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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年4月 7日 (火)

気遣いが伝わらない理由

 パートナーとの間で,お互いに相手を気遣って頑張っていることが気づかれにくい,ということが繰り返されます。その結果,「自分はこんなに気遣っているのに認めてもらえない」という感覚がどちらにも生まれてしまいます。

 なんでそうなるのか,むつかしいんですが,ひとつには「気遣ってほしい部分」がずれてしまうということがありそうです。これは誰かを気遣うとき,自分自身が人から何をされたら嬉しいか,というところを手掛かりに何をするかを考えるでしょうから,そこがずれやすい定型アスぺ間では,気遣う部分にすれ違いが起こっても不思議はありません。

 それから「気遣い方」もずれるでしょう。繰り返し使っている例で言えば,病気の時にどう対応してほしいかとか。一人にしてほしいか,側にいてほしいかとかなどの感覚の違いですね。これがずれれば自分は相手の為に気遣っていることが,正反対の意味になってしまいます。

 そして今日,もうひとつこんなことも関係するのではないかと思ったことがあります。それは気遣いに対する感謝の求め方のズレです。定型の場合,もちろん「恩着せがましい」ことはよくないと考えられますけれど,でも相手の為に何かをしてあげる時は,やっぱり「感謝を何かの形で表してほしい」と思う気持ちはどこかにあると思います。

 その中身は「嬉しそうな笑顔」でもいいし,「ありがとう」という言葉でもいいし,お返しになにかしてくれることや,場合によっては「金品」もありうるでしょう。もちろん金品になるとちょっと「露骨で下品」とか,「好意を無にされた」と感じる場合もあって,逆効果にもなるから,そこはむつかしいですが。

 いずれにしても定型は何らかの形での「見返り」を求める傾向が強いと思います。ですから逆に言えば「見返りを求めているようになんとなく感じられる」状況と,「自分の為に相手が気遣いをしてくれている」という理解が,どこか暗黙の裡に結びついているのではないかと思ったのですね。露骨に見返りを期待されることはマイナスでしょうけれど,微妙にそういう雰囲気が醸し出されることが結構ありそうです。

 だから,こちらは本当に具体的な見返りを求めず,純粋にあなたの為に何かをしたいんだ,ということを相手に伝えたい場合(ただし,自分のその気持ちを受け取って,そのことを喜んでほしい,という「精神的見返り」は実は期待されていたりする)には,わざわざそのことをはっきりと伝える必要もあったりします。葬儀の際のお香典やお香典返しのやりとりとかでも,そのあたりが,変に微妙な駆け引きのようになったり,お互いの気遣いが混線してかえってややこしくなることもあります。

 そういうことが多かれ少なかれ定型のサガだとして,それに比べるとアスぺの方はそこはかなりすっきりされていて,自分の好意を相手が受け取るかどうかは相手の自由で,自分も相手の為に何かをするのは,自分がそうすべきだと考えるからで,自分の方から見返りを期待するような気持ちはあまり持たない,という傾向が強いのではないかと想像するのです。

 もちろん自分のやったことに感謝されて嬉しくないということではないし,それが励みにならないということでもないと思います。でも相手の為に何かをするときに,精神的なものであれ,具体的なものであれ,何かの見返りを期待しあい,そこで微妙に調整しあうような,そういうやりとりにはなりにくい。場合によってはそういうのは不純なことと感じられるかもしれません。

 そうすると,今度は定型の側から見ると,相手が自分の為にしてくれていることであっても,それは「お互いに感謝しあう」みたいな枠組みには入ってこない,単なる「義務」のようなことで行われている,という印象になってしまうのではないかと思うのです。そうすると,結果的には自分のためになることであっても,それを「私のためにやってくれたのだ」と感じ取ることがむつかしくなる。極端な話,「相手が勝手に好きでやっていることでしょう?」という理解にもなりがちになる。だから感謝の気持ちも起こりにくい。

