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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年4月 9日 (木)

定型アスぺ問題の基本的な形

 ここにきて自分の中で,これまでああでもないこうでもないとうろうろ考えていたことについて,結構いろんなことが結びついて感じられるようになってきています。そのポイントは意外に単純なことのような気がします。改めてそこだけ言うと,つまりこんなことです。

 定型は人とのかかわりの中で自分の感情を安定させようとする傾向が強い。
 アスぺの方は自分個人の中で自分の感情を安定させようとする傾向が強い。

 まあ,言ってみればそれだけのことなのですね。単純と言えば単純だけど,これが結構定型アスぺ問題の基本的なズレの形なのかもしれないと思うんです。基本的,というのは,そこを出発点にして考えてみると,結構わかる感じになることがいろいろ出て来る,ということです。

 どちらも「感情を安定させようとする」というところは同じです。逆に言えば何らかの理由で感情が揺れ動きやすいことも同じ。「安定させる」というところを,「ポジティブな状態に持って行こうとする」と言い換えても構いません。



 仮にそうだとして,なぜそういう違いが生まれるのかについては,いろんな形での説明がありうるだろうと思います。もともと脳の働き方が何かの原因で違うのだ,とか,いや,アスぺの方も最初は人との間で感情を安定させようとすることはあったんだけど,何かの理由でそれがとてもむつかしい状況に置かれ続けたので,そういうのは一切やめて自分の中での安定を心がけるようになったんだとか,まあいろんな可能性が考えられそうです。

 そういう「原因」の問題はさておき,現実の定型アスぺ問題は,上のような「生き方の違い」によっておこるものがすごく多いのではないかと,そんな風に思えたのですね。そのズレは,かなり基本的で重要な生き方の違いのはずですが,定型もアスぺもお互いに自分の生き方のスタイルの方が普通のことだと思い込んでいて,そのズレになかなか気づきにく,お互いに全然ずれた期待を相手に持つ結果,どんどん問題がこじれ,激しい不信感や怒りや絶望感などが生み出されていく。そのプロセスについてちょっと考えてみます。



 定型の場合は自分の感情状態を安定させたり,高めたりするために,相手との感情的な面を含めたやりとりを求めることが多い。「共感的な関係を持とうとする」みたいな話です。そういう「共感的な関係」を作ろうとする姿勢をお互いに持てる人が,自分にとっては大事な人で,信頼できる人になります。そういう「姿勢」自体がとても大きな価値を持っているから,昨日の話で言えば,定型の側はたとえ結果が伴わなくても,相手の「気持ち」だけで嬉しくなったり,とても支えられた気持ちになることがある。

 それに対してアスぺの方は自分の中で感情を安定させようとする傾向が強いので,人との間で感情を積極的に伝えあったり揺らしあうようなことは避けようとする傾向が強まる。そうなるとその後の展開が定型アスぺで全然変わってくることになります。



 どんなふうに変るかについて,アスぺの方の中でも人と積極的にかかわろうとするタイプの方と,それをあまり好まない方でその後の展開に違いが出てくるでしょう。さらにすごく論理的に分析して考えようとするタイプの方と,それをしないかあまり得意でないタイプの方でも差が出て来そうです。
 まず人と積極的にかかわろうとされるタイプの方は,関わりを持つ以上,相手との間でいろいろな調整をする必要が出てきます。しかし「相手と感情的な調整をする」形はとりにくいので,結果的に二つの方向のどちらかに進みやすくなるような気がします。

 ひとつは感情的な問題は極力切り離して,冷静に論理的に事態を分析して,現実的な行動のレベルで関係調整を行う努力をされる方向。もうひとつは相手と感情を調整するのではなく,自分の感情をそのまま相手にぶつけて,それを相手に押し付け,従わせることで問題を解決しようとするような方向。現れ方は随分違いますが,基本的なところで共通点を見ることが出来そうです。

