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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 気遣いが伝わらない理由 | トップページ | 定型アスぺ問題の基本的な形 »

2015年4月 8日 (水)

報連相の話と気遣いの話

 昨日記事「気遣いが伝わらない理由 」で書いた話と,だいぶ昔に書いた報連相の話がなんかつながりそうに感じました。

 報連相の話というのは,アスぺの方が定型との関係でトラブルを起こしやすいこととして時々言われていることで,一緒に何かをするとき,やったことを報告するとか,状況について連絡をするとか,展開について相談するとか,そういうことがうまくいかない場合が結構ある,という話です(たぶん (^ ^;)ゞ)。

 定型であれば「ここは結果をまず報告したり,経過を連絡するだろう」とか「ここはどうすべきか相談するべきだろう」とか思えるところ,アスぺの方がそれをスルーして,自分で処理してしまい,その結果仕事であればチームワークが取れなくなりますし,個人的な人間関係で言えば「ここはお互いに一緒にやろうとしていたはずなのに,その後は自分が放置され,無視された」というふうに,何か自分を切り捨てられたような印象を定型が持ちやすい場面になります。

 アスぺの方にもいろんなタイプがあると思うので,この話がどこまで一般的に言えるのかは私にはわかりませんが,少なくともそういうことが起こりやすいタイプの方についていえば,その生き方のスタイルはこんなイメージでとらえるとちょっと分りやすいかもと思いました。

 基本的には自分の世界は自分の中で安定させたくて,外から揺り動かされることはできれば避けたいと思う。とはいえ人と関わることは避けられないので,頑張って自分の世界から出て,他のひととも関わるけれど,ほんとに疲れるし,かかわりは最小限にして,はやく自分の世界に戻って安らぎたいと思う。人に嫌われたいとか否定されたいとは思わないが,自分の価値が人によって決まるともあまり感じない。

 それに対して定型の方は人との関係の中で自分を安定させようとする傾向が強い。感情的な関わりで相手に影響を与えたり,与えられたり,ということがその過程では不可欠になるので,いつもそういうことをどこかで気にして,そこで安定した関係が成り立つように調整を心がけている(いろんな「気遣い」とかもそれでしょう)。そしてその他人との関係の中で自分が何かを達成することに大きな価値を感じる。

 そういう生き方のスタイルの違いが定型アスぺ間にあるとすれば,その延長上に報連相問題が起こっても不思議はない感じがします。定型は「今不可欠な情報」ということだけではなく,その周辺の関係あるのかないのかわからないようなあいまいな情報や,ほとんどどうでもいいように思えるような話も含めて共有し,「一緒に考える」という姿勢を取りやすい。定型が井戸端会議や噂話が好きな人が多いのも,そういうあいまいな情報をいつも共有しようとしていることと考えればわかりやすいでしょう。

 それに対して,アスぺの方には「今不可欠な情報」を最低限やりとりして,あとはそれぞれが「自分で考える」というスタイルが自然なのでしょう。そうなるとそれ以上に情報を共有する意味を感じにくいことになります。そうすると,定型にとっては必要と感じられる「周辺的な情報」が,アスぺの方にとっては不必要な情報と理解され,そこにズレが生まれてやりとりがうまく進まなくなる。

 それで,この話が昨日の話とどうつながるかというと,こういうことです。

 定型にとって気遣いのやりとりは,「自分の気遣いたい思い」があって,「気遣いの振る舞い」をして,そのことで「相手の役に立つ結果」になって「相手は喜んでくれて」……,というところまででは完結しないのだと思います。そうではなくて,実はそのあとに,「相手の人が自分の気遣いを喜んでくれている,ということを相手の反応から実感できる」ところまで行って,気遣いのやりとりが目的を達成したことになるんだろうと思うんです。

 ちょっとややこしいかもしれませんが,この最後の話は「相手が<よい結果を>喜んでくれた」ということをこちらがわかればいいという話ではありません。「相手が<私の気遣いを>喜んでくれた」ということが大事で,相手の人のその喜びの中に「私から気遣われたことが嬉しい」という内容が入っていて,それが何らかの形で伝えられることが重要になっていると思えるのです。

