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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年3月31日 (火)

傷つく仕組み

 アスぺの方が自然な感覚で言われることが,時として定型にとってはとても傷つく体験になるのはなぜか。どうしてアスぺの方にそういう意図がないのに定型にそう受け止められてしまい,逆に定型はアスぺの方にそういう意図がないことを一応は頭で分ってもなお,言われると傷ついたりするのか,ということは,前からずっと謎に思っていたことでした。

 不勉強なので,すでにそういうことについて,何か説明がついているのかもしれませんが(もし御存知の方があれば,是非お教え下さい),ただ,私がこれまで見た中では「それはアスぺの方が社会性とか他者理解に<障がい>を抱えているので,他者に配慮した言い方ができないからだ」というような説明には何度か出会った気がしますけれど,どうもそれでは分り切った感じになれずにいました。多分その説明の仕方は,あくまで定型目線の説明の仕方で,そこにアスぺ目線が含まれていないと感じるからかもしれません。

 それで昨日の「なかなか身につかない話」を書いてからそのことについて少し考えが進んだ気がして,それを言葉にしてみたくなりました。

 これまでのみなさんとのやりとりや頂いたコメントの内容などから,定型の側が人と語り合うとき,「お互いの関係を調整する」という目的がかなりのウェイトを占めるのに対して,アスぺの方は「事実を確認する」という目的が大きい,という姿勢の差がありそうだということはなんとなく見えてきていました。

 で,そういう姿勢の差があって,そのずれに気づいていないときは,コミュニケーションがなんだかぎこちなくなりますし,相手の意図が分らない,という感覚もお互いに生まれやすいでしょう。

 定型の側は,「お互いの関係を調整する」という姿勢が強いので,あることをその相手との関係や相手の状態に合わせて表現することが重要になってきます。そして自然に,ほとんど意識もしないくらいのレベルで,表現の仕方の中に「私はあなたの味方です」とか「あなたとはちょっと距離をとりたいです」とか,あるいは「もうあなたとは冷たい関係です」「あなたとははっきりと敵対関係になりました」といったメッセージを込めてやりとりをすることが多くなります。

 定型にとって「この人は自分の仲間なのかどうか」ということはかなりシビアな問題で,いじめなどで「無視」がものすごく大きな力を持つのも,そういう定型的な気持ちがあるからでしょう。そして「仲間かどうか」というのは必ずしも安定したものではなく,うつろいやすいので,常に「今はどうなのか」を気にし続けなければならない。だから表現の仕方に込められた上のようなメッセージには敏感になります。

 普通に「今は別に何の問題もないよ」といういつも通りのメッセージを出し合っている間は,特に緊張もせずに気楽にいけますが,一旦違うメッセージが出され始めると,とたんに緊張が高まり,「それは何?何が問題なの?」と不安になる。

 そしてアスぺの方の「事実を確認する」というスタイルは,「冷静である」とか「客観的である」とか,そんな意味も持つ場合もありますが,定型にとってはしばしば「気持ちがこもっていない」とか「冷たい見方だ」と感じられることにもなり,場合によっては「あなたとは共感的に理解しあうことは無理だから,あとは冷たくビジネスライクにやりましょう」という宣言の意味を持ったり,さらには「あなたの感情には付き合っていられないし,あとは事実で戦いましょう」という宣戦布告のメッセージになったりさえするわけです。

 定型では特に親しい関係では,相手に自分の気持ちを理解して受け止めてもらうことがとても大事になります。辛いときなどは特にそうですね。もちろんその内容によっては受け入れがたく,批判的にならざるをえないこともありうるわけですが,そういう場合に批判するにしても,それは相手の期待には反していることを踏まえて「あえて厳しいことを言う」という姿勢になることが望まれていそうです。

 その場合には「こういう厳しいことを言うのは,私も辛いんだけど,あなたのことを考えると言わずにはいられないんです」というような言葉かけを伴ったり,あるいはなんとなくそれを感じさせるような表情が加えられたりして,「批判的なことを言うけれど,私はあなたの味方なのだから」ということを同時に一生懸命そこで伝えようとするのですね。