 一方,人との関わりにはもともと(?)あまり気持ちの向かないタイプの方の場合,基本的には問題が起これば人を避ける方向で,相手とは切り離された世界で自分一人で問題を解決しようとされるでしょう。相手と感情を共有する場合にも,おだやかな形での,距離をとった共有の形になりやすい。自分の感情が揺れ動いて困る場合には,他人を避け,それ以上人から感情が揺れ動かされないように,自分一人になって静かにその揺れが収まるのを待つ形になることが多そうです。


 ただし,このタイプの方でも,どうしても他者とのかかわりが避けられなくて,しかも感情的な問題が強く絡む場合には,普段人と関わるときには抑えている感情が激しく爆発するようになることもありそうです。その場合,もともと相手と感情的なやり取りをして自分の感情を調整するようなことはあまりされてきていないわけですから,ほんとに生の感情をぶつけあうようなことになる場合も出て来るでしょう。

 アスぺの方にとって穏やかでいい人間関係が取りやすいのは,相手と適度に距離をとって,お互いの感情を変に揺らしあうことなく,それぞれのひとが自分の状態を大事にできる関係がある時ではないでしょうか。それがお互いにお互いを受け入れあった関係ともなる。もしかすると子どもが生まれる前までは,私とパートナーの関係もそういう形に近かったのかもしれません。

 また二つのタイプのどちらの場合も,「共感的な関係」の中で自分の混乱した感情状態が安定したり高められたりする経験自体が少なくなるので,結果抜きに「共感的関係」の「気持ち」だけを言われても,そこに価値を感じることはむつかしいし,ましてやそれだけで「自分が支えらえる」などということはとても理解しにくいことになるでしょう。ここも定型アスぺで基本的な感覚がシビアにずれるところの一つになります。


 仮にそういうことがある程度言えるとしたばあい,その大きなズレに気づかずに,自分の感覚だけで相手と深く関わろうとすると,そこに大変な問題が起こり続けることになります。何しろ「理想とする関係の取り方」が大きくずれるわけですから,「理想を目指してお互いに努力する」と言っても,その努力が全くかみ合わない。相手の振る舞いは自分の理想を否定するもので,とても「努力している」とは感じられず,むしろ攻撃や拒否としてさえ感じられかねなくなる。

 逆に自分がいくら努力しても,相手にとってはそれはまるでズレた努力で,努力としても実感できないわけですから,相手からは全くその価値を認めてもらえない状態になる。そうやって努力すれば努力するほどに溝が深まり,期待すればするほど傷つき,失望し,不信感が高まり,絶望的な思いにとらわれて,最後に身を守るにはもうすべてを諦めて適当に距離をとって最小限の関わりで生きていくか,あるいは何らかの意味で破たんし,清算するしかなくなっていく。

 初めに書いたような生き方のスタイルの違いによって,そんな展開が生まれると考えてみると,とりあえず私には今までごちゃごちゃしてきた色々なことがつながりをもって,比較的わかりやすくなる感じがします。




 どこまでこの見方が通用するのかはわかりませんが,こういう視点から考えると,定型アスぺのどちらの側についても,なぜ相手によって傷つき続けるのか,ということについて,どちらかを一方的に悪者にする形ではなく,あるいはどちらかの努力不足によるものとしてではなく,ある意味「お互い様」の問題として,ズレが生み出す悲劇として理解することができます。お互いに悪意がなく,努力を続けたとしてさえも,そのことが逆に事態を深刻化させてしまう悲しい仕組みが,そういうところにあるという理解ができるからです。

 そしてたとえば「アスぺ=障害=不完全な定型」VS「成熟した完全な定型」という形で関係を理解するのに比べれば,「生き方のスタイルの違い」として定型アスぺ問題を見るようになるので,問題解決のための模索のスタンスに違いが出てくると思います。

