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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年3月17日 (火)

もしも

 また例によって定型パンダの勝手な想像です。ズレまくってるところはまたお教えいただければうれしいです。

 もし自分が周りの人からなかなか理解されず,「きっとこういうことが求められているんだろう」と考えて相手の為にやったつもりのことも繰り返し頭から否定され,自分の素直な欲求ではないんだけど,「それはこうすべき」と言われることは我慢して一生懸命やり,それにもかかわらずそれも簡単に文句を言われ続け,友達と思っていた人はいつの間にか去っていき,あるいは友達と思っていた人からいじめられていることに気が付き……,何が「正しい」ことなのか,何が「適切」なことなのか,どこに「誠実」があるのか,ほんとにわけがわからなくなる,という状況に置かれ続けたとします。

 世の中が常にそういうものとして見えていたとしたら,自分はどうなるでしょう。それでも明るくにこにこと,人に積極的にかかわっていきたいと自然に思えるでしょうか。

 いろいろと人から裏切られ,否定され,深く傷ついているはずなんだけど,周りは全然その痛みを認めてくれず,「そんなふうに感じるのはおかしい」とまで言われ続け,「みんなだって頑張ってるのに,なんであなただけできないの?頑張ればできるはず」と「叱咤激励」され,自分でも「こういうふうに自分が感じるのは,おかしいんだ。ほんとうはそうじゃないんだ」と思うようになり,「自分の頑張りが足りないんだ」と思い込むようになる。

 そんな状況に追い込まれていたとすれば,それでも自分の「感情」というものを,意味のあるものとして大事にしようとする気持ちがどこまで続くでしょうか。「感情」を大事に人とつながろうとする意思をどこまで持てるでしょうか。


 



 
 




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コメント

パンダさん
いつもありがとうございます。

「違う」と「同じ」からすると、
⑴アスペと定型の違いから来る傷つき
⑵成長に伴い 誰もが経験する傷つき
となるでしょうか。


それにしても、
以前からのかずきさん初め 今 ここに来られているアスペの方たちの成長力のすごさには、もう ことばもありません。
うまくいかないことを笑いに変える能力などなど、プロレベルな気がして。。。
自分を変えるのが面白くなってきた でしたっけ、おっしゃってましたね。

多数派であることに甘えすぎて 自分にとって痛い現実から目をそらし続けてきた定型は多いと思います。
それに比べ、大人だなと思います。

(私は、夫が自分を持っている大人にみえて 魅力を感じて結婚しました。それと母性本能をくすぐるような所もチラリとありました。でも 実際には 自他の区別がついていない所がそう見えたのであって 家庭内では大問題でした。
(タイプによるかもしれませんが)若い時のアスぺの方たちは、もしかしたら こういう風に買いかぶられすぎて 定型の人とうまくいかないことが起こりやすいかもしれないですね。

ただいろいろな経験をして、 傷つきながらも成長してこられたアスペの方たちは、それとは別で 本当に大人だな、 と思う所があります。)

短く書こうとして ちょっと乱暴な言い方 上から目線になってしまったかもしれませんが。。。

人類の進歩に発達障害の方たちが大きくかかわってきたことはよくわかりますが、友人 家族の中でよくやってきている方たちの声も聞けて うれしいです。

そろそろ わたしは 読む方に専念しますね。

にわとりさんにお返事するのが遅れたら、どこに書いたらいいのか 見失なってしまって、、
ここで失礼します。。

共感についてだったと思うんですがー
わたしの書き方だと 共感ではなく にわとりさんのおっしゃっていたように 同意見を表していると受け取られて当然だと思います。
にわとりさんのおっしゃっている通りです。


確か「よくわかります」「私もそう思います」という返事でしたね。
自分の思い出を文字にしたので、ややこしいことになってすみません。
後から考えたら 声の調子 イントネーション 感情のこもり方で 共感と(私は)受
受け取っていたのでした。
そんなこと 文字ではわかりませんよね、失礼しました。
(福祉の)プロの方だと わりと堅い言い方をすることがありますので、感情がこも
っていたら、(私は)共感も含まれていると受け取っているようです。

何度もすみません。

にわとりさんは、いわゆる共感よりは、受容(あるがままを受け入れる、でしょうか)の方を求めていらっしゃっていて、 その後 ジャーナリストの視点(事実を たんたんと説明する、でしょうか)
が必要だと認識していらっしゃるんですね。

アスペルガーの方のカウンセリングにはーうまく表現できませんがー(現実は)こうで こうで こうだから こうした方がいいです、とはっきりいうことも必要だとは聞いていました。
語弊のある書き方をして、さらにややこしくしてたらごめんなさい。

ココチさん

>多数派であることに甘えすぎて 自分にとって痛い現実から目をそらし続けてきた定型は多いと思います。

 たぶん多くのアスぺの方はそういう甘えを全くといっていいほど許されないような状況を
 生きてこられたのかなと,そんなふうにも想像します。

 その厳しさをどう受け止めて,どう対処しながら生きてこられたのかについては
 人によってほんとに様々なんでしょうね。周囲の大人などの対応によっても,
 そこは大きく異なっていくだろうと思いますし。