 ところが,定型からするとそういう期待感をもって自分の大事な人と話をしようとしたところが,アスぺの方から「事実の確認」という,期待とはずれる応答がやってくるということが起こります。しかもそれがとても困惑した表情だったり(定型の話はアスぺの方にはわかりにくいことが多いので素直に困惑の表情が出て来る),あるいは昨日の記事にも書いたように,その「事実」自体に対する怒りを伴っていたり(アスぺの方は親しい人に対しては話題自体に対する素直な感情をそのまま表現する),ということがしばしば起こり得るわけでしょう。

 アスぺの方にとっては,これは素朴に分らないことを質問しているだけだったり,気持ちに素直に振る舞っているだけで,そのことで相手との関係をどうこうしようとか,そんな意図は全くないのだと思います。けれどもその素直な振る舞いが,定型にとっては「あなたとの関係は非共感的で,敵対的なものです」というメッセージとして感じられてしまったりするわけでしょう。その結果,自分がいちばん親しみを持ちたい人から敵扱いをされて切り捨てられたような感じになり,定型の側は「傷つく」のではないでしょうか。

 アスぺの方からするとこれはなかなか理解しにくいことのように想像します。アスぺの方は親しい関係だからこそ,素直に事実やそれにまつわる自分の感情を表現したいわけで,そこで変に相手に気を遣って(接待して)うわべだけの,とりつくろった世界を作りたくはない。そしてそこで怒りを表現したとしても,あくまでそれはその事態に対する怒りを表現しているわけで,相手に対する怒りではないのも,アスぺの方にとってはあえて言う必要も考えられないくらい当たり前のことかもしれません。

 当然,アスぺの方にはそこに何か「言い方を工夫する」という発想は生まれにくい。というか,それはむしろ「親しくない者同士の関係」になってしまうことです。ですから,その自分の表現に対して定型から非難され,攻撃されさえするというのは,ほんとうに訳が分からないことになる。だからその得体のしれない非難・攻撃に傷つき続ける。


 得体のしれない非難や攻撃を受ければ,だれでも傷つき,あるいは怒ったり,恨みに思ったりするでしょう。自分の立場が相手より強ければ,それが相手に対する激しい反撃になったり,相手を抑圧して支配するような行動につながるかもしれません。そうでなければ自分の中で問題を抱え込んで,ひたすら耐えようとすることになるかもしれない。そういうことに定型もアスぺもないだろうと思います。

 たぶん,どちらにとってもそういう事態は,自分にとって親しい間柄では当然の行動をとったにもかかわらず,得体のしれない非難や攻撃を受け,深く傷つくという体験なのだろうと思えます。お互いに親しみを感じているからこそ,そのずれによって深く傷つく。親しみを深く求めれば求めるほど,逆にそのずれによって期待が裏切られることが重なり,傷も深くなるのです。

 

 もしそういう私の想像がある程度あたっているとすれば,ほんとにどっちもどっちの世界でしょう。同じような経過で,どちらも深く傷つく。その傷をいやそうとして努力すればするほど,逆に傷が深まり続ける。そういう事態に耐え切れず,自分を守るために本当に相手を意図して激しく攻撃し始めれば,それはまたさらに新たな傷を作っていく。救いようのない泥沼になっていきます。そこで傷つく仕組みやそれへの対応の仕方は定型アスぺ共に似たようなもので,ただその出発点の感覚にズレがあるだけのことになります。

 という感じで考えると,私は今のところわりといろいろなことについて分ってくる感じがあります。それでどこまでの拡がりと深さで事態が見えるのか,その見方からどういう新たな対応の仕方が見えて来るのか,また皆さんの体験やご意見などもうかがいながら,ぼちぼち考えてみたいと思います。



 

 
 
 