 それに対してアスぺの方は「相手の役に立つ結果になる」ことまでが大事で,「相手の人が自分の気遣いを喜んでくれているということを(自分が)実感できる」というところは定型ほどには重視されないのではないかと想像するのです。そこはある意味「相手の問題」であって,私の問題ではない,という感覚がありそうな気が……(勝手な想像です)

 で,そういうスタイルの違いがあるとすれば,定型の場合は「(結果ではなく)相手の気遣いを喜ぶ」という形で,お互いに「喜びや感謝を共有しあう」ところまでがないと「気遣い」の関係が完成しにくいわけですから,そこをあまり気にしないアスぺの方の「気遣い」は,定型にとってはなにかドライな事務的やりとりのように感じてしまいになりがちでしょう。ですからそこに「気遣い」があるとは感じにくくなる。そんなことが起こるのではないかと思えたのですね。

 このパターンで考えると,さらにいくつかのことがつながって見えてきます。

 たとえば,これも以前に話題になった「アスぺの方は自分がいいと思ったものを,自分にとって大事な相手に見せてあげるのだけれど,それについて感想を言い合ったりすることはあまりなく,ただ見せてあげて,それをどう感じるかは相手に任せ,そこに踏み込んでいかない」という例も,同じこととしてつなげて理解できるようになります。

 定型はそこで自分の感動を表現したり,感想を言い合ったりして,「共感」を深めることで,大事な人との「つながり」を確かめるわけです。それで,アスぺの方のそういう「途中までで終わってしまう」ように感じられるやり方は,とても不思議感に満ち,何とも物足りない感じになります。ここでも「相手が満足すればそこまででOK」というアスぺの方に対して定型の方は「お互いに満足していることを確認し,実感しあうところまでいかないとやりとりが完結した気分にならない」わけで上の話と同じパターンになります。

 そうすると,アスぺの方がしばしば定型に対して「共感を押し付けて来る」と感じられる理由もわかる気がしてきます。アスぺの方にとっては「相手の為にしてあげた」ことはもうそこで完結しているはずなのに,その後「相手に任せられるべき部分」,「自分が立ち入ってはいけない部分」についてまで,定型が踏み込んできて「合意」を求めるように感じられるからです。

 定型の側からすれば,それは感情の共有とか,共有の為の調整をアスぺの方から拒否されたような感じになって,冷たい関係と見られますし,アスぺの方に対して「つながれない感じ」を常に持ちやすい理由もそこから見えて来るように思えます。


 
 アスペの方にとっては「相手が<よい結果を>喜んでくれた」ということが大事なポイントになるのに対して,定型は「相手が<私の気遣いを>喜んでくれた」ことを大事にする,という風に考えると,これまでも何度か取り上げた次のような定型アスぺのズレもまた分かりやすくなると思えます。

 定型は相手から気遣われたとき,もしその結果がうまくいかなかったとしても,「気遣ってくれた」ということ自体に喜びを感じることがよくあります。もちろん結果が得られなかったのは残念ですし,そこは悲しいのですが,でも結果はどうあれ「気遣う関係をそこで保ってもらえた」ということ自体に大きな価値を感じる。「あなたのその<気持ち>が嬉しいし,その<気持ち>に私は支えられる」というような状態ですね。

 ところが少なくとも私のパートナーとの関係では,やっぱり「結果」が問題になるんです。いくら「気遣い」があっても,「結果」が付いてこなければ相手の人の状態はプラスにならないわけで,そこに「相手への感謝」が生まれるということは彼女には分りにくいことのようなのですね。「そうやって自分の為にしてくれる気持ちが嬉しい」といった私の言い方には,「でも結果は全然だめだったわけでしょう?」という反論(?)が真剣に繰り返されます。なんでそれが嬉しいのかが分からないというわけです。

 つまり私は<気遣ってくれた相手の気遣い>という気持ちの部分を喜びの要素にしているのに対して,彼女は<自分の気遣いで相手が実際によい結果を得られた>という現実の部分に満足を得られる,というズレがあって,そういう彼女の視点からすれば,結果が付いてきていない(だから相手は幸せではないはず)にもかかわらず,それを「喜ぶ」ということがわかりにくいし,そこで「嬉しい」と言われても,なんのことか実感できず,社交辞令か何かのようにしか受け取れない,ということが起こっているような気がします。

