2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 投稿ガイドライン | トップページ | 相手への注目と生き方のズレ »

2015年5月 4日 (月)

定型的信頼とアスぺ的事実確認

 またズレのはなしです。

 実家で母親の今後の介護方針などについて話し合ってきたのですが,有料施設入所が希望なので,その資金調達に,今住んでいる家を売る話になってきて,具体的にそのために動いてみる話になったんですね。

 で,家に帰って「もう家を売る方向で具体的に動くことになったよ」と報告したんです。そうしたら即座に「そんなの,まだ施設も決まっていないのに,売っちゃって住むところがなくなったらどうするの!」と真剣に言われました。

 思い返すとこれまでもこういうやり取りがよくあって,そのたびに私はびっくりしてしまって,「なんでこの人はそこまで私のことが信用できないんだろうか」と思って落ち込むわけです。「そんな馬鹿な売り方をするわけないでしょう。そういうことは考えてやる話なのは言うまでもなく当然じゃない」と思えてしまうわけです。「そこまで私は状況を理解できない人間だと思われているわけ?」と感じてがっくりくるんですね。

 で,今日は,ああ違うんだ,と思いました。

 私の場合は逆の立場に立った時は,「家を売る方向で動く」という話が出て,「施設入所とのタイミングはどうするんだろう?」と仮に疑問を持ったとすれば,その次に「この人はそういうことについてちゃんと考慮して動く人だろうか,それともそういうことに注意できずに突っ走ってしまう人だろうか」ということをほとんど瞬時に判断し,もし前者なら「直接言われていないけれど,当然そこは前提になっているんだろう」ということで安心して話を聞きますし,もし相手の人の評価について後者の可能性があれば,遠回しにそのあたりを確かめてみたりするだろうと思います。

 つまり,明言されていないことについて,「この人だったらどういう動き方をしているだろうか」という,「相手のこと」にまず頭が向く感じがあるんですが,彼女の場合はそこではなく,「自分が聞いた情報」それ自体に頭が向くんじゃないかと思ったわけです。それで,相手に言われたことの中に,自分が知りたい情報が入っていない場合は,そのままストレートに「そこはどうなっているのか」と尋ねる。特に自分が心配するような内容の場合は,そこに切迫感も加わることになります。

 ここも「クッション」の有無の話になるのだと思うのですが,ある内容を相手に尋ねるかどうかの判断について,定型の場合は「この人はそのことをあえて確認する必要のある人かどうか」という評価がほとんど無意識に入るので,そこをあえて意識的に尋ねるということは,相手を低く評価していることになります。逆に言えば尋ねられる方は「そんなことにも気が付かない人間」として見られたと感じ,質問自体で自分がけなされたり,叱責されたように感じるわけです。

 これも「相手に対する気遣い」とか「配慮」の「能力」に関する問題になりますよね。定型的な文脈では。で,アスぺの方はそこで往々にしてまず率直に自分の知らない情報を確かめようとされるので,その「気遣い」の部分が無視されたような感覚を定型が受けるのでしょう。でもそういうところで「なんて気遣いのない人だ」と責められたとしても,アスぺの方からすれば,「は?なんのはなし?」ということになるんじゃないでしょうか。

 クッションとか,中間の問題とか,曖昧さの問題とか,そのことには「相手をどう評価するか」ということについての判断の入り方の違い,ズレが関係しているのかもしれません。

   

 
 
 



楽天ブックスは品揃え200万点以上!  

« 投稿ガイドライン | トップページ | 相手への注目と生き方のズレ »

コメント

あ〜…
このお話、私にはまったくピンと来ませんでした。恥ずかしながら。と言う事は、少なくとも私には、やっぱりクッション的な発言選択とは無縁の人間と言う事なんでしょうか。

ちなみに私の場合。「え、まずは売値を調べてみようかって話に聞こえたから動いてみたんで、俺はてっきり…ごめんごめん!」でおっちょこちょいを笑う話に持ってっちゃいますね。笑い話で収まると言う事は、周りの立場に立てばその程度しか期待してないって事なのかな…? でも失礼な話だとは思いません。「定型アスぺ間でキャラが果たす役割」で出てきたありのままの自分とも関連しますが、身の丈を超えた期待は重荷なだけですから。出来ない事は期待されない方がいい。

逆に他人に話を振る場合は、万が一の失敗を自分個人の能力でカバーできない仕事だと、しつこいくらい段取りを確認しますね。失礼もへったくれもありません。そんなだからまとめ役が務まらないんだと言われればそれまでですが。それでも自分に出来る事で貢献できる自負はありますから、まぁ適材適所でやらせてください、と頭を下げてます。ちなみに仕事でもプライベートでも、この辺の感覚は同じです、というか同じにしてます。

連続投稿すみません。

> 逆に他人に話を振る場合は、万が一の失敗を自分個人の能力でカバーできない仕事だと、しつこいくらい段取りを確認しますね。失礼もへったくれもありません。

勢いで書いてしまいましたが、投稿ボタンを押してから思い出しました。
こういう時は、私自身の能力不足を理由にしてます。「そこをハッキリさせないと私がわからなくなっちゃうんで…面倒で申し訳ないけど」って感じです。相手が目下でも部下でも関係ありません。それは事実ですし、自分を下にさげる分には誰にも失礼になりませんし、それなら加減を気にする必要もありませんし。私の処世術の一つです。

Katzさん

> 逆に他人に話を振る場合は、万が一の失敗を自分個人の能力でカバーできない仕事だと、しつこいくらい段取りを確認しますね。失礼もへったくれもありません。

 というところを読んだときには,「ああ,それをやられると,定型の側は自分の主体性を否定されたような,支配されているような感覚になってすごくしんどくなる部分だよな」と思ったのですが,

> こういう時は、私自身の能力不足を理由にしてます。「そこをハッキリさせないと私がわからなくなっちゃうんで…面倒で申し訳ないけど」って感じです。相手が目下でも部下でも関係ありません。それは事実ですし、自分を下にさげる分には誰にも失礼になりませんし、それなら加減を気にする必要もありませんし。私の処世術の一つです。

 という追加の説明を読んで,はあ,なるほど!上手い!と思いました。Katzさんのすごさはこういうポイントをついた工夫をいろいろ思いつかれることですね。勉強になります。

> このお話、私にはまったくピンと来ませんでした。恥ずかしながら。と言う事は、少なくとも私には、やっぱりクッション的な発言選択とは無縁の人間と言う事なんでしょうか。

 私の問題理解の仕方がどっかずれているのかもしれません (^ ^;)ゞ

 Katzさんの上のような工夫は,クッションというのともまたちょっと違うのかも。いや,ある意味でクッションにはなるんでしょうが,中間状態みたいな意味でのクッションとはちょっと意味が違いそう。

 定型は中間状態を使って関係調整をすることが多そうな気がしますが,Katzさんのいろんな工夫は,それとはまたちょっと違った関係調整の仕方として,考えてみると結構いろいろなことが見えてくるのかも。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/59878162

この記事へのトラックバック一覧です: 定型的信頼とアスぺ的事実確認:

« 投稿ガイドライン | トップページ | 相手への注目と生き方のズレ »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