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コメント

前回のパンダさんの経験のようなこと、我が家でも多々あります。というか、ほとんどそんな感じで事態が進展しないことが多いです。
アスペの方にとって、ひとつの経験が、普遍的なこだわりになってしまうことが多いのでしょうか?
もしも、その保険の見直しが得する話であった場合、そういう可能性さえ受け付けられないとすれば、言い方云々よりも、様々な好機を逃してしまっていることも多いかもしれません。
保険ではないですが、我が家は義父母の介護が必要になったとき、様々なケアプランを立てるのに、多くの方にお世話になりました。
しかし、夫はあまりにも事態の進展が早かったのと、たくさんの知らない人と接しなくてはならないことで、対処できていない感じがしました。
ケアマネや病院や、その他様々な人との面談の場で常にイライラしていて、他人の前でも平気で声を荒げることもあり、最終的には夫の意見を聞かずに私が先行して動き、事後承諾という形を取りました。
夫の混乱が落ち着くのを待っていたら事が進まなかったでしょう。
しかし、事態を整理して、こことここはお願いといえば、責任を持って動いてくれました。
言い方がきついという時は、単に率直というだけでなく、トラウマがあるとか、混乱しているとか、マイナスの何かがあるからなのでしょう。
そのマイナスが何かと探るよりも、これは事態に対処できていないんだなと考えて、それでも必要なものは、こちらで段取りをしてから説得するというのも、ひとつの方法ではないかな?と、過去の苦い経験から感じているところです。

>アスぺの方は親しい関係だからこそ,素直に事実やそれにまつわる自分の感情を表現したいわけで,そこで変に相手に気を遣って(接待して)うわべだけの,とりつくろった世界を作りたくはない。そしてそこで怒りを表現したとしても,あくまでそれはその事態に対する怒りを表現しているわけで,相手に対する怒りではないのも,アスぺの方にとってはあえて言う必要も考えられないくらい当たり前のこと
>「言い方を工夫する」という発想は生まれにくい。というか,それはむしろ「親しくない者同士の関係」になってしまう

代弁してくださっているかのような、私の気持ちそのままです。
私の場合、定型が望むような言い方や行動を、おそらく親しくない間柄の「接待」の時は
できているような気がします。
定型側からすると「じゃあなんでそれをこっちにもできない?」と思うかもしれませんが、
自分の行動や言動の善し悪しを認識できていないので、使い分けではありません。
本当に心を許した相手だけにとる態度に問題があるのだと思います。
親しいからこそとれる(とらせてもらっている)態度は私からしたら特別なものであって、
ありのままの自分を出した状態です。(犬がお腹を出してひっくり返っているような感じ?)
その状態(関係)でいられることは、もう深く信頼しているというのが前提だから、
あえてお互いの関係を調整する必要はないように思っていました。
ありのままの自分を出した為に定型を傷つけることがあったのかと「気づき」ました。

ただ、それでもずっと私のそばにいてくれる人たちの事を考えてみました。
直接聞いた訳ではないので私のなんとなくな考えですが、その人達に共通する事が
あるような気がします。一見言葉は悪いようにありますが個人的には好きな言葉で、
「鈍感」ということです。私も、自分が間違っているのに気づきながら今はどうしようも
できない(コントロール不能)になる事が多々あります。あとで反省するのですが、
そんな事があっても受け入れてくれるというか、懲りないというか、真剣に受け止めて
くれそうで適当に受け止めてくれているような…。そんな心地よさがあります。
これは決して、アスペはそのままで定型が鈍感でいれば良いという話ではなく。。。

「ありのままの自分」に問題があるとしたら、それを完全に変えてしまうのは
自分じゃなくなるような気がして不安ですが、言い方を少し変えるのは出来そうです。
あと、ストレスを少しでもためない工夫をして余裕を持って生活しようと思います。

あすなろさん

>言い方がきついという時は、単に率直というだけでなく、トラウマがあるとか、混乱しているとか、マイナスの何かがあるからなのでしょう。

 なんかそういうことなのかなと,私も感じてしまいます。それで,その理由が自分にあるのではないかと悩んじゃったりするんだけど,なかなか思いつかないし,実はそういうことじゃなかったりするんでしょうね。