 アスぺの方は別に見返りを期待しているわけではないけれど,ただ自分が相手の為に頑張っていることを頭から否定されることはやはりショックになるでしょう。特に本当に相手のことを考えて頑張っていると自分で思える時には,そのショックは大きくなるはずです。

 
 ですから,まとめていえば,まず「気遣ってほしいポイントがずれる」ために,相手の気遣いに気づきにくいということがあり,またポイントはずれていないんだけど,望む気遣い方がずれているために,気遣いとしては理解されないことがあり,そしてさらに自分の気遣いに対して相手に何を期待し,どんな態度をとるか,というところでスタイルにかなりの違いがあり,その結果相手が自分を気遣ってやっていることなのか,自分の都合で勝手にやっていることなのかの理解がずれてしまい,結果として相手の気遣いに気づきにくくなる,というようなことがあるのではないかと,そんなことを想像してみたのでした。

 

 

 

 
 
 



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コメント

本題とは違うかもしれませんが、
相手の気遣いが逆に迷惑だった時はどうなんでしょうか?
例えばある定型者夫婦のblogでの話なんですが。

夫「車汚れてきたから洗わなきゃな~(独り言)」

(翌日帰ってきた時には夫の車はきれいになっていた)
妻「車洗っといたよ」

夫「…ありがとう(車の手入れも兼ねて自分で洗いたかったのにな…)」

ここで夫が
「ありがとう。気持ちは有り難いんだけど、車は自分で洗いたかったんだ」
と言うと、妻はどんな反応をするでしょうか?
「そうだったの。ごめんね」
とは言うと思いますが、「せっかく洗ってあげたのに」と内心はガッカリ来るのでしょうか?

私の場合は一回目は「ありがとう」と言います。
しかし二回目以降も続いた場合は、
「気持ちはありがたいよ。でも毎回は悪いから今度からは私が自分でやるよ」と言います。
すると相手は「何よ。せっかくやってあげたのに!」怒ることがあります。
「分かった」と察して言う人もいますが、その後は微妙な雰囲気になります。

相手の気持ちは嬉しいですが、こっちが望んでない気遣いだった場合は定型者の方はどうしてるんでしょうか?

あと、定型の方はどんな時にどんな形で気遣いを求めてるのか?
見返りはどんな時にどんな形で求めてるのか?

相手の反応では分かりにくいために、具体事例はあるのでしょうか?

全く個人的な事例ですが、定型が「どんな形で気遣いや見返りを求めてるのか?というと、やはり「気持ち」としか言えません。(このブログやコメントやテーマの全てがその「気持ち」が見えない故というのは百も承知です。)
仮に有り難迷惑な行為だったとしても、好きな相手なら余程の事情でない限り好意によるものに本当に迷惑というのはありません。車の例なら点検なら後でやれば良いしどうせまた汚れるし、「相手を傷付けること」と「当該行為の迷惑さ」は比べるまでもなく圧倒的に前者が勝ちます。なので別に気遣いや建前ではなく本当に「気持ちが嬉しい」のです。その上で、迷惑な行為については理由を説明します。「気持ち」を無駄にしないよう本当にしてほしいことを頼んだり(洗車の代わりに調べ物など)、好意に応じることをしたり(時間を作ったり優しくしたり)します。
「望んでない気遣い」を「迷惑だ」と拒否されると定型はとても傷付きます。定型は過剰なほど相手に喜んでほしい、と思う生き物です。そのために一生懸命です。なので、行為自体を拒否しても気持ちまで拒否しないでほしいです。そのつもりはなくてもそう捉えてしまいます。
良いと思うのは「望んでない気遣い」の代わりに「望む気遣い」を提示されることです。
「見返りとは?」ということについては、「役に立てた」ということ自体が「見返り」なのです。もちろん、「ありがとう」の一言が一番です。