 彼女の方はその結果,私の言うことの意味が分からないので,怪訝な顔(分らなくてしんどそうな顔)で「なんでそれが嬉しいのか分らない」と言い,感謝の気持ちを伝えて共感をしたかった私の方は「どうしてあなたの気持ちが嬉しい,という自分の気持ちを共有してもらえないのか」と感じてショックを受け,また関係を絶たれたような気持ちになる。そんなことの繰り返しがたぶんあったのでしょう。

 どの場合でも,どちらも相手のことを考えてはいるわけです。ところがその「相手のことを考える」ということが,どこまでで完結するのか,というポイントがずれる。そしてそのずれは,最初に書いた生き方のスタンスの違いにつながっている。そんな関係が見えてきます。

 という感じで,なんとなくこれまでばらばらに考えてきたいくつかのことが,ちょっとずつ私の中でつながって見えてき始めました。もちろん私の個人的な勝手な想像でのことですので,どこまでアスぺの方に通用するのかは全くわかりません。

 たとえばここでは「気遣い」があるということを前提に考えていますが,でももしかするとそもそも「気遣い」ということが最初から問題になりにくいタイプの方もあるかもしれません。ただ私のパートナーとの関係を思い起こしながら,個人的にはそう考えるとある程度感覚的にも分る部分が増えそうな気がするということに留まります。まただんだんと考えていくべきことでしょう。

 あと,書きながらちょっと思ったことですが,「基本的には自分の世界は自分の中で安定させたくて,外から揺り動かされることはできれば避けたいと思う。」というアスぺの方(の一部?)のスタイルは,定型でもうつ状態になればかなりそれに近くなるだろうと思います。

 そうするとアスぺの方のそういうスタイルは,訳の分らない定型社会のプレッシャーの中で鬱状態になりそうになって,そこから逃れようと結果として選んだスタイルなのか,それともそもそもそういうスタイルを作りやすいのか,そこは私にはまだよく分りません。両方かもしれません。また,それがアスぺの方についても鬱的な状態の一種と考えていいのか,もうちょっと違うことなのかも気になるところです。

 

 

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コメント

パンダさんがおっしゃりたいことをいつも 自分と元パートナーで照らし合わせながら こういうことなのかなぁと 思い出しながら 考えたり想像するのですが もし よければ どんな出来事があって 何が原因でどんな会話があり どう感じて と 具体的に、詳しく様子がわかるとわかりやすい気がするのですが…

もし よければ…の話ですが…(^_^)

パンダさんの話を、私自身がきちんと、とらえて理解しきれているのかが たまにわからなくなります(苦笑)

どういう出来事があったのかなぁ と 気になったりもします

もし 状況が許されたら 時には 詳しく知りたいです。

どんぐりさん

今、これまで具体的な例で考えてきたことが、自分のなかで急速につながってきている感覚があって、そのつながりかたに注目して書くものですから、分かりにくくなっちゃいますよね (^_^ゞ

書いていることが何か一つの具体的出来事についてというより、いろんな出来事がたくさんまとめてそこに入ってしまっている感じです。

もう少し自分のなかで整理できてきたら、「じゃあ、具体的には例えばどういうことなの?」ということについても、改めてちょっとずつ書いたり考えたりしてみたいと思います。

それはそれとして、どんぐりさんのような経験をお持ちの方の場合、このブログにそんな意味が出てきたりするんですね…。

何となく、そんな場合もあるかもとは感じてはいましたが、ほんとにそうなんだと知って、またこのブログの役割について、ちょっと理解を深めたような気になりました。ありがとうございました、

>それはそれとして、どんぐりさんのような経験をお持ちの方の場合、このブログにそんな意味が出てきたりするんですね…。

大いにあります。やはり。一度は命懸けで人生かけたわけです。一体、アスペ元夫との日々って 何だったのだろうと、考えない日はないです。腑に落ちないまま、釈然としない スッキリしないまま 疑問形で終わっているわけで、 仕方がなかった できるだけやったと思いながらも、なにかわからないまま、モヤモヤしています。 自分の中で矛盾した気持ちがたくさんあります。

