2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 共感可能性の拡がり | トップページ | 定型でもアスぺでもあるということ »

2015年4月 5日 (日)

自己の成長と工夫

 みなさんの掲示板の記事やここのコメントで考えさせられることがほんとに多いわけですが,あすなろさんとにわとりさんの今のやりとりもまた,私にとっては定型アスぺ問題の自分の見方を根っこに近いところで広げたり深めたりし直さなければならないと感じさせられるものです。

 あまりに重要なことがたくさんやりとりされているように思うので,とてもそのすべてについて何かを書くことはできませんけれど,あすなろさんも大事に考えられたことで,アスペのにわとりさんが書かれた次の言葉にも,本当に大事なことがたくさん詰まっていると思いました。そして私にとってこの問題についての自分の見方の狭さや浅さを改めて実感させられるものでした。

「ちなみに私が気づけるようになったのは25歳を過ぎてからです。仕事が上手くいかない時に当時の職場の人から発達障害扱いをされ、それをきっかけに就労支援センターに相談したら、当時の支援者から発達障害に関する知識を頂きました。それによってやっと「自分以外の世界が存在する」ことに気づきました。」

 定型だって結局自分の感覚でしかものを理解していないわけですし,だからこそ,定型的な見方とは違う,アスぺ的な感覚やそこから見える世界というのがぴんと来ず,定型的な理解をアスぺの方にも押し付けて,アスぺの方を一方的に否定するようなことが繰り返されるわけで,その意味では「自分以外の世界が存在することに気づけない」のはだれでもそうなのでしょう。

 25歳以前のにわとりさんだって,たとえばお店に行ってお買い物をするとき,そこに店員さんがいることは分ったでしょうし,言葉をやりとりしてお買い物ができることは理解できたでしょうし,自分には店員さんの耳が見えるけど,その店員さんは自分の耳を直接は見えない,ということも理解できたでしょうし,逆に自分の顔に汚れたついていたときに,自分はそれを見えないけれど,店員さんは気づくことがある,ということをわかっていたでしょうし,自分が店を出て家に帰ったら,その店員さんが消えてしまうとも思わなかったでしょうし,そういう意味では「自分以外の世界」があるということはきっと理解されていたんだと思います。

 その意味ではにわとりさんがそこで気が付いたことは,ちょっと回りくどい言い方ですが,「自分の世界の理解の仕方とは違う理解の仕方で作られている世界が存在する」ということだったのではないかと想像します。もうちょっと短く言うと「自分とは違う見え方の世界がある」という感じでしょうか。

 定型は定型的な世界の見え方をかなり共有していますし(もちろん個人や文化によるズレも大きいですが),そういう見え方によって定型社会を作っています。だからそういう定型的な見え方をしにくいアスぺの方も,定型社会の中で生きようとすれば,どうしてもその定型的な見え方をなんとか部分的にでも身に着けないといけない。そういう状況に追い込まれたときに,「自分以外の世界が存在する」と考えざるを得なくなるような気がします。

 定型の側だって,多くの場合,定型アスぺ問題に悩まされて悩みぬいて,ほんとにぎりぎりのところまで追い込まれて初めて「定型以外の世界の見え方がある」ということを考えざるを得なくなるので,そこを最初からあっさりと「違い」に気づき,上手に付き合えるひとはまず珍しいと思います。結局今自分が生きている生き方を人は誰でも守りたいでしょうから,その生き方を支えている「世界の見え方」をゆるがせるようなことは誰も好んではしたくないわけです。大変ですし,危なくもありますから。

 だから,多少の摩擦があったとしても,自分の見え方を貫ける条件がある場合には,人は自分の見え方を守ろうとするでしょうね。そこは定型もアスぺも関係なく,だれでも基本的にはそうでしょう。自分の見え方を崩すということは,場合によって自分を失うことにもつながりかねません。

 と,ここまで書いてきて,コメント欄でのコアラさんとKatzさんのやりとりが思い浮かんできました。コアラさんが定型にあわせることは自分を失うことにつながりそうで抵抗感があるとされることについて,Katzさんがそこは考え方一つで,髪形を変えたり,歯並びを矯正したり,自分を魅力的に見せる工夫と考えてはどうかとコメントされ,コアラさんが「「変えてしまう」→「魅力的にする工夫」に捉え方を変えれば良いのですね!」と応じられた後,さらにこんなふうに書かれています

「「ありのままの自分を、定型が望むような風に変える」というと抵抗があり「チャンスに合わせて確実に動けるよう準備を整えておく」というと受け入れられるという。。。(笑) この「あまのじゃく的思考」に自分でも疲れます(^^;)(これは決して歩み寄りの意思がない訳ではありません)こんな感じで、自分が納得のいくような「考え方」や「捉え方」次第で、これまで受け入れ難いと思っていた事にもトライできるかもしれない!と思いました。」