ありがた迷惑にどう対応するかは実際難しいですね。相手との関係にもよりますし、迷惑の程度によっても変わりそうな気がします。

親しいからこそはっきりいうべきと考える人や文化もあるし、相当深刻にならない限りは相手の「気持ち」のほうを大事に受けとるべきだという考え方もあります。日本ではジャスミンさんのように後者の人が多いと思います。

ただ、同じようにはっきりいう場合でも、定型ではっきりいう場合と、アスペの方がそうする場合と、やっぱり違いもあるような気がします。

はっきり言う文化のなかで生きている方は、お互いにそうなので、それでバランスがとれている感じがしますし、ある意味相手に合わせてそうなっている気もします。言わない文化のなかではっきり言う定型の人は、自分が少数派であることを意識しながら、むしろそれを武器にして、「毒舌」の面白い人を演じたり、また別のところでわざわざ情のあつさをアピールしてバランスを取ったりしている気がします。例えば毒まむしさんだいゆうとか(^o^)

それに比べるとアスペの方がはっきり言う場合は、本とにそのままストレートに正直な気持ちを話されている印象を持ちます。


ジャスミンさんありがとうございます。
気遣いへの感謝や嬉しい気持ちはありました。伝えてたつもりでもしかし相手からはそう見られてないということですか。

再度質問で申し訳ないですが…。

>「望んでいない気遣い」より「気遣ってくれた気持ち」が勝ってるので、その上で迷惑な行為については理由を説明します。

恋人、友人、近所の人など、パターンは違うと思いますが、ジャスミンさんはそれぞれの関係性で、どのように伝えてるのでしょうか?
定型者の伝え方が具体的にどんなものか知りたいのです。

>「望んでない気遣い」の代わりに「望む気 遣い」を提示されることです。
>「気持ち」を無駄にしないよう本当にしてほしいことを頼んだり(洗車の代わりに調べ物など)、好意に応じることをしたり(時間を作ったり優しくしたり)します。

好意に応じる(時間を作ったり、優しくしたり)とは例えばどういったことでしょうか?


>「気持ち」を無駄にしないよう本当にしてほしいことを頼んだり(洗車の代わりに調べ物など)、

代わりにやってほしいことを頼むのは相手の好意を利用して都合の良いように使ってるように感じてました。


> 「見返りとは?」ということについては、「役に立てた」 ということ自体が「見返り」なのです。もちろん、「あり がとう」の一言が一番です。

それだけで良いんですか?
気持ちの上に何らかの行動(困った時には助けるなど)は必要だと思ってました。

理解力悪く、質問ばかりで申し訳ないです…。

パンダさん、回答ありがとうございます。

私が一番嫌だった事例は、
①近所の人が「姑のお古なんだけど、私は着ないからにわとりちゃんにあげる」と服をうちに持ってくる人。
一応私も30代なので、60代以上の人が着る服をもらわれても正直困ります。
そして相手が行く目的地の送迎を車でしてほしいなどの見返りを求められます。
断ると「いつも服あげてるじゃない!」とネチネチ言ってくる…。
それなら野菜も服もいらないですが、断ったら「人の好意をむげにするの」と怒る…。

ここまであからさまなのは一部ですが、向こうが何もしてなくても要求だけはしてくる(パシリに使う)人は結構います。


困った事例は、
②前の彼が夜遅くの仕事帰りに差し入れを買ってもってきてくれた(私の家に泊まった)。
もちろん彼が差し入れを持ってきてくれるのは嬉しいです。
しかし彼が買ってきたのは23時過ぎ…。
私は夜遅くに食べたら胃がもたれてしまいます。
なので「買ってきてくれてありがとう。今日は遅いし、翌朝食べるね」と伝えると、
「翌朝は腐ってしまう。捨てるのはもったいない」「せっかくにわとりのために買ってきてやったのに」と怒り、今すぐ食べるように言われる。
あらかじめ胃がもたれる話は説明してるのですが、何回言っても彼はまた買ってきました。