なにか 割りきる形でなく、ストンと心に落ちてくるなにかがあれば きもちに終着できるのかなぁと その何かを探したいきもちがあります。
でもみつからなくて 割りきるしかないと 思いながらも。

子どももいますから、忘れることはできません。

そんな感じです。

追伸
パンダさん

なので、心の整理?に読ませていただいたり また 今後、元パートナーに関わるときなどに参考にさせていただいたり、 また 読みながら混乱する時もありますが、心から感謝しています、
また 最近は 自分も何かしらあるのではないか?と考えさせられたりしているのも事実です。

そして 父の事も考えさせられているところなのです。
ありがとうございます

どんぐりさん

このブログは定型アスペ間で何とか前向きのコミュニケーションが可能にならないか、ということをしつこく考える場にもなっていますから、すでにお互いの関係に一つのけじめをつけてしまわれた方には意味を持てないか、あるいは逆に変に古傷をほじくりかえして傷つく場になってしまわないかと、そのことはずっと一つ気になっていることでした。

そういう可能性も今も無くなってはいないわけですが、でもそれとは逆の意味を確かに感じてくださる方もいらっしゃるということで、ここでのやり取りが定型だけにとどまるのでもなく、アスペだけにとどまるのでもなく、さらには今現に模索中の方に限られずに過去の傷に今苦しんでいらっしゃる方にも何か意味を持つ可能性があるということで、ほんとに良かったと思います。

これからもいろんな形で、いろんな立場で定型アスペ問題に悩む方にとって意味のある場に育っていってほしいと思いますし、また色々お力をお貸しください。

パンダさんこんにちは^^
以前掲示板の方でも相談させていただきました。みかんです。

その後すったもんだありましたが、アスペ傾向のある彼と籍をいれました。日々楽しく過ごしております。

パンダさんの今回の記事を読んで、一応定型(のつもり)のわたしは激しく共感して、うんうんそうなんですーと声を出しそうになるくらいでした。

旦那さんも同じです。気遣いの気持ちにはあまり興味?感想?はないみたいで
「~してくれてありがとう」とか
むしろ「ありがとう」を言い合うのも、近しい間柄では(仕事モードは別)必要を感じないようです。

「自分の気遣いも、できれば相手には気づかれたくない」と言っていました。

感覚が、違いますよね^^

パンダさん、今晩は!

以前に一度コメントさせて頂いたのですが、
その後もこちらのブログの記事を参考にさせて頂きながら、
日々友人とのコミュニケーションを試行錯誤しております。
本当に思い悩んだ時にこちらのブログに書かれている事が
ヒントになる事が多く、心から感謝しております。

友人とのやり取りの中でも、
共同の作業をしていて「結果重視の傾向」はあるなと、
私も感じる事が多いです。
仮にその仕事が結果として上手く行かなかったとしても、
定型的な私は"それまでの過程も大事"とか、
"頑張った事"なども考えながら、
次に同じ様な状況に陥った時の対策を...と、
上手く行かなかった理由などを反省しながら、
次にはどう対応したら良いか!?と確認の話をしようとするのですが、
友人の方は、
「上手く行かなかったものは悔いても仕方ない」と、
かなりドライな反応でしか返って来ません。
そこには"悔い悩むよりも次へ..."という事なのかも
知れませんし、ある意味そういう考え方も見習いたかったりする
部分もありますが...(笑
どちらが正しいとかでなく、やはりポイントがどこにあるかの
ズレなんだな...と感じています。

また、記事中に
「アスぺの方は自分がいいと思ったものを,
自分にとって大事な相手に見せてあげるのだけれど,
それについて感想を言い合ったりすることはあまりなく...」
という部分ですが、
こちらに関しては反論という事ではなく、
あくまでも事例としてご報告させて頂きたいのですが、
その友人の場合は、自分の好きなお菓子などを私に分けてくれるのですが、
海外のお菓子などは色彩がドギツくて私個人的には
あまり好きでない物があります。
私が「ありがとう。でも好きじゃないからいらないよ...」と、
わりとハッキリと断ったとしても、
「絶対に美味しいから食べてみて!!!」と自信満々に...
で、その翌日とかに、
「ちゃんと食べてみた!?美味しかったでしょ!?」と聞いて来ますし、
まだ私が食べていないと、
「早く食べなよ! で、後でどうだったか教えて...」と言います。