 お互い,自分というものを全くなくして,さらにして書き換えることはもともと不可能なわけで,今の自分をベースに,少しずつそれを柔軟にしたり,キャパシティーを増やしたり,見方を広くしたりということは可能だし,それが人間の「成長」ということなのだとは思いますが,やはり自分をリセットしてのやり直しができるわけではない。

 だから,そういう「成長」と同時に,「今の自分にとってもあまり無理がなく,抵抗感なく受け入れられるような形で「考え方」や「捉え方」をさぐることで,とりあえずの折り合いをつけていく,という「工夫」が大事になってくるのでしょう。

 つまりこんなことでしょうか。

 「お互いい自分とは違う世界に生きていることに気づく」 ⇒ 「自分の見方を柔軟にし,相手の見方も理解し,調整する努力をする」 ⇒ (でもそれには限界。自分を失うことにもなりうる) ⇒ 「自分を否定することにもなりかねない調整の仕方について,自分の気持ちにもあまり無理ない理屈(?意味?理解?)を見つけ,工夫していく」……???

 なんかまだうまく整理できず,大事な問題がぼろぼろ零れ落ちているようにも思えますが,考えていくひとつのステップとして書いてみました。

 

 


 

 
 
 



楽天ブックスは品揃え200万点以上!  

« 共感可能性の拡がり | トップページ | 定型でもアスぺでもあるということ »

コメント

お邪魔します、こちらではお久しぶりです、ままです。
 自分を当事者の枠に入れてはいけないだろうと最近は思ってるのですが、
 ちょっと過去に思ったことがすごく思い出されたので…。

 まだその「枠」に入るかもしれないと思っていたとき、相談のため支援センターに電話したら、
 それは辛いですね、と優しく同調されたあと、
 「そのままでは辛いから、うまく適応できる方法を身につけた方がいいですね」
 と言われ、ぶちきれたことがあります(笑)。
 (まったく理不尽と思います、親切で言ってくれたのは分かるので、申し訳ないことをしました)

 私はそのとき、
「辛いから苦労して方法を身につける」かどうか
 それを決めるのは私自身であり、
 そこには「辛いけどこのままの自分でいる」という選択の余地があり、
 勝手に「身につけるべき」とされるのは傲慢である、と感じたのでした。

 ということを、最近ブログの記事を読むたび書き込もうとしてやめていたのですが、
 この記事を読んで、
 同じだなあ、そこ、引っかかるよなあ、と思った、のと同時に、
 ああ、そうだ。言い方ひとつ、取り方ひとつなんだ、と思いました…。
 うまく受け入れられる言い方なら、同じことでもすんなりできそうなのに、
 引っかかったんですね~…。というか、今まで引っかかってました。

 誰でもそうかもしれませんね。
 うまく捉えられるようになるといいなと思いました…。

注目いただいてありがとうございます…と言うのも変ですかね、というか目立ってしまってコアラさんに申し訳ないような気もしてます。

私が思うに、そこの所は非常に重要なポイントではないでしょうか。それも単純な、言葉を大事にしましょうとかいうどっかで聞いたような綺麗事の話ではなくて。

神ならぬ身となれば、どうしても引っかかってしまう捉え方というのは間違い無くあります。それは今までは、自分のわがままなんだから自分で何とかしろ…で押し通されてしまっていた部分だと思うんですね。四角い言い方をすれば、結果としては学習効率を著しく落とす事になっていた。苦痛に向かって無理矢理進む事が出来るかって話ですから。それでも昔は何とかなっていたのでしょう、昔の日本人は苦痛に対する耐性が信じられないほど高かったと聞きますし、選択肢が無かったという事情もありますし。更に言えば、人ひとりの命が今より遥かに軽かった時代ですから、適応できなければ切り捨てられていたのかも知れません。

今は違います。どんな人にも救済の道を示せなければなりません。そう考えたとき、見方や捉え方で引っかかる人が多いという事実は、捉え方の工夫は非常に重要な要素であるという事を意味します。前向きに捉えられれば、学習効率は格段にアップしますし。

ところがこの部分は実に難しい。人間の本心、本音の部分に絡んでくるからです。心の暗闇とか、自分の中のドロドロした部分とか、そういう所ですね。これを自分で直視できる人も多くないと思いますが、それを他人に話せる人となると、本当に少ないでしょう。不特定多数に公開して平気な人間では、逆に人格を疑われますし。基本的には相手を選んで話す事になりますが、話せる相手がいる人は果たしてどのくらいいるものでしょう。そしてその相手が的確なアドバイスを常にくれるのか、と考えると…。