>はっきり言う定型の人は、自分が少数派であることを意識しながら、むしろそれを武器にして、「毒舌」の面白い人を演じたり、また別のところでわざわざ情 のあつさをアピールしてバランスを取ったりしている気がします

芸能関係には疎いので、仰ってるタレントがわからないのですが、はっきり口では言っていても他の部分でフォローなどをしてるんですね。
発達障害はストレートな上に後のフォローができていないということでしょうか。


ジャスミンさん宛の返信は質問責めになってしまっていたでしょうか…。すみません。
スルーして下さい。
連続投稿失礼ししました。

丁寧なお返事ありがとうございます。

その近所の方のような、押し付けて見返りを求める人については、誰でも迷惑です。ただのエゴです。夫婦や友人の気遣いとは違います。私ならはっきり迷惑だと言います。
書いていたのは、本当に相手を思う「見返りを求めない気遣い」です。喜んでもらうのが見返りといえば見返りですが、あくまでも純粋に喜んでほしいという気持ちです。

迷惑な行為の説明は、ストレートに「申し訳ないですが、○○は苦手なので」「○○が好きなので」と、具体的に言います。

好意に応じる、とは、本当に「ありがとう」の一言で良いのです。もちろん、有り難くないのに言ってほしいと言うのではなく、相手の目的が自分の喜び(有り難いと思う気持ち)というのが明らかなので、有り難くない場合は何が有り難くないのか、どうすれば有り難く思うのかを考えます。(考えると言っても今まで意識したことがなく、文字で書くと物々しい感じがします。)

代わりにやってほしいことを頼む、というのは、例えば苦手な物を贈られた場合、「今度は○○が欲しい」ではなく「次は貴方の好きな物を買ってね」でも良いのです。利用して都合の良いように使う、とは思い付きませんでした。
色々な人が居ると思いますが、基本的には「ありがとう」だけで良いです。(あくまでも夫婦や友人や恋人の話です。)

にわとりさんの受けた押し付け好意は、はっきり断るべきものと思います。
定型の中には、相手の好意はありがたく受け取るものという心理の裏をかいて、
人を利用したり、貶めたりする人もいるのが事実です。
そう考えると、アスペの方が、自分の意に反して、定型の作法に倣うというのは、危険も孕むことになるな、とかんがえさせられますね。
判断がつかない場合は、安易に、ともかくありがたく受け取るということは、しないほうがいいのかもしれませんね。難しいですが。

私から思うに、ジャスミンさんのご意見は、あくまで『理想』だと感じました。
この関係を自然に保てるのは、営業か、あるいはまだ付き合って間もない恋人同士。
長年の夫婦となると、結婚時にきちんと約束事を交わしてお互いに気遣う関係が出来ていないと、難しいのでは?と思います。
私の周りの定型同士の夫婦で、これが出来ている人は少ないですね。
どちらかの理想が高いと、いつの間にか押し付けになって、片方がストレスを溜め込んでいる場合もなきにしもあらず。
ありがとうさえ、なかなか自然には出てきません。

にわとりさんの出した、車の例を、ウチに当てはめると、
私「洗車しておいたよ」
夫「誰がやってくれって、頼んだ?」
私「え?洗っておいたほうが、楽でしょ?」
夫「どうして余計なことした!こんな洗い方ならやらないほうがいい!」
私「悪かったね!どんなに車が汚れていても、私は二度とやらないよ!」
夫「それでいいんだ!おれが頼んだことだけやれ!」

と、まあ、こんな具合ですから、こんな関係にならないなら、もう良好じゃないかと思えますよー!

