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アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年4月30日 (木)

定型アスぺどこまで同じ?

 このブログでは,定型アスぺのズレ,違いを考え続けてきていますが,それは同時にその違いの先に「同じ」ところを探すことでもあると思っています。

 もしも定型アスぺの一方が相手との違いを感じているのに,それを無視して(あるいはそれに気づかず)「同じ」と言うことは,結局自分を相手に押し付けることにしかならず,それでは問題は解決しないばかりでなく,ますます深刻になもなりえます。だから「違い」を見つめる必要はある。ただそこに終わるのではなく,その上で「ここは同じだよね」とお互いに無理なく思えるところを探したい気持ちがあります。

 じゃあどこまで行ったら「同じ」にたどり着くか。極端な話,「生き物だよね」とか言ってしまえば,もちろんそこは「同じ」と言えるのでしょう。「動物だよね」「人類だよね」とかも全然問題なし。ではそのさきどこまで「同じ」と言えて,どこから「違い」が見えて来るのか,ということが気になるところです。


 わかりやすいところでは,たとえば脳の話があるでしょう。脳細胞で脳はできていて,というところは誰でも「同じ」なわけですよね。で,大雑把な形も同じ。ただしその上で働き方に「違い」が見出されたりする。その辺は検査の機械を使えばアスぺが見ようと定型が見ようと,「同じ」と「違う」について共通の結論が得られやすい(お医者さんによれば実際は判断は結構微妙だったりするみたいですが)。

 そしてその働き方の違いは遺伝子という,これもまた誰にでも「見える」わかりやすいものである程度説明できる可能性はあります。さらには神経の働きを左右する物質の作られ方の違いで説明が試みられたりもしています。遺伝子にしても脳内物質についても,基本の仕組みは「同じ」で,その内容とか量とかが定型アスぺ間で「違う」。しかもそうやって定型アスぺどちらも「手に取って見られる」ものから仕組みが説明されれば,そこはお互いに共通の納得を作りやすくなります。

 こういう脳の違いに対する対処法は,「投薬」とか,場合によって「遺伝子操作」が考えられたりもするのでしょうが(そうすべきだと言っているわけでは決してありません。発想としてはそういうのが出てくるだろうと言うだけです),これもやはり定型アスぺの関係なく誰でも可能な(つまり理解を共有できる)やりかたになります。

 そんなふうに脳の話になると,定型だろうがアスぺだろうが,「目に見えて手に取って扱える」レベルの話は,共通の理解の仕方や共通の対処の仕方を共有しやすいわけですね。だから脳の話で説明されると,多くの人がなんとなく納得してしまうのでしょう。そういう「同じ」基盤に立って「違う」を考えることが成り立っています。



 ただ私自身は定型アスぺ問題は,脳の仕組みなどで説明でき,基本的に解決できてしまうような,そんなに一面的な問題にはとどまらないだろうとやはり感じてしまいます。そういう話とはまた違ったレベルで,違った角度で「同じ」とか「違う」とかを見つめなおし,それへの対処の仕方を考えていく必要もあると思うんです。

 そういう違うレベルの話として,今日ふと,「他人とのかかわりを持ちながら生きている」ところも定型アスぺは同じで,「自分にとって心地よい他人とのかかわりを模索して生きている」ことも同じと言えるなあと思いました。ただし,その「心地よいかかわり」とは何なのかの辺りになってくると,違いがいろいろ出てくるのだろうと思うわけです。

 そこが違うと,「他人とのかかわりに求めるもの」の具体的な中身が変ってきますし,そうすると他人との関わり方にも当然違いが出てきます。そしてそれはお互いの「生き方の違い」を生み出していく。そのことはさらにこの世の中でそれぞれがどんな役割を果たして生きるのか,ということにも違いを作っていくのでしょう。世の中での扱われ方もそれによって大きく左右されるわけです。

 定型アスぺ問題はそんな風に,いろんな視点から「同じ」と「違う」を考えていく必要があると思うのですが,その点にも関わって,Keiさんから頂いたコメントは私の問題理解にとってはとても大きなステップになる気がします。

 私がこのところこだわっていて,keiさんも取り上げてくださった「中間状態」とスペクトラムの話ですけれど,その話を突き詰めていくと,「本当の自分」「素直な自分」といった「自分」というものは本当にあるのだろうか,あるとすればどういう意味であると言えるのだろうかという,言ってみれば禅問答みたいな話にもなってしまいます。そうしないと「理屈」としては整理しきれなくなると私は思っています。