 一口にアスぺとかくくってみても,その内実は
 本当に千差万別,個性的ですね。
 現実の定型アスぺ問題は,そういう千差万別の個性によって
 ほんとにいろんな形になるような気がします。
 
 人にひょって同情したり応援したくなったりする相手の方もあるし,
 正直なところどうしてもそういう気分にはなれない相手の方もありますよね。
 そういうところも十把ひとからげには論じられないんだなあと,
 改めて感じることが多いです。


>そろそろ わたしは 読む方に専念しますね。

 あら,それはまた残念です。
 また充電して復活してくださる日を楽しみにしています。

一口にアスペとくくってみても、そもそも脳の活動過不足の場所や偏り方によって特性は様々で、しかも経験によっても処理能力は変わりますしね。それで自閉症スペクトラムという言い方で連続性を表そうとしてみたり。確かアメリカでは既に、診断名としてのアスペルガー症候群は無くなったと言っていたような。
エイメン博士の「わかっているのにできない脳」という本では6種類に分類していました。

まぁ、呼び方や概念が変わっても、当人の日常生活が変わる訳じゃないんですけどね。対処方法に幅が出てくるのは助かりますけど。

それで元記事に対する私の考え方ですが。人に関わろうという意思は、脳の生まれつきの機能として組み込まれているのではないか、という気がしています。後天的に学習して身に付けるものではなくて。そしてそれにも偏りがあって、孤立型の場合はほとんど孤独でも苦にしませんね。積極奇異型の場合が、記事の状況に陥り易いタイプのようです。そして裏切られ続けて、それでも人と関わりたいと思う場合、タマに声を掛けてくれる人を引き止めるのに必死になってしまうようです。

ちなみに、自分の頑張りが足りなくてもっと頑張らないといけなくて、、、というのは典型的な鬱へのカウントダウンですね。普通はどこかでブレーキがかかって、どうせ俺はダメなんだ…と自分を守る方向に舵を切るハズですけど。あんまり望ましくはありませんが。

とかとか。こっちの方向も色々とネタがあり、奥が深いです。

横からのコメントすみません。

ココチさん
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-6ad6.html
こちらの私のコメントへのお返事ですよね。コメントありがとうございます。
ココチさんが支援者の側でしたら不快に思われたらすみませんが、自分の本音を書かせて頂きます。

共感というのは
「相手の立場に立って感情移入して相手と同じ立場に立つ」
「相手の感情を理解し、同じ感情になる」
「相手と同じように悲しんだり、喜んだりする。」
と解釈していたのですが、間違ってたらすみません。
その前提であれば私は違う境遇の支援者から共感されるのはあまり好きではないですが、共感してもらいたい発達障害者もいるとは思います。

相手が心から共感してることについても私の場合は「相手が心から相づちをうってる場合は同意」「本心で違う意見であれば演技でやっている」と受け取りますが、ココチさんの仰るように「(相手の感情がこもっているものについては)共感」と感じる方もいると思います。
「共感の定義や感じ方が人によって違う」と思って頂けるとありがたいです。
私の書き方が悪くてすみません。


>声の調子、イントネーション 感情のこもり 方で 共感と(私は)受け取っていたのでした。 感情がこもっていたら、(私は)共感も含まれていると受け取っているようです。

私は声や顔の表情を読みとるのが苦手です。たとえばら作り笑いと本物の笑顔の違いがわかりません。
ただ親身になってくれる人とそうでない人は普段の接し方を通して感じます。


>受容(あるがままを受け入れる、でしょうか)の方を求めている

そうです。あるがままの自分です。
ただ「甘やかす」のと「障害への
受容」は違うと思います。

長文失礼しました。

あの~ 感情を大切にできなくなるのは、ASPさんだけでなく無自覚な関係者の人々も同じになるのですね~(ご存じでしょうが・・・汗)

愛がないのに夫婦を続けるということは、自分も子供も裏切っているようで、非常に苦しんだ時期がありました。
それこそ自分の感情に蓋をする、というか自分を騙しダマし体裁を整えていたように思います。
身内友人に相談してもわかってもらえると思えませんで、生きていくって孤独で、海に漂う漂流物みたいな物・・・なんて・・・詩人にでもなった気でいましたよ(笑)

そういう中、愛はなくても、愛しているように振る舞う。と太古の昔から聖書には書いてある(曾野綾子著書)らしいです。(私は聖書自体も手にしたこともないので・・・汗)
その言葉に救われました。
だいたい長いこと夫婦していたら、変化して当然なんて開き直ったりして・・・(笑)