 「不完全な定型」VS「完全な定型」という形で問題を考えた場合,可能な対処は定型の側がアスぺの方の「問題」を理解し,そこに同情をし,仮にアスぺの方から傷つけられたとしてもそこは何とか我慢をして,少しでも相手を「完全な定型」に近づけるように,いろいろ援助の手を差し伸べる,というスタイルが自然になるでしょう。アスぺの方に対しては基本的には「少しでも定型に近づく」ことを求めることが基本になる。定型優位の社会の中で現実にアスぺの方がなんとか生きていくうえでは,それは一番現実的な対処法なのかもしれません。

 他方で「生き方のスタイルの違い」として問題を理解する場合,それへの対処は基本的に対等な人間関係の中で,お互いの「理想」を重視し,その上でそのズレから生まれるいろんな困難をお互いに調整する努力を続ける,という方向になるでしょう。定型アスぺ問題を「アスぺの人の問題点にどう対応するか」という形で考えるのではなく,「お互いの生き方(や理想)のズレをどう調整するか」という形で考えるという違いになります。


 
 ここでは「対等な人間関係」とあっさり書きましたけれど,言葉で言うのは簡単ですが,これだけ大きくズレ,また激しく傷つけあうこともある関係の中で,「対等」というのは一体なんなのか,そんなことがどうやって可能なのか,そもそも可能なのか,ということはものすごく重たく深い問題のように感じます。決して表面的なきれいごとでは済まないでしょう。そのあたりはまた具体的な問題を踏まえてちょっとずつ考えていくしかありませんが,とりあえず視点を変えると,模索のポイントも変わってくる,ということまでは言えそうですし,そういうちょっと違った模索もきっと価値があるだろう,という気はします。
 

 

 

 

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コメント

最近の記事を読んでいて、ふと思ったことがあります。かずきです。

パンダさんが仰るほど大変なことを私はしているのかな?という疑問が出てきたんです。
それとも、定型社会で生きる定型の方は本当に何も考えずに感覚だけであれだけの事をしているのか。
そんなはずないだろう、と思いたい部分もありつつ、もしそうならパンダさんが仰る大変さと言うのも分かるような。

まだ考えがまとまらないのですが、
そんなに大変なことを私はしている実感はないんです。
そう思うしかない経験だったのか、まだわからないのですが
そんなに大変そう、なんでしょうか。

夫も自分の人生はかずきに比べればイージーモードだ、とはいうのですが、
私自身ハードモードだとは思っていないんですよ。
人はそれぞれ大変な思いをして今の自分を作り上げていると思うので
い違いには言えないと分かっては居ますが…。

かずきさん

>そんなに大変なことを私はしている実感はないんです。そう思うしかない経験だったのか、まだわからないのですがそんなに大変そう、なんでしょうか。

 これは,なんともむつかしい質問です (^ ^;)ゞ

 いろんな可能性があるような気がしました。
 ひとつは,アスぺの方は自分の心身の辛さを定型ほどには意識しない傾向がある
 という話を時々読んだり聞いたりしますので,そういうことである可能性。

 あるいは私の方はとてもつらい思いもしてきましたので,
 「きっと相手もそうに違いない」という「思い込み」が私にある可能性。

 さらには「スペクトラム」による違いの可能性もありますよね。

 三つめは結構リアルにその可能性を感じます。
 この場でもアスぺ父を持つ娘さんのお父さんの例や
 にわとりさんご本人とお父さんの例,
 それにあすなろさんの夫さんの例などを思い浮かべてみても,
 それは本当にある種「壮絶」な感じがしています。
 よくその中でみなさん頑張ってこれたなと,ほとんど尊敬の気持ちにもなります。

 いわゆる「自閉度」みたいなものが違うと,
 同じアスぺの方でも,抱える苦労の質には相当に違いが出ると思います。

 私は結局私のパートナーについてのイメージがどうしても中心になるので,
 その感覚でいろいろ想像を働かせているところがあります。
 ですから,私が考えていることも,実際はもっとシビアな関係にある方からすると,
 まだまだ表面的で浅いものになっているのではないかと思っています。