> 「辛いから苦労して方法を身につける」かどうか
> それを決めるのは私自身であり、
> そこには「辛いけどこのままの自分でいる」という選択の余地があり、
> 勝手に「身につけるべき」とされるのは傲慢である、と感じたのでした。

まさにコレだと思います、アドバイスの難しさ。組織の中にいるプロとなると、どうしても作業効率が人事評価の中に含まれてきます。しかし作業効率を上げる為に手っ取り早い方法って、一言二言で改善してくれる人だけを選ぶ事なんですよね。つまり、解決の状況は既に整っていて、後は背中の一押しだけだった、と。しかし本当に救いの手が必要な人というのは、そういう作業効率を落とすようなタイプの人です。ここに大きな矛盾があり、相談員の傲慢さが生まれてしまう余地があるのでしょう。

…っと、長くなってしまいました。他にもこれに絡めて語りたい事が2つ3つあったんですけど、スミマセン、ここで我に返りました(^_^;)今回は結論が無くて申し訳ありません。

言いたい事をうまくまとめきれず、それでも何とかコメントしてみると
みなさんの方がよく理解しているかのようにうまくまとめてくださって
これが不思議やら、なんともありがたいです。みなさんに感謝しますm( )m

さて話は変わりまして、ままさんの
>自分を当事者の枠に入れてはいけないだろうと最近は思ってるのですが、
というコメントが少し気になりましたのでまたコメントしたいと思います。

ままさんの思いとはまた少し違うのかもしれませんが、私もこれを最近考えていて、
何故かというと自分が未診断であり、もしアスペでも軽度じゃないかと思うからです。
同じく未診断の家族や、診断不明の彼氏は私よりずっと「生きづらさ」が強いと思われ
アスペの話題に触れる事すら許されないようなオーラが出ています。
なのでもしかしたら彼らは「歩み寄り」など不可能なくらい、生きるのに必死ではなかろうか?と。そしたら彼らの本心は、わかりようもない訳で。
定型もアスペも十人十色ですが、たまに自分の立場がわからなくなる時があります。
自分の「アスペ的思考」や「生きづらさ」は、ただ性格の問題かもしれないと思ったり…。
またうまくまとめきれないのですが(^^;)言いたいのは次のような事です。
(不適切な表現があったらスミマセン)
生きづらさが重度であったり過去の辛い経験やトラウマ等で二次障害がある人の場合、自分の思いを口にする事もできなかったり、それを必要としていなかったりすることも考えられます。そうすると、彼らの本心を知ることはできません。なので、そのような身内や知人・パートナーがいらっしゃる方にとって、ここでの意見が参考になる場合もあればならない場合もある。定型同士のズレはあまりないのかもしれませんが、アスペ同士のズレはどこまであるのかがわからないので、発言に責任を感じてしまうことがあります。とは言いつつ、いろんな発見や驚きがあるとつい発言してしまうのですが…(笑)
自分の中でもうまく考えがまとまっていないのですが、上記のような感じです。
私はこういう事を考え出すとエンドレスになって何も手につかなくなるので、普通の日常生活を送るためにも、あんまり深く考えない方が良いのかなぁとも思います。
これからも引き続き、こちらでみなさんの意見を聞いて勉強していきたいです。

>コアラさん

初めまして。

>同じく未診断の家族や、診断不明の彼氏は私よりずっと「生きづらさ」が強いと思われ
アスペの話題に触れる事すら許されないようなオーラが出ています。
なのでもしかしたら彼らは「歩み寄り」など不可能なくらい、生きるのに必死ではなかろうか?と。そしたら彼らの本心は、わかりようもない訳で。

そうそう!
まさにその通りです。
うまく言葉に表してくださったなと、思わず書き込んでしまいました。
しかし、だからと言って、周囲が傷つくのを我慢すればいいのかといえば、我慢ではきかないくらい大変な事態になっていることもあり……。
本当にどこから考えていっていいのかわからない問題ですが、少なくとも誰かが気付くこと、最終的に本人が気づき、自分の生きやすさのためにコントロールできるようになること、なのかもしれません。長い目が必要ですね。

皆さんのコメントに、いつも勉強させて頂いております。
アスベ定型の問題は、何だかお互い様のような気がしてきました。
全く違う個性が一緒に生活していくためには、
とりあえずは否定から入らずに、相手の特性を勉強?して歩み寄る工夫をする。
こんな感じなのかなぁ~とこの頃思うようになってきました。
幸いにして、うちの夫はのび太君タイプですのでブチギレることはほとんどありません。
・・・が、いつもどよ~んとした気分になるんですよね~・・・・・(;-ω-)