そういう所はやはり個人差があるのかな..と思いました。
もちろん全部が全部同じ反応ではありませんが。
そういった所を見ると、これからも色々とやり取りを重ねた上で
その友人の事や状況を知り、理解する努力をして行きたいと思います。

ここで"自分が美味しいと思う物を分けてあげたい"という
友人の気遣いがそのお菓子よりも嬉しく感じてしまいます 。
で、それをちゃんと嬉しそうな態度に出すと、
その友人も嬉しそうにしていますし...
色々とやり取りの中でズレは生じますが、
小さな喜びをお互いに感じ合えたって事なのでしょうね!?
今後もこういう小さな喜びを少しでも増やせる様な
コミュニケーションを取り続けたいなと心から感じています。

長くなってしまい大変失礼しました。

みかんさん

 なにはともあれおめでとうございます。
 楽しく過ごされているというのが何よりですよね。
 何か秘訣とかあれば,また教えてください。

 いろいろ条件は違うでしょうに,そんなふうに「おんなじ」と感じられることが
 改めて新鮮でした。やっぱり共通したものを抱えているわけですよね。
 その違い,ズレに気づくことなく,訳の分らない辛さが続く,
 ということにならないだけでも,だいぶん違うんだろうなと思います。
 私の場合はほんとに訳の分らない辛さでしたし…… (^ ^;)

ムゥさん

> 本当に思い悩んだ時にこちらのブログに書かれている事が
ヒントになる事が多く

 そう思っていただけるのだとすれば,ほんとにうれしいです。
 私はほんとに限られた経験から,自分勝手にいろいろ考えて
 書いているだけですので,自分の中で問題が整理されるだけでなく,
 他の方にもそれがお役に立つとすれば,ほんとに「望外の喜び」というものです。

>「絶対に美味しいから食べてみて!!!」と自信満々に...で、その翌日とかに、「ちゃんと食べてみた!?美味しかったでしょ!?」と聞いて来ますし、まだ私が食べていないと、「早く食べなよ! で、後でどうだったか教えて...」と言います。

 こういうところも,ほんとに個人差が大きいんですね。
 いわゆる専門家の方が書かれているものを読んでみても,
 いろんなタイプについて説明されています。
 ほんとにお互いに正反対みたいなタイプもあったり。

 ちょっと共通点を感じるとすれば,「自分のやり方を相手に合せることなく
 ひたすら貫く姿勢を持っている」ように感じられるところでしょうか。
 それが相手に対する積極性の中で発揮されることもあるし
 自分自身の世界に入り込む形で発揮されることもあるし。
 なんとなくそういうこともあるのかなと感じました。

 なんにしても,ほんとに単純な決めつけが通用しない世界の気がします。
 またいろいろ教えてくださいね。

パンダさん、そしてみなさん、はじめまして。

昨年から自分はアスペなのではないかと思っており、偶然見つけたこちらの
ブログで毎日勉強させていただいています。
当然ながら周りの人は定型と思われる方ばかりなのですが、なかなか「どうして
そういう感じ方をするの?(単純なギモン)」とは聞けず、定型さんの感じ方を
知れる場としてかなり貴重です☆
ありがとうございます<(_ _)>

パンダさんがアスペの方はこういう理由でこう感じるのではないかな?と予測
として色々書いてらっしゃいますが、定型の方でもここまで真相に近づいて行け
るのだなぁと感動しています。
(もちろん真相が簡単に分かるとは思っていませんし、私は未診断です(^_^;))
アスペは自分の中で感情を安定させようとするとか、気持ちよりも結果を、という
のは、自分の場合は全くその通りです。