 でも逆に「そこまでの深刻さは感じない」という方もあるわけですよね。
 定型アスぺ問題ってほんとに幅が広いなあと改めて思います。
 

>パンダさん

夫が起こす『問題』については、掲示板でも書いたように、アスペの特性の上に、逆効果の成育環境がこじらせてしまった例なのかな?と感じているところです。
もしかしたら、逆に『自閉度』は低いのかもしれません。だからこそ、周りも定型だと思って修正しようとしてきたし、当人もそのつもりで、お門違いの頑張りをし、精神的に追い詰められているような気もします。

かずきさんが、ご自分でそれほど大変ではないとおっしゃるのは、自己分析ができていて、個人的な得意、不得意を見定めていらっしゃるからではないかと思います。

自分自身がわからず、どうしてこんなことになるんだ?もっと頑張ろう!いや、周りも悪いのだから、周りを責めよう!

そんな苦しいあがきに思えます。

自閉度に関わらず、自己分析が出来るか出来ないかで、精神的な安定は大きく違うのではないかな?と、ここに集うアスペの方のご意見を見るたびに感じます。

追記

↑苦しいあがきをしているというのは、夫のことです。

毎回、勉強させていただいているKatzです。

自己分析が出来るか出来ないか、は大きな差になりそうですね。自己分析の為には、人には見せられない心の闇に自力で踏み込んでいく力も必要ですし、その為には…と考えると色々難しい点もあります。

ただ、感情の安定だけが目的でしたら、他にも手はあります。食餌療法とか運動療法とか。私自身が試した事はありませんが、効果は非常に大きいとモノの本には書いてありますね。

あすなろさん

>アスペの特性の上に、逆効果の成育環境がこじらせてしまった例なのかな?と感じているところです。

 ここ,なんだかすごく重要なポイントになりそうですよね。

 定型アスぺ問題で,定型の側がとても傷つくようなことについて,単に定型がそうであるだけでなく,他のアスぺの方から見てもそれは傷つくことだと感じられるようなものがあると思うのですが,そういう部分って,「アスぺだから」ということではなくて,お書きになったように,成育環境がそうさせていると考えた方がよさそうに思えます。

 そうすると,そうならないためには環境を整える工夫が大事ということになりますし,すでに大人になってしまっている方については,成育環境でそうなってしまった方に対する何か特別の工夫が必要なのかもしれません。
 
 なんか,そういう大きな問題がそこにありそうな気がしました。


Katzさん

> 自己分析が出来るか出来ないか、は大きな差になりそうですね。

 ここはほんとにそうなのかもしれませんね。
 じゃあどうしたら自己分析ができるようになるのか,と考えると
 なかなか簡単に答えが出そうにもないですけれど… (^ ^;)ゞ

 単純に考えても,自己分析なんてめんどくさいし,
 自分を「解剖」しなければいけないから,痛みも伴うし,
 そんなのしないほうが楽ですものね。
 相手のせいにして相手を攻撃している方がある意味では「健康」を保てるかも。
 ストレスたまりにくいし (笑)

 でもその「健康法」は究極的には「殺しあい」の世界になりますから,
 結局激しく傷つく(あるいは抹殺する・抹殺される)結果になるわけでしょうしね。
 そう考えるとどっちもどっち?

かずきです。
確かに、暗闇の中で前も後ろもわからずもがくことは辛いです。
私自身、二年前に診断を貰いましたが、真っ暗なトンネルの中に一筋の光が指したように感じました。
実感できたのは半年ほどたってからですが。
それまでの28年間の私は理由のわからない社会不適合に悩まされてはいました。
しっかり二次障害も出てうつになっていましたが
診断が出て、理由がわかったことで対処できることなんだと
認識が変わったのが大きいと思います。

私が自己分析出来ているかどうかはまだ自信がありませんが、
診断や未診断でも自覚があるとないとでは、本人の姿勢が違うのかな、とは思います。
AS側のスタートラインはそこなのかな、とも思います。
定型向けのhowtoではなかなか対応しきれないのがAS脳ですから。
とはいえ、自閉的傾向を受け入れる環境が無かったら心の安定は無いので、やはり理解する周囲の方が大変だと思う私です。

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