 そういう「誤解」は,たとえばアスぺの方が自分に「怒り」を向けて話をされているように定型には感じられても,実はその怒りは別の人に対する怒りだったりする,という場面で起こりやすいのかもしれません。

 今回の記事で書いてみたかった一番のポイントは,改めて考えるとそんなことなのかも。

>そのマイナスが何かと探るよりも、これは事態に対処できていないんだなと考えて、それでも必要なものは、こちらで段取りをしてから説得するというのも、ひとつの方法ではないかな?と、過去の苦い経験から感じているところです。

 マイナスが自分のせいだと思い込む必要がなくなれば,そういう対処が可能になるのかもしれませんね。ああ,あすなろさんが繰り返し言われていたことは,そういうことだったのかも,と今頃ちょっと理解が深まったかも…… (^ ^;)ゞ


コアラさん

>代弁してくださっているかのような、私の気持ちそのままです。

 ここまで言っていただけるのは,ほんとうにうれしいし,よかったなと思います。基本的にはパートナーやここでの他のアスぺの皆さんの言葉を自分なりに反芻しながら,こんなことなのかなあと想像している内容ですが,少しずつ理解が共有できてきているのかもしれません。
 
>「ありのままの自分」に問題があるとしたら、それを完全に変えてしまうのは
自分じゃなくなるような気がして不安ですが、言い方を少し変えるのは出来そうです。

 なんか,お互いにそうやって歩み寄り方を探すことが大事なのでしょうね。自分を見失うことなく歩み寄る方法…… そこがポイントなのかな。

江戸っ子は五月の鯉の吹き流し、口はあれどもハラワタは無し
という言葉を思い出しました…
(口は悪いが腹に含む物は無いって意味で)
江戸っ子の口の悪さとアスペの直截的な言い回しとでは、随分と隔たりがありそうな気もしますが。

Katzさん

 アスぺ=江戸っ子 説ですね!
 これ,意外に面白い見方なのかもと思いました。
 というのは,江戸っ子(町人でしょうね)が「言葉どおり」の世界を作ったのは,
 もしかすると,あちこちの「田舎者」の集まりだったからではないか,
 と思ったのです。

 それぞれの田舎では「言葉通り」ではない,裏の読みが重要な世界で
 (今でも地方や農村ではそうだと思いますけど)
 他の地方の人間にはなかなかその裏読みの世界は分らない,
 それぞれが独自の村の世界を作って生きていたんだと思います。

 ところがそういう人が江戸に出てきて他の地方の人と暮らし始めると,
 そういう「裏読み」がお互いに全然通じ合わないわけですよね。
 それで言葉通りにシンプルにやりとりするようになったんじゃないか。

 海外でも,英語もそうですけれど,いろんな文化が混じったところの人たちは
 やっぱり「言葉通り」が重要だったりするような気もします。

 で,アスペの方は定型的な「裏読み」の世界にはなかなか入れず,
 言葉を信じて言葉に生きる道を選ばれるかもしれない。
 
 そうすると,ある面では「アスぺ=江戸っ子」とも見えるような
 そんなことになるのかもしれないと思ったのでした。
 適当な思い付きです~ (^ ^;)ゞ
 

そうですね。
一方で京の都と言えば、そろそろお帰りくださいと言う代わりにお茶漬けを勧めたりするような土地柄だったりするわけで。そういう所では江戸っ子みたいのは、とにかく乱暴で下品で、だから東蝦夷は…と陰口を叩いたりしたのでしょうね。

しかしながら東男に京女という言葉もあり、まぁ、それぞれ良い所も悪い所もあると。ああ、なんて無難な結論なんでしょう(^_^;)