ちなみに、アスペのの子供達には、相手が嬉しいと思うからやるという気持ちはあると感じます。
娘にお手伝いを頼んで、「ありがとう。助かったよ」というと、張り切ってまた次もやってくれますが、何も言わないとがっかりしている感じがします。
どこまで定型のような喜びに近いのかはわかりませんが、確かに喜んでもらえて良かったとおもっていると感じますね。

ジャスミンさん

>その近所の方のような、押し付けて見返りを求める人については、誰でも迷惑です。ただのエゴです。
>迷惑な行為の説明は、ストレートに「申し訳ないですが、 ○○は苦手なので」「○○が好きなので」と、具体的に言います。

やはり身勝手ですよね。
迷惑行為については具体的にはっきり断るんですね。参考にさせて頂きます。


>書いていたのは、本当に相手を思う「見返りを求めない気遣い」です。喜んでもらうのが見返りといえば見返りですが、あくまでも純粋に喜んでほしいという気持ちです。

知人に対しては私は見返りを求めてますね。
都合良く利用された経験ばかりだったせいで、相手のために何かしてあげたいなんて気持ちはなくなりました。
見返りなしにできるのは恋人、せいぜい親友まで。
純粋に助けてくれる人が多ければ、こっちも見返りなしに(自分のできる範囲ですが)相手のために何かしたいとは思いますが。


>好意に応じる、とは、本当に「ありがとう」の一言で良いのです。

心からのありがとうで良いんですね。


>もちろん、有り難くないのに言ってほしいと言うのではなく、相手の目的が自分の喜び(有り難いと思う気持ち)というのが明らかなので、有り難くない場合は何が有り難くないのか、どうすれば有り難く思うのかを考えます。

定型者の場合、相手が本心から嬉しそうにしてないという場合は「何が問題だったのか?どうしたら相手が喜んでくれるのか?」ということを考えるわけですね。


>代わりにやってほしいことを頼む、というのは、例えば苦手な物を贈られた場合、「今度は○○が欲しい」ではなく 「次は貴方の好きな物を買ってね」でも良いのです。

参考にさせて頂きます。


>利用して都合の良いように使う、とは思い付きませんでした。 色々な人が居ると思いますが、基本的には「ありがとう」 だけで良いです。(あくまでも夫婦や友人や恋人の話です。)

通常はそんなことは考えないのだと思います。
この場合は発達障害としての考えではなく、私個人の考えなんですが。
知人の中にはありがとうの言葉ではなく、車の送迎や物品で要求してくる人。
「○○してほしいんじゃないの。私が困った時にちゃんと頼むから(それがお金や物、車の送迎などを頼んでくる)」と言う人。
もちろん定型者全員ではないですが、私に対してだけこういった態度を取ってくる人がいたので、私自身が「利用されてる」と感じたのです。
だから逆の立場で考えた時に「相手は利用されてると感じないかな?」という思いに刈られてしまうのです。

再び丁寧に説明してくださってありがとうございます。

あすなろさん回答くださってありがとうございます

やはり迷惑行為ですよね。

>定型の中には、相手の好意はありがたく受け取るものという心理の裏をかいて、 人を利用したり、貶めたりする人もいるのが事実です。

だませそうな人や定型者でも弱そうな人を狙って、図々しい態度を取る人もいますね。
断ってもしつこいです(^_^;)前から話してることですが。

話が長くなるので、次の話にいきますが。

> 私の周りの定型同士の夫婦で、これが出来ている人は少ないですね。 どちらかの理想が高いと、いつの間にか押し付けになって、片方がストレスを溜め込んでいる場合もなきにしもあらず。 ありがとうさえ、なかなか自然には出てきません。

定型者同士でもなかなかできない人は多いんですね。
あすなろさんのご主人の事例は私の父と重なるところはあります(ただうちの父の場合は潔癖症なので、自分以外の人間が車を触られるのが嫌なのですが)。


>娘にお手伝いを頼んで、「ありがとう。助かったよ」というと、張り切ってまた次もやってくれますが、何も言わな いとがっかりしている感じがします。

ASD者も人によって違いますね。
文句をいわれるよりは、ありがとうと喜んでもらえる方がうれしうれしいんですね。

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