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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年4月29日 (水)

アスぺ的「甘え」?

 ちょっと充電期間に入られたコアラさんが少し前に書かれていた次のコメントが,心に残っています(改行は読みやすさのために私が勝手に挿入しました)。

こちらでも何度も出てきたように、アスペ側が一番心地良い状態は「素の自分」でいることです。「思考」「手段」など、周りからはそれがどんなに奇妙で不効率のように見えても、今の自分の中ではそれが最善だと思っています。
その今現在の「思考」「手段」が、斬新で画期的である場合もあれば、とても稚拙なものである場合もあります。でもそれをひとまず脇に置いて、「素の自分」を一旦そのまま受け入れていただき、それからはそちらの判断で、私をうまく先導するなり、容認するなりしてほしいと思っています。イメージ的には、母親が小さい我が子を見守りながら導いていくような感じです。
人にもよりますが(状態や度合いなど)、決して聞く耳を持っていない訳ではないです。ただ、まだ理解できていないだけだったりします。だから、まず先にこちらのワガママを聞いていただき(ありのままの状態の自分を受け入れていただき)、それからその先どうするかを考えてほしいというのが正直な私の望みであります。その「ワガママ」の部分こそが、ごく親しい相手限定のものなので、そのこと自体を一番信頼している相手から拒絶されるとものすごくショックだし、もうどうして良いのかわからなくなってしまいます。
あと、一人の時間を尊重し見守ってもらえるのは嬉しいけど、決して放置はしないでほしいです(笑)家族である以上、相手とうまく関わりたいと思う気持ちは、定型アスペ関係なく皆同じだと思います。


 この話,私の中では昨日の記事でも引用した,ウィリアムズさんの次のような文章にもつながって感じられます。


「同情も,何にもなりはしない。おとぎ話とは違い,愛は必ず突き返されると思っておいていただきたい。それも,唾をはきかけられて。しかし愛ではなく,いつも心にとめて気遣うことならば大丈夫なのだ。それが,(注:自閉症者が)外へ向かうために,信頼することのできる世界を創り上げるためだという理解に基づいているならば。」

「まずは,やはり,寛大で忍耐強い本物の愛を,試してほしい。」

 定型から受け入れてほしい,という率直な思いがどちらからもとても感じられます。そこで多分大事なのは,「ありのままの自分を」ということなのでしょう。キャラではなくて。

 ウィリアムズさんは,周囲に対して激しく攻撃的・暴力的になったり,物理的にも精神的にもものすごい引きこもりになったり,そういうことを繰り返してこられたのですが,それは決して「他者の拒否」が目的ではない,ということのようなんです。

 「ありのままの自分」を認めてもらえず,逆に常に否定され,その上で定型的な世界を押し付け,自分を混乱させ続ける,そういう状態を拒否し,そういう相手を攻撃したり,引きこもることで自分を守ろうとしているのだ,というのが彼女の説明のようです。

 そして,「ありのままの自分」は拒絶せず,受け入れてほしい。そういう関係を作ってほしい。というメッセージがそこにはあります。

 「ありのままの自分」ということの中身が,定型アスぺ間でかなりずれていたりするので,定型の側から「ありのままの自分」をアスぺのパートナーに受け入れて欲しいと思っても,全然受け止めてもらえず,定型的には「この人は関係を拒否している」とか「関係を絶とうとしている」と感じられてしまったりするのだと思いますし,アスぺの方は「ありのままの(わがままを含んだ)自分」を受け入れてもらうという,「甘え」の関係を否定しているように,定型的には感じられてしまうのだと思います。

 けれども,コアラさんやウィリアムズさんの書かれることを見ると,決してそんなことではないのですね。どちらも「甘えたい」思いには変わりはないように感じられてきます。これまでアスぺの方の「甘え」についてはあまり考えたことが無かったので,改めて気になりだしました。
 

    

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コメント

自分のことで恐縮なのですが

夫婦は夫が外で稼ぎ、妻がその収入で家庭を守り子を育てる。
夫は家に帰ってきたら外のストレスを家で癒す。

という刷り込み?思い込み?で結婚したわけですが、

夫が働くだけで経済が回れば、それなりに上手くいく家庭もあるのでしょうが、現実は理想にはほど遠く
いつのまにやらフルタイムで働きながら、夫のストレス発散も引き受け、家族の問題もいつのまにやら、一人で悩み事に当たるようになってしまい。

最初の頃は相談していたのですが、自分がその問題でいかに傷ついているか、をとうとうと語りだす(私には愚痴にしか聞こえない)ので、私は夫の愚痴を聞きながら問題解決に当たることになって、簡単な問題も変な苦しみを伴っての終結。
今では終結してから結果のみ報告、報告して愚痴を言うと考えられる場合は報告さえしません。

それでも相談しないことに罪悪感がありましてね、なぜ罪悪感が出てくるのかを考えていたら、私は相談して自分の負担を軽くしてもらおうとしていて、「甘え」たかったのだと気が付きましてね。

夫婦なのだから「甘え」合って、相談し合って当然と思っていたのですが、どうも違っていたようです。

自分の「甘え」の部分に気が付き、満たされることはないと思った時は、突き放されたような気持にもなりましたが、やっと大人としての自覚も出来上がったような気もします。

軽度〜重度にかかわらず「ありのままを受け入れてほしい」という願いはADSに共通しているように感じます。ほぼ、無条件に受け入れてほしい、というか、それしかつながりを作る方法がないというニュアンスを感じます。


昔、重度の自閉症児を担当していたある音楽療法士は、数ヶ月にわたって個室でその子どもとただ一緒に同じ室内にいて、その子の方をみないようにして、編み物をしていたそうです。
(普通の場合は、音楽遊びなどに誘って、参加させ交流します)

セラピストは、一緒の空間を共有し、静かに相手を受け入れている。そして何も強制しない。
そんなところからつながりをつくり始めるという、気の長いお話をきいたことがあります。

「寛大で忍耐強い、本物の愛」という言葉を読んで、そんなことを思いだしました。

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