定型さんの、「他人との関係の中で感情を安定させる」っていうのはどういう感じ
なのだろう?できれば1日だけでも定型になってみたい。
私はいい感情でも悪い感情でも相手に積極的に伝えようとは思いませんし、伝え
られるとかなり重荷に感じてしまいます。
感情は自分で整理するものであって、伝えられても何もしてあげられないからです。
実際に何か作業として力を貸すとかならできる範囲でするんですが、「気持ちを
支えてあげる」っていうカタチのないことはできないし、してほしいとも思いません。
「気遣い」も、してるアピールをするのもされるのも苦手です。
したいときしたい相手に「勝手に」気遣いする、それでいいと思います。

さて、今まで読むばかりでコメントするつもりもなかったのですが、長年のギモン
がパンダさんのムゥさんへのコメントの中に現れたので、どうしてもお聞きしたくて、
思わず。

>ちょっと共通点を感じるとすれば,「自分のやり方を相手に合せることなく
 ひたすら貫く姿勢を持っている」ように感じられるところでしょうか。

「自分のやり方を相手に合せることなく」のところ。
自分の場合、こういった文章を読むとすぐに「どうして相手に合せないといけない
のだろう?(単純なギモン)」と思ってしまいます。
自分と相手は違う人間なのだから合わないのが普通だし合せる必要性もない
だろうと。

表面上合せる必要のある場面があるのは理解できます。
自然な感覚で「相手に合せよう」と発想できるのがフシギなのです。
そして、等しく「合せてもらいたい」という気持ちも強く持ってらっしゃると思います
が、それはなぜなのでしょう。
自分にとってそうすることが当たり前、またはそれが愛情表現だからでしょうか。
愛情表現だとすれば、なぜ「合せること=愛情」になるのでしょう。

じゃあなんで合せようと思わないの?と自分が理由を聞かれたら、「だってそれが
普通の感覚なんだもん」となってしまうので、他人に説明を求めるのもおかしいかも
ですが。
それでも例えば、会話で話を合されると、「相手が本当に思っていること」が分から
なくなってしまうので、合されるのは好きではありません。「本当のこと」を言って
もらいたいです。自分が相手に合せることもあまりしません。
たぶん、「正しい情報かどうか」を重視しているんでしょうね。

長々と失礼いたしました(^_^;)
もし答えてもいいかな…と思われたらお願いしたいです☆
コメントを含め大体の記事には目を通させていただいているつもりですが、既出の
話題でしたら申し訳ありません。
それでは~

Keiさん

 はじめまして,どうぞよろしくお願いします。

> もし答えてもいいかな…と思われたらお願いしたいです☆

 の件ですが,刺激的な問いで,長くなりそうなので記事に書き始めてみたら,
 本題に入る前のところで長くなってしまいました (^ ^;)ゞ
 ちょっとずつ手探りで書いてみたいと思いますし, 
 また是非ご意見を下さい。

 うまく伝わるかどうか,あるいは疑問につながる内容になっているかどうか
 わかりませんが,ひとつの手掛かりとしては,
 記事「定型アスぺ問題の基本的な形」に書いた

「定型の場合は自分の感情状態を安定させたり,高めたりするために,相手との感情的な面を含めたやりとりを求めることが多い。「共感的な関係を持とうとする」みたいな話です。そういう「共感的な関係」を作ろうとする姿勢をお互いに持てる人が,自分にとっては大事な人で,信頼できる人になります。そういう「姿勢」自体がとても大きな価値を持っているから,昨日の話で言えば,定型の側はたとえ結果が伴わなくても,相手の「気持ち」だけで嬉しくなったり,とても支えられた気持ちになることがある。」

 という部分が一つのお答えの仕方になるのですけれど,
 この書き方ではわかりにくい,ということなのでしょうね?
 どの辺で特にわかりにくいかとかも,また教えてください。
 ちょっとずつ伝わりやすい説明の仕方を探ってみたいと思います。

 逆に私の方から質問なのですが,
 「定型の方でもここまで真相に近づいて行けるのだなぁと感動しています。」
 とまで書いてくださって,そう感じていただけたことはほんとによかったですが,

 こういうとき,Keiさんの「感動」の中に,
 「理解されたこと」の喜びみたいな感じはあるでしょうか?
 もしそこで「理解された」という感覚があるとすれば,
 そのことで相手とのつながりが強まる感じが生まれることはないでしょうか?
 また,「理解されないことの苦しさ」みたいなものは普段ないでしょうか?
 あるとすれば,「理解されて救われた」という思いになることはないでしょうか?

