいことでも重要なことでも「絶対忘れない」ということはない。

そこでやはりコミュニケーションによって相互依存するって感覚があるように思います。「お湯湧かしてるから」とか「明日飛行機○時だよね?」とか、思い返すとそうやって「言葉にする=人に振っておく」と意外に自分でも思い出します。

だけど経験上アスペの方ってこういう他人との「声かけ」とか「すり合わせ」を二度手間とか面倒くさいとか言って避けたがる傾向があるように思います。でも結果的にそれで「失敗」するわけだから、何でやりたがらないんだろう?って不思議に思います。

アスペの方が考える「コミュニケーション」って、他人に「お湯湧かしてるから」と言ったり「○時だよね」と聞いた瞬間に、その人に「全権委譲」しちゃうような感じなのでしょうか? するともしトラブルがあった時に「言ったのになんで教えてくれなかった?」とか「あなたが○時って言ったんでしょう?」ということになる。「すり合わせ=50/50」ではなく「どちらの責任かを前もって決定しておく」みたいな感覚がある。

この辺りは説明し難いものがありますが、「お湯湧かしてるから」とボソッと声かけしたら、その瞬間声をかけられた方も何らかの「責任」を感じる。だから「お湯大丈夫?」とか言うわけですから。でもそれで「お互い忘れる」というトラブルが生じる可能性だってある。となると、「声をかけられた方」って何か損した感じがします。これが定型的には「まあいいか」で済ませられてもアスペ的には何か「責任転嫁された」みたいな感覚になるのではないでしょうか。

するとアスペの方は「自分の全責任」か「相手の全責任」かを決めるために「声かけ」をしているような形になる。これでは「声かけ」がまるで責任の押し付け合いみたいになって「それなら一人で全部やった方がマシ」と思うような気がします。だけど一人でやると「完全に忘れてしまう」ことがある。どうしたらいいのか?と思います。

ADHDの話で盛り上がってしまってすみませんが^^;

Keiさんのおっしゃること、まさにその通りです。
アスペの夫は、私が何かを振ると『全責任を押し付けられた』と感じてしまい、その時自分が他のことでも責任を感じている時(例えば仕事上で大きな責任を負っていると、家に帰ってもその責任から離れられない)「今どうして俺にそれを頼むんだ?俺は他にもやらなくちゃいけないことがたくさんあるんだ!それはお前の責任だろう!」と逆上し、その後も気分を害してしまって、本当に些細なことも頼めなくなってしまいます。
だから私は、特に夫には本当に協力してもらわなくてはいけないときにならなければ、決して頼りません。口にも出しません。
同じアスペの息子にはよく頼みますね。「ママ忘れちゃうから、言っておくよ!」すると息子は的確に覚えていて私に確認しないでもやっておいてくれたりします。お湯の火などは、しょっちゅうです。「どうせ忘れてると思って消しておいたよ」という感じ。
おそらく記憶力の面では、ADHDのないアスペは非常に良いのかもしれません。
ただ、情報過多になってくると、処理ができなくなるのかも。快く手伝ってくれる息子でも、自分がテスト前とか、やらなくてはいけないことが重なっていると「無理!」と一蹴します。
キャパが少なく、同時進行が難しいのでは?と、家族を見ていて思います。
だから結果的に定型と同じ分量を処理出来たとしても、そこに掛かったストレスは相当違うのでは?と思います。

また、この情報の共有の問題ですが、私も昔から人に頼るしかないと思って、くだらないことまで周りに振る癖があります。
すると、大概の人は私のことを「クドイ」「しつこい」「理屈っぽい」と評価します。その屈辱に耐えられるかどうかですね。
あと、相手が「大したことない」と思っていることは忘れられてしまうので、いくら確認して頼っていても意味がないことも多いです。記憶を他人に補ってもらうというのは非常に危険なことが多いです。

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