私の苦悩など、昔から繰り返されていたんですね~

すいません、私自身がグレーなもので趣旨が違うかもですが、だんだんと友人も必要を感じなくなって、自分と友人、自分の家族と余所の家族、比べたら余計に傷つくな~と、

年齢によってそう感じるようになったのか、自分追及で変化しただけなのか?やっと世間が見えるようになっただけ?
ちょっと不明です。

考えれば考える程細部に拘り、グレーが濃くなっていくようです。汗(^_^;)

Katzさん

>まぁ、呼び方や概念が変わっても、当人の日常生活が変わる訳じゃないんですけどね。

 ここ,意外と重要な問題な気がしました。
 大事なのは呼び方や概念ではなく,日常生活の内容なのですよね。
 呼び方や概念に意味がないとまでは言いませんけれど,
 主従が逆転しちゃうと,その人がその人らしく生きることができなくなってしまって,
 呼び方や概念に振り回されてしまいそうです。

>人に関わろうという意思は、脳の生まれつきの機能として組み込まれているのではないか、という気がしています。

 これは私もそういう部分があるだろうなあと思います。
 もちろん経験も影響して,その傾向を強めたり弱めたりはするでしょうけれど,
 ベースの所のその意思の強さ,みたいなものは
 結構生まれながらに決まっているのかも。


yasuさん

>あの~ 感情を大切にできなくなるのは、ASPさんだけでなく無自覚な関係者の人々も同じになるのですね~(ご存じでしょうが・・・汗)

 こんなふうに読んでいただけたとすれば,私の想像の半分は正解だったことになります。つまり,そういうところでは実は定型もアスぺもない,「同じ」心の動きがあるんじゃないかということです。

 もしそうなら,少なくとも定型の側からは,アスぺの方の気持ちの動き方をある程度自分に引き寄せる形で,感覚的にも理解できるということになります。

 記事にも少し書きましたが,私もアスぺの方とやり取りさせていただいていて,「定型アスぺのやりとり」ということを忘れそうになることが出てきています。私の単なる思い込みかもしれないのですが,「そこまで考えていくと,もう<同じ>じゃん」と感じられる部分が増え,その部分でやり取りしているからではないかと思います。

 今回の記事も,定型アスぺ間のそういう「同じ」がここにもあるんじゃないか,という想像で書いてみました。そして少なくともyasuさんからは「そんなの定型も同じだ」というコメントを頂いたので,ああやっぱりある程度定型の側からの理解には通用する見方なんだなと思えたわけです。

 「半分は正解」というのは,それは定型の側からの想像の話なので,アスぺの方から見てどうなのかはまだわからないからです。Katzさんはあるタイプのアスぺの方には当てはまりそうと書いてくださっているので,まったく的外れではないのだろうとは思うのですが,でも他のタイプの人に通用する話なのかは全く分かりませんし,その「あるタイプ」の方についても,どこまで深く通用するのかはやはりわかりません。

 

パンダさん

ありがとうございます
その時はよろしくお願いします。

にわとりさん
そちらでしたね。ありがとうございます。
(ちょっと急ぎの 込み入った用事ができてしまったので、お返事がみじかくなってしまいますが)
お返事ありがとうございました。

>共感の定義や感じ方が人によって違う

ということですね。

>声や顔の表情を読み取るのは苦手・・ただ・普段の接し方を通して感じます

ということですね。

>受容(あるがままを受け入れる)・・ただ「甘やかす」と「障害への受容」とは違うと思います

ということですね。

初めてコメントさせてもらいます。
ずっと読ませてもらってました。
今回のお話は。。特に自分の事を分かってもらえて、しみじみと嬉しかったです。

私は、最近になって自分がアスぺだと気づいた41歳の主婦です。
学生時代は戸惑い失敗の連続、社会人になってからは頭で分かっている常識を一生懸命こなす日々でした。
長年のストレスで、自律神経とホルモンのバランスが悪く、副腎疲労もあるそうです。
うつもありますが、心療内科の待合室が大嫌いなので(それでも酷い時は何度も通いました)、今は漢方を飲んで体に良さそうなことをさまざま試してすごしています。
そして、こんなにのんびりと治療をさせてもらっている夫の存在に感謝してます。

娘と息子がいますが、娘は私が不安定になったり暴言を吐くせいで起立性低血圧になったことがあります。
息子はちょっと私に似ています。
悩みの種ですが、一人で悩まず、担任の先生やスクールカウンセラーに頼ることにしています。

このコメント欄でみなさんいろいろ話しあわれてて、私は上手にネットの方々と距離感がつかめないので、変な自己紹介だけみたいになってしまって、すみません。

とにかく今回の話題は嬉しかったです。

シェリーメイさん

はじめまして。どうぞよろしくお願いします。

そんな風に感じていただけたと知って、本当に励まされました。ありがとうございました。

ああ、ここにも定型アスペで共有可能な「感覚」があるんだ、と思えたことは、本当に大きなことでした。

もちろんそれがどの程度の範囲のかたと可能なのかはわかりませんが、でもすくなくともkatzさんにもある程度認めていただき、ここでシェリーメイさんの気持ちにも沿うものだったとわかって、大事な足掛かりを得た気分です。

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