 というあたりがちょっと手掛かりになるかなと。

パンダさん

こんばんは。
ご返事いただき、また記事でも触れていただきありがとうございます<(_ _)>

「見る」経験のない方に色の違いを説明する、この例えはとても分かりやすいですね。
相手の立場になったことがなく、相手の感覚が分からない。
そんな相手に、ある程度想像はするとしても、結局自分の感覚で自分の言葉を使って
伝えようとするのです。果たして伝わるかどうか。
定型の方になってみたいというのも、理解したくてもやはり「限界」はあると感じていて、
感覚的に分かるには実際に本人になってみるしかない、と思うからです。

質問のお答えとして、記事の一部分を引用していただきました。
「合せること」が「共感的な関係を持とうとする」ことになるということでしょうか。
そして、やはり相手の「気持ち」を嬉しく感じるのですね。

これは、そういうものなんだな、と、頭で、知識として把握することはできます。
ただ感覚では理解できません。それを大事だと思う能力が低いからです。
自分は他人との関係で荒れた気持ちを自分で安定させるのが基本です。
他人=自分の感情を乱す者、となります。
他人の否定的な言葉には影響を受けますが、肯定的な言葉は流してしまいます。
「口で言ってるだけだろうな」と、本気で嬉しいと思うことはありません。
(この点はアスペが原因というより個人的な問題と思います。反省です(-_-;))

ですから、自分が疑問に思うのは定型さんが人と積極的に関わろうとし、「気持ちが
嬉しい」と思う能力が高いのはなぜなのか?なのです。
(ひねくれた私からすると、相手の言葉を素直に喜べる方は素敵です)
何で合せたい(合せてもらいたい)の?→共感的な関係を持ちたいから→なんで持ち
たいの?→それができる人が大事な人で必要不可欠だから→なんで必要不可欠
なの?→定型は感情を安定させるためにどうしても他人との感情的なやり取りが必要
だから→なんで必要なの?…
この疑問だとエンドレスで続いていく感じですが、例えば次の質問に変えると分かり
易いでしょうか。

何で物は落ちるの?→重力があるから→何で重力はあるの?→存在するから(了)
つまり、そういうもので説明しようがないことの理由を聞きたがっているということに
なりますね(^_^;)
こうなると、本当に相手を理解することへの諦めが漂う感じになりますが、やはり
どうにかお互いがいい気持ちで付き合えるような道を見つけたいものですよね。

最後にご質問いただいたことについて。
「理解されたことの喜び」はありませんでした。自分が理解されたと思ったわけでは
なく、パンダさんが必死に手探りで、アスペの感覚が実感としてお分かりにならない
にも関らず事実の一部分に到達されたことに感動したのです。
「相手とのつながり」に関しては、強まる弱まる以前に、初めからない感じ。
絆とか信頼とかよく分かりません(^_^;) ただ家族に対してだけは目に見えないけれど
確かなつながりがあると、最近やっと実感できるようになりました。
「理解されないことの苦しさ」はありますが、しょうがないかと諦めている面があります。
「理解されて救われた」経験を思い出してみましたが、なかなか浮かびません。
それでも理解してもらえれば嬉しく感じると思います。
ただ、定型の方が感じるほどの嬉しさはないと思います。ひたすらに、他人の言葉や
対応に喜ぶ能力が低いという感じです。他人に理解されたからといって生き易くなる
わけでもありません。
自分にとって他人は常に外部にあるのですが、定型さんにとって他人は自分の一部
になっているのでしょうか?