 ただ,もともとそこは議論がいろいろあって,定型同士でもともすれば袋小路の話に迷い込んでしまうところだと思うので,下手な素人禅問答で話を抽象的にしてしまうよりも,もっと具体的なところで考えていくことが大事だろうなと,そしてその具体的な話の先に,無理なく自然にそういう議論にもつながっていけばいいなと思っていました。



 けれども,ご自分がアスぺではないかと考えられているKeiさんは,そういう議論にすぱっと切り込んで下さいました。そして「アスぺの方は<自分>というものがまず確固としてあることを確信し,同じように定型が<スペクトラムとしてある自分>を疑いもなく確信している」,というどっちもどっちの関係を想定されて,「そういう関係の中でアスぺ的な<自分>理解が作られていくのだ」,という意味の理解をされました(と,私は理解しました)。

 この理解の仕方は,私にはほんとに親しめるもので,まさに具体的な問題からそのあたりを少しずつ整理してみたいなと考えていた部分でもありました。

 ですから,私が定型的に想像したアスぺ的世界について,アスぺ寄りのkeiさんがパンダさんがアスペの方はこういう理由でこう感じるのではないかな?と予測として色々書いてらっしゃいますが、定型の方でもここまで真相に近づいて行けるのだなぁと感動しています。」と感じてくださる状況ができつつあるだけでなく,今度はKeiさんの定型アスぺ問題の理解の仕方について,私の方が「うん,理屈としてはまさにそこが問題の核心部分になるんだよな」と素直に理解してもらえたことを感じられるようなやりとりが成り立ってきたということになります。

 前に記事「アスぺの方はどこまで定型に迫れるか?」で,アスぺの方が定型的理解にどのくらい迫ってこられるのかということについて書きましたけれど,今回は定型の一人である私の発想に,直球ストライクという感じでkeiさんが迫ってこられたとも言えそうです。

 「自分」というものがほんとうにあるのか,というこの議論は,一見暇人の言葉のお遊びにも見えますが,けれども私が理解(誤解?)した範囲では,たとえば仏教はその疑問をずっと真剣に問い続けてきていると思います。「無我」というような話につながることで,「色即是空,空即是色」の般若心経の世界でもありますね。そしてそれは決してたんに理屈好きのお坊さんが趣味で考えられていたわけではなく,まさに人生の苦悩について考え抜いた先に「悟り」を得るために考えられ続けてきた問題でもあります。

 私自身は仏教的な悟りを目指している気持ちはないのですが,でもそこで考えられてきた問題の大切さはすごく感じていますし,その視点は見失わずに,しかし「悟り」では生きられない現実の問題をしっかり見つめていきたいと考えています。そういう,少なくとも私にとってはかなり重要なポイントで,アスぺサイドのkeiさんとやりとりの共有が可能になったわけです。

 ということは,「人生の苦悩」に関わるような重大な問題について,「脳の仕組み」みたいな,目に見え,手に取って調べられる具体的なものに限らず,かなり抽象的な「理屈」の世界でも,定型アスぺ間にある種の「共通理解」が成り立つ可能性が見えてきたことになります。

 (そう思って仏教のこととかを考えてみると,お坊さんの中にはアスぺの人もボーダーの人もいくらでもいらっしゃるでしょうし,そういう方たちにとっても納得のいくような,まさに人生に関わる議論がそこでは模索されてきたはずなんですね。そう考えれば,素人禅問答の世界で私とkeiさんの間にもし共通理解がある程度成り立ったとしても,ある意味当然のことなのかもしれません。)

 Keiさんは,自分というものについてそういう理解の仕方を書かれたうえで,「これはもう人間が人間を超えられるのか?ぐらいの壮大なテーマですね(笑)。」とか「これ(そういう関係の中をそのまま生きていく大変さ)を乗り越えるのはやっぱり「人間」には無理ですね!」とも書かれていて,そういう理解が果たしてそこから新たな何かを生み出しうるのか,それともある種「絶望的な状況」の確信で終わってしまうのか,そのあたりは微妙なのかもしれません。

 私自身は定型アスぺ間で理解が共有されるところが見出されれば,そこは新たな工夫への出発点,共通の足場になるのではないかと,期待半分に思っています。少なくとも「同じ」と「違う」に関して,こういう側面にまで「同じ」部分を感じられたのは,私にとっては新たな可能性を感じさせられる大きいことでした。登る道はそれぞれ違うかもしれないけれど,頂上はお互いに同じ場所を見つめられ始めたかもしれないと感じるような,そんな気分もあります。

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