結局は、自分自身の気の持ちようなんですよね。

あっ全然参考にはならないと思いますが、最近まで放映されていた朝ドラの”マッサン”
の影響を受けて、”私は夫と国際結婚をしているんだ”と捉え方を変えてみたら、少しだけ気が楽になりました(笑)朝から、しょうもないことを書いてすみませんでしたm(_ _)m

コアラさん

 私も「自己の成長と工夫」で最初に書こうかなと思っていたことが,
 まさにその問題でした。
 書いているうちにポイントが違うところに行ったんですが (^ ^;)ゞ
 すごくわかりやすく整理して頂いたので,
 また考えてみます。

あすなろさん

はじめまして!共感してくださってありがとうございます。

>我慢ではきかないくらい大変な事態になっていることもあり……。

ほんとそうなんですよね。私が育った家庭では父と私がアスペっぽい感じでして、ボーダーラインやアスペを疑うまでは、家庭内は滅茶苦茶でそれはもう悲惨な状況でした。(今は両親のみで暮らしてて家族はバラバラなので、そこまで酷くないです)私も迷惑をかけたので今は反省しているのですが、父の滅茶苦茶さは半端なかったです。テレビに出るような事件が起きなかったのが不思議なくらい(^^;)未だに周りの大変さはありますが、数年前からすこ~し、ほんのすこ~しずつ変化が出てきたと母は言います。というのも、本人が知人や知人の子供についての相談(アスペ)を受けた際、それをキッカケにアスペの存在を知った事が大きく影響しているのではないかと思います。口にはしないけど、そこで多少なりとも自覚があったのではないと…。だから

>少なくとも誰かが気付くこと、最終的に本人が気づき、自分の生きやすさのためにコントロールできるようになること

これは本当に大事だと思います。これで「歩み寄り」のスタートを切れば、無駄な傷つけ合いを少しでも減らせるし、早くお互いが楽になります。
とわかってはいるものの、そこに行き着くことがなかなか難しいんですよね(笑)
でも諦めたらいけませんね!Katzさんがおっしゃるように「チャンスというのはいつか必ずやってくる」を信じて、じっくりと気長に待ってみようと思います。
私個人の話で恐縮ですが、自分(アスペ?)の事も一部変えてみる挑戦をしつつ、私より重度と思われる彼氏等については定型的な気持ちで様子伺いをしておりまして、なんだかとっても忙しいです(泣)1mm先のこともわからないけど、まぁ勉強していきます!

「自分以外の見方がある」 と気が付いて初めて 「自分」 を意識し、自分の意志をハッキリと自覚できるような、、、

ま 私の場合は夫がおかしいと気が付いてからですから、50歳位の時ですね。
それまでは、、、
女は結婚したら子を産み、家に尽くして当たり前ーと刷り込みがあり、結婚してからが本当の人生が始まる~とさえ思っていたような・・・
あの頃の女性の結婚平均年齢は23歳といわれていまし、似たような感覚の女性が多かったでんしょうね。

時代的にバブルの前で、その後バブルですから、経済的にも職業も今の若い世代の方より、恵まれていた状況で、選択肢がなかったというよりも、情報もなかったですし、思い浮かばなかった(笑)

何かがおかしいと感じてはいたけれども、金品で紛らわすことができたので深く追求する必要性は少なかったのかもしれません。(我が家はバブルの恩恵がなかったので、働くばかりで余裕がなかっただけですが^^;)
「自己の確立」なんて考えずに初老まできてしまった、ような感じがします。

実際 夫婦間の溝を意識して、調べれば調べる程、絶望的な気持ちになり、ネット上も距離をとるしかない みたいなことを書かれているのしか見かけませんでしたしね。

絶望的な気持ちになって初めて、自分はどうしたいのか?自分・・・?自分って何?

随分遅い「自己の確立」になってしまいました(笑)
青春時代はそのような話はしていたつもりなのですが、結婚してからがどうも自分が抜け落ちてしまってました。

まさににわとりさんが書かれている「自分以外の世界が存在する」の反対の立場にいたわけです。
自分のない世界もアスペぽくないですか?(笑)

私の親世代は食べさせて育てるのに余裕がなく、私世代は稼ぐのに忙しく、「心を育てる」が欠損していた、のではないかと感じます。(庶民はということで^^;)
でぇ~子供世代(このブログに集う方々)が気付き言葉にして書かれているのを沢山読ませて頂き、ホントに成長され工夫されていると、感動しています。

自分自身は同じところをグルグルしている感じですが、グレーの感情を言葉にしてもらっているようで私はスッキリ度がアップしています~

有難うございます

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/59531352

この記事へのトラックバック一覧です: 自己の成長と工夫:

« 共感可能性の拡がり | トップページ | 定型でもアスぺでもあるということ »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