長すぎて途中で見放されてしまったかも(>_<)
こうして書いてみると個人的な問題も多そうですね。大変失礼いたしました<(_ _)>
逆に自分はなぜ定型さんが大事に思うものをそう思えないのか?
じっくり考えてみたいと思います。

それでは今後とも、よろしくお願いいたします☆

的外れなコメントかも知れませんが、前からの疑問を書きます。
感情を自分の中で安定させることは定型にもあります。それに対し感情を他者の中で安定させる、という他者をずばり恋愛相手「好きな人」に絞ります。どんなに冷めた人間嫌いの定型でも、好きな人は特別だからです。基本的に一人で居たい人も、好きな人には会いたいです。恋は盲目というように、相手の気持ちに対し一喜一憂し、舞い上がったり落ち込んだり、喜怒哀楽の全てを支配されます。
アスペの方の恋愛について切実に聞きたいです。
アスペの方は、会いたくてたまらない、相手に好かれたい、喜んでほしい、何でも話したい、頼ってほしい、理解したいしされたい(「合わせる」のとは違います)、相手のためならいかなる犠牲もいとわない、寂しい、切ない、とにかく全ての価値観が覆るほど、胸がキューッと締め付けられるような恋愛感情はあるのでしょうか?「一緒に居て安心」というのではなく、もっと切羽詰まった激しい感情です。思春期でも芸能人でも過去の人でも、そのような経験はあるのでしょうか?

ジャスミンさんはアスペの感覚を責め立て、定型者の価値観を押しつけないで下さいね。
あなたのような人が多いから二次障害になって苦しむ人が出てくるんです。
定型者は定型者の価値観があるように、アスペにはアスペの感情がたることをわかって下さい。

ジャスミンさんが 価値観を押し付けているようには 文章からは読み取れませんが。
ただ素朴に 知りたい、理解したい それだけだと思うのですが。

芸能人や学生時代に男性を好きになる気持ち、好きな人の彼女に嫉妬する気持ちなどはありましたが、今思えば憧れ程度だったと思います。

もともといじめやパシリにあってましたから男女問わず不信感があったために深く好きになれることがなかったです。

私は31歳ですが、恥ずかしながら付き合った人が二人しかいないので、それを前提にさせて頂きますが。

やはり発達の場合は「自分の横にいても違和感を感じないか」か基準になると思います。

私の場合はまず障害がある人にも対等に接してくれた人と仲良くなり、その中でも気があった人とさらに仲が深まるような感じです。
(自分の選んだ感覚は結果的にはあてになりませんでしたが…) 

人に対してのトラウマがあるので、付き合いはじめるまではなかなか相手に気持ちを深められず、時間がかかります。ただ付き合いはじめたら依存は強くなります。

一人目は精神病でした。
最初は何とも思いませんでしたが、私よりも精神年齢が幼く、発達の私ですらついていけなくなって別れました。

前の恋人にはかなり依存が強かったです。アスペ特有の執着かもしれません。
胸を引き裂かれるような思いやドキドキ感はありません。
恋愛感情というよりは、家族間の愛情のような感じです。

恋人の言葉にはかなり一喜一憂してました。
前の恋人が若い時は非常にかっこよかったのでモテたようで、過去の女関係の話をしてきた時にはかなり嫉妬しました。
出来が悪い分だけ、前の奥さん(彼はバツイチです)や昔の彼女と比べられた時は嫉妬と嫌悪感で一杯でした。

そして彼に対しては何でもしてあげたい気持ちでした。唯一自分のことを後回しにしてでも何かしてあげたいと思った人です。
ただ、向こうも私が障害で出来ない部分ばかり責めてきて、理解してもらえないつらさはかなりありました。
相手に対しての思いが強い分、理解してほしい気持ちが強かったし、他の人には理解してもらえなくても彼に理解してもらえたら大きな支えになったのですが、かなうことはありませんでした。

ジャスミンさんの求める回答になってるのか分かりませんが、私の場合はこんな感じです。

発達障害の友人でも定型者のような恋心を持ってる人(私の周りは良いように利用されたり、失恋ばかりですが)もいるので、その人の特性によっても変わってくるとは思います。

にわとり様、とても言いにくい貴重なお話を、ありがとうございます。
御指摘の通り、純粋に知りたいだけで他意はありません。
人それぞれだと思いますが、にわとり様の場合は定型と変わらないのではと思いました。
御手数かけてすみませんでした。

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