連投スミマセン。

コアラさん
> 「ありのままの自分」に問題があるとしたら、それを完全に変えてしまうのは
自分じゃなくなるような気がして不安ですが、

私は、そこは考え方一つだと思っています。自分をもっと魅力的にする工夫だと思えばどうでしょうか。髪型を変えるとか、歯並びを矯正するとか、そういう事と同じ。どう頑張ったって変えようのない部分というのもあり、それは多分、自分が思うよりも大きいのです。だから何をどうやっても、他人から見れば自分は自分に見えるのではないかと。

Katz さん

アドバイスありがとうございますm( )m なるほどです。
「変えてしまう」→「魅力的にする工夫」に捉え方を変えれば良いのですね!
これまでジャイアンのようなキャラで生きてきたので(親しい中では)、今更の変更は
気恥ずかしいような…自分らしさも失ってしまうような…そこまでしないといけないのか!
という怒りに似たような感覚もあり、ちょっと戸惑っておりました。
確かに簡単に変われる訳もなく…自分を変えてみる事に対する捉え方を変えれば
ずいぶん気も楽になります。少しづつトライしてみようと思います。
ただ、その変化を誰にも気づかれたくないです。(稚拙な考えでスミマセン)

Katzさん

>しかしながら東男に京女という言葉もあり

 な,なるほど!

 つまりさっぱりした男(アスぺ的)としっとりした女(定型的)の組み合わせは
 理想的ということなのでしょうか (笑)
 ということはKartzさんのところは理想の状態かも。

 うーん,そうすると私の所の場合は
 その逆パターンだからますますむつかしい???

コアラさん

いえいえいえ、良くわかります。私もそうでしたから。

思い切って周りに宣言するという手もありますけど。うまくいけば周りにサポートを要請できるというのが最大のメリットなんですが、これはとても敷居が高いですんよね。

一番都合が良いのは、環境の大きな変化に合わせて自分を変えるって事でしょうね。若い頃なら進学とか就職とかに合わせる手もありました。大人になってからだとなかなか難しいです…。

ただ、チャンスというのはいつか必ずやってくる、というのが私の持論です。そこでの問題は2つあって、チャンスをきちんと認識できるのか、チャンスに合わせて確実に動き出す事ができるのか。その為には、普段から意識して状況を観察する事、いざその時にすぐ動けるよう準備を整えておく事。準備というのは、ワンチャンスで確実に成果を上げられる実力を備えておく、というのも含まれます。少しずつトライしてみるというのは、そういう大きなチャンスを確実にモノにする為にも必要です。

頑張ってください。応援します。


パンダさん

あれ、どこかで書いたつもりだったんですけど、まだ書いてませんでしたっけ。ウチはカミさんもアスペのアスペ夫婦です。
エイメン博士の「わかっているのにできない脳」という本がありまして、自閉症圏を6タイプに分類しているんですが、そのうち1234の4タイプ併発です。日本で一般的な用語ではアスペとADHDの併発ですね。私と同じです。

ただ、カミさんのスゴイ点は、自閉症圏の取り扱いマニュアルを身に付けている所。私の事を私以上によく理解しているような感覚があります。はい。私が楽できるのは、半分以上カミさんの手柄です。

>チャンスをきちんと認識できるのか、チャンスに合わせて確実に動き出す事ができるのか。その為には、普段から意識して状況を観察する事、いざその時にすぐ動けるよう準備を整えておく事。

なるほど~、これは自分の中に全くなかった発想でとても参考になります!
これから少しづつトライする(自分を変えてみる)ことに変わりはないのですが、
「ありのままの自分を、定型が望むような風に変える」というと抵抗があり
「チャンスに合わせて確実に動けるよう準備を整えておく」というと受け入れられる
という。。。(笑) この「あまのじゃく的思考」に自分でも疲れます(^^;)
(これは決して歩み寄りの意思がない訳ではありません)
こんな感じで、自分が納得のいくような「考え方」や「捉え方」次第で、これまで
受け入れ難いと思っていた事にもトライできるかもしれない!と思いました。
自分の操作に手こずる事がよくあるので、なんか発見できたようで嬉しいですm( )m

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