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アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年4月16日 (木)

定型アスぺ押しつけの仕組み

 記事「中間的な状態の意味のズレ」にコアラさんから頂いたコメントを読んで,また頭が整理されることがありました。

 これまでアスぺの方が定型から苦しめられるポイントの大きなものとして,自分には理解しにくいことについて尋ねると,まともに説明されることもなく「そんなの当たり前でしょう!」とか「常識でしょう!」とかいう言葉で非難されるといったことがよくあげられていました。またやはり理解しにくい「普通」というのが押し付けられる,とアスぺの方が感じられて苦しむことも同じようなことでしょう。「あの人嫌な性格だよね」とか「ね」を使って同意を強要されるのもアスぺの方には負担になることが結構あるようです。

 要するに定型が勝手に「これは常識,普通」「そう感じるのは当たり前」と思っていることを押し付けられたり,同意や共感を求められるということに,アスぺの方は苦しんでこられていることになります。

 逆に言えば,定型の側は自分が「あたりまえ」と思っていたり,「この人とは当然共感できる」と思っていたことを繰り返し否定されたり,拒否されたりすることで,ショックを受けたり,拒絶されたような気持ちになったりして怒りを持ったり,あるいは傷ついたりすることが多くなります。

 で,この話だけを考えると,定型は共感派で,相手の人に同情した行動もとりやすい一方で,相手との違いに鈍感で,自分の考え方や感じ方をアスぺの方に押し付ける特徴を持っているのに対して,アスぺの方はある意味では自立的で,人は人,私は私という区別をしっかりし,相手の感じ方を尊重すると同時に,共感的な関係については冷たく定型を拒否する,といったシンプルな対比の理解になりそうです。

 ところがそう理解すると,今度は定型から見てアスぺの方が時にものすごく自分を相手に押し付けてくるように見えることの理由が分らなくなる。もし本当に「私は私,あなたはあなた」を最後まで貫くなら,そういうことは起こらないはずだからです。

 逆にそんなふうに定型の側がアスぺの方から「押し付けられる」と感じる時は,今度は定型が「私は私,あなたはあなたでしょう!」と思わざるを得ないので,ここでは定型アスぺの立場が完全に逆転してしまうわけですね。

 それは一体どういうことなのか。私はこういうことではないかと思いました。結論からいうと,「実際はお互いに違いが大きいのに,一方がその違いに気づかないときにこういうトラブルがおこる。定型アスぺのどちらが違いに気づかないかによって,どちらが「おしつけ」になり,どちらがそれに苦しめられるのかが変るけれど,基本的にはどちらも同じ仕組みで起きていることだ。」ということになります。

 コアラさんのコメントから,このことを少し説明してみます。

 まず私が記事の中で「「私は私,あなたはあなた」とはっきり区切ろうとするアスぺの方にも,その区別を感じないような親しい関係は存在するわけです。」と書いたことについて,コアラさんがこんなことを指摘されました。

「私の場合ですが、親しい間柄でもそこははっきり区別していて、「私は私、あなたはあなた」が口癖であったり、都合によってそのセリフを吐いたりしています。」

 これは指摘されれば,ああそうなんだろうなあと素直に思えるものでした。アスぺの方はたぶん定型よりも違いに敏感で(あるいは定型的な「普通」「当たり前」に苦しめられ続けた結果,敏感にならざるを得ない人生を送ってこられて),親しい間柄でも,その信念はゆらぐことはない。たしかにそうなんだろうなと思えます。

 ただし,コアラさんはそこに留まらずに,続けて次のように書かれています。

「でも、実際とる自分の行動は、相手からするととても区別しているようには思えないものなのかもしれません。」


 つまり,コアラさん自身の意識としては,私とあなたを区別する考え方は一貫していて,たとえ親しい間柄でもそれはゆるがないんだけど,でも,実際の行動ではそうなっていないことがあって,それは相手の意識からすると,区別していないことになる(のかもしれない)ということです。ということは,コアラさん(というかアスぺの方)が,そこに相手が感じるズレを意識していない,とか,気づいていない,ということですよね。

 自分と相手が一致している時,一致していない時という二つの状態と,一致していないときにそれに気づいている,気づいていないという二つの状態を組み合わせて考えてみると,コアラさんのこの例は次のように考えられそうです。

 お互いに一致している時,たとえば目の前のリンゴを見て,「このリンゴ食べてもいいのかな?」「うんいいよ」とか話しているときには,話はそんなにずれてはいないでしょうから,自分と他人の区別は問題になりません。ですからそもそも意識もされないのでしょう。もちろんやりとりしていて何の問題も起こりません。

 お互いに一致していないことがはっきりしている時,たとえば一方が「私はミカンよりリンゴが好き」と言い,他方が「私は断然ミカンの方がいいな」と返すようなとき,違いははっきりとしますし,またお互いにそれを認めやすいですから,定型的には「共感できずに悲しい・残念」となるかもしれませんが,それほど深刻なトラブルになるとは言えない(もちろんそのきっかけになることはあり得ますが,それはそのほかのことが絡んでのことでしょう)。「私は私,あなたはあなた」ということが改めてお互いにはっきりと意識されておしまいです。

 押しつけの問題が起こるのは,一方が違いを意識しているのに,他方がそれを意識しない場合です。コアラさんはそういう場合について,ご自分の経験からこんなふうに説明されました。

「「すごく合理的なやり方」や「効率の良い方法」(自分なりの)などは、他人にはあまり教えたくないし教える必要もなく、それを親しいからこそ教えたい(気持ち的には伝授したいというくらい大事なこと)と思い行動に起こします。その時、自分の状態が良ければ言い方も柔らかくなると思うのですが、「なんでこんな簡単な事もわからないんだ!」という気持ちが含まれていたりすると無意識に口調が荒くなりがちです。そんな自分に相手が反応した時や、「教えたい」という気持ちを拒まれた時にパニックが起こるというか。。。「違い」として認識できてないので、相手の反応がとても不愉快で理解できないものになります。相手に絶望することもあります。」


 こういう場合,コアラさんは自分が相手に伝授したいと思っている中身は,「合理的」で「効率が良い」もので,それは相手にとっても「同じ」だという確信を持たれているわけです。そのことを全く疑いもしないような状態でしょう。そう信じ込んでいて,その信念に基づいて「相手の人のために」と特別の好意で伝授しようとしていることを拒絶されて,訳が分からずパニックになり,大変に傷つかれるわけです。

 まさに一方が違いを意識し,他方は違いを意識していない状態でのトラブルです。

 逆にアスぺの方が定型の「普通」に苦しめられるのも,その限りでは全く同じパターンですよね。定型は「そんなこと説明するまでもなく当たり前のことで,相手は当然共有しているはずだし,共有しなければならないことだ」と思ってアスぺの方にそれを強要するわけです。その時は定型の側はズレに全く気付いていませんから,強要している意識はほとんどなくなります。そしてアスぺの方からそれを否定されたりすることで激しく怒ったり,ショックを受けたりする。

 
 定型アスぺ間で違いがあるとすれば,なぜ自分の考え方が相手にも通用すると考えているか,その違いかもしれません。定型の場合,「どうしてそうなの?」と聞かれたとき,いろいろ説明を試みて,うまく説明が出来なくて,それでもしつこく聞かれたときに,「そんなの当たり前でしょう」とか「普通でしょう」と言うしかなくなくなったりしますが,さらにもし「どうしてそれが当たり前なんですか?」と問い詰められたとすれば,出てくる答えはこうなりがちじゃないでしょうか。「他の人にも聞いてごらんよ。みんな同じことを言うから。わかんないのはあんただけだよ」

 つまり,定型がそれを当然と考えるのは,周囲のみんなもそう考えているから,という場合が少なくないと思えます。それに対してアスぺの方は「個人的な信念」とでも言えるのかもしれないと思います。他の人はそれを理解しているかどうかは分らないけれど,自分はそのことを発見していて,繰り返しその考えの正しさを確かめていて,それはもう明らかに間違いのないことで,誰にでも通用することだ,という形でその信念はつくられていく。(補:あすなろさんの質問に答えられたコアラさんのコメントに,すごく分りやすくそのことが書かれていました)

 まあ,もちろん定型でも自分で確かめた結果当然と思うようになる場合もあるでしょうし,アスぺの方でもみんなが言っているからそうなのかなと思う場合もあるでしょうから(たぶん 私の想像です (^ ^;)ゞ),完全にそのような分け方ができるとは言えないでしょうが,けれどもかなりそういう傾向が強いとか,あるいは定型アスぺを比べると,相対的にその傾向が強いとか,そういうことは言えそうに思うのです。


 そういう違いはありながらも,結局一方が違いに気づかず,他方が違いを意識している時に「一方的な押しつけ」が起こるということは,定型アスぺのどちらにも言えることで,そう考えると,アスぺの方が「私は私,あなたはあなた」ということをこれほど強調されながら,実際には定型に対して自分のやり方を押し付けてこられることがある,という,ちょっと分りにくい話も,矛盾することなくすっきりと説明できるようになる気がします。

 そして,そういうズレの仕組みの結果,コアラさんがこう嘆くような事態が繰り返されるのでしょう。

「アスペ側の「大切な相手だからこそ伝授するスペシャルなもの」を、「距離感ゼロのすごく強制的なやり方」と定型側に拒まれる。どっちが正しいとかでなく、感覚の違いによる「ズレ」が、こんな悲劇を生むなんて…」


 ほんとうに心を込めた贈り物を無下に拒否されたとき,傷つく心は定型アスぺどちらも同じということですね。


 もう一点,コアラさんのコメントから大事な問題を感じたのですが,それはまた改めてということで……。

 
 

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